13.審査通告


「……は!?」


 それは、その場にいたほぼ全員が口にした驚愕だった。


「私で出来る事なら最大限、力になる。そこいらの奴よりよっぽど使える自信がある。だから、この酒場の一員にしてくれ」


 突然現れた部外者が、この酒場の様々な情報を知っていつつ一員になりたいと。

 アクエリアの帰宅から、口調も含めてまるで様子がおかしい。二人の間に確執があるのかとも勘繰る者もいる。


「……一員っつったって、なぁ。……ディル、どうしよう?」

「知らぬ。我に七年間黙ってアルカネットを一員として置いていたのだ、我に聞くまでもなく長である汝ならばシスター・ミョゾティスを善きようにしよう」

「わぁん」


 あまりに通常業務とかけ離れた出来事が起きていて、アルギンが夫に泣きを入れたが取り付く島もない。

 その頃には、アクエリアは近くの椅子にどっかり腰を下ろしたし、マゼンタによって温かい紅茶が運ばれて来た。自分が居なかった間に面白そうな事態になっていて、もっと混乱させてやりたいと口を挟む。


「良いんじゃないですか。この酒場には部屋に空きあるし」


 アクエリアのその思惑は、夫婦の冷たい視線を向けられる。

 唸って思考を巡らすアルギンは、アルカネットにも視線を向けた。風呂に入っているフェヌグリークを除き、今酒場の中にいる面子の中で一番親しいのは、孤児院という接点を持つ彼だけだ。


「……空きあって、アタシらが万年人手不足だっつったって。これ以上本業持ちを入れて良いものか? 利点は荒事に強そうなことと、肝が据わってそうなことと、アタシらの話を一からしなくて済む事かな」

「本業持ち……そうだな。シスター・ミュゼ。お前、孤児院はどうするんだ。フェヌから、お前は子供達からも慕われてるって聞いてるんだぞ」

「……」


 子供達に対する愛情の深さは、その手にあるあかぎれで分かる。ここまで手をぼろぼろにしながら働くなんて、普通はその仕事が好きでないと出来ない。

 ミュゼは手を擦りながら、視線を下に下げた。今だけは誰とも目を合わせたくない、といった風に。


「……出来れば、そちらは非常勤という形で……まだ、お世話になっていたいな、と思っています。子供達と急に接点が切れるのは寂しいですし、私が余所で働いて得たお金を、アルカネット様のように寄付する事が出来たら……孤児院の運営はもっと楽に」

「反対だ」


 口調をシスター然としたものに戻し、ささやかな希望を伝えた時、一番に反対の声を挙げたのはディルだった。


「聞いた話だが、其の孤児院は貴族運営だったそうだな? 今は運営からも名義を消したと。人が好いのはアルカネットもであるが、個人が稼いだ微々たる金を、貴族さえ運営から手を引く程に金を必要とする場所に渡すのは反対している。……分かるであろ。其の貴族は自分達の慈善事業と言う大義名分を捨てる程、孤児院というのは金が必要になるのだ」

「っ……!」

「ギルドの収入を当てにするな。して、其の金を孤児院に当てにさせるな。……ギルドの仕事は、命の危険が有る件が多いのだ。汝が死した後に、定期的に入って来る金が途切れた孤児院は、その先どうやって生活すればいいのか考えた事はあるか。命の危険が有る依頼すら受けなければならぬ時が来るのだぞ。して、其の死と引き換えにした金を――子供達へ如何説明する心算だ」


