10.知られる不都合


「ディルぅ! やだぁ、ごめん。そんな煩かった?」


 最愛の夫が現れた瞬間、乱暴な口調ばかりだったアルギンの言葉尻が甘ったるくなる。妻に視線を向けたのは一瞬だけで、ディルは地に散らばる男達を服だけ掴んで引きずってはひとつの山にしていった。

 上背があり、一見細身で、女性的とまでは言わないまでも中性的な美貌を持つ男だ。その姿が暴力に向く時には嫌に迫力がある。

 悪臭の源が折り重なった後、ディルの視線はミュゼへと向く。頭頂から爪先まで検分するかのように眺めた後、興味も薄げに目を逸らした。


「煩いとは思っておらぬが、控えよ。何処で誰が聞いているとも限らぬ話だ」

「……やっぱり、聞こえちゃってた?」

「半分程。距離が離れていては、耳をそばだてても聞き取りは難儀する」

「ディル様……、今までどちらにいらっしゃったのですか?」


 案の定、というほどでもないが、女による女の送迎に他に誰も付いてこない訳が無く。

 「ん」とディルが指差したのは、ミュゼの足で三十歩ほど離れた場所にある建物の物陰だった。離れた距離を一気に詰めて男を征したディルに呆気に取られるミュゼだが、次に彼の冷たい視線が向くのはミュゼにだった。


「――汝、我が妻に何の用だ」

「え」

「其の頭巾。店内でも外でも取らず、男達を相手にするにも邪魔であろうに外さない。理由があるのかえ、其の顔を見られる訳に行かぬ大層な理由が。妻に言えて我に言えぬ理由はあるまい? 汝が妻に近寄った理由を――」


 ディルの態度は妻には淡白だが、ミュゼには冷淡だ。暗闇でも分かる冷えきった視線は、妻に向けるものと比べても温度差が激しい。

 詰め寄るかのような圧を掛けるディルだったが、それは妻に制された。夫のそれより細い妻の腕が、そっと突き出される。


「大丈夫だよ、ディル」

「……」

「このお嬢さんは、アタシに用があるらしい。……でも、どうしようかねぇ」


 アルギンが突き出した手は、そのまま天に向かって伸ばされる。ぐるぐる、と頭上を数回回って下りて、それが彼女なりの何かの儀式のようだった。

 ミュゼとフェヌグリークが怪訝な顔をしていると、アルギンの顔は次にフェヌグリークへと向いた。


「なあ、嬢ちゃん」

「へっ!? わ、私ですか!?」

「今さ、アタシとシスターの間で話されてた事、どこまで覚えてる? 都合よく忘れてくれてたりしない?」


 暗闇で見えにくいだろうが、アルギンの表情は引き攣った笑顔だ。『頼む』『知らない』『覚えてないと言ってくれ』と顔に書いてあるそれらが、もし見えていたらその通り言えただろう。

 しかしフェヌグリークは孤児院で育ちそのまま同じ施設でシスターをしている純粋培養だ。今日出くわした男共程度しか雑菌が寄り付かなかった生活を送っていた彼女は、嘘が吐けない。


「……マスターさんが、裏ギルドとか、どうこうって話ですか……?」

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」


 アルギンの希望は脆くも崩れ去る。砂上の楼閣並みに跡形もない。

 膝を地に付けたアルギンは、砂利の痛みなど気にしないまま精一杯声を潜めて悲痛な声を漏らした。「もうだめだ」「どうしよう」などと、これまで威勢のいい言葉ばかり吐いていたのとは同じ口とは思えない程弱気な発言ばかりが並ぶ。


「ディル、どうしよう、アタシまたやっちゃった、もうだめだ」

「……気を確り持て。汝の命が終わる訳では無い」

「手続き、手続き、あぁまた手続き。どうしよう隠蔽するにも相手はアルカネットの妹だよ」


 その言葉に、ミュゼの肩がびくりと震えた。

 隠蔽なんて、ミュゼの聞いていた裏ギルドの話から導き出される答えは『死』だ。死の沈黙を以て、彼等は隠蔽とすると相場が決まっている。

 ミュゼが、フェヌグリークをちゃんと背中に庇えるように位置付いた。何があってもそこを動かない覚悟で。


「……シスター・フェヌグリークを、どうするおつもりですか」


 自分の知っている誰かが、自分の知っている組織に消されるのを黙って見ていられるような女ではない。

 え、とアルギンが呆気に取られたような声を出した気がしたが、そんなの構っていられない。


「殺して口封じでもするおつもりですか? ……そんな事、私がいる限り絶対させませんが」

「……シスター? 何言ってんだ?」

「とぼけないでください」


 ミュゼが放つ敵意は、先程男達を相手にした時のものとは段違いだ。それでも、夫婦はどこか困ったような表情を浮かべるだけ。顔を見合わせて、ミュゼを見て、また顔を見合わせる。その動きが合っていて、夫婦の親密さを窺わせる。


