第7話

「ですが、そうしたことはお金がかかるんじゃありませんか?」


 大きなショックを受け──ようやく、ようやく私が口にしたのは、お金の心配でした。整形手術なんて、法外なお金がかかるような気がしたのです。例えロジャー様が多少裕福であったとしても。私の傷を消すため、そのためだけに沢山のお金を使うのに、気が引けたのです。

 ですが、……逆に言えば、それだけでした。他の一切のことは頭にありませんでした。手術をしたとしても、美しくなんかならない、だとか。自分は美しくなれないだとか。自分を卑下する心は、何時しか消え去っていたのでした。ロジャー様の、沢山のお言葉のお陰で。


私は、すくなからず、それ《整形》で私が美しくなれると、感じていたのです。


「ツケにしておくわ」

カインツ夫人は目を輝かせます。私はまごまごしながら言い訳を考えていました。

「でも、ロジャー様に説明してからでないと。時間もかかるでしょうし、包帯もしばらくつけていなければならないんでしょう?とてもそんなの、」

「説明なんかいらないわ。しばらく家を空けましょう。刺繍の合宿ということにして。実際に刺繍をすればいいんだわ」

「でも」

「みんなに内緒にしちゃえばいいのよ」とカインツ夫人は言いました。

「いわばサプライズ。可愛い恋人が、もっと可愛くなって出てきたら誰だって嬉しいに決まってるわ」



 結局、それが決め手となりました。夫人は素早く来週の火曜日から整形手術を行う手筈を整え、その旨をロジャー様に報告しました。ロジャー様は相当反対なさったようなのですが、夫人の口がやたらめったらに回るので、とうとう言いくるめられ、条件を飲みました。私は1週間、カインツ邸で過ごすことになりました。


 生まれてはじめて秘密を持ちました。愛してくださるロジャー様にも。たいそう良くしてくれるレニにも。

「君がいないなんて、地獄のようだ」

そう仰る彼の髪を指で梳きながら、私は何度も彼に謝りました。

「私も、寂しいです」

「今からでも、行くのを取りやめないかい?」

「いいえ……」

 私は口をつぐみました。美しくなりたい。心の底から、美しくなりたい、と思っていました。この傷を消してロジャー様の隣に並んだら、並ぶことができたら。それを自分でも認めることができたなら。醜女でなく、アンナとしての人生を認められたなら。

 私はこの人と結婚できる、と思いました。

 私の、彼への愛を妨げているのは、やはり自分の醜さへの引け目であったようなのです──



 夫人から出された宿題の太陽を刺繍しているかたわらに、レニが紅茶を差し入れてくれます。しかし私は、太陽の円を綺麗に刺繍できずに困っていました。

 何度やり直しても、綺麗な真円にならないのです。進める毎、それがゆるやかに歪んでいくように思いました。糸を解き、やり直し、糸を解き、やり直し、糸を解き、

「アンナ様」

やり直そうとしたところで、私は我にかえりました。

 外は暗くなり、差し入れの紅茶もすっかり冷めてしまっておりました。

「レニ。ごめんなさい。もうこんな時間だなんて、気づかなかった」

「熱中していらっしゃるようでしたので」

 その通りです。私は熱中していました。ロジャー様やアントン家の使用人たちに黙って、整形手術を受けるという罪悪感から逃れるために。

 しかし、レニは全てを見透かしたような目で、私にこう言いました。

「アンナ様。私はアンナ様の一番の味方であるように言いつけられておりますから、アンナ様のお望みのことは、なんでもいたします。靴をなめろと仰られたとしても」

「そんなこと言わないわ」

私は慌てて首をふりました。けれどもレニは淡々と、続けるのです。

「しかし。忠告のような形で、発言することをお許しください、アンナ様。……旦那様を、裏切るようなことは、どうかなさいませんよう。わたくしから言えることは、これだけです」


「……裏切らないわ。私はあの方を、愛したいの」


 レニは目を細めました。それ以上、彼女は何も言いませんでした。けれど、私は彼女に言い訳するみたいに、何回も繰り返しました。


「愛していたいの。愛せるようになりたいの。あの方に、……笑っていてほしいと、思うのよ」


 手元でくしゃくしゃになった歪な太陽が、私を見ていました。レニは「お夕飯の時間です」とだけいい、私のために扉を開けてくれました。



 この時、レニの忠告を聞いておけばよかった。

 今も後悔しています。


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