羨望 2

 由緒正しい学校はがんじがらめになりやすい。主に校則で。致し方あるまいと思う。思うが、さすがに日直が掃除の確認までするのはこき使うに入るのではないだろうか。本来ならば教師がやることではないだろうか。


 教室はもう勉学の場を放棄し、放課後へのランデブーを始める準備を始めている。夕日の色に包まれてしまって、掃除の時間だというのに真面目にそれをしている人はいない。本当にいいところのご令息ご令嬢たちなのか?


 世間話に色恋に、うつつを抜かしてぺちゃくちゃと。これでは帰る時間が遅くなる。メイドや執事たちの心労が重なってしまうじゃないか。母の制御はできない。よってみんなで分散するしかないのに。


「ヘリー? 大丈夫?」


 教師との会話が終わったメネダがこちらに来た。手にはほうき。みんなのやる気を奮い立たせてくれたら万々歳だ。


「まったく。みんな何もしない」

「うーん、どうしよう」

「私が何か言っても無理だし」

「嫌われてるもんね」

「そうそう」

「…いってこようか?」

「お願い」


 最初にそう言っておけばよかったな。時短になっていた。今度からそうしよう。壁に寄りかかりながら思う。


 コミュニケーションが苦手なのは、こういう時が面倒くさい。どちらかというと私が嫌われているだけなんだが。話しかけようにも無視してくるものだから、関係の改善もできない。


 メネダの方を見ると上手くクラスメイトに掃除を促している。人望と話術があると便利そうだ。


 そんなことを考えているうちに、クラスメイトたちは手を動かし始めて、掃除は再開された。


「メネダ」


 みんなの輪の中に入って掃除をしている彼女に声をかける。


「ありがとう」


 上手く笑えただろうか。でも、メネダは笑い返してくれた。人格者だ。


『今度    から

  きみが   話しかければ        良いいだろう???』


 脳みそ、の中

       で反響反響反響反響反響反響する

                   音は、何 度も

          何度 何度も何度も何度もも何度も何度も

きいて  きた。

                    自分の 声だ。

    わかっている。                   わかってる。

              わか ってるから、わかってるわかってるわかってる

わかってる  から黙れ!!!!!!!!!!!!!!!!



「ねえ、ガストータネさん。掃除終わったんだけど」


 女子学生が話しかけてきて、俯いていた顔を声の方にあげた。


「…あ、うん。先生には伝えておくから…」

「よろしく」

「ねー、もう帰ろー」


 教室の入り口あたりから、別の女子学生の高くて耳が痛くなる声がした。


「いま行く〜」


 そういって、そそくさと女子学生は彼女の友達と一緒に教室から出て行った。また、愛想が。いや、振り撒く必要なんて。でも。やっぱり、私は、どこまでも、メネダのように、あの人格者のようになってみたい。だって、話しかけても、嫌な顔されないんだ。それが、ずっと、昔から羨ましかった。


「ねーねー、メネダちゃんも一緒に帰ろーよ」

「じゃあ、ご一緒させてもらおうかしら」


 メネダの、透き通ったような綺麗な声で、濁った汚らわしい、恥まみれの思考から覚める。


 いけない。がんじがらめになるところだった。



 教室から出て、学校の裏口に向かう。先生はどうせ、そこでタバコを吸っているか生徒に隠れて菓子でも食べているだろう。前探した時は三本目まで吸っていた。教師の風上にも置けない破綻した性格だ。


 なるべく急いで裏口に向かう。私だって早く帰りたいものだ。このくらいの時間なら、まだお母様は仕事をしているだろう。だが、三時半を回るとお茶を飲みたくなってどの茶葉で淹れようか悩み始めるから、執事長のロイか厨房のみんなが困り始めてしまう。


 夕日の差し込む廊下を、悠々と下校していく生徒たちとは反対方向に歩いて行って、淡々と先生を探す。なんだかじわじわと自分がばかなやつに思えてきた。


 そういえば、カバンを持ってくるのを忘れたな。


 冷たい鉄色の裏口の扉をゆっくり開くと、外の空気が顔に触れる。心地いい。でもすぐにタバコのくさい臭いが鼻をついた。不快でしょうがない。


「先生。掃除終わりました」

「おー、帰っていいぞ」

「では、さようなら」


 先生から「えー」と不満そうな声がしたと同時に、そそくさと扉を閉めて回れ右をして来た道を戻っていく。急がないと。もう走ってしまおうか。


 小走りで教室に向かって、通学カバンを捕まえる。夕日が黒板に虹色を映している。不思議だけれど見惚れている暇はない。12段の階段を駆け降りた。そのままの勢いで昇降口へ向かう。


 のろのろと歩き甲高い声を上げるだけの女子生徒の集団を横切って、ゲラゲラ笑っている四人組の男子生徒を追い抜かした。


 校門を出たら、そこからがスタートだ。よーい、どんで走り出す。学校の敷地さえ出れれば、その条件さえ満たせたら、校則などというものからは解放される。走りながら、背中の制服に取り付けたファスナーを下げた。


 ご。よん。さん。に。いち。


 強く、強く、目一杯、地面を蹴る。そのまま大きく背中の翼を広げて、ばさり、ばさりと飛び上がった。潮の香りと味と、夕日と上空での風と、その風の音で、五感が刺激される。やはり、色素の薄いこの目は、夕日にうんと弱い。美しい夕日だとしても、とても痛い。


 ああ、早く隠れたい。そのためにも、帰ろう。


 行きとは違う帰路につく。この翼なら、いつでも逃げ出せるのだけれども、それでも私はやっぱり、あの気味悪くて、でも優しいみんなのいる家に帰る。

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