第5話 ぼっちと悪魔と魔法少女



 トーキョーメガフロートは、世界有数に危険な都市だ。

 私たちの祖父や祖母の住んでいた頃の東京とは似てるのは一部の街並みくらいで、内容物はかけ離れている。難民の増加や武器の流入で犯罪も増えた。有名なテロ組織も潜伏してたり、ヤクザにマフィアがしのぎを削ってたり警察も大変。

 それよりもっと怖いのは、海の底からやってくる魔物たち。旧東京から生まれた魔物たち。基本的に魔物は見えなくて、人に寄生したり人の魂を取り込んで悪霊になったりする。それに力ある魔物は自らの力で怪物の姿を手に入れて海の底からやってくる。


「それでいうとあの悪魔が魔物なら近年稀に見る最悪の存在でしょうね」


 私の、白銀ココの覗き込んだ双眼鏡の先で、人間一人と悪魔が一体、屋上でのんびり昼食をとっている。

 真っ白な、雲よりも雪よりも白く輝く白髪と私と同じセーラー服姿の黒霧ミハ。

 彼女を私は監視している。あの悪魔が現れるよりも前から。


 先日、見失ったと思ったら翌朝、あの悪魔が彼女の隣に浮かんでいた。理解不能。幻覚や頭の病気を疑ったけどどうやらそうじゃないらしい。

 あの悪魔は実際に、黒霧ミハの隣に浮いている。


「不気味……」


 あの黒い体色、金色の目、鋭い牙。マスコットみたいな外見だけどどうみても異常。魔物……だとは思う。資料にもない。未確認の、海底からやってきた存在なのかもしれない。

 あの悪魔自体は、他の人、黒霧ミハと私以外には今の所視認できていないみたいだ。



 ──登校中、モノレールであの悪魔を見えているような人間は見当たらなかった。


 ──授業中、爆睡している黒霧ミハの隣に浮いている悪魔を気にしている人間もいなかった。



 見ないように見るのが大変だった。特に後者は、思わず凝視しそうになった。なにより意味不明だった。

 

「授業中、教室の隅でキャベツを刻み始めた時は何事かと思ったけどそういうことだったのね……」


 双眼鏡の向こうに答えはあった。悪魔が小さなタッパーを取り出している。中にはサラダらしきものが見えた。料理のできる悪魔。黒霧ミハの反応は芳しい。


「…………いいの。おにぎり、美味しいし。ちゃんと味噌汁もあるもの」


 別に負けてないんだから。傍で湯気をあげるカップから味噌汁をゆっくり啜る。うん、メーカーさんの努力が感じられる。おにぎりにも合う。パーフェクトなお昼ごはんだと思う。

 

「日本人たるものお米よ」


 それはそうと。


「そろそろ報告した方がいいよね」


 報告というのは、黒霧ミハを見張るように私に命令した上司への報告。

 私は、学業の傍ら、トウキョウ・メガフロートの環境維持保全委員会に所属している。表向きの業務内容は、都市環境維持システムの管理点検維持。他の業務に、魔物の対策、駆除、捜査、その他魔物への諸々がある。その一環で、私も黒霧ミハを見張っている。

 ある事件に巻き込まれ、一人だけ生き残った彼女を。

 だから上司に報告するのは当然の行動──というかちょっと遅いくらい。当然、義務がある。

 

「当然、なんだけど……」


 遅くなってるのは理由がある。正当な理由とはいえなくて、委員会の上司や同僚に面と向かって言えない理由が私の胸の中にある。

 報告を悩むのは初めてだ。

 私のこれまでの人生、委員会での活動が人生の一部になった時以降で初めての経験。

 あの悪魔を見てから何かが胸でざわついている。


「とりあえず、今は観察を──」

 

 その時、世界が緑に染まった・・・・・・・・

 

「え?」


 緑。緑。緑。薄く、濃く。黒霧ミハを監視するため、向かいの校舎の屋上に私は入り込んでいた。屋上のそこら中、空も床も壁もありえないほどの緑色だった。

 

「もしかして……」


 あまり考えたくないことが思い浮かぶ。


「ほんとに私、頭がおかしくなった……?」

 

 あの悪魔は、本当に私の幻覚だったの?


