第5話
そもそも、カニの脚の本数はズワイガニなら10本、タラバガニなら8本だ。12との最小公倍数はズワイなら60で10杯、タラバでも24で3杯必要ということになる。ダース単位で数える人は世界に一人しかいないだろう。
「あさひ~、私が持ってきたの3匹だから脚は30本しかないよ」
「あ、蟹は生きているときは一匹、二匹だけど、売られている場合は一杯、二杯って数えるから」
そこが問題ではないと思うが、姉の言うとおりではある。「杯」というのは、液体を入れておける容器の数え方で、イカやカニは胴体や甲羅がその形だからというのが由来だ。新鮮なものだと、生きているみたいだから「匹」で数えることもあるらしい。朝市でそう数えているのを見たことがある。
「私は1本か2本あればいいや。お腹いっぱいだし」
超絶ハイカロリーヘルシーカレーの直後だし。
「少食だね~、ルナ。そんなんじゃ大きくなれないよ」
いや、なりたいと思わないし。今さら大きくなるのは横幅だけだ。
「アタシはハサミもらう。かにばさみ~」
「柔道の禁止技か」
「じゃあ、アヤにははさみを半ダースね」
やっぱりダースなのか。ていうか、はさみ以外も食べさせてやれ。スポンサーなんだから。
蟹を食べるとき、人は無口になるというが、このメンバーには関係ない。黙ってカニを食べる女子なんて見たことないし。あまり気の合わない人に食事に誘われたときは、蟹をリクエストして、ほぼ無言で食べるだけ食べて帰るけど。
「柔道と言えばさ~、二人は空手と柔道習ってたんだよね?」
「私は試合でほとんど勝ったことないけどね。ルナは強かったよ。県大会ではいつも上位入賞」
「優勝したことないけどね。中学の途中でやめたし」
「私は小学校まででやめた。全然勝てないとおもしろくないからね」
アヤが首をかしげる。
「あれ~、でもあさひ強かったよね?」
「アヤ、試合見たことないでしょ」
「試合はないけど、ほら、あのとき。いつもランニングシューズのあさひが、めずらしくローファー履いてきた日」
「……見てたの?」
気まずい空気が流れる。アヤの奴、どこから見ていたんだ。
「だってさ~、アノあさひがお弁当食べずに飛び出していったから、ただ事じゃないと思って後を追いかけたのよ。そしたらルナが……」
「アヤ、まず食べようか。せっかくのカニが冷めちゃう。冷めるとカロリーなくなるよ」
そんなアホな。いや、話題を変えてくれたのはありがたいけれども。
「なに言ってるのあさひ」
ようやく自分以外がツッコんでくれた。ありがとう、アヤ。
「そもそもこのカニさんたちは、はるばる北の大地から歩いてきたから、ここに到着した時点でカロリーなんて消費し尽くしてるの。だからカロリーゼロ」
私の感謝の気持ちを返せ。
この二人と話していると、自分の方がおかしくなった気がする。そもそもさっき自分で持ってきたと言っていたのに、歩いてきたことになってるゾ。
さらにお腹がふくれ、眠くなってウトウトしかけたところに、少し前にも聞いたメロディが流れて覚醒する。この音楽は……。
「あさひ、ご飯炊いたの?」
「だって、カニ鍋の〆といえば雑炊でしょ?」
「いや、さっき5合炊いてたよね?」
「え、食べ切ったじゃない。覚えてないの? 記憶力大丈夫?」
満腹中枢壊れてるヤツに、こっちの脳の心配された。
「雑炊いいね~。卵はある? なければアタシ産むよ」
もういい分かった。産め、産むんだアヤ。でもそれ食べたら共食いだゾ。ていうか、ウロボロスの蛇かも。でも卵は母体と繋がってないな。そもそもお前哺乳類だろ。いや、そういう問題でもないな。
ダメだ、思考がおかしくなっている。もうツッコみ疲れた。せっかくの休日なんだ。寝よう。
「私は雑炊いらない。二人で食べて。おやすみ」
そう言ってソファに倒れこんだ私に、
「ちょっと、いくらなんでも5合のご飯を二人では食べきれないよ」
「アタシ1合も食べられないけど~」
自分勝手な二人だ。と思ったけどアヤはふつうか。
「食べてすぐ寝ると牛になるよ」
「アタシ、佐賀牛がいいな」
「飛騨牛も食べてみたい」
「前沢牛なら車で1時間半で買いにいけるね~」
「でもお高いんでしょう? 」
何か始まった。
「牛といえば、牛タン食べたくない?」
「最近食べてないね~。ここからなら『つかさ』かな?」
「んー、でもあそこはいつも大行列だから、並んでいるうちにお腹すいちゃうよね」
そうですか。こっちは明日までお腹すきそうにありませんけど。
「ルナ~、ちょっと牛の舌抜いてきて」
アヤは私を何だと思っているんだ。
「角なら折れるけど、舌抜くのは無理」
角も折れないけど。その後も何か言っていたようだが、もう相手にするのはやめた。職業柄、いつでもどこでもどんな環境でも、寝ることができる芸は身につけている。今度こそおやすみ。
目が覚めたら薄暗くなっていて、二人はまだしゃべっていた。でも、テーブルもキッチンもきれいに片付いていて、カニの脚も甲羅も影も形もない。
「ごめん、片付け二人でやってくれたんだ」
「いいってことよ~。お疲れのようだったからね。少しは休めた?」
「ありがと。カニもらった上に、片付けまでさせてしまって申し訳ない」
「気にしない、気にしない」
微笑むアヤ。こうしてると美人なんだよな、コイツ。普段はボーッとしているけど、そんなところも、男子からは清楚で儚げなイメージに見えていたらしい。
「ルナも起きたことだし、ちょっと散歩いかない?」
珍しく建設的な提案をする姉。今日は食べすぎたから運動は歓迎だ。
「『伊達通り』のパン屋さんで45分食べ放題やってるんだって」
勝手に行け!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます