Tale 7 (Dec. 17) お風呂とニコラウ素について


 軽く温まってすぐ出るつもりだったのに、ニッセに湯をかけられたせいで髪まで洗う羽目になってしまった。メイクも全部落としてやり直しだ。紅菜がまかないも出してくれると言っていたのに、時間なくなるじゃねーか、とぶつくさ呟きながらヒタキは水栓をあけてシャワーをかけ流す。バスチェアーの脚のU字のへこみにはあいかわらずニッセが首をはめ込まれていて、そのままヒタキがおしりを乗せているので手も足も出ないまま落ちてくる湯を浴びつづけていた。


「がぼばぼぼぼぼぼ! にぎゃいっ!? しゃんぷーがくちにッ!」


 ただやかましいだけでも風呂の気分台無しだなとうんざりしつつ、ヒタキはしかたなく湯を出しっぱなしにせず止めておいた。「ぐぁぁッ、目がぁっ目がぁぁぁぁ! しみるでありス」やっぱり出しておいた。そして水音がしているほうがうるさいのもまぎれることに気がつく。


「げべっ、げぼばぼっ! しぶ! しぬでばびぶばぶ!!」

(妖精って水中で息できねーのかな……)

「あぶぶっあぶぶっ! あぼっぼほっぷッぶぇっ!?」

「ったく。つけまわしてくっからだろ。だいたいなぁ、急に命日とか言われても反応に困んだよ。いいかぁ? 情に訴えんのも行きすぎりゃ脅しだっつー……」

「ぶぶぶぶぶぅ、ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ!」

「…………」


 シャワーを止める。ヒタキはむなしさを覚えた。


「うぅぅ、お風呂嫌いでありスます……」

「雪の妖精だもんな」


 自前のクレンジングジェルを手のひらに出す。容器の中身が心もとない。そういや詰め替えないんだったな、今日こそ薬局寄って帰ろう。


「……つーかよぉ、ニコラウ素だっけ? そいつでサンタの代わりを人間にさせられるったって、要は応急処置だろ? んで、サンタがいたときにクリスマス消滅してんじゃねーか。うまいこと復活させてもまたつぶれんじゃねーの?」

「そ、それは心配するところではありスますが、望みはあるでありスます」

「あっそぅ。興味ねーけど」

「聞くでありスます! ニコラウ素はそもそも保持者固有のものとは限らず、幸福の自家生産に成功したときいっしょに拡散されるでありスますっ。個人の保持量は使うだけ減っていくでありスますが、他人に移った時点でいったん飽和するまで増殖するものでもありスます。ニッセたちが拡散をうながすことで効率的にニコラウ素保持者を増やせれば、年末の幸福量枯渇に対抗できる世界ができるでありスます!」

「はぁー。寄生虫みたいなもんか」

「なんてこと言うでありスますッ!」


 ニッセの小さな手足がバスチェアーの内側を殴りまくる。しかし大人の人間であるヒタキが上に乗っていてはビクともしない。壁を抜ける力を使えば難なく脱出できるはずでもあったが、それはニッセ自身が忘れていなければの話だ。


