破魔の対狐と〈護影獣〉 壱

 全ては突如終わりを迎えた。音も、光も、異臭も地揺れも吹雪も全て。それは、今目の前にいる者が出現したからだろう。突然の静寂の中、鈍麻した耳がジーンと音を立てる。


 祠から出て来たのは、藍の着物を着た小さな少女だった。

 十歳になったか、なっていないかぐらいに見える。

 肩で揃えたつややかな黒髪、恐ろしいほど青白い頬に深紅の唇。

 ひときわ目を引く、切長で美しい縹の瞳には何の感情も浮かんでいなかった。

 一見、ただの美少女。

 しかし、溢れ出る邪気が強敵だと教えていた。


 「防ぐ力も無い連中に雪氷の異能を使ったのは、無駄な労力だったようね。」


 「……何者だ。」

 しばしの沈黙の後、俺は問うた。

 「私の名は華澄狼雪かすみろうせつ。雪と氷を操り、狐火神社を密かに護る〈護影獣ごえいじゅう〉の半狼よ。」

 薄い唇で無機質に言葉を紡ぐ。随分と冷たい声色だ。

 「〈護影獣〉というのは何なのですか?聞いた事が無いのですが……。」

 白狐が問う。明らかに怪しい相手なのに、攻撃されたのに敬語で話すとは。呆れを超えて、感心してしまう。

 「あら、私が封印されていた間に神々は忘れ去ってしまったのかしら。貴方達、どうせただの狐じゃないんでしょう?神の血を引いているとお見受けしたのだけど。それもかなり位が高い神の、ね。護影獣を知らないなんて……。」

 闇を帯びた双眸がこちらを覗き込む。全てを見透かされているようで、背筋がぞわりとした。

 「お見事。俺達は確かに神の血を引いている……詳しくは話さないがな。それと〈護影獣〉なんて存在は誰からも聞いた事が無いぞ。」

 「残念だわ。私達が裏で必死に神社を支えているというのに。折角だもの、なぜ私達がいるのか教えてあげましょう。」

 「いや、そんなもの別に興味無——。」

 「兄ちゃん!」

 隣から鋭い声が飛ぶ。見れば、白狐の瞳は好奇心で輝いていた。……駄目だ、これは言っても聞かないやつだ。油断させる為の罠だったらどうするんだよ。

 「だって気になるんだもん!」

 「あらあら、面白い事言ってくれるじゃないの。——そこの貴方も黙って聞いてなさいよ。」

 はぁ?という言葉が口から出そうになる。しかし、白狐から無言の圧を感じたので黙って華澄狼雪を見つめざるを得なかった。何でこんな事に……。


 「さて……。

 古より世界には、たまたま異能を持って生まれて仲間外れにされたり、居場所を失った人間や獣なんかが沢山いた。

 初代の大御神様が哀しんで、彼らに住処として神社を提供し、それを感謝した者が神社を護るようになった……それが〈護影獣〉のはじまりなの。」

 「私達にとっては、神に仕えながら静かに生きていくのが一番の幸せ。いつからか、仕えている神々以外には姿を見せなくなり、裏で守護の働きをするようになったわ。

神社は護られて、〈護影獣〉は静かに生きられる。幸せな関係が続いていたのよ……。

 けれど貴方たちはそれを知らない。一体、どうなってるのよ?」


 「どうなってるの、と言われましても……。ごめんなさい……。」

 「……謝らなくて良い。華澄狼雪とやら、必要以上にごてーねーな説明どうも。」

 「あの、華澄狼雪さん。神社を悪霊から守っていたということは、かなりの力を持ってるんですよね?そんな方がなぜ封印されていたのですか?一体、誰がそんな事を?」

 「さあ、誰かしらね。相当強力な力を持つ者だというのは確かだけれど。何せ、全く邪気を纏わせていなかったし、この結界に近付いても私に気付かれなかったくらいだから。

 だから、ここの結界の外に出てしまった時に急襲されて、今日までこの祠の中だったのよ。」

 「ほう、なるほどな。しかし、それなら何故今日いきなり封印が解かれたんだ?」

 俺は再び問う。

 気が付けば、雪がまた静かに舞っていた。

 「数日前から少しずつ解けてきてはいたわよ。どうやら、封印は百年しか持たないものだったらしいわね。どうせ、これだけ時間が経てば復讐したくても相手を見つけられないだろうと考えたんでしょう。そうだとすれば、甘いヤツね。私は〈護影獣〉の中でも一、二を争う異能持ちよ。……愚かだわ!」

 無を宿していた瞳に、突如怒りの炎が灯った。冷たい眼差しでこちらを射る。

 「この百年を、いつか復讐する事を夢見て耐えていた私が、そう簡単に諦めるとでも?そう簡単に止められるとでも?

