狐火神社の夏の夜

 僕らに吹き付けていた風が止み、空からも雪が降ってこなくなった。赤かった景色が、白と闇に戻る。これは僕らが〈破魔ノ光〉で華澄狼雪さんを浄化したからかな?

 あっ、華澄狼雪さんが起き上がった。操られていた間の記憶が曖昧なのか、辺りをキョロキョロと見回してる。その瞳はもう赤く光っていなかった。

 「わ、たし……。」

 華澄狼雪さんは突然、唇を噛みしめながら静かに泣きはじめた。

 「だ、大丈夫ですかっ⁉︎」

 慌てて駆け寄る。近くで見ると、操られていた時とは違って、より深い黒髪がつやつやしていて、深く澄んだ群青の瞳が、自身なさげに揺れていた。……これ、絶対問題あるよね……。

 「……ご、ごめんなさいっ‼︎」

 言った途端に嗚咽を上げて顔を手で覆った。こんなにも変わるなんて。思わず兄ちゃんと顔を見合わせる。

「……。」うつむく仕草は、ちょっと子どもっぽい。

「失礼な事ばかり言ってしまって……。怪我もさせてしまって……。その上、私の呪いまで解いていただけるだなんて……。本当に、本当に、御免なさい……!何とお詫びすれば良いかしら……。」

そう言うが早いか、頭上に氷刀をかざした。雪雲の間から漏れる月光を冷たく反射する。

 (やっぱり、演技?……逃げないと!)

 けれど、華澄狼雪さんは氷刀をスッと薙いだだけだった。

 辺りがやわらかな水色の光で満ち、僕と、兄ちゃんに降り注ぐ。体のあちこちにあったケガが薄れていき、そしてついには消えてしまった!

 「こ、これって……。」

 「怪我を、治したのか。……これは凄いな、毒の影響が全く無い。」

 そう言うと、兄ちゃんはその場にぴんと佇んだ。

 「私に出来る事と言えば、あなた達に付けてしまった傷を癒すことくらい。もう、もう、こうなったら……。」

 そして、刀の切っ先を自分の喉に向けると、


 「死んで償うしか無いわ‼︎」

 「おいおいおい早まるなああ!」

 「ダメですよ華澄狼雪さああああん!」

 三人でドタバタと氷刀を奪い合う。

 兄ちゃんが無理やり奪うと、「お前……そういうタイプだったのか……。」と呟いた。

 「華澄狼雪さんには〈護影獣〉としてやり直すっていう方法があるじゃ無いですか!」

 「そういえば……そうだったわ……。」

 仕事放棄して死のうとするのやめて下さい。

 「ごめんなさい……。」またシュンとする華澄狼雪さん。

 「ったく……。もう二度と使命を放棄しないでくれよな。行きたくも無い所に行かされて、得体の知れねーヤツにぶっ刺されたら、たまったもんじゃねーよ!」

 兄ちゃんがボヤいた。涙が乾いたらしい華澄狼雪さんがくすりと笑う。

 と、不機嫌そうな兄ちゃんが突然体を強ばらせた。

 「とか言って油断させといて、どうせいきなり襲うんだろ⁉︎」

 と、華澄狼雪さんを睨みつけた。でも華澄狼雪さんはフクザツそうな顔で首を振るだけだった。

 「まだ、信頼してもらえないのね。でも……確かにそれが当たり前よね。」

 「そりゃそーだろ!いくら操られてたからって、こっちは半殺しの目にあったんだぞ!そう簡単に信じられると思ったら、大間違いなんだよっ‼︎」

 「いや、それは単純に僕らの力不足でしょ。」

 「はあ⁉︎」

 「……今後、あなた達が仕事をする事を考えて、あえて言わせてもらうわ。あなた達騒がしすぎるのよ。〈匂い落とし〉の前からもう私は勘付いていたわ。」

 「むむむ……。隠密行動は得意中の得意なのに……。」

 「あれだけ邪気落としでバタバタ騒いで声出して、分からない筈が無いでしょう。」


「……びゃっこぉ……?ちょーっと話そうかァ?」

ギラン!

兄ちゃんの目が光る。マズイ!


