15.曰く付きの男の来訪


 ミュゼやフェヌグリークの働く孤児院では、生活の最低限は保障されるが給料も少ない。

 それだけ運営が難しい場所だ。

 働くシスターは少数、それも孤児院を寝床とする常勤はフェヌグリークとミュゼだけ。通いや非常勤は少数だが、この孤児院だけでは働く側も食べていけない。

 昨日の夜勤にそのまま朝までの仕事を押し付けた形になったので、ミュゼは彼女達の恨み節を覚悟していた。


 の、だが。


「ディル様!?」


 帰還早々、シスターの黄色い声で度肝を抜かれる。

 ミュゼより十も二十も年上のシスターが、ディルの登場で色めき立ったのだ。

 確かに涼やかな雰囲気の色男だとは思う。しかし今勤務中の三人のシスターが、彼を見つけるなり大股で走り寄って来る程だとは思わなかった。


「ディル様、ご機嫌よう!」

「何故こちらへ!? 初めてではいらっしゃいませんか!?」

「ああ、お会いできるなんて夢のようです!!」

「そうか」


 三人をその一言だけであしらったディルは、シスター達を無視して建物まで近付く。

 外で遊んでいた子供達は何事か分からずに呆然としていた。いつも貞淑なシスター達がここまで乱心する所を初めて見たのだ。


「シスター・ミュゼ! シスター・フェヌグリーク! 何故貴女達がディル様をお連れしたのです!?」

「え、め、迷惑でしたかやっぱり」

「とんでもない!!」


 人生の先輩である女性の勢いというのは、職業なんて関係ない。子供達を相手に出来る体力のある女性なら特に、まだ若い二人を圧するなんて簡単だ。

 年齢を感じさせない様子でディルの登場を喜ぶ中年女性――もといシスターは、この一瞬だけに十歳若返ったようだった。


「まさか、こんな寂びれた孤児院にディル様がお越しくださるなんて……」

「私ゃ明日にでも死ぬのかね」

「ありがたやありがたや……。夜からずっと残ってた価値はあったわ……」


 そして建物の中にディルが消えた頃、シスター達は急激に老け込んだ。

 そんなに有難がるほどの男か、とミュゼが顔を顰める。疑問はフェヌグリークも抱いていたようで。


「……シスター。そんなにあの人、凄い人なんですか?」

「そりゃもう。有名人よ」

「昔に一度だけ、余所の孤児院で働いてた時にお見かけしたかね」

「あの頃からとってもお綺麗な人だったのよ」


 三人が三様に褒めそやす、そんな男。

 ミュゼはまだ納得いかない。だって、酒場で見たあの男はそんなに有難がられるような奴じゃない。


「……ディル、さん? ですっけ。ディルさんの『あの頃』って、一体何の話ですか」


 フェヌグリークの疑問には、おほほと笑って言葉を濁すシスター達。

 いいように遊ばれているフェヌグリークを置いて、ミュゼが歩を進めた。

 幾ら相手がディルとはいえ、部外者が勝手に入っていい場所ではない。何を考えている男か分からないから、余計に。

 既にディルは建物の中に姿を消していた。その背中を追って、ミュゼも続く。


「……」


 ディルは、入ってすぐの扉の側から中を見ていた。まるで気配でも探っているかのように、柱から床までを丹念に見ている。

 気になる所で視線は止まり、また別の所へ。ミュゼが近寄っても気にしていない様子だ。


「……古いでしょう」

「ああ」


 古い建物だ。普通に暮らすにも限界が来ている。

 床は抜けかけ、柱は痛み、壁は剥がれかけている所もある。天井だって、いつ落ちてくるか分からない場所まである。この入り口だけで、どれだけ古いか感じられる。

 いつか近い内に、外まで行かなくてもここから夜空が見られるようになるだろう。……そうなった時、この建物を『屋内』と言って良いのかも分からなくなるけれど。


「シスター・フェヌグリークが、アルカネット様に毎月お金の無心をしているんです。寄付という形でお金を渡していただいているので、それで何とかやりくりしています」

