一日目 ♧ー2

 開会式の片づけを終えてから、北校舎二階にある生徒会室へと向かう。既に生徒会室では、生徒会に所属する生徒たちが各々の作業を行っていた。

 まず俺に声をかけてきたのは、カーディガンを腰に巻いた、身長の低い女子だった。

 ノートパソコンの前に座る彼女は、顔だけこちらに向けて、

「せんぱい、最後めっちゃ噛みましたねー」とにやついた笑みをよこす。

 間延びした口調が特徴的な彼女は、先ほどの開会式の挨拶で、噛んだのがよっぽどおかしかったのだろう、腹を抑えながら笑っている。

「お――僕だって人間だからね。緊張くらいするよ」

 俺、と口にしそうになって慌てて言葉を紡いだ。

「それにしたって緊張しすぎですって。ガッチガチに固まっていましたもん。らしくないっすねー」

「おい漆原。いい加減にしろ」からかう女子生徒をとがめる声があがった。

 声をあげた男子生徒は、女子生徒の頭を容赦なく鷲掴みにする。

「四葉先輩すみません。おれの方で漆原には何とかいっておきますから」

「桐生、ちょっと、痛いって」

 漆原の言葉に耳を傾けることなく、むしろその力を強めているのは、先ほどの開会式で司会を務めていたインテリ眼鏡だった。

 桐生と呼ばれた男子生徒は、俺に深々と頭を下げる。

「ほら、漆原も」桐生は鷲掴みした漆原の頭を、地面に押し付けるような勢いで、無理やり下げさせた。

「おいおい。何もそこまでしなくたっていいよ。実際、緊張していたのは本当だからさ」

 俺が桐生にそう告げると、彼は格好はそのままに、顔だけこちらに向ける。

「ですが、四葉先輩は尊敬すべき人ですから。これくらいしないと気が済まないというか」

 どん引き。目を丸くしていっているあたりが特に。

 どれだけ慕われているんだよ、咲の奴。いや、この桐生という男が変わっているのか?

「まあまあ。桐生もそこまでにしておきな。蒔絵ちゃんがかわいそうだよ」

 助け舟を出してくれたのは、先ほどから資料を確認している、三年の岸山だった。

 赤に近い茶髪に、耳元にはピアス痕。アイドル系の顔立ちで、女子生徒からはさぞ支持を集めそうなルックスをしている。

 唯一、彼の名前を知っている理由としては、先ほどの開会式において彼が登壇した際、客席から「岸山ぁ!」「恭介さん!」などと男女学年問わず黄色い声援が上がっていたからだ。

