一日目 ♤ー2

 張り詰めた雰囲気が、その一声で緩慢なものへと変化した。

「咲の奴、人前で話すのあんなに下手だったか」

 前に座る剣が肩越しに振り返って、ぼくに尋ねる。

「緊張しているだけだと思うけど」

 剣の隣に座る鳥井くんが迷惑そうにしているのを見て、ぼくは小声で答えた。

「あいつが人前で話す機会なんて、いままで何回もあっただろうが」

 そういえば、新入生代表の言葉を述べていたのは彼――四葉くんだった記憶がある。

「そういわれてみると確かに。だけど、それがどうかした?」

「……じゃあ、別にいい」

 ぼくが四葉くんの様子に興味を抱いていないことが分かると、剣は話題を変えた。

「着ぐるみの方はどうなったんだ」

「ちょっと待ってね……」

 周囲に教師陣がいないか確認する。幸運なことに担任の茜先生の姿は無かった。

 これ幸いと、隣の逸見さんに迷惑にならないよう、ブレザーでスマホの画面を覆いながら、盾屋さんからメッセージが来ていないか確認する。

「はっきりとした進展はないみたい。昨日、盾屋さんが帰った後、着ぐるみを見かけたらしい人たちを探しているみたいだけど」

 現にいま、盾屋さんの姿は、剣の横にはない。

 ――まあ、あの様子じゃ仕方がないか。

 ため息をついて、先ほどのホームルーム前に盾屋さんと交わした会話を思い返す。



 ぼくと剣が教室に到着するなり、盾屋さんはこちらに向かって、

「着ぐるみが逃げた!」とヒステリックに叫んだ。ハンカチを噛む姿が容易に想像できる怒り方だった。

 そんな盾屋さんの様子に、剣は呆れているようだった。

「盾屋。子どもじゃないんだから、少しは落ち着け」

「剣こそ、事態が深刻だってこと分かってないでしょ⁉着ぐるみが一着いくらするか知ってんの?」

「さあ。十万ぐらいか?」

「それだと、頭部も作れないね」盾屋さんに代わってぼくが答えた。

「もったいぶるな。早く教えろ」

「全身で約四十万。ちなみに頭だけだと二十万円くらい」

 当然のように答えるぼくを、剣はどこか胡乱な目で見つめる。ほっといてくれ。

「そもそも剣は、ウチのクラスの実行委員だろ?その辺りのことはぼくより分かってるんじゃ」

「衣装周りの話は全部盾屋に投げた。オレがやったのは、演劇部との間を取り持ったくらいだ」

 何故か自信ありげに剣はいった。

「――ま、盾屋さんの心配はもっともだよ。着ぐるみが壊れでもしたら、数十万近く請求されるわけだから」

「業者が学生相手にそこまでアコギな商売をするとは、オレには思えないんだが。それに、保険とか色々あるだろ」

 どうでもよさげに剣はいう。

「これ以上、話がこじれる前に、着ぐるみが無くなったことを茜に伝えろ」

 正論だった。意外にも、剣は常識人である。

 ただ、盾屋さんは剣の正論に耳を傾けるつもりはないようで、

「今回借りた業者は、あたしがいつもお世話になってるところだし、そもそも、数十万とかすぐに用意できないし……」と、消え入りそうな声で口ごもる。

「お前のプライベートは知らん」

「それに、最悪、出店中止の可能性もあるし……」

 いまの盾屋さんの言葉には、さしもの剣も沈黙した。

 我が桜日高等学校では数年前、生徒の悪ふざけが原因で、模擬店で小火が発生したというトラブルがあったらしく、それ以来問題が起きたクラスは、問答無用で出店中止になるという取り決めがなされている。

 現時点ではともかく、発見された着ぐるみの状態によっては、出店中止の可能性も十二分に考えられる。

 変に事を大きく騒ぎ立てるよりも、内密に問題を解決したいという盾屋さんの気持ちは、よく理解できる。

 マジでどうしようと、頭を抱える盾屋さん。流石に落ち込んでいる彼女のことが不憫に思えてきた。

 ぼくはメモ帳を取り出して、盾屋さんに、

「盾屋さんが、最後に着ぐるみを確認したのは、何時頃?」と尋ねる。

「プラカードが完成して、着ぐるみの前に置いたのが六時だったから――」盾屋さんは思い出すようにこめかみを叩くと「教室を出る時に見たのが最後だったかな。たしか午後六時半だったと思う」

