第9話 ぼっちと魔法少女と初めての友だち



「手強い相手でしたね……」

 

 ふうといい運動したとばかりにミハが手の甲で額を拭った。もう片手の指先でバスケットボールが回転している。背後のバスケットコートには、人型バージョンたちが崩れ落ちたり、寝転がったり……ともかく、敗北に打ちひしがれている。


 なんていうかバスケットボールには、あんまり詳しく無いんだけど酷い試合だったのは間違いなかった。

 普通、コートの端から端までシュートは飛ばないし、端から端までひとっ飛びでダンクシュートは決まらない。途中消えてたのは、もう気配が薄いとかじゃなくて足が早すぎるからだよね?


「バスケットボール、得意なんだ」


「全然。漫画知識しか無いよ」


 ミハは無邪気な笑顔で首を横に振る。これは本当に、かなり酷いと心の底から私は思った。魔物のことを気の毒だと思うくらいには。


「えっと……とりあえず、出れそう?」


 周囲を見回しても特に変化はない。目に痛い緑一色の体育館に代わり映えはない。


「……ベリアル?」


「……確実とは言っていない」


 非難する視線から居心地悪気に目を逸らすベリアル。デフォルメされているけど感情の動きがよく伝わってくる。


「……そっかあ」


 私も委員会での仕事歴はそれなりになる。けれどここまで大きな魔物の攻撃を受けたことはない。そもそもこの規模の攻撃を受けたらそのまま死んでしまうのがほとんど。たまに脱出してくる凄腕もいるらしいけど私は会ったことがない。

 だから私も2人を頼りにするしかない。情けないなと自分でも分かってる。


『負けたく、ない……!!』


 だから何か他のアイディアでも出そうとした、その時だった。


『負け、なぁぁぁぁぁいいいいいいいいいいいいいいい!!!!』


 叫び声。心の底からの敗北の拒絶。現実を認められないアスリートの絶叫が体育館の中に響き渡った。鼓膜が揺れる。視界が揺れる。私は、立ってられなくなって、自分でも気づかないうちに膝をついていた。

 文字通り、体育館が揺れていた。


「なに、これ……」


 揺れすぎて気持ち悪い。それを堪えて見たものは、あまりに意味が分からなかった。

 理解を拒む形状。理解してしまうと心や精神が壊れてしまいそうな造形。神様が悪意を込めて練った泥の人形。

 それは手だった。絶叫する手。無数の人型の魔物が寄り合ってできた叫ぶ大きな手。手の輪郭をした無数の線の集合体。その中央に開いた口が叫んでいる。

 

『負けてない!! 負けてない!! 負けてない!! 負けてない!! 負けてない!!』

 

 諦めの悪さの権化だった。つまり、そういうことなんだ。

 誰かの負けたくない、負けていない、負けない。そういう気持ちに魔物は結びついた。

 そこまで限界。もう見たくない。もう考えられない。耳を両手で塞いで、私は床に転がっていた。

 塞いでも声は聞こえる。不十分。耳栓なんてない。鼓膜を破るしかない。とまで一瞬で決心した。多分、その時の私はおかしかった。

 あの声が、あの姿が私の頭を狂わせる。


「っ……! ベリアル!」


 ミハの声が聞こえる。体を倒して、そっちに目を向けた。どうやってこの状況を打開するのか気になった。


「承知した。そこのボールを使おう」


「使う?」


「返してやるのさ」


「なるほど」


「やり方は任せる」


「うん、分かった」


 短い言葉のやり取りで意見をまとめると、ミハのつま先がバスケットボールを蹴り上げた。当たり前だけどボールは一瞬で私の視界から消え失せた。見上げると天井すれすれで回ってる。


「価値無し! 意味無し! 等しく無価値!」


 低い声。ベリアルの声。あの魔物の声より低いせいかおかしくなりかけの私の耳にも届く。これ、なに? だけど私の疑問符を押しつぶすみたいに声が頭に響く。頭が割れてしまいそう。


