2.

 目が覚めた。


 予感がした。


 遠くの山は紅葉で真っ赤に色づいている。


 * * *


 今日は店主が大あくびしながら落葉かきしてるタイミングを見計らってこっそり店に入った。昨日の今日でもう来たとなると流石に失礼だろう。あんなに分厚い本を二冊買ったからこそ余計に。

 でも来ずにはいられなかった。あの時あの瞬間から一時たりとも忘れられない。


 あのひとに会いたい。


 夢にあのひとが出た。

 はにかむように笑って、僕に手を差し伸べる。

 あのひとが僕を求めている気がする。

 その根拠は平安のどこかの誰かの歌だ。


 急いで、でも静かに例の場所まで行く。

 心が無駄に急いた。暗い視界が期待でどんどん色づいていく。

 この興奮を口にしたくて、でも我慢して。



 そうしてまた今日も発見した。あの本棚の町のような場所。



 壁越しに今日も見える本棚のビル群。

 心臓が千切れそうな程の早い鼓動、ゆっくりと手を壁に伸ばしてみる。

 手が触れなかったのを感じた瞬間、確信した。

 暫く迷って、向こうから足音。途端に居ても立っても居られなくなって目を瞑り、思い切ってその「空間」に飛び込めばそこには予想した通りの場所が無限に永遠に続いていた。


 見上げればそれは圧巻。

 本棚ばかりが、錯視のように縦にも横にも無限に続いていく。


 その全てに圧倒された。


 * * *


 思わず歩き出す。

 こんなに広大な場所であるにもかかわらず靴音は全く響かなかった。どれだけ大きな場所なのだろう。もう既に元居た店の大きさを超えて歩いているけれどまだまだ終わらない。屋根の高さだって最初から釣り合ってない。下手したらあれは星空だ。しかし地上はほの明るいから不思議。

 詰め込まれている本の背表紙を見ても知らないタイトルだらけだった。――というよりかはほぼ人名である。

「伝記本?」

「まあ、そのようなものです」

「……!」

 体をぶるりと震わせて後ろをぐるっと振り向けば――






 ――そこに「ひと」がいる。






 ……!!




「ワヒィぁッ!?」

「わっ、危ない!」




 思わず喉から変な声が漏れて一気にバランスを崩す。

 情けなく尻もちつきそうになった所でそのひとの細い手が僕の腕を掴んだ。


 瞬間心臓がえげつない大ジャンプを繰り出し、僕の頭の中を綺麗なピアノが軽やかに駆け抜けなさった。


 芸術品のような至高の存在が突然生身の人間として目の前に降臨した瞬間、それは「会いたい」よりも「畏れ多い」になってしまう。

 ああ、何で来たいと思ってしまったか! 何で相手に会おうと思ったか!

 何で勝手に入ってしまったか!

 だって、こんなに綺麗なひとが僕の……! 僕の!


 ぼぼっ、ぼぼぼ僕如きの腕を……!


 ヒャアアアアッ!!


「大丈夫ですか? 驚かしてしまってすみません」

 そう言いながらそのひとが背中に手を添えたりしたもんだからもう大変。顔が真っ赤になってしまって、もう息も出来ないし目も合わせられないし。久し振りの(家族以外の)他人の手の涼やかな感触に緊張しきってしまって頭が滅茶苦茶だし。

 そのひとは僕のこと一生懸命座らせてくれようとしてるのに、体が伸びきってしまってもう駄目です! もうあなたのことを一生視認できない!

 次に目を合わせたらもう死ぬ!

 首をかき切ってどこかへ逝ってしまう!

「……具合でも悪いんですか?」

「悪いかも、しれないです」

「え!?」

「心臓が、痛い……」

「ええ!?」

「あ、昇天」

「そんな!」


 そんな訳で恋愛耐性マイナス振り切っている少年は簡単に意識を失った。


 ――ぱちっと目を覚ましたのはそれから暫く経ってのことだった。


 畏れ多くもそのひとの私物である布団に寝かせて貰ってからの起床で御座います。


 ああ、なんてこと。

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