「咲もあきれてるぞ」

 岸山の言葉に慌てて苦笑を浮かべる。

 ようやく、桐生は漆原の頭から手を離した。

「きょーすけせんぱい。下の名前で呼ばないでくださいよー」と漆原。

 蒔絵という自身の名前があまり好きではないようだ。確かに、撒き餌と音が同じだしなと、内心、納得する。

「ま。蒔絵ちゃんのいう通り、咲が緊張してたのは本当だしな。らしくないのは俺も思った」

 視線は資料に向けたまま、岸山はいった。

 俺は岸山の隣の椅子に座ると、

「もともと、人前で話すのは得意じゃないんですよ。昨日、色々あってメンタルがグズグズだったんです」

「前にもいったけど、たかだか、一高校生の挨拶に期待している奴なんかいねえからさ。あんま気構えずにいってみ」

 正直な感想を告げたところ、アドバイスを貰ってしまった。これだけで判断するのも短慮かもしれないが、結構いい人なのかもしれない。

「とはいえ、あの挨拶は、あの挨拶なりによかったと思うよ」

「そうですかね」

「あんましヒートアップしすぎてもな。ちょっと気が抜けてるくらいが、ちょうどいいんだよ。ま、咲自身が今回の件が失敗だと思うなら、そっから何かを学べばいい」

 と、岸山とそんな話をしていると、横から桐生が口を挟んだ。

「そういえば、四葉先輩。あの後、体調は大丈夫だったんですか?」

「あの後?」

 桐生に尋ねられ、一瞬、はて何のことだったかと、昨日のことを思い返す。

「ほら、昨日の放課後、顔色が悪かったじゃないですか。病院には行きましたか?」

「ああ。何ともなかったよ。家帰ってポカリ飲んだら治ったよ」

 俺じゃなくて咲が。

 昨日、水分を補給した後の咲の顔色は、幾分かマシにはなっていた。

 とはいえ、咲の調子が本調子に戻らなかったから、こんな影武者じみたことをやっているわけではあるのだが。

「駄目だ。分かんねー」

 驚いて、声のする方を見ると、漆原が机に突っ伏していた。どうやらパソコンで何らかの作業を行っていたらしい。

「きょーすけせんぱーい。これどうすればいいか分かります?」と、漆原は岸山に尋ねる。

「おー。ちょっと貸してみ」

 そういって岸山はパソコンの前に座ると、迷うことなく操作を行う。

 一分ももたたないうちに、パソコンの画面を漆原に向けると、

「蒔絵ちゃん。これでどうかな」

「あ、これでおっけーです。さんくすです。それと、漆原って呼んでください」

 そして漆原は唐突に自身の鞄に手を伸ばすと、

「じゃあ、お礼といっては何ですが」

 そういって、鞄の中から半透明の包みを取り出す。中身はチョコレートだろうか。

「家庭科部の友達からのもらい物です。食べちゃっていいです。良ければ四葉せんぱいもどうぞ」

「さんきゅー。蒔絵ちゃん」

「じゃあ、僕も」

 漆原は岸山に包みを回す。

 岸山は包みからチョコレートを一粒取り出すと、そのまま俺に渡した。

 茶色いキューブ状のチョコレートをそのまま口に入れる。

 口の中に入れた途端、チョコレートはとろける。いわゆる生チョコレートという奴だろうか。

 しかし、残念なことに味はブラックだった。

「結構苦いですね」

「そう?これくらいが、ちょうどいいと思うけどな」

「あとは、岸山先輩が食べてください」

 そう伝えると、岸山はあっという間にたいらげてしまった。

「結構、美味しいね。後で買いに行こうかな」と、岸山は呟く。

 ここで岸山は、壁掛け時計を確認すると、

「ごめん、咲。俺、ちょっと出ないといけなくて。頼みたいことがあるんだけどいい?」と、席から立ち上がった。

「構いませんけど」

「体育館器具室の鍵って持ってるか?機会があったら、豊倉さんに返しておいて欲しいんだけど」

 ポケットを漁る。先ほど、開会式の片づけを行った際、預かった鍵の中にあるだろうか。

 鍵束を岸山に見せると、

「ああ。それそれ」と、岸山は犬のキーストラップが付けられた鍵を指さす。

「これを豊倉さんに渡せばいいんですね。了解です。岸山先輩」

 俺がそういうと、教室を出ていこうとした岸山の動きが、ピタリと止まった。

 何か、まずいことをいってしまっただろうか。ズボンを握る手に力が入る。

 岸山は、顔だけこちらに向けると、冗談めかしていう。

「おい、咲。俺のことを苗字で呼ぶのは敵だけって前もいっただろ。それに、豊倉のことをさん付けなんてお前らしくもない」

 愛想笑いを浮かべて、なんとかごまかす。

 岸山は、俺の様子がおかしいのをからかっただけのようで、それ以上の追及をすることはなく、教室を去った。

 彼が教室を去ると同時に、内心、ひそかに安堵する。どうやら岸山は相当、勘の良い人物であるらしい。注意しなければ。

「きょーすけせんぱいも大変そうですよねー。生徒会だけでなく部活もあって」

 頬杖をつきながら漆原はいう。その姿はさながら文豪のようだ。

「確か、愛川先輩がいなくなった後の演劇部をまとめたのも、恭介先輩だと聞いたが」

 目を閉じて桐生はうなずく。

「っていうか、きょーすけせんぱいって、三年生なのにまだ部活やってるんでしょ?受験とか大丈夫なの?」

「先輩は、天才肌だしな。受験勉強と部活の両立くらい苦ではないんだろう。それにもともと演劇部は、早々に進路が決まっていて、いまだに活動している三年生も多いようだし」

 なるほど。岸山はなかなかの傑物であるらしい。やはり天は一人の人間に二物も三物も与えるのか。

「もっとも、おれからすれば四葉先輩も、恭介先輩と同じくらい優れた人だと思うんですけどね」

 そういって、桐生は俺に一瞥を向ける。

「そんなことないよ。桐生が買いかぶってるだけだって」

 手を横に振って、桐生の言葉を否定する。

 だがしかし、内心では桐生の言葉に賛同していた。

 正直なところ、俺自身も四葉咲という人間は、身内びいきを抜きにしても非常に優れた人間だと思っている。丁寧な物腰に、聡明な口ぶり。冗談のような美辞麗句を重ねても決して大げさではない、完璧が服を着て歩いているような人間だった。そんな彼に昔はそれなりに劣等感を抱いたこともあったが、いまとなってはそれも笑い話だ。

 だからこそ。だからこそ、だ。

 俺は咲が昨日、あそこまで文化祭に固執した理由が知りたくなったのだ。

 そこには俺の知らない咲の一面があるのか。

 はたまた、桐生がいったように、学校でも相変わらず真面目な奴なのか。

 そんな下世話な興味が、咲の影武者を務める理由なのかもしれなかった。

「そろそろ、おれ達も移動しましょう。次のイベントは四葉先輩も楽しみにしてましたよね」

 桐生の言葉に従い、席を立った。

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