「……あの、ミュゼ。いや、ミョゾティス。何か誤解しているようだけど」

「何かって何ですか」

「……アタシら、……そういうのやってないから」

「は?」


 言葉を濁しつつも、遠慮がちにミュゼとの誤解を指摘する。疑いの眼差しを向けるも、この暗がりでは届いているかも分からない。

 けれど、アルギンの声には動揺が強かった。


「ってか……殺したらアタシらの立場が危うくなるからね……?」

「立場って」

「罪を犯してない民を殺してみなよ、国王の命令で騎士からも自警団からも追われる立場になるだろうが」

「そ」


 ――そんな理屈が貴女達に通用するとは思っていない。

 ミュゼはそう叫びかけた。理屈とか、外聞とか、そういうものから隔絶されているのがこの女が率いる組織だと聞いていたから。

 でも叫びかけた声は闇に溶ける。その前に、無様な程の大きい足音を立てて走って来る誰かがいると気付いたから。


「っあ、くそ、アルギンっ!! アルギン、この、てめ、馬鹿野郎!!」


 不格好な走り方で向かって来たのは、髪を振り乱して走るアルカネットだった。息切れしているのは酒が抜けていないから。

 アルギンは唇に両手を当てて悲鳴を必死に呑み込もうとしている。


「アルカネット、なんでっ……! おっちゃんどうしたよ、おっちゃん! お前さんが寝てる所にいなかったのか!」

「やっぱりあれはお前の差し金か! あんなおっさん一人で俺を止められる訳ないだろうっ!」

「やだもう! なんで!! アタシの予定狂いまくりなんだけど!!」

「声が大きい」


 その場で始まる、酒場関係者の侃々諤々かんかんがくがくの言い争い。の割に、どこか切羽詰まった感はなく空気は緩い。

 ミュゼの背中に庇われたフェヌグリークは、状況も分からず兄とアルギンを交互に見ていた。


「……ねぇ、シスター・ミュゼ」

「……、はい?」


 この空気に戸惑っているのはミュゼも同じだ。


「シスターは、何か知ってるの? 『裏ギルド』って、何?」

「……この国に存在する、非合法かつ国家公認の組織のことですよ」

「非合法?」

「昔の話だ!!」


 捨て鉢な声でアルギンが叫ぶ。アルカネットは、今妹が口にした言葉を聞いてしまった。


「お前、今、なんて」

「……」


 答える声は無い。代わりに頭を掻くアルギンの唸り声が低く聞こえた。


「……場所、移そう。酒場、戻ろう。もうアタシは腹を決めたぞ、説明責任を全うしようじゃないか」

「しかし、アルギン」

「しゃーないじゃん。そっちのシスター・ミュゼがその話持ち出したんだ。……もう、シスター・フェヌグリークは部外者でいられない」

「……」


 不本意を声に滲ませるアルギンだが、ディルはアルカネットを見ていた。その視線が気まずくて、アルカネットはフェヌグリークを見ている。


「……非合法って、何なの? アリィ、もしかしてそんな酷い事させられてるの?」

「詳しい話は、マスターの口から語られるでしょう。少なくとも、あの方にその気はあるようですし」


 アルギンに語る気があって良かった。でなければ、ミュゼはもう少し過激な方法で聞き出そうとしたかもしれない。

 ミュゼにとっては、育ての親が関与した世界の話。普通は知らない、この国の暗部の話。


 昔に、死刑を免れた男が時の国王から命じられた。国が表立って裁けぬ罪を、闇を背負った者がそうと知られず裁くよう。

 必要あれば死を、との命令は、やがて死を前提とした命令に変わる。生きたままより死体の方が後処理も楽だから、と。

 そうして築き上げた死体の山の上に、その組織の長である彼女――アルギンは座っている、筈だった。狂った理の中で生きる為、酒場の店主に擬態して。

 酒場『J'A DORE』――またの名を、裏ギルド『j'a dore』。

 血と腐臭漂う世界の住人達。


「少なくとも、私の育ての親は……どんな非合法をも受け入れて生きて来た」


 その世界の住人であった、ミュゼの育ての親。アルギンを、そしてその先代のマスターまで知っている人物だ。

 彼が苦しんだのは、アルギンのせいに他ならない。育ての親がどれだけ苦しんで、口汚く罵っても、その言葉はアルギンに届かなかった。ミュゼが聞いたアルギンは、とんでもなくどうしようもない女だった。――なのに。


「……シスター・ミュゼ……?」

「……。いえ」


 実物を見ると、育ての親が語っていたような人物には見えなかった。

 勿論共通項もある。旦那を愛し、子供達を愛して、がさつで乱暴で、面倒見は良いが人使いも荒い。

 本当にどうしようもなかったよ、と言った育ての親の口許は――微笑んでいた。


「育ての親に聞いていた話と、違う所が幾つもあって。……だから、私も混乱しているのかも知れません」


 育ての親が語るアルギンの姿は、とにかく旦那が一番だったという。

 ディルを愛して、愛して、愛して愛して愛して愛し抜いた。

 ――戦争で、妻を逃がすために戦場に残って死んだ旦那を、時の王妃に処刑されるその時まで愛し続けた。或いは、処刑されても尚愛しただろう。たった一人と心に決めた男を、文字通り、死んでも。


 しかしミュゼの目の前では、アルギンも、その夫であるディルも生きている。ディルはどうだか分からないが、アルギンが夫へ示す愛は他人の目から見ても分かる。

 聞いていた話と違う。この齟齬の出所が分からなくて、ミュゼはどうしてもアルギンに会って問わなければならなかった。だから、こんな無茶をした。


「巻き込んでごめんなさい、シスター・フェヌグリーク」

「……ううん。私も、アリィが関わっているなら無関係な話じゃないわ」

「そうですね」


 ミュゼの本名は花の名前だが、アルカネットだって花の名前だ。

 花には花言葉が付随するもの。


「貴女も、真実を知るべきでしょうし」


 アルカネットの花言葉は『真実』。

 これまで妹にひた隠しにして来た血生臭い話を、もう隠せなくなるだろう。


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