7.疎外感と切れぬ縁

「いらっしゃいませぇー!!」


 酒場の扉を開いた三人への先制攻撃、店員の挨拶。

 一瞬怯んだシスター・ミュゼの隣をすり抜けるように、扉を抑えて中に入るアルカネット。その後ろをフェヌグリークが離れず進み、ミュゼは僅かな時間竦んでいた足を奮い立たせるように歩き出した。

 店内は明るさが外とは段違いだ。豊富に使われた蝋燭と、魔宝石と思わしき灯り。昼のように、とはいかないまでも本を読むのさえ支障がない明るさ。

 入店の合図である鐘の音さえも吹き飛ばすような声量を向けて来た店員は、フェヌグリークとさして年齢の変わらなさそうな若い女性だった。


「あらぁアルカネットさん! どうしたんです、今日は美人を二人も連れて」

「予約だ。そして俺は接待役としてオーナー直々に選ばれただけだ」

「あー、マスターが言ってた奴ですね。了解、すぐにお通しお持ちします!!」


 元気な店員の見本のような女性は、紫色の一枚着の上にエプロンを付けている。エプロンの白にも染みが滲んでいて、年季の入った愛用品だと分かる。

 昼の喧騒を、そのままこの酒場に押し込めたかのような空間。騒がしい中で、戸惑っているミュゼだけが部外者のような雰囲気。

 アルカネットの背中を追うだけで必死なミュゼは、出入り口からカウンターまでの僅かな距離にさえ動揺を隠し切れない。被った頭巾に手を添えて、喧騒の只中に入り込んで揺れる不安な心を抑え込む。


「どうしたシスターの姉ちゃん! この店は初めてか!!」


 馴染み切れていないのが他人の目から見ても丸分かりで、既に酔った客からは野次を飛ばされる。気遣いから来る言葉じゃないのは、言葉の後の下品な笑いで理解出来る。

 ミュゼがアルカネットに誘導されて席に着いてからも声は止まなかった。アルカネットの背を通り過ぎ、フェヌグリークの左隣。カウンターの椅子は丸椅子で、背凭れも手摺りも無い安っぽいもの。


「シスターさんがこの酒場に何の用だよ! お上品な酒なんて出て来ねぇぜ!!」

「――あ?」


 何も言わないミュゼに調子が乗ったのか、酔客は見下したような言葉を投げる。別に、ミュゼはそのくらい平気だったのだが――平気じゃない人物が、別に居た。


「お上品な酒が出てこないって言ったの誰だ。安い酒しか頼まないそっちが悪いんだろ」


 腹に据えかねたような、低い女性の声。

 からん、と音を立てる氷。

 ミュゼが頭巾の下から視線を上げると、そこに見えたのは鈍い銀色の髪。ミュゼとどこか似た顔を持つ、この店の筆頭。


 ――店主、アルギンだ。


「安い酒ばっか頼んでてもツケ増やすばっかの奴は客じゃなくなるかも知れねぇな? 今度街中で奥さんと『偶然』『ばったり』会ったら言っとくわ。旦那のツケ、銀から金になりましたよ、って」

「っじ、嬢ちゃん、それだけは勘弁してくれ!!」

「おいおい。勘弁って……それ、こっちの台詞なんだわ。三日以内に耳揃えて代金払わないと出禁にするぞ? ……四日越えたら、奥さんにも全部話す」


 しゅ、と女の手元で鳴る燐寸マッチ

 大抵の店では店主と客の立場は対等の筈だが、今の状況では店主の方が強いらしい。

 燐寸の火が行き着いた場所は、店主の口許。咥えた煙草に火が付けられた。


「そん時は、他の女性客に酔って絡んだ話も一緒にするかぁ?」

「っひ……!?」


 窄めた唇から煙と共に吐き出す、あまりに強気な物言いだ。しかし、客は反論どころか肩を窄ませ縮こまっている。ミュゼに絡んだ客はそれきり大人しくなり、呆気に取られている間に三人の前に小さな小鉢が運ばれてきた。千切りの根菜を使った料理らしいものが盛られていて、アルカネットは一番先に食べ始める。