「まぁ……他人に移せるってことなら、一回だけでいいわけだ」

「!?」


 両手のひらでジェルをすり合わせながらヒタキがもらしたつぶやきに、ニッセの目がふくらんだ。虹彩に散る星くずたちが次第にキラキラと輝きはじめたが、「ただし」


「タダ働きはゴメンだ。出すモン出せよな」

「ご、強欲でありスますッ……」

「カン違いすんな。ターゲットはここの主人のガキで、そいつとヨロシクやれってんだろ? 中坊だか高校生だか知らねえが、どういうヤツなのかマトモに情報よこしやがれ」

「ヴッ……」


 ニッセは不自然にうなって固まった。両手になじませたジェルを眉間に持っていこうとしていたヒタキは、そこにしわを寄せてうしろを見おろす。


「ンだよ、ウッて……普通に考えてみりゃ当たり前だろ」

「こ、子供の個人情報でありスますっ。みだりなろーえいは、こ、こんぷら違反に……」

「サンタにてんぷらもコンプラもあるかよ。こっちゃ死活問題だっての。だいいちしぶれる立場か、こんにゃろ」

「あぁッ、やめろっ! やめるでありスますッ! あちあちあちあちっ!?」


 蛇口のほうの水栓をひねると同時に温度調節のハンドルを赤いほうへ回してヒタキは足をあげた。床を跳ねた熱湯がタイルを伝ってバスチェアーの中まで流れこんでいく。中から砕くほどの勢いでニッセの胴体が暴れまわり、さすがのヒタキも尻が痛くなってきたが口の端をニヤリと持ちあげて湯の出る量をさらに増やした。


「オラ、どうした。ポカポカして口がゆるんできただろうが?」

「ひぃぃぃっ、悪代官みたいでありスます! あちあちあちあち!」

「つーか母親の命日は個人情報じゃねえのかよっ。実はなんにも知らねーだけなんじゃねぇか?」

「そそそそんなことはないでありスますっ! そまりの不審な行動なら、うぅっ、とだけっ!」

「占い?」


 蛇口を閉める。いつでも開けられるようヒタキは水栓に手を置いていたが、ニッセは「それ以上は言えないでありスますぅぅ……」と泣きべそで訴えてきた。


「で、でも、ほとんどのことはあの執事から、ちゃんと訊けば教えてもらえるはずでありスます……!」

幾春いくはるさんから?」


 その名前が出てくるとヒタキは少し鼻白んでしまう。ハーフアップのピンクブロンドと紫と緑の両目が脳裏をよぎる。クールと呼ぶにも妙に浮世離れしていて真意が読めない。かげから物を投げてくる不埒者より実はずっと怖いかもしれない。


「本っ当に危なくねーんだろうな?」

「ヒィィッ!?」


 ヒタキが念を押しつつ水栓を指でたたくと、ニッセは歯をカチカチ言わせて震えはじめる。ヒタキはむしろ困った顔をして息をつく羽目になった。




 ★ ★ ★




 風呂からあがったあと、ヒタキは腹をくくって厨房にいた紅菜に単刀直入に尋ねた。


「そまり様の占い?」


 チョコレートの生クリームが詰まった絞り袋をおろし、礼服の上にフリル付きの白いエプロンをつけた女性が鼻すじの通った顔をあげる。調理台の角に椅子を置いて半分脱いだつなぎの袖を腰に結んだヒタキは、まかないのお好み焼きをほおばりながらゴツい黒ぶち眼鏡と猫目のカラコン越しに主張の強い中性色同士のオッドアイを見返した。


「なぜ、そまり様のお名前を?」

「ウッ!? や、そりゃぁ……」


 まったく警戒していなかったところを間を置かずにつつかれ、ヒタキは思わずあからさまに目をそらしてしまった。思い出すときのクセなんすよ~、みたいな顔を自分ではできていると思いつつフォークを顔の横で振ってこめかみをたたく真似をする。


「えぇ、っとぉ……そ、そうっ、妹が同級生で!」

「妹さんが?」

「そ、そッス! 鹿はらていでバイトするって教えてやったら、めっちゃはしゃいでその話始めて……!」

(妹大学生だけどなっ! よく中坊に間違えられるっつーからセーフだろ!?)


 そういう問題ではない。しかし紅菜が「なるほど」と納得して深掘りを求めてこなかったのでヒタキは肺が腹まで垂れそうなほど肩をなでおろした。


「そうですか。やはり、始まっていましたか」

「始まってた?」


 口をつくように出てきた紅菜の相づちに、なんとなくヒタキは反応する。紅菜は絞り袋を生チョコのホールケーキのそばに横たえると、いつものように神妙な顔をしてヒタキに告げた。


「そまり様の占いは、『いい子・わるい子占い』です」




【クリスマスまであと8話!】



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