6.酒場へ向かう足取りも軽く


 ――いいか、アルカネット。今からアタシの出す指示はよく聞けよ。二度は言わないから一度で覚えろ。


 そんな注意から始まる、アルカネットに向けたアルギンの言葉。


 ――お前さんはまず、日が暮れた頃にその孤児院に行くんだ。まだ子供達が起きてる? 馬鹿野郎見つからんよう身を隠せ。でな、子供達が寝室に行くだろ。シスター達が寝かしつけしてる間に、お前さんが残った孤児院の仕事をやるんだよ。皿でも何でも洗ってやれ。水汲みみたいな力仕事があるならそっちもな。薪割りとかは音が大きいから絶対やるなよ。やる事何も無かったら箒掃除とかでもいいだろ少しは手伝ってやれよ。シスター達の寝かしつけが終わったら、御予約の二名様を連れてここまで戻って来い。いいな、絶対手伝えよ。お前さんだって子育ての大変さは身を以て知ってるだろ。


 一度で覚えるには行動が多すぎる!


 ちょっと待て、と掌を見せてアルギンを制するアルカネット。素直に話の内容を詰め込み過ぎて、頭が焼け付きそうな痛みを伴い始めた頃、アルギンは笑った。


 ――アタシなぁ。ウィリアとバルト産んだ後、お前さん達が手伝ってくれて、とても嬉しかったんだ。


 ――孤児院の事手伝ってくれると、シスター達も嬉しいと思うぜ。……いつも金だけ渡すんじゃあ、味気ないだろ?


 人の気にしている事に平気で首を突っ込んで、それでも反論できないアルカネットはこの女には永遠に勝てそうにないといつも思う。施設に金を渡してる、なんて話を正面からこの女にした事ないのに何処から聞きつけたのか。

 アルギンは言い終わると笑いながら厨房に入って、今日の仕込みを始める。その頃にはこの店の厨房担当も買い出しから戻って来ていて、いつもの日常が繰り返される。

 彼女から言われた通りに、アルカネットは施設に行くまでの時間を待つ。双子達が風呂から上がれば夕食までの時間を少し遊んでやり、部屋に戻って清掃をしたり。

 家事が出来ない程不器用でも無いので、本当は酒場を出て直ぐにでも一人暮らしが出来る。あんな小煩い女が店主をしているこんな酒場、いつでも離れられるのに。


「……分かってるよ、馬鹿」


 金だけ渡すんじゃ味気ない。

 そんな事分かっている。

 ずっと昔から世話になっているのに、大した恩返しも出来ない自分の事なんて。


 昔から、アルギンの事は苦手だった。

 関わる時間を長くは持たなかった癖に、いつも余裕ぶった顔でアルカネットをからかって来るから。




 春とはいえど日は夏より長くなく、日が沈み切るのを待たずにアルカネットは酒場を出た。

 孤児院に着いたら驚いた顔をするシスター達に出迎えられて、子供達が気付かないように身を潜めつつ手伝いをする。昔は男の管理者もいたそうだが、運営難で切り離されてしまった孤児院は、今は女手ばかりになっている。

 昔、アルカネットも生活をしていた場所。この場所を出たのは、およそ十二歳くらいの時だろうか。とある男が引き取りたいと、アルカネットだけを連れて行った。


『妹ちゃんは、いつか迎えに来るよ。そうしたらまた一緒に暮らせるね』


 男と約束をした。妹が、その時のアルカネットと同じ年齢になれば迎えに来れる、と。

 それからアルカネットは孤児院よりも古臭くなく、かといって子供に良い環境とは言えない場所での生活を与えられた。気難しい大人やうるさい女がいるような環境で、のびのびとした生活だったかと問われると――そうだ、と答えたかも知れない。結局、当時のアルカネットに不満なんて無かったのだ。

 そんな環境で、自警団員として働くようになったアルカネットに待ち受けていたのは、養父と慕った男の死。

 養父が死んで一番泣いたのは、アルカネットじゃなかったけど。


「お待たせ!!」


 孤児院の炊事場で、冷たい水で皿を洗い終わった直後に二人分の足音が聞こえて来た。先に扉の無い入口からぴょこりと顔を覗かせたのは妹であるフェヌグリーク。

 その後ろから出て来たシスター・ミュゼは、一日仕事で疲れているであろうに笑顔を浮かべている。


「すみませんね、アルカネット様。お忙しいと聞いていたのに、こう二度も往復してくださった上にシスター達の仕事まで代わっていただいて。おかげさまで今日は私達、ゆっくり出来そうです」

「そんな事。別にい、……って、おい」


 二人の姿を見て、アルカネットの声が一瞬止まる。

 フェヌグリークの服装は、春の夜に似合う薄青の羽織物に暗色のスカート。肌の露出は無い上に、完全な一般人として擬態できている。

 しかしシスター・ミュゼの格好は夜の街を歩くのに不適切だ。仕事が終わった後だろうに、シスターの格好のままなのだから。

 アルカネットとしては疲れていない姿を見せたかったのだが、普段する業務とは違う仕事をすれば疲れるのも当たり前だ。だから、ミュゼの格好に対して正直な反応が出てしまう。