「すまんな、嬢ちゃん達。普段は気のいい常連なんだが、時々気分が乗ってあんな事を言って来るんだ。酒が抜けたら謝ってきたりもするかも知れんが、そん時許すかどうかは任せるよ」

「……へ」


 フェヌグリークと、ミュゼ。

 二人が同時に呆気に取られる。

 先程の客とのやり取りもそうだが、言葉選びがどうも『女性』という感じがしない。声さえ低ければ男の『性』を感じさせるような、開け透けた物の言い方だ。

 思わずミュゼが自分の唇に手を這わせ、フェヌグリークは店主の美貌とちぐはぐな言動に混乱する。


「……許す、だなんて」


 フェヌグリークよりも先に口を開いたのはシスター・ミュゼだ。


「そんな事、私に言われた言葉なんてどうでもいいのです。……それより、侮辱されたのは貴女様の方ではないですか? 上品な酒が無い、などと」

「んー。上品な酒が無い……とまでは言わないまでも、少ないのは本当だからなぁ。ほら、ここ五番街だし」


 店主であるアルギンが強調して言った『五番街』。

 この王国城下では、数字が大きいほど騎士達の巡回などもある為に治安が良くなる。十番街が最大で、そこには王族が住まう城がある程に。以下八番街までは貴族や城仕えの者が住まい、七番街は観光地として栄えている。六番街からはやっと庶民が住める程度の物価になるが、治安は数字が上の街より良くはない。

 だから、六番街以下の街は自警団が必要になって来るのだ。……というのが、表向きの話。


「上品な酒の品揃えが他の酒場よりある訳じゃねぇが、それを人に言われたら腹が立つ。でもそれをお客人に心配されるのは心苦しいよ。まぁ気にするな……ええと」

「フェヌグリークです」

「ああ、そっちの嬢ちゃんの方だったか。話は聞いてるよ。アルカネットの妹さんなんだって? ……で、そちらは」

「……」


 アルカネットが視線を向けた先に居たミュゼは、俯いて唇を引き結んでいた。

 礼儀正しく品行方正な彼女が、誰かに名乗らない時があるなんて思わなかった。

 これまで、アルカネットやフェヌグリークの瞳には淑女として映っていたミュゼの姿が、今だけやけに朧気になる。そこにいるのはシスターじゃない、ただ一人の小さい子供のように見えた。


「……ス」

「え?」

「……ミョゾティスと、申します」


 え、と兄妹の口から同時に声が漏れた。

 彼女がこれまで名乗っていたのは、ミュゼという名前だった。アルカネットだって、そちらの名しか知らない。


「ミョゾティス? へええ、綺麗な名前だ。なんだっけ、聞いた事あるね」

「お呼びいただく時はミュゼで構いません。花の名前と、聞いております。……私が小さい頃亡くなった両親が、名付けてくれたと」

「……」


 賑やかな店内が、そこだけ静かになった。

 店主であるマスター・アルギンは咥えていた煙草を唇から離し、頭巾を被ったままの訳ありそうなシスターを見遣る。

 正直なところ、馬鹿正直に仕事着のままで安全ではない場所に来るなんて、どんな世間知らずかと思っていた。しかし、そうではなさそうだ。


「悪い事、聞いちゃったかな」

「……話し始めたのはこちらですし。アルギン様のお気になされる事ではありませんわ」

「……っはは」


 アルギンの煙草が、灰皿に押し付けられる。


「アタシの名前、知ってんだ? 有名になったモンだねぇ」

「……」


 ミュゼは何も答えない。

 確かに、城下に長く住んでいればこの女の悪名も少しは耳に入ったことがあるかも知れない。けれど、彼女が話す彼女の記憶では、この街に来たのは一年ほど前の筈だった。

 貴女を一方的に知っている。

 ともすれば挑発とも取れる言葉に、アルギンの表情は変わらない。


「席に着いて貰った以上、ここは酒場でお前さん達は大事な大事なお客様だ。何注文する?」

「任せる」

「ったくよー、お前さんはどうしてそういうの人に任せるんだ。お前が一番ココに詳しいんだから好みとか聞いてやれよ」


 同じ屋根の下に暮らしている事もあり、アルギンはアルカネットに対して気さくだ。若干アルカネットが言葉少なく素っ気ない。客だというのに塩対応のアルカネットだったが、その塩加減にもめげずにカウンター内部をうろつく店主。

