第5話
ロジャー様は快適な暮らしを、恋人としての私にくださいました。身の回りの世話はレニというメイドが全て行なってくれました。
私に用意された大きな部屋の、大きな扉を彼女が開けると、どういうわけか私の体にぴったりの美しい服がずらりと並んだウォークイン・クロゼットが現れました。
レニは朝になるときまってクロゼットのドアを開け、いくつか服を見繕ってきて「今日はそれをお召しになりますか」と尋ねました。彼女が見せる服のどれもこれもが「醜女」と呼ばれた私には似合わないように思われました。
この中からは選べない、と正直にいうと、レニは私の意図を汲んだように、もう一度クロゼットの中に入って、少し地味な、シンプルなデザインのお洋服を手に戻ってくるのでした。彼女は、私の気持ちを手に取る様にわかってくれました。
「旦那様からは、アンナ様のお心をもっとも尊重するように、と言い付けられております」
レニはそう言って、私の髪をくしけずり、鏡の中の私の顔を覗き込みます。
「あのクロゼットの中のものは全て旦那様のお気持ちですわ。アンナ様に似合うようにとオーダーしたものなのです。ですからどれをお召しになってもいいのです。できることなら、全てに一度お袖を通していただきたいと、旦那様はお考えです」
私はその話を聞くたびに恐縮しました。私などのためにそんなに尽くしてくださるロジャー様も、よくしてくれるレニのことも、わかりませんでした。
旦那様はお仕事から戻られるたびに私の顔をじっと見、「今日も美しいね」と囁き、抱きしめて、そのまま私を自室に連れ込むのでした。
美しいという言葉が、うつくしいという形を無くすまで、彼は私に沢山の「美しい」を贈ってくださいました。それを聞いているうち、なんだか変な気持ちになるのです。自分が本当に美しい女になったような気がするのです。
それは私が受け取るべき言葉ではないとわかっています。私は醜女──わかっているのに、うっとりするのです。まるで傷のない女のように、私はロジャー様を見つめます。美しい男性の顔を、その頬を撫で下ろします。彼の美しい顔を見つめ、美しいバリトンの声を聞いていると、本当に、私は彼の言う通り、彼のための美しい恋人になったような気がするのです。
「アンナ、愛している」
それは、変な気持ちでした。私は美しいのかもしれない、と思いました。いや、そんなはずがない、美しくなどない、とも思いました。
矛盾するのです。矛盾しているのです。全ての矛盾は、ことが終わった後に見る、鏡の中の自分の顔でした。悪ガキのハンスに悪戯半分でつけられた消えない傷が、全ての元凶でした。
「ロジャー様は私を美しいとおっしゃいますが」
「美しいから美しいと言っているまでだが」
「私にはそう思えません」
「なぜ?」
ロジャー様は私の傷の端に唇を寄せました。
「……傷があるから」
「それでも君は美しいと僕は思うよ」
ロジャー様の言葉はいつも甘くて、正しかった。彼が言えば、なんでも正しく聞こえました。けれども私は、やはり自分の顔の中央に居座る醜い傷跡を、許せずにいたのです。
ところで──こうした快適で濃密な生活にも一つ問題がありました。とても暇なのです。
いちおう、読み書きはできますから、屋敷にある本を読むことはできました。屋敷の広いお庭も、散歩することができましたし、言いつけさえすれば、メイド達がアフタヌーンティーの準備をしてくれました。
でも私は掃除婦だった頃の、あの忙しなさが恋しくなっていました。
屋敷の掃除を手伝わせて欲しいとレニにお願いしてみても「そんなことはさせられませんし、旦那様がお許しにならないでしょう」の一点張りです。私はしょんぼりしてしまいました。
私は掃除がしたかったのかもしれません。自らの顔の上にある大きなシミを拭うが如く、何かを綺麗にする作業に没頭したかったのでしょう。どんな面白い小説も、美しいお庭も、アフタヌーンティーの間に聞こえるメイドたちのおしゃべりも、それには勝りませんでした。
私はレニにお願いをしました。
「何か習い事をさせてくださいませんか。暇なのです」
レニは少し考えた後、「旦那様に相談してみましょう」と言ってくれました。
そうして私は、カインツ夫妻と知り合うことになるのです。
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