11.誰よりもこわいひと


 孤児院へ向かう筈だった五人は、四人と一人に分かれてその場を離れる。

 アルカネットは一人、「いいから孤児院に二人の帰宅が明日になる事伝えて来い。いいから。いいから行け。お前さん一人で行け」と噛みつく勢いのアルギンに追い払われた。

 残り四人の酒場への帰還は、閉店の片付けが終わってから成される。床の清掃も粗方終わった店内は、本屋店主さえ帰った後だ。窓幕は閉まっているが、灯りは閉店直後より多く点いている。


「……あのおっちゃん信じたアタシが馬鹿だった」

「あの者にアルカネットを抑えさせるなど無理であると、最初から分かり切っていたであろう」


 本屋店主の座っていた卓には几帳面な字で書置きが残っている。

 『珈琲御馳走様。美味かった』――と。

 脱力して再度膝から崩れ落ちるアルギンを余所に、ディルは手近な椅子を引いて女性二人を座らせる。他に客の居ない今、最早カウンターに招く必要もない。


「……どー説明すっかなぁ。説明とか交渉とか得意なアイツは外出てるしなぁ」

「汝の義務であろ」

「やーん、ディルが冷たい。アタシ泣いちゃうよ?」

「……」


 アルギンはアルギンで、そこが自分の場所だと言わんばかりにカウンターの中に入っていく。ディルはそこを隔てて側の椅子に腰かける。長い脚が組まれ、そこだけ異様に絵になった。

 四人の居場所が決まった所で、厨房からは店員姉妹が出て来た。既にエプロンは外しているが、手にした盆に二人ずつの温かい飲み物が運ばれる。


「おかえりなさい、マスター」

「お疲れ様でした、マスター」


 労いの飲み物は、酒を垂らした紅茶。酔うほどのものではないが香りが強く、それをアルギンは一番に煽った。

 飲み物を配り終えた筈の店員姉妹は、部外者のシスター二人の視界から見てアルギンとディルを挟むような位置で立っている。


「……お二人さんよ、今からする話は他言無用に願うぞ」

「……、わかり、ました」

「内容に因ります」

「頼むからそこは素直に頷いてくれよ、管理不行届きで飛ぶのはアタシの首なんだよ」


 首が飛ぶ、とは物騒な話だ。素直なフェヌグリークは息を呑んで頷いたが、ミュゼの表情は冷静そのもの。ディルに負けじと足を組んだり態度もふてぶてしい。

 若干のやりにくさを覚えているアルギンだったが、気を取り直して。


「……一先ず、現状の確認だ。シスター・ミョゾティスがこちらの話を聞きたがったから説明の為に酒場に招いた。シスター・フェヌグリークにも事情の一部分を聞かれてしまったので酒場に招き、他言しないようにとの約束を交わそうと思っている。互いの認識に相違ないな?」

「ない、です」

「ありません」

「この建物は酒場『J'A DORE』。普段は酒を提供したり、宴会の予約取ったりしてる。料理も出せるしそんなに馬鹿高い料金設定もしてない。その酒場の店主が、今はアタシになる」


 カウンターに右手を付き、逆の手を自身の胸に当て、噛み砕くように説明する。


「アタシはこの酒場を先代から引き継いだ。引き継ぎなんて穏やかなモンじゃなかったけどな。先代は殺されて、犯人はまだ分からない。アタシは店は閉めたくなかったから店主として継いだけど、その時に別の立場まで引き継ぐ事になった。……店よりそっちのが大事だったんだよな、国王陛下も、王妃殿下も」


 国王と、王妃。

 古い酒場の小汚い店内で、場所に似合わない呼称が出て来た。

 え、と聞き返しそうになるフェヌグリークだったが、必死で言葉を呑み込んだ。今は質問するより、説明を全部聞いたほうが良さそうだったから。


「そこのシスター・ミョゾティスが言った通りだ。アタシはこの酒場の店主、アルギン・S=エステル。同時に国家から命じられて裏で動く組織、『j'a dore』のギルド長だ。国家公認っつったら聞こえは良いが、国の体裁守る為に雑用する使いっ走りみたいなものだよ。ただの使いっ走りが故に、誰かを殺すとか、そういう話は殆ど無いと言っていい」


