Tale 14 (Dec. 24) わるい子について


 そまりは風邪をひいたことがない。


 ものごころつく前は熱を出したりもあったらしいが、ついたあとは小柄で線の細い見かけに反してずっと安定飛行だ。特に寒さにはめっぽう強い。ヒラリとしたひざ丈のキュロットにもタイツははかない。だから北風の季節に雲が月をおおう夜はストールひとつを肩にかけ、紅菜にも内緒で小屋裏から屋根に出て雪を待つ。


 降ればいい子。降らなければ、屋敷の者に心配をかけるだけのわるい子。


 ヒタキが出ていったあとも、そまりはひとり屋根にいた。雲は垂れこめているが、思うほど寒くはない。降るとしてみぞれか、最悪ただの雨か。濡れてしまえばさしものそまりもどうなるか。


 それならそれでいい、とそまりは考えていた。

 サンタはわるい子には石炭を贈る。それは正しい証明だ。わるい子の証明。あなたを見ているという、嘘いつわりのないシルシ。


(ヒタキはいなくなった。ボクがわるい子だったから。クリスマスも来ない。来ないが正しい……)


 正しくありなさいと母は言った。正しいことで安心できた。

 もうすぐ雨が降る。わるい子にだってシルシがあれば、ボクは――


「なにやってんだッコラァァ!!」


 そまりはハッとした。少しまどろみかけていた。


「ヒタキ……?」


 気のせいだと思っても探してしまう。

 来るはずはない。来ないのが正しい。ボクはわるい子で……でも、彼女は――


「はっなせ! このバカ! バカの半分シカだって知ってっかッンにゃろうがッ!」


 見あげた。

 月のない暗い空に、白いものが流れていく。

 そまりは一瞬雪だと思った。だがそれは、トナカイが引くそりに乗るメイドのエプロンとヘッドドレスだった。


「嘘……」


 そりの高度が落ちてきて、あの長身とソバージュのかかった青いツインテールがうかがえ始める。そりのふちに足を乗せ、手綱たづなをくわえて暴れるトナカイ相手に壮絶な綱引きをくり広げている。


「ヒタキ!」

「ああンっ!?」


 そまりは考える前に叫んだ。鬼のような形相のメイドが、屋根に向けた眼鏡に屋敷の明かりを反射させる。オレンジ猫目の三白眼がレンズのように丸く光った。


「って、そまり!? なにやってんだッ、ンなとこで!」


 叫び返しながらヒタキは手綱を下向きに力いっぱい引いて、トナカイがくわえづらいほうへ持っていく。そりはなんとなく屋敷のほうへ落ちてきているが、ひたすら蛇行を続けて安定する気配がない。


「ヒタキ……」


 そりがどこへ行くのかわからない、とそまりは思った。ヒタキがなにをしに帰ってきたのかもわからない。そまりを見限ったのではなかったのか。


 わからない。まだ、わかってない。


「……ヒタキー!」


 そまりは立ちあがって、声のかぎり叫んだ。

 手足だけでは足りず口まで使って手綱を引いていたヒタキの顔がふたたび向く。


「そまり! 動くな! いまから行って――」

「ボクを、つかまえてぇっ!!」

「は……ハァッッ!?」


 呼び返しかけたヒタキが仰天ぎょうてんする声を聞いて、そまりは駆けだした。


「なっ……まさか、バカッ!」


 ヒタキの止める声が遠のく。トナカイたちは屋敷から離れたか。

 それでもそまりは止まらなかった。いつか、鎧を着たヒタキに突っこんでいったときのように、迷わず屋根の端を目指し――


 空へ身をおどらせた。


「いいかげんにしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 怒鳴り声が飛んでくる。

 二頭のトナカイのツノを手綱でがんじがらめにして暴れられなくしたヒタキが猛スピードで突っこんでくる。


 重力がそまりをつかむ寸前、そまりは手を伸ばした。

 ヒタキも手を伸ばす。


 指先は、わずかに届かない。


 そまりは目を閉じた。


「――だぁぁっらあああああああああああああああああああああああッッッッッ!!」


 宙に飛びだしていたそまりの体を、怒号となにかが包みこんで押し返す。

 体がひっくり返って、背中に衝撃が走って。

 そのまま自分を包んだものといっしょに、そまりは屋上の上を転がっていった。


 あお向けで止まって、目をあける。

 自分の上に覆いかぶさって、激しく上下する肩と、銀色のカフリングまみれなのになぜか柔らかそうに思う赤い耳たぶを見る。


 荒い息をしながら体を起こしたヒタキは、眼鏡と片方のカラコンがどこかへ飛んでいった見慣れない顔をして、まっすぐそまりを見おろしていた。


「け、ケガは……!? 痛くないか? そまりッ!」

「うん……だいじょうぶだよ」


 そまりはヒタキの腕の中で頷きながら、初めて見るトビ色の目を見ながらほほ笑む。「はぁ、そっかぁ……」ゆがみ切っていたヒタキの顔がようやくゆるんで、そまりを離すとともに屋根の上にしりもちをついた。


