第2話

 スイート・ルームの客人は、私のような掃除婦が見上げるのも申し訳ないくらいの美男子でした。青い瞳とブロンドの髪の組み合わせは、この国ではさほど珍しくもないのですが、彼にぴったりの、彼のためにあるような色の取り合わせでした。目元は整っているし、鼻筋は通っていて、うつくしい彫像が命を吹き込まれたらこんなぐあいになるだろうと思われました。


 しかし、私がこれだけじっくり彼の顔の観察をできたということは──私は顔をさっと俯け、「申し訳ございません、今すぐ出て行きます」と小さな声で言った。顔を見られてしまったからには、そうするしかなかったのです。しかし彼はそんな私の腕を掴んで、顎を無理やり掬い上げました。


「ふむ」

「あの、これから失礼、致しますので、」

「美しいな」


 彼はネクタイを緩めました。私は「美しい」という形容詞に困惑するばかりでした。ですので、自分の掃除したベッドルームに押し倒された時も、まだ「美しい」という言葉にとらわれて困惑しているような具合でした。


 私に無縁の言葉だったからです。


 こういったサービスは当ホテルでは行っておりません、と私がいうと、彼はすぐさま支配人に電話をし、「本人が了承するのならば良い」という言質をとってしまいました。今思えば旦那様は、相当力がおありの実業家であったのですから、本当は私に拒否権などなかったに違いないのです。


 制服のロングスカートをたくし上げられたとき、覚悟を決めました。これ以後こんなことは絶対にないだろうという自信がありました。

 美しいだなんて。

 美しいだなんて。

 そんなことを言う人は、もう二度と現れないだろうから。


 私は処女を失いました。同時に、生まれて初めて、女の性のよろこびを知りました。旦那様はこうした、男と女の間のたわむれに長けていらっしゃって、きっと何人もの美しい女性たちを、今の私のように天国までつれて行ったのでしょうが、私ほど幸福だった女はいないだろうと思いました。

 制服のまま、たくしあげたスカート、下着だけをずらしての行為は、背徳的であって、甘美でした。自分で整えたばかりのベッドシーツをぐしゃぐしゃに汚し、旦那様の思いの丈を受け止める。私の身体は歓喜して跳ねました。知らないはずの動きも、旦那様に導かれるようにして、出生以前の記憶を引き出されるみたいに、こなすことができました。


 ため息を漏らすと、頬を包む旦那様の手が、私の傷をそっとなぞりました。

「美しいな」

「ほんとうに、」私が尋ねると、彼は頷きました。

「君のような女性に出会ったのは初めてだ」

「醜いでしょう」

「いや、美しいよ、君は美しい。傷跡ごと、完璧だ」


 私は、他人事のようにその言葉を聞いていました。私の心は「醜女」に成り切ってしまっていて、そうした賛辞を受け取ることができなくなっていたのです。


「名前は」

「アンナ。……普段は、醜女と呼ばれています」

「アンナ。また僕の部屋に掃除に来てくれ。支配人にもそう言っておくから」


 旦那様は私の言葉の後半を無視して、私の名を何回も確かめました。「この宿の掃除婦に、ほかにアンナはいないんだね?」と。

「はい、アンナは私だけです」


 こんなに美しい男性が、私のような傷物の女に入れ込むなんて、まさか。私はまだ冷やかされたのだと心のどこかで考えていました。何せ、私は醜女なのですから。


 しかし、彼は毎日私を掃除に呼びつけました。私が掃除しているあいだ、そのようすをじっと見つめ、そして終わったら、綺麗にしたばかりの部屋をセックスでめちゃくちゃにするのでした。


 人様にはおおっぴらに言えないような日々が2週間ほど続いたあと、旦那様はチェックアウトされました。私は少しだけ、ホッとしました。もう「美しい」という言葉にざわつくことがなくなるのですから。


 あの人との時間は、身を守るために「醜女」を演じる私を「アンナ」に引き戻してしまうから。


 けれども、旦那様との関係は、そこでは終わらなかったのです。

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