「……その格好のまま酒場ってのは、良くないぞ」

「そうなのですか? ……困りました。私、他の服って持ってないんです」

「おいフェヌ。お前服貸してやれ」

「駄目だよ、シスターと体型合わないもん。肩幅とか」

「シスター・ミュゼ、よくそれで街に出ようなんて思ったな?」

「申し訳ございません。私も、まだ『この街の常識』に慣れておりませんで……」


 そんな事を言われてしまえば、口を噤むのはアルカネットになってしまう。視線の先のミュゼは微笑んでいて、フェヌグリークは眉根を下げる。蝋燭の灯りの下の炊事場は、途端に空気が重くなった。

 シスター・ミュゼは、孤児院近くの河原で発見された女性だった。身辺に乱暴された後は無かったが、彼女の記憶には混濁が見られた。

 自分の名は覚えているが、産まれ年や地名が曖昧。

 自分の育ての親の名は言えるが、そんな人物は城下に居ない。

 それ以外の全て、彼女は口を噤んだ。他には何も分からないと、何度聞かれても同じ言葉を繰り返した。

 記憶と現状の齟齬に気が狂ったのかと言う者までいたが、彼女の精神状態は到って正常だった。でなければ、身の回りのことを一人で出来る筈も無い。

 自分が元の生活に戻れるまで、どうか孤児院で働かせてほしいという申し出を受けて今に至る。

 ――それまでに、彼女の記憶は戻っていない。


「この孤児院に、取り纏める貴族の方はいらっしゃらないでしょう? ですから、どなたの御迷惑にもならないと思ったのですが……」

「その服は『シスター』のだからな……。その格好で酒飲むと『シスター』全体の評判に関わると思うが」

「…………」


 無言で笑顔のままのミュゼから一瞬舌打ちが聞こえた気がして、アルカネットの背筋に悪寒が走る。

 なんだ今の、と問いかけるより先に、何にも気付いていない様子のフェヌグリークがミュゼに話しかける。


「服くらい大丈夫ですよ、シスター・ミュゼ。アリィは頭固いだけだから気にしないで良いですって」

「そうですか、私が非常識すぎる訳では無いのですね。安心しました、ありがとうシスター・フェヌグリーク」

「おい、誰が頭固いだって?」


 入れた突っ込みも聞かれやしない。

 男女の兄妹より仲が良さげな女性同僚は、アルカネットの話も無かった事にして「じゃあ、参りましょうか」と言い放った。

 着替えろ、とこれ以上言っても無駄らしい。服屋が閉まっているような時間なのも悪い。既に空には、子供達の見る夢のように輝く星が浮かんでいた。

 仕方ないのでそのまま出発する。この孤児院から酒場までの道筋は明暗半分。大通りに入れば人目も多く明るい安全な道になる。逆に言えば、それに至るまでが危ないのだが。


「こうして夜出歩くの、久し振り。三年前の夏の祭り以来かな。あれ楽しかったし、また行きたいな」


 道の途中でフェヌグリークが楽し気に口を開く。

 しかしアルカネットは。


「あの祭りな。俺非番だったけど、荒くれ者達が問題起こして呼び出し喰らった奴。あれ毎年同じような奴等が暴れて大変なんだよ」


 出る話題は同じものだが、見る景色が違い過ぎた。一人は祭りの一般参加者で、一人は運営側だ。兄妹は意見の違いに互いに顔を見合わせる。

 やがて、街灯も多めの道を過ぎて酒場へ到着しようとする頃。まだそんなに遅くない時間で街中は夜なりの賑わいを見せていた。

 いつも行く八百屋や肉屋は閉まっている。花屋は店を閉めようと準備をしていた。変わり者が店主を務める本屋までも見えたが、蝋燭の灯りを頼りに本を読んでいた。酒場は――今まさに、新しい客が入っていった。自分達も、その新しい客になろうとしてるのだが。


「……さて。そろそろ良さそうですね」


 ミュゼが独り言を呟いて、小さな荷物しか入らないだろう肩下げの鞄から布切れを出す。何かと注視してみたらシスター服の付属品らしい、服と同じ色の頭巾ウィンブルだった。それを自身の頭に被せて、目許までが隠れるようにする。

 はぁ? と疑問が出るのはアルカネットの口から。今更顔を隠して何になるのか、と。


「何のつもりだ、それ。そんなんで目元隠しただけで、何か変わるって訳でもないだろう」

「一応、ですよ。私、街に買い出し行く時にいっつも言われる言葉があってですね? ……それ、嫌いなんですよね」


 頭巾を巻き終えたミュゼの口許は笑っている。その弧の描き方が不気味だった。


「私、店主様に似ている……って、結構頻繁に言われるんですよ。変ですよね、私は『私』という一個人でしかないというのに」


 その笑みに、深く問えない彼女の闇のようなものが覗いた気がする。

 二人の間に何かしらの因縁がある訳でなし、何故こんなにミュゼの様子がおかしいのか。それとも、アルカネットが知らないだけで実は二人は因縁があるのか。

 フェヌグリークに視線をやっても、彼女は何も知らない様子で首を捻る。彼女も知らないとなると、アルカネットに分かる訳が無く。

 兄妹二人が視線だけで意思疎通を図っている間に、ミュゼの手が酒場の扉に掛かった。


 鐘の音が低い音で、周囲に鳴り響いた。

 街灯よりも穏やかで優しい酒場店内の光が三人を照らす。


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