14.同行? 監視?




 ミュゼがこれまで生きて来た記憶の中で、一番側に居た記憶があるのが育ての親だった。

 生みの親の記憶は殆ど無い。顔も姿も覚えてないのに、何故か自分を呼ぶ声だけは覚えている。

 育ての親は、生みの親が死んだ後にミュゼを引き取った。話を聞くと、生みの親もそのまた親も、その親さえ彼に育てられたらしい。


「何十年を私達の為に使ってるんだ」


 と聞いた事もある。


「知るか。勝手に早死にするお前ら一族が悪いんだろ」


 と返された。


「それもこれも勝手に発狂して子供置いて死んだ、お前らの祖先が悪いんだろ。あんな小さな子供置いて死んだくらいなんだ、文字通り『死ぬ程愛した』んだから怖い怖い。お前もその素質があるかもな」


 彼の髪は灰色。定期的に染めているのを知っている。

 魔法が使える種族なんだから、魔力で染めればいいじゃん――と言ったけれど彼はそうしなかった。

 長命種である証のような耳は、自己流でやった外科手術で歪な形になってしまった。

 ミュゼが子供だった頃から、何でも教育した男。一通りの家事も最低限の礼儀作法も、武術や乗馬も。死ぬ程苦労させられて、その度に彼は笑った。


「覚えられなかったら死ぬだけだから、精々生き残れる程度に頑張れよ。――まぁ、少なくとも」


 その名を、呪いになるように何度も口にして。


「俺が教えた以上、お前の強さはアルギン以上だから、あいつより長生きするよ」




 孤児院の生活に慣れたミュゼの朝は早い。しかし、部屋を間借りした姉妹の方がもっと早かった。

 部屋には寝台が二つあったが、ミュゼの為にひとつの寝台に身を寄せ合っていた黒髪の店員姉妹。借りたのは、姉であるオルキデの寝台だったようだ。

 ミュゼが起きた時には既に姉妹は部屋からいなくて、朝焼けの光が窓の外から差す室内に、着替えとして服一式が置いてあった。上下分かれた色の濃さが違う黄緑の服。舌は膝丈のフレアスカートになっていて、動きを全く阻害しない。

 着替えが終わって髪を結んだミュゼは下の階に向かう。昨日散々過ごした客席では、掃除を始めているマゼンタの姿があった。


「あら、おはようございます」

「……お、おはよう……ございます」

「やだ。マスターが敬語要らないって言ってたから普通に話していいですよ」


 笑顔を浮かべる彼女に邪気は感じられない。裏の顔がある酒場に所属しておきながら、聖女のように微笑むマゼンタは逆に気味が悪かった。

 モップがかけられた床は掃除がしてあっても綺麗とは言えない。適当な椅子に座っていると、やがて上階から扉の開く音がする。

 ぺたぺた、と、小さな足音がふたつ。階段を下りてくる姿が徐々に見える。


「まぜんたおねえちゃん、おはよーございます!」

「んんー……。まぜんたおねえちゃん、おはよぉー……」


 二人の幼児だった。

 二人は揃いの寝間着を着ている。頭からすっぽりと通す形の、灰色の一枚着。


「おはよう、ウィリアちゃんにバルトちゃん。今日も早いね。まだ夢の中の子もいるみたいだけど」

「ねみゅいー……」

「そこはお母さんに似てるよね、外見お父さんに似てるのに」

「えへへ」


 照れたように笑ったのはウィスタリアの方だった。

 ミュゼの視界の端でちょろちょろと動く双子。ウィリアと呼ばれた鈍い銀色の髪を持つ幼児は、ミュゼを見て瞬きを繰り返した。


「おはよぉございます!!」


 それは、誰に躾けられたのか。

 元気な声で挨拶するウィスタリアの眩いばかりの笑顔を受けて、ミュゼが言葉を失った。自分も比較的朝に強い自負はあったが、こんな笑顔を浮かべて挨拶できない。

 ミュゼが挨拶返しも出来ずたじろいでいる間に、ウィスタリアはバルトと呼ばれた妹コバルトの手を引いていく。「ふぇー……」と情けない声が後を引いて、二人は一階の奥の部屋――恐らく夫婦の寝室――へと消えた。


「……朝から元気だな、ウィスタリアは」

「……どっちがどっちかも知ってるんですね」


 モップを手にしたままのマゼンタは、双子の見分けすら既についているミュゼに言及した。わざわざ言葉で指摘されたミュゼも、自身の失言に気付いて身を震わせる。


「良いんですよ、別に。可愛い子達でしょ、マスターの子だから余計に可愛いです。だから、あの子達を可愛がってくれる人は嫌いじゃないんです」

「……随分、入れ込んでるんだな。自分達の身内じゃなしに」

「当然でしょ? マスターだけですよ、私達が特別扱いしてるの。あんなに面白い人、滅多にに居ませんよ? ……だから、あの子達を含めて、マスターを大事にしてくれる人は好きです。でも、ミュゼさん。貴女がそうじゃなかったらとっても困るんです」