 アルギンが酒の瓶を手に取って、それを人数分の盃に注いでいる最中。


「お待たせ致しました」


 最初の料理が運ばれてきた。大皿に乗り、一口大に切り分けられた肉の塊だ。やや赤みが残っている所もあるが、半生でも食べられる種類らしい。付け合わせに芋と葉物野菜が乗っている。

 あまりに早すぎる提供にミュゼとフェヌグリークが目を丸くして驚くが、アルカネットがその疑問に気恥ずかしそうに答える。


「……俺の夕食、頼むのいつもコレだからな。普段は自分で切り分けるんだが、お前達が一緒だから切って貰ったんだろう」

「アリィ、いつもこんな美味しそうなの食べてるの?」

「肉体労働だからな。このくらい食わないと身が持たない。……さて、食おう」


 アルカネットが促すと、兄妹は肉を、ミュゼは野菜を選んだ。「私、お肉が得意じゃなくて」と笑い、草食動物のように葉をむ。アルカネットはなるべくその姿を見ないようにするが視線が彷徨う。

 接客は得意じゃないし、話し上手でもない。酒に詳しくも無いし、ましてや苦手な女がこの場に二人もいるのだ。口は重くて、なかなか動きたがらない。

 直後に運ばれてくる酒。三人ともに、同じ果実酒が出された。


「……古い建物、なのですね」


 酒器を手にしたミュゼが、口を付けるより先に店主に言葉を掛けた。ん、と反応したアルギンは奥の厨房から回されてくる次の料理を三人の前に出す。

 次の料理は具沢山のスープだ。肉も野菜も椀の中の湯面から顔を覗かせている。


「確かに、古いね。いつ頃建ったのかもアタシは知らない。調べれば多分分かるんだけど、この店古いだけあって書類多いから面倒なんだよな」

「店主のお仕事、嫌になったりしませんか?」

「嫌っていうか……、まぁ、色々あったけど、この酒場は好きで継いだからねぇ。手伝ってくれる人もいっぱいいるし」


 ミュゼの酒器から、最初の一口。

 やや弱めの果実酒は香りが強く、味も果物の汁を飲んでいるかのようだった。この酒場の中でも『お上品』の部類に入るだろう味を堪能しつつ酒器から唇を離したミュゼ。


「今――幸せ、ですか」


 薄付きの彼女の口紅が、少量剥がれて杯に付着した。色付いたそれがカウンターに置かれる、直前。


 ミュゼがやっと、しん、と静まり返る酒場に気付いた。


「――え」


 それまで喧騒に包まれていた酒場なのに、異様な静けさが建物内を包んでいる。それだけじゃなく、店にいるほぼ全員の視線がミュゼに注がれている。

 呆気に取られる者、ミュゼが口にした質問に呆れたような視線を向ける者。中でもアルカネットはとても嫌そうな顔をして、フェヌグリークは何が何やら分からずに周囲を見渡している。

 何か失言をしたんだろうか、と思うミュゼ。しかし視線だけで辺りの気配を探るミュゼの目の前に、店主であるアルギンの顔がずいっと近付いた。


「……幸せか、だって?」


 頭巾越しに、目が合う。

 視界が悪くなる代わりに顔を見られ辛くする頭巾は、有っても無くてもどちらでも良かった。

 でも、ミュゼはアルギンの事を聞いていたからこそ、その顔を正面から見るのが怖かった。

 ずっと前から話にだけは聞いていた、『自分と似た顔』。


「聞きたぁい?」

「……え」


 ミュゼの言葉は失言ではないと気付いたのはその時。

 でも、周囲の者にとってはそれは新参者の失言に他ならない。

 幸せか――なんて、万年幸福絶頂期の彼女にそんな当たり前のことを聞くなんて。


 満面の笑みを浮かべたアルギンは、先程とはうって変わってご機嫌な様子で酒の準備を始めた。他の客から受けた注文を捌く速度も上がっている。

 これから何が起きるかを経験から知っている客の中には、自分達の会計を済ませて貰おうと店員を呼びつける者多数発生。

 その中に混ざりたかったアルカネットだったが、今日だけは逃げられないと知って肩を落とした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る