12.許してアタシの旦那様。忘れないで私の最愛


 ミュゼが足を組み、酒場店主とその弟の土下座を遠目から眺めている。

 彼等が頭を下げた先にいるのは、これまた偉そうに足を組んでふんぞり返る店主の夫、ディルだ。見方によっては浮気した妻アルギンとその間男アルカネット――という図式にも見えるが、土下座の理由は別にある。


 ディルが、『何も聞かされていない』事。


「初耳だが」

「申し訳ございません」

「此の七年間、本当に良く隠し通せたものだな?」

「いやぁ」

「褒めておらぬ」


 照れ臭そうに声を出す妻を一刀両断するかの如く、ぴしゃりと言い切るディルの声。

 そこまでする必要が無い筈のアルカネットは、土下座をしながら夫婦漫才に付き合わされているかのような心持ちになっている。

 ミュゼはここまで綺麗な形の土下座を、アルギンで初めて見た。遠い昔に滅んだ国では、最大の謝罪姿勢にこの体制があるとは聞いていた。罪人が引っ立てられて地面に打ち捨てられた姿勢と全然違う、自らの罪を悔い改める姿だ。


「今迄、ギルドの人員にアルカネットが組み込まれていた事。……我に知らせぬまま、良く今日まで過ぎたものだ」


 裏ギルド長の伴侶として、それは情報不足ではないのか――。ミュゼの思考はまずそれに行き着いた。

 しかしアルギンとアルカネットの言い分を聞くに、そうとも言っていられない事情が鑑みられる。

 まず、先代が長を務めていた頃。最終的には先代一人で王家からの指示を全うしていたらしい。つまり、全て先代一人で完結していたのだ。

 次に、その任を引き継いだアルギン。彼女には当時別の『本業』があった事から手が足りなかったらしい。そこでアルカネットを加えるかという邪心が浮かんだ時に、ディルが先回りして彼を引き入れるなと忠告した事。ディルはディルで、アルギンの義弟である彼の身を案じていたのだ。

 しかし、アルギンが隠し通そうとしていてもアルカネットには知られてしまう。彼だって、先代の時からこの酒場の後ろ暗さには気付いていたのだ。

 アルギンに自ら人員として立候補した理由として、金が挙がる。自分の暮らした孤児院に金が必要だ、と。

 だから、アルカネットが言われる仕事がなんであれ、手を汚しても構わないという心算でギルドの一員となった。

 ――そして、それは義姉弟間の秘密として今に至る。正しくは、先程まで。


「……有能な妻を持つ夫として気苦労が絶えぬ。我が髪に白髪が混じるのも遠くない未来であろうな」

「いやぁ」

「褒めておらぬ」

「お前髪の色、銀っつってもほぼ白じゃないか。色の違いなんて他人には分からんと思うぞ」

「反省しておるのかえ」


 静かに激怒しているディルが怖くない様子のアルカネットは、流石血が繋がっていなくともアルギンの弟だ。ミュゼでさえ分かる程、ピリピリとした怒気が肌を伝わって来るというのに。

 アルカネットに向けて苛立ちの言葉を向けた時、夫を止めたのもまたアルギンだった。


「ディル、ごめん。でも、アルカネットを怒らないで。責任の在り処は全部アタシだから」

「……」

「金が必要だと言ったアルカネットと、手が足りなかったアタシ。それで利害は一致して、それ以上どうしようもなかった。貴方は先に戦地に行って、アタシは城下に残留になった。その時のアタシの弱さを先に責めて」


 責任は――確かに、裏ギルドの長であるアルギンにあるのだろう。しかし、ディルはその場で妻を責めはしなかった。

 戦地、とか。残留、とか。ミュゼの耳には聞き慣れないながらも、二人の間の事情を思わせる言葉が聞こえて来た。

 それが二人の数年前までの『本業』だったのだから、ミュゼも知っている。


「……覚悟をしておけ、アルギン。七年間もの間我を謀った罪、アルカネットのものとひっくるめて汝の誠意で手を打とう」

「……ぅあ」


 夫婦間の話だ。普通であったら色事を匂わせる言葉だったかもしれない。

 でも、頭を上げたアルギンの表情は今の一言で真っ青に染まり切った。

 色ボケと揶揄される二人を最初は冷めた目で見ていたミュゼだったが、その顔色の変化に仰天する。


「……分かった」


 しおらしく受け入れる妻の姿。ディルが要求する誠意というのは、どういうものなのだろう。夫婦間でそんな顔色をしなければならない誠意の形、それが気になってミュゼは夫婦の様子を窺った。