「……以前、アルカネットに金の使い方について苦言を呈した事が有る。自警団の給料日直後に金に困っていたのでな」

「そうですか」


 確かに、そこまで首を突っ込まれたら反発したくもなるよな、とミュゼが苦笑を浮かべる。

 アルカネットと義姉夫婦についての確執は話に聞いた程度にしか知らなかったが、どうもアルカネットの反抗期が続いているらしいというのは理解出来た。


「築何年の建物か分かるかえ」

「さあ。外にいたシスター達が勤続一番長い筈なので、そちらなら知っているかも」

「簡単な改修では追い付かぬであろうな」

「でしょうね」

「部屋に入る事は可能か」

「見られて困るものは無い。……とは、私の判断だけでは言えませんので、ご遠慮いただけるとシスターも子供達も安心すると思います」

「そうか」

「……」


 ミュゼの言葉を受けて、ディルは無理強いしない。無理矢理部屋に押し入っても、他のシスター達は別に気にしないだろうけれど。

 ディルは不思議と、ミュゼの話の調子に合わせた。不遜であるのには変わらないが、質問ひとつに答えがひとつだけでも、空気が乱れる事は無い。孤児院の穏やかな空気感がそう思わせているだけかも知れないが、話していて苦痛ではなかった。


「……ディル様」


 酒場を出るまでは、ああまで悪印象しか持たなかった相手だ。こんな心変わりは自分が一番奇妙だと思う。

 古臭い孤児院に嫌な顔をせず入り、中を検分しつつも無理強いはしない。それどころか、この建物が似合うとさえ思う神秘的な男だ。

 これが、自分の中に流れる血がそう思わせるのかも知れない――そう思いかけて、その感情を押し殺す。


「奥様を、愛しておいでですか?」


 ミュゼが一番気になっていたのは、それだった。

 問いかけにディルは目を見開く。灰色の瞳が丸くなり、ミュゼを捉えた。


「……何故、今問う?」

「別に、今である意味は無いです。だいぶ貴方の態度は尊大ですし、好いて隣にいるにしては奥様に対して非道だなと。こうして奥様置いて私達と外に出ているのもそうですし、昨晩は組み手か何か知りませんが疲労させたそうじゃないですか」

「…………。……」


 ミュゼを見るディルの顔に、本気で言っているのかと書いてあった。

 敢えて言わないのは追及されたくないからで、視線を逸らす。


「シスターが夫婦に愛を問うてくる。不思議なものだ」

「不思議じゃないです。私、これでも少しは貴方達の話を聞いてますから。でも流石に、王子様の結婚相手を選ぶ舞踏会を抜け出して、二人きりのテラスでワルツを踊るのは気障すぎると思いますよ?」

「………。誰から聞いた」


 二人の交際の切っ掛けを知るのは極少数だった筈だ。噂になった出来事とはいえ、そこまで知っているのは過去の二人の『職場』の関係者ばかり。

 悪戯が見つかった子供のように笑ったミュゼは、顔に不釣り合いな音で喉元で意地悪く笑う。


「ディル様。私はね、自分が置かれてる状況が全然理解出来ない。そのまま一年、この街に世話になってるんですよ。私は幾らか、この時代について知ってる話はあったから大丈夫だろうって思ってた。……でも、私が『私』である根本の部分が聞いた話と違っていて、物凄く苦しいんです」

「……質問に答えておらぬぞ」

「急かす男は嫌われますよ、ディル様。それでも嫌わない奴なんて、貴方の奥方以外有り得ない」


 情報の出所の分からないディルは、どこか焦れたような表情を浮かべる。それを分かっていてミュゼは微笑んだ。

 立場が、やっと五分になった気がする。これで五分なのだから、ディルの余裕は底が深い。


「私の育ての親のエクリィは、マスターから貴方の話を聞いていた。ずっとずっと、貴方だけを愛し続けた実直な人だったって聞いていました。ずっと貴方を好きで、愛していて、愛し続けた。それこそ、死ぬまで」