 フン!報復のためなら地獄の淵までも追いかけてやるわ。永遠の苦しみに落としてやるのだから‼︎」

 「それじゃあ、〈護影獣〉をやめちゃうんですか?……それがあなたの、一番の幸せなんじゃないんですか?」と白狐が問い掛ける。

 しかし、華澄狼雪は鼻で笑って一蹴した。

 「私を百年間も見捨てた神にもう一度仕えろって?嫌に決まっているでしょう。馬鹿馬鹿しい。」

 まるで嘲笑うかのような口調に、俺は思わずイラッとした。

 「お前な、折角訊いてやったのにその態度は無いだろう?」

 「別に質問してなんて頼んじゃいないわよ。それに、もし貴方たちがここを護るために来たのだったら大失敗、お役御免だわ。私の存在を見抜けなかったんだから。あと、歳上は敬えって習わなかったの?口汚い。」

 お前には言われたく無いのだが……。大体、そんな少女の姿で歳上とか言われても。

 ともあれ、俺はそんな挑発には乗らないぞ。

 「……気を抜いていたからといって、そうやすやすと封印されるくらいなんだから、どうせ大御神も必要ないと御考えになっているんじゃないか?」

 俺は冷たく言葉を紡いだ。怒るか、皮肉な返事をするか。しかし、返ってきた反応はおかしなものだった。

 「……大、御、神、……オオ、ミ、カミ、おおみかみ、嗚呼っ……あああああっ!!!!」

  蒼白な顔が突然歪み、頭を抱えて苦しみはじめる。地面に崩れ落ちて悶え始める。

 「や、めろ、出ていけ、あ、ああ、カミ、苦しい……ミ、カ、大、ミ、オオ、神、ミ、カ、嗚呼……グッ⁉︎」

 突然、祠から紫の光線が迸り、華澄狼雪の頭に直撃した。途端、動きを止め、蒼白な顔でブツブツと何かを呟きはじめる。

 「ソウダ。神ナド必要無イノダ。必要ナイ。⬛︎⬛︎⬛︎ノミ信ジレバ良イノダ。此ノ世ハ諸行無常、力ヲ持ツ者ノミガ生ヲ⬛︎⬛︎⬛︎ヨリ賜ル事ヲ赦サレルノダ。此レコソ此ノ世ノ真理ナリ。嗚呼、アノ方ハ仰ッタ。弱キ者ハ消シ去レト。神ナド消シテシマエト。アノ方ノ言ノ葉コソ意味アル物トシテ紡ガレル。今コソ其ノ御言葉ヲ胸ニ実行スル時ゾ。ソウシテ此奴ラノ首ヲ持チ⬛︎⬛︎⬛︎ノ元ヘ馳セ参ズルノダ。弱キ者ニ生ノ赦シハ永劫与エラレヌダロウ。……今コソ弱キ者ニ生マレタ事ノ報イヲ。」

 そしてふっと目を閉じた。俺達は身構える。

 「弱者ニフサワシキ終焉ヲ。」

 再び華澄狼雪が目を開く。彼女の瞳の色は、鮮やかな血の色に変わっていた。

 同時に、暗闇に溶け込んでいた雪が、氷柱が、一斉に赤く染まって輝き出した。

 祠から紫の光が飛び出し、今度は彼女の全身を包みこむ。姿が見えなくなる。そしてパッと光が消えた後には、一匹の闇色の狼が——変化した華澄狼雪が、こちらを狂ったように睨みつけていた。

 (こいつ、何かがおかしい……。)

 そう思ったが、理由を探る余裕などなく。


 束の間の、ほんの少しの静寂。

 真紅の双眸と視線がかち合う。


 ——音も無く、彼女は俺に飛びかかって来た。

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