 しかし、ディルの瞳が次はミュゼを捉えた。灰色の視線に貫かれて身を竦ませる。


「其の方、シスター・ミュゼ。ミョゾティス、だったか。次は汝の番だ」

「……。ミュゼで構いません。ミュゼ以外の名で呼ぶ者は、もう側にいませんので」

「我が妻に何故近付いた。少数しか知らぬ我等の事情を、何故知っている? ……隠し立ては許さぬ、問いには全て答えよ」

「……」


 矛先がミュゼに向かっている間に、アルギンとアルカネットはディルの視界の外で自分達も椅子に腰かけた。

 隠し立て――なんて、本当に全部話したら嘘だと断じる癖に。

 浮かびそうになる苦笑を必死で抑えながら、それまでずっと被っていたままの頭巾に紐に指を掛ける。引くだけで解ける頭巾が隠していたのは、顔上半分、瞳の色、そして髪に今までは隠れていた長い耳と。


「――……」

「え」


 ―ーやや吊り目な事を除けばアルギンによく似た、金髪と翠の瞳を持った女の顔。


 アルギンの反応は鈍かったが、ディルの反応は顕著だ。瞬いた瞳が、ミュゼとアルギンを見比べていた。

 シスター二人の為に着替えを持って下りた後もその場に残る店員姉妹は、互いに顔を見合わせる。

 アルカネットはその顔をもう知っていたから、反応は薄い。


「……先にお断りしておくことがございます。私は全てを話す訳には参りません。育ての親に多大なる迷惑が掛かるからです」

「……。育ての親、というのは?」

「私が幼くして肉親を亡くし、その後の私を託された不憫な男。不憫で、非情で、冷酷な男。生きるための教育を私に施した、有能で不運な男」

「名を何と言う」

「………名を、語る事はご容赦いただけませんか。彼はこの場に居ない。私が勝手に名を語りたくはない。ですがこれだけは言えます。彼は、貴方達ご夫婦を――そして、この酒場をよく知っていた」


 ミュゼが語る言葉に、話を聞いている者全員が心当たりの顔を思い浮かべる。

 自分の子供でない者を幼い頃から育て、尚且つ非情と呼ばれる性格。そして酒場と裏ギルドを知り、双子の名すら知っているからにはここ数年の間に関わりが有る者の可能性が高い。


「………ねぇ、ディル」

「……」

「………姉様、誰か分かる……?」

「いや……」

「……」


 五人の頭の中には、思い浮かぶ名前が殆ど無い。


「「「「「誰だ……?」」」」」


 全員ともに、眉間に皺が寄っている。


「待って、シスター。今何歳?」

「二十六です」

「……二十年前のアレが孤児になったアレとして、だからってその頃から子供育ててたって私生活まで深く聞いたりしてない奴の方が多いし……いや、『花』の連中は家族構成は知ってるぞ。養子が居た奴は少ないから絞れる」

「私は養子縁組まではしておりません」

「ああああああああああああああ」


 今はミュゼへの質問時間だった筈だ。なのに、何故か顔の広さによる知識問いのようになっている。

 範囲はこの酒場の関係者。そして、当てるはその中の一人。

 自分の知人からは絞り切れなかったアルギンが絞られたような嘆きの声をあげている間に、ディルが質問した。


「……先程、街中で見せたあの戦闘能力は、育ての親とやらの教育かえ」

「……はい」

「では騎士か」

「いいえ」


 ミュゼが軽く首を振る。知人と呼べる相手が殆ど居ないディルにとって、その返答は痛い。

 武器、それも長棒を使う騎士以外の男。


「騎士じゃない? なのにあんな仕込み棒使うような男?」

「仕込み棒って何の話だ?」

「折り畳み式の棒使ってたんだよ。太腿に仕込んでる」

「……あの、その、本当に……言えないんですが」


 五人の視線が同時にミュゼの足許へと注がれる。

 自分の出自を掛けた謎かけにされている気分になったミュゼは、そろそろこの不毛な質問攻めを止めさせようと声を出した。


「その、育ての親から聞いていた話と、だいぶ違うので……私は、今、戸惑っています。すごく」

「聞いてた話?」

「……この酒場は。……住んでいる方々は、誰を手に掛ける事になろうと、決して躊躇わなかったと聞きました。冷酷な方ばかりが住む、どこか物悲しい空気の貸し宿だったと」


 そう口にすれば質問は止んだ。そして五人は互いに顔を見合わせ合う。

 心当たりはあるらしい。確かに、そういう雰囲気だった時は過去にあった。


「……その育ての親、いつ頃の話をしてるのかな。アタシの代で、そういう雰囲気なんて……」


 言葉を濁した所を見るに、アルギンにもやましく思う所があるのだろう。しかし、近くからアルカネットのじっとりした視線が届いている。彼も何か口を挟みたそうだが、今は我慢しているようだ。