「……何の、話だ」

「私はね、エクリィから貴方達の話を聞いていたんです。自分の命より、愛した人への想いが大きい人達の話。事ある毎にそんな貴方達と比較された私の気持ち、分かります?」


 フェヌグリークがこの場に居ないのが好都合だった。ディルにはそうでは無かっただろうけれど、ミュゼはずっと思っていた事を言える。

 育ての親に引き取られて、知りもしない血縁の話をされて、自分の縁者と比較された生活だった。

 だからと、そんな生活の話をしても彼が理解してくれるなんて思わない。


「知られたくない話は私はしない。でもなるべく質問には答えるよ。そしてその時、暈す事はあっても嘘は吐かない。私は嘘が苦手なんだ。そこんとこ、マスターと……、アルギンと似てるなって、馬鹿な育ての親がずっと言って来た」

「……」

「ねぇ、当ててみてよ。私が『私』でいられる間に、私が一体貴方達の何なのかを」


 だから、謎かけにする。

 この男の機嫌を損ねれば、きっと無事では済まないだろう。ディルもだが、何よりディルの妻であるアルギンが一番怖い。

 でも――どうしてか。この男は許してくれる気がした。

 今に至るまで、失礼な物言いをしても流してくれている。だから段階を踏むように、更に、更にと失礼になって様子を見ている。ねぇ、なんて昨日であれば絶対言わない。


「……当てる、とは異な事を。汝はミョゾティスであり、我等を知っている。育ての親はエクリィと言い、我の記憶には存在しない者だ。知らぬ者を如何当てろと?」

「私やエクリィを知らなくても、私達の関係には名前が付けられるよ。今分からなくても大丈夫。八十年くらい経った頃には、名前を持った関係が私達を繋ぐ」

「……」

「でも、八十年経つ前に、私としては当てて欲しいなって思うんだ。すぐじゃなくていい、少しくらい時間が掛かってもいいから」

「何故、其れを我に?」

「なんかね、マスターは当てるのに躍起になって気合入り過ぎて、色んな人巻き込んで厄介な事になりそうって思って」

「………」


 然もありなん。冷静になろうと思えばなれる筈の妻だが、本質は沸点が低い賑やかな女だ。

 そこまでアルギンについて基礎知識があるのなら、酒場で問題行為を起こす可能性は低いだろう。アルギンだって、自分の身を守れない弱い女じゃない。だから、ミュゼへの警戒を今以上に強めるのは止めた。

 この女が、謎かけの裏で何を企んでいるのかは分からない。でも、今は様子を見る。


「八十年も経てば、我は少なくともアルギンと共に土の下だ」

「……そうだね」

「伴侶として、我は、あれの平穏を長く望む。その障害と成り得る全てを、我は命を賭して排除する」

「……」

「汝の企みを見透かす事の出来ぬ現状、納得している訳では無い。念を押すが、故意に妻や子供達へ不利益を成すなら容赦はしない」

「分かってるよ。……私は、誰かを傷付けたい為に一員にしてくれって言った訳じゃない」


 互いに互いの思惑が見えない。

 それでも、敵でないなら出来る譲歩もある。


「成らば聞こう。汝は何の為に、我等の許へと来た」

「……。理由は色々あるけれど、一番は……」


 ディルからの問いに、ミュゼは少しだけ考えた。

 自分の本当の願いをどう伝えたら誤解が一番無いか、とか、どう伝えれば謎掛けの答えにならないか、とか。

 少しの沈黙の間に、当たり障りのない答えを出す。


「皆が幸せになれるように、かな」


 それは、とてもありふれた答えだった。


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