「汝、ここに在るべき価値無し!」


 左の掌を前に、右手を腰だめに引き絞る。空手の正拳突きみたいな構えをミハがとる。


「ホラーも青春も! ついでにスポーツマンシップとか体育会系も! みーんなまとめて無に還れ!!」


 ぎゅっと引き絞ったミハの右のガントレットから青と黒の炎が吹き出た。

 このセリフってなんか言わなきゃいけないやつなの? 素朴な疑問が浮上する。ていうか青春は滅ぼさなくていいと思う。すごい私怨を感じた。


「ベリアール──!!」


 床にブーツが食い込む、ひび割れが広がる。ぐっと握った右手がさらに強く炎を纏って輝き──ボールが重力に引かれて落ちてきた。


「「インッ、パクトォ!!」」


 直後、爆音、衝撃波が私の体を打つ思わず私は、目を逸らしたというより見てられなかった。目が焼かれてしまいそうだった──背中越しでも分かる青と黒の瞬きの直後、叫び声が止んだ。反響していた声も徐々に消えていく。

 それを認識するのに十秒以上はかかった。

 耳に突っ込んだ指をゆっくり抜いて、床の次に見たのは、


「なるほど……」


 ぱすんと元気のない様子で転がってきた後、ぐしゃりと球体を保てなくなったバスケットボール。

 ミハは、これを殴って返したんだ。間違いない。

 だって魔物の大きな手にが開いている。これでもう叫べない。口が無くなってしまったんだから。


「デタラメだよ、こんなの」


 頭痛い……。起き上がるのが億劫になって、私は床に転がった。冷たい床が心地いい。


「だ、大丈夫!? 私が早く止めなかったからっていうかちゃんと倒しておけば……。ああもうバスケだなんてやらなければ……!」

 

 床に転がった私の横に屈んだミハがアワアワとうろたえてる。


「大丈夫ぅ……。ちょっと頭痛いだけ……」


 どうにも力が入らない。さっきの叫び声の影響かな。


「……ありがとう」


「え? 何が?」


「助けてくれてってこと」


「それは当然だよ」


 その、ほら……。なにか判然としない風に、ミハは口をもごもごとさせると。


「私たち、友だち、だし?」


「……友だち」


「あ、気に障ったらごめんね? 急に友だちとかなんか変だよね。私もこういうの言ったこと無いし……。わざわざ言うのって……なんかちょっと気持ち悪いかな」


 ついさっき言われたことなのに頭から吹っ飛んでいたベリアルの言葉を思い出す。

 ──ミハと友だちになってほしい。


「そうね……」


 別に嫌なわけじゃない。でも私は、この子を監視している。委員会のために、この都市の為に。

 それでもいいとベリアルは言った。私は……。

 

「友だちだもんね」


 友だちになることにした。

 差し出された手を握る。近くにいるほうが監視するにも都合がいいと自分に言い聞かせながら。


「……嬉しい」


「……もしかして」


「もしかしなくても泣いてる」


「そんなに嬉しかったの?」


「嬉しいよ。ほんとに嬉しい。高校初めての友だちだもん」


 崩れ落ちる体育館の中心で、私たちは、向かい合っていた。

 天井が壁が細かく砕けて粒子のようになって闇に溶けていく。その光景がやけに幻想的で美しく見えた。

 人型の魔物たちも、その体も想いもすべて引き連れて緑の部屋が消えていく。

 もうこの七不思議は現れない気がした。


「これからよろしくね」


「ええ、よろしく」


 笑みに隠した友だちになる理由が私の胸で刺さって、微かに痛む。

 これも全部、都市の為、委員会の為、父さんの為、私の為。

 この子も、そこの悪魔も利用する。


「ところで放課後空いてる?」


「空いてるけど……?」


「……スタバいかない?」


 それはそうと、せっかく友だちができたからやりたいこともある。こっちとら委員会活動で万年ボッチなんだから!


「ふふ、下手なナンパみたい」


「……心外だ」


「うんうん……」

 

 ……この腕組みにこにこねっちゃり微笑んで、私らを見てる悪魔はなに?

 

「美しいなあ……ぱしゃり」


 ミハを撮ってたチェキをいつの間にか私らに向けていた。じーっと印刷されてきたチェキを見て、またうんうんと頷いてる。


「誰も撮っていいって言ってないんだけど?」


「お前の分もある」


「……今度は、撮る時言って」


 こっちだって色々準備したい。


「自然体でなくてはだめなんだ」


「なによそのこだわり……」


 

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