 アルギンもその視線に気付いているらしく、もごもごと何かを言おうとした。けれど取り留めのない言葉は音になって、口から漏れるだけで。

 再び酒場の鐘が鳴ったのも、その時だった。


「戻りました」


 疲労が滲んだ、男の声。

 今この酒場の客席にいる者は、全員が聞き馴染んだ男のものだった。

 男は店内にいる顔触れに特に深く触れもせず、店主に冷たい視線を投げる


「皆さん……こんな時間まで何してるんです? すみませんがマゼンタさん、飲み物貰えますか」

「はいはい」

「アルギンさん、ちょっと話したい事があるので奥行きませんか」

「あー」


 話したい事――と、言われてアルギンが笑って頭を掻いた。


「ごめん、今日ディルに全部バレた。もう奥行かなくて大丈夫だよ」

「はぁ?」

「………アルカネットの件、アクエリアまで関与していた話かえ」

「あ、嫌ですね貴方のその視線。俺は何も知りませんよ怖い怖い」


 その場でやたらと和やかな雰囲気で入って来た男は紫の髪の色をしている。

 アルギンだって常人と比べれば長い耳をしているが、アクエリアと呼ばれた男の耳はそれより長い。

 何もかもが面倒臭い、とでも思っていそうなアクエリアの瞳がミュゼに向いた。物珍しそうな顔をするが、そこまでの流れで何となく察していながらも問い掛けてくる意地の悪さを持っている。


「……それで、部外者の方がこんな時間にまでこの酒場に居て良いんですか」

「部外者であって欲しかったんだけど首突っ込んで来たんだ」

「それは、なんとまぁ」

「訳アリらしくてね、色々アタシらの事も知っててさ……。でも、だからどうこうするって出来ないじゃん? 悩みどころだけど腕っぷしは実際見たアタシが保証してもいいくらいで、……あれ」

「……」

「……ミュゼ?」


 ミュゼはその時既に、固まっていた。

 アクエリアの気配を、声を、姿を見たと同時に微動だにしなくなる。アルギンから名を呼ばれたのにも気付かない程に。


 『育ての親とは養子縁組をしていない』

 『腕に覚えがあるが騎士ではない』

 『酒場やそれに関わる人物の事情を良く知っている』

 『仕込み棒――もとい長棒の扱いに長けている』

 『有能で不憫で不運』

 『非情』


 ミュゼの言葉を聞いていた五人は、育ての親の特徴を思い出していた。それがもしアクエリアだったら、と重ね合わせて、ひとつひとつが合致する気味の悪さに顔を顰めるが。


「「「「「無い」」」」」

「……ちょっと。俺の顔見ながら失礼な事言わないでください」


 最後の項目『非情』が全く合致しなくて全員が否定した。

 酒場に居を構える者ほぼ全員に『お人好し』の称号が似合う中で、このアクエリアという人物は随一だった。非情、なんて言葉が死ぬ程似合わない男だ。

 え。と、ミュゼの見開かれた瞳と半開きの口から漏れた声。


「大体何ですか、俺が折角一仕事終わって帰って来たところですよ。労いの言葉くらいあっていいでしょうよ。どんだけ俺が飛び回ったと思ってるんです?」

「おつかれー」

「そういうとこ!!」


 今度はアクエリアとアルギンが漫才を始めた。やいのやいのと盛り上がる二人を見ながら、やっとミュゼが動き出す。

 離れて見ても分かる程に震える体、そして腕と指。

 彼女のあかぎれだらけの指先が、アクエリアへと伸ばされた。


「アク、エリア」

「……。ええ、まぁ」

「アクエリア・エステル」

「……。ええ。俺の事まで知ってるんですかこの人。気味悪い」


 その名を、意味を持つ姓まで口にした。アルギンやアルカネットと同じ姓だ。その意味を知るのは、この酒場に属する者達だけだと思っていたアクエリアは失礼を承知で眉間に皺を寄せた。


「マスター・アルギン。頼む、私を」


 震える声で、ミュゼが懇願する。


「頼む。どうか。私を」


 視線はアクエリアに向いたまま。


「私を、貴女達の一員にしてくれ」


 その後の運命を全て譲り渡すかのような思いで、望みを口にした。


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