『初めて包丁を買った日の夜。私は確信した。うん、大丈夫。私、』
あお
『初めて包丁を買った日の夜。私は確信した。うん、大丈夫。私、』
私、市川ゆき乃は帰宅すると一気に緊張がほぐれるのを感じた。
両親は離婚して今はお父さんと二人暮らし。料理はもっぱら私の担当で、今日は学校の帰りに新しい包丁を買いに行ったのだ。新しいのが必要になって、初めて金物屋さんを訪れた。
慣れないお店に、初めての刃物の購入という体験もあって、緊張した。お会計の時におばちゃんが、訝しんできて手汗でびっしょりになった。
「ふぅ……」
ガチャリと玄関のドアをしめて鍵をかけると安堵のため息が漏れた。父親が帰ってくるのは夜の九時過ぎ。それまでは私は家に一人。だけどそのため息は安全確保以上の何かだってわかっていた。
私は自室に戻り包丁をケースから出して確認する。
刃渡り21センチの軽いセラミック包丁4,980円。やっぱりいい道具は高い!私がプレイしているオンラインゲームの月額が1,400円だから、必要だとしてもなかなかの出費だ……いや、逆なんだ。高いけど、安い。
握ってためつすがめつそれを見れば、鈍くギラリと光を返す。
ゴクリ、と唾を飲み込む音が大きく聞こえた気がした。
新しいピカピカの包丁。
私だけの包丁。
改めて思う。
「買っちゃった」
そう呟く私の声はどこか震えていたかもしれない。
お父さんが帰宅したのは思ったより早く夜の7時半だった。晩ごはんの準備はギリギリ間に合っていたので問題なし。
今晩は鮭のハラス焼きと野菜たっぷりの豚汁に納豆。お父さんはその後ビールを飲んでテレビを見てお風呂に入って10時半にはもう寝ちゃう。
そこからが私の時間。大好きなオンラインゲームだ。
VRゴーグルを被ってセンサー付きグローブをはめて足にも取り付ける。
私がプレイしている剣で戦うVRゲーム。
これで非現実世界にダイブしている時が一番楽しい時間だ。
ログインすると、相変わらず殺伐した空気が流れいている。メインの世界観は西洋風で、ワールドを移動すると草原やら森林、現代の街並みまで揃っている。
そんな世界だから、ロビーでは甲冑を着たり、ローブを纏ったり、宇宙服のようなものを着込んだりと装備はまちまち。
特に剣の種類は棍棒からビームを剣状にとどめたモノと幅広い。
私は中世の貴族が着るようなジャケットで爽やかなわさび色の服装。
武器はシンプルなロングソードと懐にはいざという時の短剣だ。
自作のアバターだけどかなり気に入っている。
現実ではちょっと、いやだいぶ気弱な性格が表情に出ていて、それを覆い隠すために顔を覆うような髪型と眼鏡で表情を隠している。身長だって155センチと小柄だ。
だけど”ここ”では違う。
スラリとモデルのような長身に、なびく黒いロングヘア。胸を張って歩けるし、言葉にだって自信が持てて、いつもの弱々しい口調じゃなくなるんだ。
それだけじゃない。
私はこっちじゃちょっとした有名人。ログインするたびにロビーのオープンチャットで「YUKIが来た」「今日もカッコいい!」「今度は絶対勝ってやる!」という声が飛び交う。
このゲームは対人がメイン。
レベルアップや練習モードもあるけれど、インして装備を整えたら実践あるのみ。
決闘(デュエル)というメインコンテンツで今日もたくさんのツワモノが剣を交える。
学校も日常生活もつまらないって思う私が、唯一心を許せて本心をさらけ出せる場所。それがこの『ソード・デュエル』というゲームなんだ。
今日は平日。
そんなにインしている時間はないから、平原にでも行ってNPCと戦って動きの確認でもしよう。
コントロールパネルを開いてワールドを移動する。
平原は初心者が練習する場所で、デュエルはあまり行われない。私のような上級プレイヤーが行く場所でもないが、明日からの週末に向けて軽くアップするにはちょうどいい。
ゲートをくぐり視界がぼやける演出が入ると、すぐにロビーの雑音は消えて吹き抜ける風が髪をなびかせた。
と、同時だった。
「へっ、こいつバカだな。まだシステムのことをよくわかってねえみたいだ」
「アニキ、やっちまいましょう。ロスト・モードの2on2をビギナーがソロで受理するなんてラッキーっすよ」
「ああ。これで一気にポイントが稼げる。ロスト・モードは互いのレベルは関係ねえ。星一つでポイントが固定だからな」
初心者狩りだ。
ガラの悪い男二人が男の子を囲ってにじり寄っている。装備レベルやプレイヤーのスキルはわからない。だけど体の使い方、足の運び方、武器の扱い方。なによりこんな所で弱いものいじめをしているヤツに負ける気がしない。……そして何より”絶対に”許せない。
私は身を低くして男の子の”チーム受理範囲”に駆け込むと、
「パネルの右上、赤くなってるでしょ! そこ押して!」
「は、はいっ!」
彼は慌てて操作する。ロスト・モードのチーム戦設定で私は残りの一枠へと追加される。
「んだっよ! 邪魔すんな――って、お前まさか”リベンジ・ソード”か!?」
リーダー格の男が一瞬怯む。
「弱いものいじめなんて――許さない」
「まて! 違うんだ。俺たちは正式なデュエルをだなっ!」
「初心者の操作ミスに付け込んでロスト・モードで正式なデュエル? そんな言い訳が通用すると思ってるの?」
はぁ。どこの世界でもいっしょだ。
先生に見つかったらいいわけをしてなかったことにする。
気に入らないことがあったら暴言、暴力で黙らせる。
本当に世界は醜い。
私の居場所はここだけなんだ。だからここでは、私の目の前にそんな世界は許さない。
再び身を低くして突撃。切り上げるように一撃を放つ。――思ったより装備が硬い。ならっ!