 自分達のやっている事を甘く見るな。

 ディルの言葉の端々に、自分達の仕事への矜持が滲んでいた。それは長をやっている妻の矜持を守るためかも知れないが。

 ディルの言葉を聞きながら、アルギンがミュゼとアルカネットを交互に見た。


「……孤児院の運営って、そんなに今ヤバいの?」

「………」

「……ええ。最早、寄付の面ではアルカネット様が頼りだという程に」

「そっか」


 孤児院の話は、これまでアルカネットは必要以上を他人に言って来なかった。だから、アルギンとディルが運営状態の厳しさを改めて知ったのは今日が初めてだ。

 アルカネットにとって、孤児院は『家族』だ。同じ男から育てられただけの、義理と頭に付く関係のアルギンよりも絆は深い。


「……ディル。この件、アタシが背負っていい?」

「好きにしろ。止めても聞かぬであろ」

「ありがと」


 夫婦は、その言葉と視線だけで通じ合えている。先程アルギンが土下座していた一連の話のが嘘のようだ。


「シスター・ミョゾティス。条件がある」

「はい」

「第一。敬語止めろ」

「え」

「第二。審査する」

「え」

「第三。今回お前さんはフェヌグリークの嬢ちゃんも巻き込んだ。だから孤児院に監視を付ける」


 三つ目の条件には、ミュゼも声さえ出せなかった。

 それまでの、どこか気の抜けた姿を止めたアルギンは、その灰茶の瞳でミュゼをじっと見る。既に審査は始まっているかのようだった。


「フェヌグリークの嬢ちゃんを巻き込んだのは悪手だったと思う。口封じにも色々手段があるが、嬢ちゃんには監視を付けた方が良さそうだ。これから孤児院は、少しばかり窮屈な思いをするだろう。お前さんはそれだけの事をやった。責任感じるか?」

「……感じない、訳、無いじゃ……ないですか」

「敬語」

「……感じてるよ。でも、一番、最小限の奴しか聞いてない状況で、マスターと話すってなったら……あの時しか無かったから」

「言い訳は聞いてないんだよなぁ」


 言い訳を繰り返す、その心の弱さを切り捨てる。自分で勝手に口にする、彼女自身の心の弱さ。

 何があっても、他人を巻き込んではいけなかった。

 でもそれはアルギンも、昔の自分に言い聞かせているようだった。言い訳を並べても、過去の何かが変わる訳じゃない。


「……そうだね、審査は明日にしようか。どうせ今日は泊まるって連絡入れさせたし……おいアルカネット」

「あ、あ? 俺?」

「明日、ちょっと一緒に『例の場所』潰しておいで」

「は!?」


 買い出しを命じる気さくさで、『潰せ』と同時に語る口。

 何をどうするかが、それだけで姉弟の間では理解出来てしまう。疎外感にディルの目がやや細くなる。しかしアルカネットはそれどころではなく、声を再び荒げて椅子から立ち上がる。


「お前何考えてんだ!?」

「何か問題でも?」

「シスター・ミュゼに何させるつもりなんだって聞いてんだよ!!」

「お前さんだって見ただろ、さっき道端でぶっ倒れてたクッサい男共。あれ三人とも倒したのミュゼだよ」

「正確には起き上がった一人は我が蹴倒した」


 色々と積み重なる情報にアルカネットが脱力した様子で椅子に座り直す。

 今日一日だけで何が何だか、といった状態だ。でもどれだけ精神的疲労に呻いても、この酒場の者からの理解は得られない。

 アルカネットがついには頭痛に悩んでいる最中に、離れた風呂場から音がした。


「すみません、お湯お借りしました」


 少々長風呂とも思える時間を使って出て来たのは、巻き込まれてしまった立場のフェヌグリークだった。彼女も一人になって考え事をしていたのだろう。

 マゼンタのものである紫色の寝間着を着ていた。年齢も背格好も大体同じな為か、その姿はよく似合っている。


「……フェヌ」

「……その。……ただいま」


 兄に何と声を掛けていいのか躊躇っている。フェヌグリークは気恥ずかしそうに、そして躊躇いをそのまま声に出した。

 その第一声だって、風呂場で相当悩んだろう。こんな状況に置かれて、兄と呼んだ男に一番に近寄るのは心細いからだ。

 まるで数年間の離別の後の再会、といった雰囲気だ。その空気を壊すかのように、アルギンが数度手を叩く。待っていたと言わんばかりに、店員姉妹の姉の方がミュゼに近寄った。


「はいはい、次はミュゼが風呂だな。ささっと入ってくれ、後がつかえてる」

「これ、着替えに使ってくれ」

「あ、……ああ。……えっと」

「オルキデ。酒場では厨房を担当している。そこのマゼンタの姉だ」


 簡単な自己紹介の後に持たされた着替えは緑色。ミュゼの瞳の色よりやや黄色みが強い。

 それを手に移動しようとした時、ミュゼの背中側から聞こえる声。


「……聞き流せ」


 それはアルギンのものだ。


「誰かの命を害して仕事が成り立っていた頃の裏ギルドは、もう無い。何を知っているのか知らんから、続きは明日色々聞かせて貰う。その時に試験の話も色々するから、風呂から上がったらもう寝ろよ」