 アルギンの言葉に、店員姉妹が頷いた。その使いっ走りの組織の中に、二人も在籍しているのだ。

 この場で話を聞いているディルだって無関係ではあるまい。フェヌグリークの理解はそこまで及ぶ。


「……組織の構成員は、現在は何人ほどいらっしゃいますか?」


 ミュゼがそこで初めて質問を投げる。アルギンの息が一瞬詰まった。目が泳ぐ。


「……人員については、部外者には話せない事になってる。そもそも、組織に所属している者にだって、直接誰がそうだって聞かせてないんだよ」

「そうなのですか?」


 ミュゼの視線はディルへと向かう。


「……答えかねる。我は拷問に掛けられたとて、口を割る気は無い」

「左様ですか」


 ディルの返答は至って想像通りだ。ディルという男を少しでも知っていれば、どう答えるかなど予想がつく。

 次に何をどう聞こうかとミュゼが思案していると、その場にいた全員の耳に幼児の泣き声が届く。夜の心細さに小さく震える、孤児院で働くシスター二人にとっては聞き慣れた音だ。

 あ、と声を漏らすアルギンだが、ディルは即座に立っていた。そのまま何も言わずに席を中座する。向かったのは、この酒場の二階以降に続く階段だ。音もなく段差を上がる白銀の背中を見送るミュゼ。


「……子供の泣き声?」

「この酒場には子供がいるんですよ。マスターとディルさんの娘ちゃんです」

「………ウィスタリアとコバルト、ですか」


 深く考えないまま名前をぽろりと漏らす。アルギンから視線を向けられてから、ミュゼが自分の失言に気が付いた。

 子供が二人いる事と、その名前を知っているほどに、この酒場への関心が高いことに気付かれた。

 しかしそこで更なる計算違いが起きる。アルギンは視線を向けて来ただけだが、店員姉妹は殺気を向けて来た。店内で飲食をしていた時は微笑んでいたマゼンタが、今は笑っていない。


「……お詳しい、ですね? 双子だなんて言って無いのに」

「何故二人の名前まで知っている?」

「待て待て二人とも、話が逸れる」


 店員姉妹を制したのは、軽い口調で止めたアルギン。


「もうなんか、何知っててもおかしくないような気がして来た。説明続けるぞ、それでシスター・ミュゼ、お前さんが誤解していた話だがな」

「アルギン!」

「んんんんんんんんんんんんんんんんんんん」


 話の続きをしようとしていたアルギンだったが、突然酒場の扉が開いて入店の鐘がなる。がらん、と鳴る低い音を出したのはアルカネットだった。

 身を滑り込ませるように店内に入って来た彼の息は上がっている。出迎えるかのようにアルギンがカウンターから出て来てアルカネットに近寄ったが、そのアルカネットは心遣いに構わず怒鳴り散らす。


「お前、俺の妹達を囮に使ったんだろ!?」

「あーあーもうややこしくなるから黙ってろよ」

「さっき連絡受けたぞ、あいつら奴隷商人の一味だったってな!!」

「はいはいそーだろーなぁー。囮って言ってもあんなに簡単に捕まるなんて思ってなかったんだよこっちもさ。普通に帰ってたらアタシ一人になった頃に出てくるかなって思ってただけでさ。シスター二人が呼び水になればいいなって」

「お前な!!」

「あーうるせーうるせー。ディル向こうにいるんだから聞かれちゃうよ」


 アルカネットは怒りに任せて捲し立て、アルギンは面倒そうな表情を隠さずに受け流す。

 二人のやり取りを整理すると、『自警団の中でも奴隷商人の入国の可能性が注意されていた』『女子供を略取して売り飛ばす者達』『その一味と思われる者達が先程折り重なって気絶しているのが発見された』『奴隷商人の入国は確実なものとして先程自警団員に緊急招集が成された』『今自警団はてんてこ舞い』――。