 「と、とにかく、役目も終わった事だし、僕らは帰りますね。」

 ムリやり話を終わらせようとして僕がそう呼び掛けると、

 「帰る、って……。もう次の任務があるの?少しゆっくりして行ったら?」

「あのなー、ここがこんな事になってたから俺らが来る羽目になったんだろ!ここ以外にも行かなきゃなんねーとこは沢山あるんだよ。

 全く……俺らが半神半人だからって、ドイツもコイツもこき使いやがって……チッ‼︎」

 「あら、残念だわ。って、今『半神半人』って言ったわね!一体、何者なのかと思っていたけれど……。」

 「あ、そうでした。……もう、隠さなくても良いよね、兄ちゃん?」

 「おう。」

 「じゃあ、改めまして僕の名は白狐、稲荷神の父と元巫女の母を持っています。」

 「俺は黒狐、コイツの兄だ。呼び捨てでいいぞ。」

 「……じゃあ、改めて。私は華澄狼雪。華澄と呼んで頂戴。神主の父と狼の母を持っていたのだけど、封印されている間に逝ってしまった様で……。でも。」


 そこでこちらを強く見据えた。


 「私は一人では無いわ。何より、この地が私の友であり、守るべきものだから。」


 不敵な笑顔をたたえる。髪がそよ風にさらさらと流れ、月光を反射して輝く。


 「……ヤレヤレ。今度は半殺しにすんなよ。悪寒がするぜ。」と兄ちゃん。

 「だからそれは、本当に悪かったと言っているでしょう!」

 「おっと、怖え怖え。」

 口先ではそういうものの、表情はいたって涼しい。ああ見えて兄ちゃん、神経は強いもんな~。


 「……びゃっこぉ……?やっぱりちょーっと話そうかァ?」

 ギラン!ギラン!

 うわ危ない!また兄ちゃんに睨まれてしまった。

 「と、とととにかく、もう帰りますから!さよなら‼︎」

 慌てて僕は、人間姿で逃げ出す。

 「こら待て、白狐!おいっ!」

 兄ちゃんの叫び声が追いかけてくる。振り返らずに走り続けた。

 「あらあら。本当にありがとう!」

 華澄狼雪さん……もとい華澄さんのの明るい声。

 惜別の代わりに、僕は二回宙返りをする。雪が消えた地面は思ったより硬くて、人間姿に戻ったと同時に着地してしまい、足に痛みが走った。……しなきゃ良かったよお、うー後悔。

 「何してんだよ、白狐。カッコつけめ。」

 「ちがうよ。これはただ、サヨナラの代わりに……。」

 「それがカッコつけなんだろ!」

 うう……。ヒドイ。

 「さ、早く本殿に戻って、荷物まとめるぞ。宮司さんに挨拶しねえとな。」

 「……うん。」

 今夜の月はやたらと明るい。百年振りの夏の夜だからかな?純白の光が降り注ぐ。

 「そういや、なんか暑くなってきたな。」

 んー、雪も溶けてきてるし、元の気候に戻ったって事じゃない?それに兄ちゃん、まだ狐姿だし。

 「おっと、忘れてた。」

 へらへらと笑いながら宙返りをする。「……痛ってえ!」

 な~んだ、兄ちゃんも痛いんじゃないか。

 「え?あ……。う~んと、えっと、それはだな……。」

 へへ~ん。

 「チッ!」

 悔しそうな顔をしている兄ちゃん。ちょっとだけスカッとした。ふう。これは、華澄さんに勘付かれていた事をまるきり僕のせいにしたからだよーっ。

 「……畜生ッ。」

 ま、気にしないの。

 「……。」

 木々は早速芽吹き始めていた。月光の中に鮮やかな萌葱色がぽつぽつ浮かび上がっている。これも華澄狼雪さんが……華澄さんが戻ったからだよね。

 これだけの事を初仕事で成し遂げたんだから、僕らってやっぱりスゴいよね?

 「……確かにな。御父上も褒めてくれたら良いな。」

 ねー。

 「さ、とにかく、早く帰るぞ!」

 はいはい。


 夏の夜、真っ白な月は小さな僕らを、静かに見つめ続けていた。

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