8.
それは、雪の日だった。
「○月×日。響は泣きながらこっちにやってきた」
赤い革の本を小部屋の中でまったり読むベゼッセンハイト。
その背表紙には――「響」の文字。
「母を殺したかもしれないと」
「浴室の固い壁に頭をぶつけてしまった、と」
「○月×日。でも私は言った。怖がらないで、大丈夫。この時点ではお母様は危ないけれど、まだ助けられる方法はある、と」
「そのための『ちから』なんだよ、と」
「『代理の命』を手に入れよう。そう提案した」
彼は朗々と読み進める。
「あなたをいじめる奴らを倒せるだけの力をあなたは手に入れた。……これから全ての運命が分かる『運命の書』をあなたに貸してあげるから、それを見て彼らの元へ行き、その命を奪え」
「そしたらその命が代わりに天へと旅立ってくれるように私が何とかしてあげる」
「大丈夫。この殺人は『合法』だよ」
「だって、あいつらは殺人の罪以上の悪事をあなたに犯したんだからね」
……愚かで可愛い私の響。
真っ青な顔してすぐに出かけて行った。
ベゼッセンハイトはうきうきしながら小さなラジオを点ける。
そして本棚をよちよち上る幼虫をつまみ、「響」の本の間に挟んだ。
――我々は時に自分の運命は自分こそが握っていると、コントロールできると勘違いしてしまうことがある。
でも私達は所詮、砂漠にうごめく小さな虫でしかない。
「某教授の言葉です」
「
「でもね。そんな本、虫干しされるよ」
――同時刻。犯行に及ぼうとした少年。
「運命の書」に掲載されていない命の略奪が行われようとした、その時。
かの「書」は記載のない狂いを抹消しようとした。
「そう。こんな風に」
幼虫を乗せたままの本を、彼は勢いよく閉じた。
その瞬間、本から噴水のような紅が物凄い勢いで飛び出した。――幼虫を潰したとは思えない程の色と量が。
「響」がどんどん赫に塗れていく。
「ああっ、響がこぼれちゃう。響がこぼれちゃう!」
彼は直ぐに左手を受け皿にその紅を受け止めた。そのぬめぬめとした生温かさにあの時の彼の口腔を思ってならない。
すぐに身に纏いたくて仕方なかった。
頬に塗り付ければ浸透していく響の体温と、濃い響の香り。
彼の頬が彼と出会ったあの日のように紅葉していく。
「はは、あははは……! あはははは、私の可愛い響! 可愛い響!!」
「嗚呼。とっても、とっても」
「綺麗だよ」
絶頂。
* * *
ラジオからニュースが流れる。
どこかの街の工事現場で事故があったそうだ。
(おわり)
本の虫 星 太一 @dehim-fake
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