 床掃除の続きをしながら、世間話のように。


「私はマスターよりも結構色んな権限あるんで、この酒場に下手な事しようなんて考えないでくださいね?」


 幾重にも、厳重に軟布に包んだ悪意をミュゼに投げつけた。

 声自体は、先程と変わらない無邪気を思わせる声色。そのまま双子と話していたとしても不思議ではない音だった。

 なのにミュゼに投げた声の悪意は、厳重に布に包んで輪郭を曖昧にさせたのに棘が見え隠れしているようで。苦笑するような声が後について来て、それが更に気持ち悪い。


「……どういう意味」

「言葉の通りですよ。この酒場の中で、もしかしたら一番敵に回したら大変なのは私達かも。変な行動しないでくださいね、って釘差したつもりですよ」


 ミュゼより若い彼女が、ギルドの長さえ差し置くような言動をしているちぐはぐさ。

 ミュゼの眉間に思わず皺が寄るが、それは別の人物が近寄って来た事ですぐ消える。

 厨房側から盆を手に側に来たのは、昨日服を貸してくれたオルキデだった。


「おはよう」

「……お、おは……?」

「朝食だ。食べておかないと気力がもたないぞ」


 マゼンタとの話を聞かれているかも知れないが、オルキデの様子は特に昨日と変わらない。妹と一緒に脅しをかけて来るのかとも思ったが、そうではない。それとも、異分子とさえも認識されていないのか。

 出された食事は一皿料理だ。焼いたパンに目玉焼きと葉物野菜が一緒に乗っている。振りかけられた黒胡椒と、たっぷり塗られたバターの香りが漂う。その皿の隣に珈琲と砂糖が添えられて、まるで店のようだと思ったミュゼが脳内でそれをすぐ否定する。ここは店だった。


「……ありがとう」

「気にするな、これで私はマスターから給料を貰っているんだ」


 酒場の給仕も世知辛い情報だ。出された食事に有難くありついている間に時間は過ぎる。半分くらい食べ進めた所で、双子が着替えて客席まで出て来た。


「マゼンタおねえちゃーん!」

「マゼンタおねえちゃん!」


 その頃にはコバルトの眠気も飛んでいるようで、ぱたぱたと靴を履いた足音が聞こえる。

  

「着替えたね、二人とも。うん、今日も可愛い」

「えへへ」

「わーい!」


 今日の服装は全く同じ白の釦シャツと黒の半ズボンだった。ウィスタリアだけ、名前と重ねたような紫のリボンで髪を結んでいる。

 そうして双子も席に着き、運ばれて来た食事をいただく。笑顔で頬張る双子は、ミュゼの目から見ても愛らしい。……出会う前から、話だけ聞いていた子供達だ。

 もそもそと食事を続けながら双子に視線を送っていると、マゼンタがモップを片付けた後に三人を見る。ミュゼは昨日初めて店に来たが、双子ともどこかしら顔が似ている。その親と似ているから当たり前ではあるが。


「……ミュゼさんって、そういえば目許はマスターに似てませんね」

「は?」

「マスターより少し吊り目。昨日、皆して貴女がマスターに似てるって話してたんですよ」

「馬鹿言え、似てたまるか」

「ですよね。変な話。でも……見てるこっちも不思議な感じになるんですよ。エルフの血が混ざってると皆同じ顔になるんですか?」

「……知らないよ」


 顔の作りまではどう頑張っても似せようがない。そこを突っ込まれたら困るミュゼが、不機嫌な様子で最後の一口を頬張る。珈琲も砂糖すら入れず飲み干して、食器を手に席を立った。


「ところでさ、私一回孤児院に戻らないといけないんだが。その場合どうすんの? 監視付かなくていいの?」

「え、戻るんですか? うーん、その件についてはマスターの判断次第ですからねぇ。でも戻ってどうするんです? 仕事するんですか?」

「孤児院はいつでも人手不足なんだよ。朝も早くから仕事があるってのに、私もシスター・フェヌグリークも居ないってなったら手が回らない。金も無いのに人手も無かったら、子供達はどう生活していけばいいのかってんだ」

「んー……。そんなもんなんですかねー」


 ミュゼが説明しているのに、マゼンタはピンと来ない顔をしている。説明が悪い訳でもなく、マゼンタだって頭が悪い訳でもないだろうに、わざと理解していないのか微妙な所だ。

 マゼンタの捻る首を見ていたら、ふと彼女が視線を動かす。ミュゼの向こう側、先程双子達が着替えに入った部屋のある方向へ。


「おはようございます」


 マゼンタの挨拶は、新しく現れた男へ。

 ミュゼが振り返ると、足音も無くディルが姿を現していた。朝から身支度を完璧に整えた、涼やかな立ち姿。服は昨日と似た形の、白いシャツと黒いズボン。丁度双子と似通わせたような服装で髪を後頭部で、ミュゼと似通った位置に結んでいる。