「教室には他の生徒はいたの?」

「いないよ。教室を施錠したのもあたしだし」

「お前の確認ミスってオチはないのか。それか実は教室を締め忘れてたとか」

「ないよ!私物使ってるから、リストまで作って厳重管理してたし、施錠に関しては生徒会だって確認してるんだから」

 それで無くなったんだから世話ないなと、剣は呟く。

 冷たい対応を取る剣はさておいて、ぼくは盾屋さんに、

「ところで、盾屋さん。さっき、着ぐるみが『無くなった』わけじゃあなくて『逃げた』っていっていたけれど、それはいったいどういう意味なのかな」と尋ねる。

「だからさ。逃げたんだよ。教室から」

「説明になってない。お前は、あの着ぐるみが一人でに歩いて、逃げ出したとでもいうのか」

 横から剣が口を挟んだ。

「北見が見たっていってたんだよ」

「あいつのいうことなんて信用ならんだろうが」

「こっちは藁にも縋る思いなんだから! 手がかりの信憑性なんて、この際どうでもいいの!」

 盾屋さんは悲痛な叫びをあげる。なんてひどいいい草なんだ。

「そもそも、あの着ぐるみを持ち出すって簡単なことじゃないだろ」

 剣の視線が、教室の隅に置かれたチェシャ猫の着ぐるみに向けられる。

 不思議の国のアリスに登場するチェシャ猫をイメージしたその着ぐるみは、可愛らしい見た目とは裏腹に、重さが十五キロ近くもある代物だった。

 そして、行方不明になったウサギの着ぐるみも同様の重さを誇っている。

「たしかに。剣のいうとおり簡単じゃないだろうね。だからこそ、北見さんのような目撃者が他にもいると思うけれど」

 ぼくは、盾屋さんに改めて向き直る。

「盾屋さん。着ぐるみを目撃した人がいないか少し、調べてみて」

「……おっけ」

 顔が広い盾屋さんなら、造作もない仕事だろう。

「ところで盾屋さん的に、着ぐるみを盗んだ人物に心当たりは?」

 今後の捜査の参考にするため、そんな問いを投げかけてみる。

「演劇部じゃない?私たちとコンセプトが被ったのが、気に食わなかったんでしょ」

「それは盾屋さんの私怨だと思うけど」

 こっちが、演劇部から服を盗むのならともかく、演劇部側にそんなことをするメリットは一ミリたりとも存在しないだろう。

「そもそもさあ。珠之宝賀が、不思議の国のアリスのパクリみたいな脚本を書かなければ、演劇部に服をとられることもなかったわけじゃない。不思議の国のアリスをコンセプトに模擬店やるって決めたのは、こっちが先なのにさ」

 盾屋さんの意見にはいささか難があるとはいえ、それをいわれてしまうと、ぼくとしては事件解決に動くしかないのだった。

 いつまでに着ぐるみを見つければいいのか、盾屋さんに期限を聞こうとしたところで、

「で、盾屋。着ぐるみはいつまでに見つければいいんだ?」

 ぼくよりも先に、剣が尋ねた。乗り気ではなさそうだったのに、意外だ。

「デッドラインは、文化祭が終わるまで。明日の放課後、業者さんが回収に来るから。もっとも、早く見つかることに越したことはないけれど――っていうか剣も、調べてくれるの?」

「オレも着ぐるみがないと困るからな。トーマと調べてきてやるよ」

 ちらりと剣は、ぼくを見やる。

 ――なるほど、ぼくに貸しを作ったというわけか。

 剣の視線の意味を理解し、ぼくは大げさに、

「そうだね。ここは我々刀剣コンビにお任せを」と、うそぶいてみせた。


 そんなことがあって現在へと至る。

 開会式が終わり、生徒たちは各々の目的のために、行動を開始する。クラスへと向かう人、委員会活動を開始する人、部活の展示を手伝う人、早速ダラダラと遊ぶ人。

 ぼくは、席を立ちあがると、

「それじゃあ、剣。先に教室に戻ってて」と、伝える。

「何か用でもあるのか」

「部長会。名ばかりとはいえこれでも科学部部長だからね。ついでに情報収集でもしてくるよ」

 盾屋さんの発言の正誤はともかくとしても、演劇部に話を聞くくらいは、しておいた方がいいだろう。

 とはいえ、演劇部の部長に直接「演劇部の部員が着ぐるみを盗んだと考えているのですが」と聞くわけにもいかない。演劇部の関係者でもいればいいのだけれど。

「たぶん、盾屋さんが着ぐるみの目撃者を、何人かリストアップしてくれているはずだから。見当をつけておいてくれると助かる」

 分かった、とうなずく剣。

 しかしここで剣は、ところで、と前置きすると、

「トーマ。今回の件、お前はオレに貸しを作っていること、分かっているよな?」

「……当然。衣装レンタルの件については、遠因ながらも責任はある」

 ぼくがそう答えると、剣は飄々と、

「それなら安心だ。オレはてっきり、今回の件も、トーマにとってはネタ探しの一つにしか思っていないと考えていたからな」といった。

「……」

 正直、痛いところをつかれた。

 答えを返せずに黙っているぼくの様子を見て、剣はからかうように

「頼んだぜ。珠之宝賀先生」

 と、


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