私はスキルセットを呼び出して連撃を放つ。VRゲームだからこの動きも何度も何度も体が覚えるまで練習した技だ。システムのアシストはあるものの、基本的な動きが実際に出来なければ、スキルを持っていても扱えないのがこのゲームのウリでもある。
どうしても強くなりたいから必死に練習した。体力もないから朝だってジョギングを欠かさない。
もっと、もっと強くなりたい。
何連撃したかはわからないけど、気づくと男のライフゲージはゼロになり消滅。ロスト・モードのルールが適応されて私は星を手に入れる。
私は残りの一人を睨んだ。
「ひぃっ! ま、まってくれよぉ……俺たちが悪かった。だから頼むっ! 星だけは、星だけは奪わないでくれ!」
「アンタたちはロスト・モードのデュエルを選んだ。その意味、わからないなんていわないわよね?」
ロングソードの先端を向けて宣告の代わりにする。再び翔けて振りかぶる。――がヤツは大型の盾を展開して一撃を受けきった。
しまった。こいつがタンクだったのか。さっきの男の防御力も高かったからてっきりそっちかと。
あっけなくソードは折れ、相手もそれを見逃さない。盾の裏からアックスを取り出すモーションが見えた。
だけど遅い。
懐から短剣を取り出し握りしめる。
ふと、一瞬だけ思考がよぎる。きっと”こんな感じ”なのかもしれない、と。
そしてそのまま相手の胸に突き立てた。急所へのクリティカルヒットでこいつのゲージもゼロになり消滅した。
星二つ分のポイント。思いがけない収穫だ。
「あの、ありがとうございます」
「キミ、初心者だよね?」
「はい。今日始めたばかりで。操作がよくわからなくてメッセージを押したらいきなりあの男たちが襲ってきて」
まあ初心者なんてそんなものかも。でもロスト・モードだけは注意しないといけない。
「覚えておきなさい。ロスト・モードは正真正銘負けると”アカウントがロスト”するデュエルモードよ」
「データが消えちゃうってことですか?」
「そうよ。パネルを見て。左上に星が三つあるでしょ?」
このゲームの代名詞とも言える剣。それが五本で五芒星を形どっている星マーク。これはゲーム内において命そのものだ。
「ロスト・モードでデュエルを受理すると自動的にこの星が賭けられるわ。負ければ星をロストして、勝者に大量のポイントが入る。勝っても星は増えないわ。……そしてこの星を三つ全て失ったらアカウントがロストされる。これはそういうゲームなのよ」
「そうだったんですね。気をつけます」
「気をつけますじゃないわよ。それにアンタ2on2で受理したから負けたら星二つ失う所だったのよ?」
それから私はしばらくこの初心者の男の子に説教をしてしまった。
どうしてかわからないけれど、多分目の前で弱い者いじめを見てしまい、気持ちが昂ぶっていたからかもしれない。
初心者には優しく接してあげないとゲーム人口が増えないから本当は説教なんてよくないんだけど……。
「まぁアンタのおかげでポイントがたくさん手に入ったから、これは全部あげるわ」
コントロールパネルを互いに開いてポイントを移動させる。
「こ、こんなに!? いいんですか?」
「私もちょっと言い過ぎたわ。ごめんなさいね。まぁこれだけあれば装備一式揃えられるから、よくルールを勉強してしばらくは練習することね」
もう一時間は経っただろうか。そろそろ寝ないと明日も学校だ。私はログアウトしようとパネルを開くと、
「あ、あの!」
「なに?」
「おすすめの武器ってなにかありますか?」
「うーん、そうねえ」
相手は初心者。
プレイスタイルも戦術ももわからない、というか決まってないだろう。
でも、なんとなく、
「短剣だけはやめておきなさい。あんまり使える武器って言えないから」
そう言い残して私は今度こそろログアウトして現実へと戻る。
少しヒートアップしたせいか、全身にしっとりと汗をかいていた。
面倒だけどもう一回シャワー浴びるか。
二階の自室を降りて台所の前を通り、風呂場へ向かおうとする。
台所を見て思い出す。
今日買った包丁。
机の奥に大事に大事にしまった私だけの相棒。
さっきの短剣の手応えを思い出す。
「そっか、あんな感じなんだ」
ゲームの中とは打って変わって弱気な声。そんな自分が嫌だ。
でもやれそうな気がした。
学校で私をいじめ続けるあの女。
私の居場所を奪い、日常を脅かす張本人。
学校で、放課後も、時に休日だって――。
私はあいつを許さない。
復讐する。
殺したい。
殺意しか無い。
「うん、大丈夫。私、殺せそう」
今日一番うれしい声が出た。
だからもっともっと練習しよう。
せっかく”リベンジ・ソード”って呼ばれるようになったんだ。強くならなくちゃ。
『初めて包丁を買った日の夜。私は確信した。うん、大丈夫。私、』 あお @Thanatos_ao
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