「あでででっ。いかん、肩打ってる」

「だいじょうぶ?」

「あー、たいしたことねぇよ、こんぐらい」

「ほんと?」

「あぁ」

「よかった。これでふたりとも〝いい子〟だねっ」


 瞬間、そまりの視界に星が散った。

 頭の上にゲンコツが降ってきたと理解するのに、なぜか時間はかからなかった。


「うぐぅぅぅ……こ、こんぷらぁっ……」

「じゃかぁしぃッ!」


 頭を抱えて抗議した主人を、メイドは千切れたヘッドドレスを握って一喝した。


「なにが占いだ甘えてんなッ! てめぇが間違ってれば誰かが教えてくれると思ってんじゃねェ! てめぇがいい子かわるい子かぐらい、てめぇでわかりやがれッ!」


 そまりは涙目で、しかし今度はポカンとした。今度は誰にものを言われたのかがすぐにはわからなかった。目の前で震えているこぶしを見て、自分を叩いたのはやはり彼女だと確認しながら、そのあと言われた言葉のほうがずっとずっと痛かった。


「……だったら、ボクはわるい子だよ?」


 そまりは頭をかばったままうなだれた。


「そうじゃないかもって思いたくても、全部がちがうって。とうさまはたまに帰っても話してくれないし、学校で好きな服を着てると変な顔をされるし、ダメだって言われても、ヒタキのおっぱいばかり目が行くし……」

「あ、いや、そりゃぁ……そんなに気にしてねぇよっ」

「……それでも、クリスマスは帰ってこない。かあさまのプレゼントも。それは、ボクがわるい子だから……」

「……だったらだろ」


 ヒタキは低い声で、それでも少し砕けた感じで言った。そまりが自分をわるい子と言うのを、ここで否定はしなかった。


「いくらゲームで確かめたって、自分で自分を許せなきゃ意味ねーんだよ。勝った負けたにいいわるいは関係ねーんだ。あくどいヤツはよく勝つしな」


 ヒタキの長い手が伸びて、そまりの髪を触る。さらりとしてやわらかい、積もりたての雪のようだ。手綱を握りつづけてかじかんだ指先にはよくなじむ。


「だから、てめぇをいい子だって思いたきゃ、てめぇでてめぇを信じてやるしかねーんだよ。本当に確かめる方法なんてどこにもねぇんだ。だったらまず、やりてぇことから堂々とやってやれ。それで拒否られたからわるい子ってわけでもねーし、オドオド他人うかがってたっていい子にゃなれねぇ。ホラ、いまだって、言わせる前に言うことあんだろ? ヒタキチくんとなかよくしてーんならよ」


 そまりのあごが少しだけ持ちあがる。いつもまぶたは落ち気味だったが、その奥に青が光れば精いっぱい見ひらかれているしるしだ。


 そまりは頭から手をおろし、立ちあがった。腰をおろしたままでいるヒタキをいま一度見おろして、一度ぐっと唇を引き結んだあと、ブラウスのすそをにぎりしめて、思いきり息を吸いこんだ。


「ヒタキ………………ボクとっ、ケッコンしてくださいッッ!」

「ゴメンナサイが先だろうがぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!」


 トラのごとく吠えたヒタキがこぶしを振りあげる。そまりは「ひぅっ!?」と叫んでふたたび頭を抱えてしゃがみ込んだ。「こ、こんぷらがっ」と思わず口走るも震えが止まらない。


 しかし、ゲンコツは降ってこなかった。


「――ったく! 仮にオーケーしちまったらそれこそコンプラ違反だろうがッ。どころか違法だ違法ッ」


 般若はんにゃのように歯をむき出し、眉を吊りつげてヒタキは息まいている。それでもやはり、こぶしはどこにも落ちてこない。そまりはまたおそるおそる顔をあげた。


「い、違法じゃなかったら……?」

「うるせぇ」

「あぅっ」


 デコピンが飛んできた。痛い。十分に痛い。

 そまりは額を押さえて泣きそうになりながら、もはやなにも言えずにへたりこむ。


「……いい子にしてたらな」


 そこへ、届いた細い声。

 そまりはまた目を見ひらく。


 何度もまばたきをして涙を散らし、むすんだ像の中、膝を抱えて長い体を精いっぱい縮めたヒタキがそっぽを向いている。ほんの少し険の取れた目が、チラリと一瞬だけそまりを見て、取ってつけたようにまた険しく吊りあがって舌を鳴らした。


「クリスマスの予定くらい、空けといてやるっつってんだよ。チョーシ乗んなっ」


 そまりは自分が、どんな顔をしたかを知らない。

 ただ目の前で雲は流れ、明るい月が出て、雪は降ってこなかった。




【イヴでありスます!】



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