 二人が言い争う姿を、フェヌグリークは少しだけ気の休まった顔で見ている。


「……仲良いよねぇ」

「そうですね」

「義理とはいえ姉弟なんだから、アリィも素直になればいいのに」

「義理だから無理なのではないでしょうか? 元は他人ですし」


 義姉、アルギン・S=エステル。

 義弟、アルカネット・エステル。

 この酒場の先代マスターに引き取られ育った二人は同じ姓を名乗る。反りが合わないながら、居を別に構える程憎しみ合っている訳では無い。

 アルカネットはフェヌグリークという妹を持ちながら、アルギンという義姉の存在があった。頭が上がらない、苦手な女。


「大体なぁ、アルギン。なんでフェヌが裏ギルドの話知ってんだよ。俺話した事無いぞ」

「アタシだって話してないよ。なんでかシスター・ミュゼが知ってたんだもんさ。どういう事だよ、お前が寝物語に話したとかそういう可能性って」

「ふ ざ け る な」

「寝物語って何? 知ってますかシスター・ミュゼ?」

「それはもう忘れるべき話です。ってか私だいぶ侮辱されてねぇか?」


 もう既に集まっての話はわやわやになっている。その間にマゼンタが姉の袖を引く。笑顔を浮かべた二人は自室に引くために階段を上がって行った。

 声量も何もおかまいなしな四人は、止める者がいないまま白熱する。


「目の前で話されたらアタシだってどうしようもない話だよ! アタシに罪は無いもん!!」

「じゃあどうしてシスター・ミュゼが知ってるんだよ俺達の『仕事』の話をよ!! お前が酔って街をほっつき歩いてる時にどっかに漏らしたんじゃないのか!!」

「馬鹿言え、アタシが外飲みする時もディルがいっつも一緒なの知ってるだろ。そもそもシスターここにいるんだからお前さんが本人に直接聞けよ」

「はぁ!? これで責任がーとか喚くのお前だろ! お前が聞け!!」


 責任の押し付け合い――にも満たない、姉弟のじゃれ合い。むきになっているのはアルカネットだけだ。

 余裕の表情で弟をからかっていたアルギンだったが。


「では、代わりに我が尋ねるが構わぬか?」

「どうぞどう、……、…………ぁ」


 背中側から聞こえた声で、その顔色も空気も冷えていく。

 冷えている筈なのにアルギンの額や背中からは嫌な汗が吹き出し、体は硬直したまま動かない。それはアルカネットも同じだった。視線を少しずらすだけで、白銀の男の姿が目に入る。


「ふむ。――では、ミョゾティスとやら」


 アルギンは振り返る事さえ出来ない。

 背後から掛けられる聞き慣れた声に、ただ祈るような気持ちで今までの話を無かった事になるよう念じるだけ。


「暫し、其処な喧しい義姉弟へ説教と尋問を行った後に質問したいと思うが――良いかえ?」


 ディルを前に、否、背中にして祈りは届かない。

 観念したアルギンは、氷を思わせる夫の視線から目を背けながらその場に正座した。アルカネットもそれに続いて、体格のいい男の姿が縮こまる。


「フェヌグリークさん」


 店員姉妹が降りて来たのはその時だ。


「お風呂沸いてますから、お先にどうぞ。あの調子だと、どう足掻いても今日は帰れませんよ」


 にっこりと笑顔を浮かべたマゼンタが、フェヌグリークへと着替えを渡す。もう一人の店員もミュゼ用の着替えを持って来ていた。

 込み入った話がこれからされるんだろうなー、と生暖かい気持ちになりながら、フェヌグリークが案内されるまま風呂場へと向かう。自分の発言が一因だということは、既に記憶の彼方に飛んでいる。

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