 手首の釦を触りながら、ディルがカウンターの一席に腰掛ける。そこにマゼンタが運ぶ食事はミュゼのものと一緒。違うのは珈琲が紅茶になっている所か。


「孤児院へ戻る心算か。フェヌグリークと共に」

「え? ……ええ、まぁ。着替えも必要ですし、仕事が山とありますので。逃げたりはしませんよ」

「我が同行しよう」

「え」


 さらっと重大事項を伝えた口はそのままパンを齧った。ミュゼよりももっと小さな一口で朝食を咀嚼している。

 呆然と立ち尽くすミュゼの手から、オルキデが奥から出て来て食器を攫って行った。今はどうやら、彼の話を聞くことが優先されるらしい。


「……同行?」


 改めて言われた言葉を復唱すると、ミュゼの疑心が強くなる。勝手に鋭くなる目付きを止められない。


「監視では無く?」

「逃げる心算は無いのであろ」

「だったら何故、貴方が直々に同行するのです」

「監視が望みならばそう言えば良い。我も相応の対策を練り、共に孤児院へと向かおう」


 分かっていたが、ディルは不遜だ。妻にもその他にも、自分が優位な立場を譲らない。

 ミュゼは暫く黙っていたが、挑発するつもりで口に出した。


「……他の女と一緒に街に、だなんて。奥様が嫉妬するのでは?」

「――……」


 それは思ったより効いたらしい。ミュゼが思っていた形でとはいかなかったが。

 ディルは無言で暫く考え、目を瞬かせ、たっぷり時間を使ってから声に出した。


「であるなら、我が妻は再び自身を心が狭いと思い悩もうな。……あれが起きる前に帰宅したいと思っている」

「へ。まだ寝てんの。寝ててもいいだなんてお優しい事。……ってかなんで寝てるんだよ、子供は起きて来ただろ」

「………」


 若干責めるようなミュゼの言葉に、ディルの視線が僅かに逸れる。


「組み手の疲労であろ」

「組み手」


 なんでそんなんやってんだよ、と意味を込めた視線を投げるが、ディルがミュゼを見る事は無い。

 ボフッ! ……なんて、厨房から噴き出し笑うような声が聞こえたが、その時のミュゼは意味が分からなかった。

 気付くとマゼンタも床に蹲って震えていた。先程の話に、そんなに笑う所があっただろうか。


「何やってんの。しかも夜中にだろ」

「……」

「そりゃ、マスターは隠し事してたっていう話だったけどさ。それで次の日の朝まで引きずるまで疲れ残させる?」

「……………」


 ディルは黙って紅茶を啜る。無表情な男なので、何を考えているか分からない。

 少しは嫁にも優しくしてやれ、と言葉を連ねそうになったミュゼだったが――過呼吸を起こしても掌で止めに来るマゼンタの姿を見て口を噤む。


「も、もー、やめ、やめて、ひっ、くだ、しゃいっ。わらい、じぬっ」

「……なんで?」

「やだぁ、もー。ちょっと気取った雰囲気でやな感じとか思ってて本当ごめんなさいっ、貴女みたいな人、面白いから好きっ」

「……は? ナメてんの?」


 定型文のような謝罪を入れられても、前後の言葉が不快で苛立ちしか感じない。

 苛々が募っていく間に、階段から誰かが下りて来る音がした。


「す、すみません。遅くなりました」


 下りて来たのはフェヌグリークだった。昨日と同じ服を着ていて、ミュゼがその身軽さを羨んだ。こっちは姉妹と同室だったから服まで借りたが、彼女は自分の服で動けるのだ。


「おはようございます、シスター・フェヌグリーク。もう孤児院へ戻ろうと思っていますが、どうしますか?」

「え、も、もうですか? えっと……それは確かに戻りたいんですけど……」

「ふん」


 二人が話している間に紅茶を飲み切ったディルが席を立つ。身軽な様子で何も手にしていない彼は、そのまま酒場の外へ出て行った。扉の鐘が低く鳴る。

 彼の背中を視線で追いかけている間に、厨房からオルキデが出て来た。顔を下に向けたまま手にしていた四角い籐籠をフェヌグリークに渡すが、その肩はまだ震えている。


「……ディル様が、動いた時点で、こうなる気が、していてな。まだ朝も早いし、朝食として、持って行ってくれ。外側は、別に、無理して返さなくてもいい。……ぶっ、くく……」

「姉様、まだ笑ってる」

「……? 何かあったんですか?」


 姉妹が笑っている原因が分からないフェヌグリークは、不思議そうに首を捻っていた。


 この酒場に来て、フェヌグリークもミュゼも特に害が与えられた訳では無かった。

 けれど、この先どうなるかが分からない。

 特に今からは、マスターの夫であるディルと行動するのだ。

 彼の機嫌は損ねてはならないのだろうな――と、これからの行く末を覚悟するミュゼ。


 その覚悟は、孤児院到着から五分で瓦解する。


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