 それはフェヌグリークにも向けた言葉。兄が所属する場所を心配していた胸中に配慮した形だ。

 口に出して伝えたところで、どこまで信用されるか分からない。無言で風呂場に向かって行ったミュゼは何の反応も返さなかった。


「……オルキデ、マゼンタ。ミュゼを部屋に泊めて貰っていいか」

「構いませんよ。彼女が私の寝台で寝てもいいと言うかどうか、ですが」

「不思議な人でしたね、あの人。……これ、マスターの目の前で言っていいか分かんないけど、マスターに似てる」


 マゼンタが口に出したのは、恐らくはアルギン以外の全員が思っていた事。

 似てる、と言われてアルギンは目を瞬かせる。思ってもいなかったという風に。


「……似てる? ……何が? え、どこが?」

「何って言うか……雰囲気? 顔? 耳が長いから、そのせいかも知れませんね」

「うっそだぁ。アタシ、あんな感じじゃないよ。シスターの方が若いし綺麗だ。ね、ディル」

「……ふん」


 アルギンが口にしたのは謙遜ではない。主観ではあるが事実を述べただけ。

 同意を求められた夫は否定も肯定もせず、しかし不機嫌そうに立ち上がる。そのまま夫婦の部屋がある方へと向かって行った。

 相変わらず、不愛想で分かりにくい男だ。フェヌグリークは初めて兄の義姉夫婦を見て、奇妙なものだと不躾な視線を送る。


「……この酒場って、マスターさんの所有なんですよね? 確か、アリィの育ての親になってくれた人から相続したって聞いてますけど」

「そうだね」

「それで、……その、裏ギルドっていうのも、マスターさんが長なんですよね?」

「そうだね?」

「……だから、その……どうして、旦那さん、あんなに……」


 『あんなに態度デカいんですか』。

 フェヌグリークの聞きたい事は、口に出されずとも全員が勘付いてしまう。

 デカいのは態度も図体も同じだが、自分に優先決定権が無いように見える彼の態度が気になっていた。


「んー? そんな事言っても、ディルは昔からあんなだよ。皆が思ってるより、ずっと優しくて素敵な人」

「素敵……? ……確かに見た目は格好良いというか、綺麗というかな男の人ですけど」

「だろ? 格好良くて綺麗で優しくて素敵で、あとは死ぬ程――容赦無い」


 この酒場の事をミュゼより知らないフェヌグリークは、アルギンの言っている事が殆ど分からない。

 首を捻っている最中に、アルギンが席を立った。そして、先程より青褪めた顔で全員に振り返る。


「……じゃあ、アタシももう一回土下座してくる……。許してもらえるといいなぁ……」

「いってらっしゃい」

「音や声には気をつけてくださいね」

「っだ、大丈夫だと思うよ!? ……明日アタシが生きてる事、祈っといて……」


 軽い調子で口にするのは自身の生死。

 フェヌグリークが耳にした声色では、それが冗談だと思えなかった。え、と声を漏らすうちに、酒場マスターの背中は客室向こうの廊下へ消えた。

 誰かを害する事は無い、なんて言っといて夫婦間で命のやり取りなんて不穏な話だ。フェヌグリークが助けを求めるように兄へと視線を向けた。

 しかし、その兄も兄で疲れ切った表情をしている。


「……さて、フェヌ。俺の部屋に案内する。俺は床で寝るからお前は俺の寝床使え。終わったら俺は自警団の詰所に顔出して来る」

「……い、いいの? お義姉ねえさんほっといて」

「あれを姉と呼ぶな。俺はあれの弟になりたい訳じゃない。他人だ他人」


 まるで思春期の少年のような言い草だった。立場上姉弟になるのは仕方のない事の筈なのに、そこまで拒絶する意味が分からない。

 大人しく上階へ向かう階段に足を掛けながら、フェヌグリークが客席へと一度振り返る。

 酒場閉店後の日常を切り取ったような雰囲気の中で、マゼンタがフェヌグリークに向けて笑顔で手を振っていた。


 その姿が、どうしてもミュゼが警戒するような相手達に見えなくて困惑している。


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