一日目 ♢ーA

「おはよう、だいや!」

 校門に設置されたゲート前で、本を読んで待っていると、気さくな挨拶と共にあくあちゃんがわたしの背中を叩きました。

「遅れてごめん!衣装検査に引っかかって」

「だからいったじゃん。保湿目的でも色付きリップは駄目なんだって」

 文化祭を理由に、羽目を外す生徒も多いのでしょう。今日は普段よりも厳しい衣装検査が行われており、校則により、禁止されている色付きリップやネイルの他、生徒会の承諾を得ていない衣装の着用が、厳しく取り締まられるとのことでした。

「千佳のリボンがありなら、通ると思ったんだけどなあ。そういえばだいやは、一人で学校来たの?」

「ううん。駅まで、理音ちゃんと刀麻くんと一緒に話してた」

「へー。なんか珍しい組み合わせ」

 その理音ちゃんと刀麻くんですが、二人してスマホを確認すると、「ごめん。ぼくたちは先に」と、わたしをおいて学校に向かってしまいました。

「ところでさ。何読んでんの?」

 わたしの手元をうかがうあくあちゃんに、わたしは、書店のブックカバーを外し、文庫本の表紙を見せます。

「ああ。珠之宝賀ね。好きだねー。ほんと」

「あくあちゃんも読んでよ。面白いからさ」

「あたしはパス。ミステリー好きじゃない。っていうか、だいやちゃん。前は恋愛ものを中心に読んでたイメージがあるんだけど。最近は読んでないの?」

「うーん。ちょっと飽きちゃって」

 そう言葉を濁します。本当は違う事情があるのですが、口にする気にはなれませんでした。

「とりあえず、部室行こうか」

 あくあちゃんの言葉にうなずいて部室を目指します。

 美術部と造形部によって共同制作された、人気キャラクターや動物のイラストで彩られたゲートを潜り抜けると、校内には、フリルのついた衣装で長机を運ぶ女の子や、待ち合わせをしているカップル、やたらと腕時計を確認している二年生と、頭の処理が追い付かないほどに、人が行き来しています。

 校舎には、色とりどりの垂れ幕が掛けられていて、体育館からは吹奏楽部の練習の音が聞こえます。

 下駄箱で上靴に履き替えたところで、あくあちゃんは思い出したように、

「そうだ。前から思ってたんだけど、理音ちゃんと補永くんって付き合ってんの?さっき、話してそんな感じした?」

 補永というのは、刀麻くんの苗字です。

「仲はいいと思うけれど、そんな雰囲気じゃあなかったかな。なんていうか、こう、バディみたいな感じっていうのかな」

「それなら絶対付き合ってるって。あー。羨ましい。結愛も四葉くんに告るっぽいし。みんな、いつの間にか恋愛してるんだよなー」

 あくあちゃんの口から発せられた四葉くんの名前に、少し胸が痛くなります。

 ですから、わたしはあくあちゃんの言葉に、小さくうなずくのが精いっぱいでした。

「ま。文化祭中にワンチャンあるかもしんないし。だいやは、今日、どんな予定になってる?」

「えっと、午前中は暇だよ。午後はクラスと部活で連続してシフトが入ってるけど」

「じゃあ、午前中どっか一緒に回ろうよ。彼氏いない同士、仲良くやろうぜ」

 肩に腕を回してくるあくあちゃん。はいはいといって適当にあしらいます。

立て看板やステンドグラス風の装飾によって彩られた廊下を抜け――早いところではもう調理を開始しているのか、ソースの香ばしいかおりもします――わたしたちは、被服研究部の部室である北校舎の四階に到着しました。

部室の戸を開けると、既に何人かの部員が集まっていて、各々が部室の飾りつけをしています。

荷物をおいて、飾りつけを手伝おうとしたその時、焦った様子の瑠璃先輩が、「ごめん、だいやちゃん、ちょっといい?」と、わたしに声をかけました。

「どうしました、先輩」

「だいやちゃん、悪いんだけど、また代わりに部長会に出てくれない?明日の推薦入試について打ち合わせが入っちゃってさ」

 部長会とは、各部活動の部長が集まって行う、簡単なミーティングのことです。

 本来であれば、部長である瑠璃先輩が出なければならないのですが、先輩は多忙な受験生の身ということもあり、これまでにも副部長であるわたしが、先輩の代わりに会議に出ることが何度かあったのでした。

「大丈夫ですよ」

「本っ当ごめん!この借りは絶対返すから!具体的にはお昼おごるから!」

 瑠璃先輩は、大袈裟にペコペコと頭を下げると、足早に部室を出ていきました。相当急いでいたようです。

「お人好しだねえ」と、わたしの様子を見ていたあくあちゃんが呆れたようにいいます。

「困ったときは、お互い様だから」

「いやいや、偉いよ。そうやって困ってる人のために動けるってのは」

「そうなのかな」

 これまでにも何度か、あくあちゃんに同じようなことをいわれましたが、いまいちピンと来ていないというのが本音でした。

「そういえば、部長会の場所と時間、訊きそびれちゃった」

「追えばまだ間に合うんじゃない?」

「じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

 部室を出ましたが、廊下に瑠璃先輩の姿はありません。

 とりあえず、先輩のクラスを目指すことにしましょう。

 ポスターや飾り付けによって装飾された廊下には、いつもからは考えられないほど、多くの生徒で溢れかえっています。

文化祭の開始までまだ一時間近くあるのにもかかわらず、誰も彼もどことなく熱気に浮かされているようです。

 それはわたしも例外ではないようで、スキップをするような軽い足取りで階段を下ります。

その時でした。

わたしとすれ違うように階段を上ってきた男子生徒がいました。

ちょっとくせ毛でありながらも、無造作風に整えられた髪。

髪の間からのぞく、少したれ目がちな優しい瞳。

そんな幼馴染の姿は、見間違えようもありません。

「おはよう、咲くん」

 気持ちがいつもより浮わついていたせいか、すれ違った彼――四葉咲くんに思わず声をかけました。――かけてしまいました。

咲くんは、何故だか少し驚いたように目を見開くと、

「おはよう、だいや」と、挨拶を返します。

 咲くんは急いでいるのか、そのまま振り向くことなく、上の階へと駆けていきます。

一方でわたしは、咲くんの姿が視界から外れるまで、立ち止まっていたのでした。

 ……いま、だいやっていいましたよね。

 だいやちゃん、じゃなくて、だいや。

 名前を呼ばれただけなのに、胸の内がとてつもなく熱くなって。

 ただそれだけのことが、どうしようもなく嬉しくって、仕方がありません。

 だけど。

「駄目だなあ。本当」

 同じくらい、そんな風に喜んでしまう自分のことが、どうしようもなく嫌になる。

 わたしのことを「だいや」と呼んでくれる友達の姿が頭に浮かびます。

 彼女は、わたしよりもずっと、可愛くて、スタイルが良くて、優しくて、どんな言葉を並べえても足りないくらいに、主人公みたいな女の子です。

 わたしがいままで読んでいた恋愛小説において、友人は主人公の恋を応援するものと相場が決まっています。時には自分の気持ちをそっと胸に隠しながら。

 ですから、わたしは、友人として彼女の恋を応援するべきなのです。

 彼女――結愛ちゃんの恋を応援しないといけないのです。

 なのに、なんで。

 わたしの胸に痛みが走るのでしょうか。

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