「いや、そんなわけがない。実際に緑なんだ。私の頭とか目がおかしいわけがない」

 

 私は、緑じゃない。服も肌も緑じゃない。おにぎりだって、味噌汁のカップだって緑じゃない。


「だったら、つまりこれは……」


 理解した。そうだ。この学校に七不思議があった。緑の部屋。あれは本物だったっていうことになる。部屋どころではなくなっているけど。

 本物。人間の作り出した情報に寄生した魔物、という意味での本物。

 魔物は、人間に寄生して、人間の世界に入り込んできている。

 時に人の頭、人の心、人の情報。あらゆる人という存在の紐づくものに魔物は寄生する。

 人の敵、人の社会の害虫。確実に相容れない存在。

 だから私たち環境維持保全委員会は、人の為に、都市の為に、トーキョーの為に魔物を駆除する。


「こんなの部屋どころじゃない……!?」


 でも実際この色は、七不思議の一つ、緑の部屋と同じに思える。


「ということは、つまり」


 部屋の主。よくわからないもの、というのがいて。


「襲ってくる──!!」


 太もものホルスターから拳銃を抜く。魔物には物理攻撃が有効な場合もあるからこうして私は拳銃の所持を許されている。魔物はまだ見えない。だけど抜けなくなるより抜いたほうがいい。

 周囲を見回す。屋上であることは変わらない。色だけが変わっている。まだ魔物らしき影はない。見通しはいいけど相手は魔物。どこから来るか分からない。警戒しなくちゃ。


「きゃっ!」


 後ろから腕を掴まれた。どこからともなく現れた手が私の腕を掴んだ。太くて、硬くて、大きい男の人の手。いや、それよりも後ろはついさっきまで何もいなかったのにどうして!? 

 思わず振り向いた私は、嘘……。と目を見開いてた。


『女だあ』


 なにかが床をすり抜けて現れてきていた。もう片手を床についたそれは、黒い線の集合体で、輪郭が人の形をしていた。

 太い指、大きな掌、太くて長い腕。大きな体。私の身長を遥かに越した男の体だ。

 多分、これが緑の部屋のよくわからないもの。すごい力。振りほどけない。銃口を向ける事もできない。


『女だあ』


「くそ、離せ……!!」


 同じことを繰り返す黒々とした口が、よくわからないものの顔面にあたる部分に開いている。床の中から足を引きずり出し近づいてくる。口端が持ち上がり、三日月形になる。

 笑っている。このよくわからないものは、私を前に笑っている。


「許さない」


 もう片方の拳銃を抜く。左手で太もものホルスターから引き抜いて、引き金を弾く。目標は顔面!

 

「くっ、そ!」


 腕ごと体を動かされたせいで弾丸が当たらなかった。頭とは別、肩に当たった。


『女だぁ』


 効いていない。ニタニタ笑いが取れない。痛みを感じてる様子がない。どうやらこのよくわからないものには、弾丸が通じないみたいだ。穴は開いている。弾丸が弾かれたわけじゃない。何度も当てれば倒せるかもしれない。

 でも、それができればの話。


「がっ……」


 両腕を掴まれてコンクリートの床に叩きつけられた。肺から酸素が吐き出される。背中に鈍痛が走る。頭がぼやける。声が出ない。手から拳銃が弾き飛ばされる。私の手が届かないところで空転して、からんと虚しく鳴った。


『女ぁ!!』


 首筋に生暖かい息がかかる。このよくわからないものは酷く興奮していた。何をする気?と疑問符が浮かんだ。


「……え?」

 

 びりりりと音がした。


『女ぁ!!』


 服を引き裂かれた!? 外気に晒されてすっとなった背部に、一瞬遅れて私は気づいた。羞恥に頬が熱くなる。それよりも怒りの方が強かった。


「やめっ『ひひひひ!!』──っ!」


 床に顔を押し付けられて声を出そうに出せなくなる。同時に、剥き出しになった尻を歪めるように硬いものが押し付けられた。

 嫌、嫌だ。それは絶対に嫌。嫌よ。何を押し付けられたか分かってしまう。硬くて熱くて。強い脈動を感じるもの。ふざけるな。許さない。殺す。やめて、やめてよ。

 もがいてもがいて、死ぬ気で振りほどこうとする。けどそれはやっぱり無駄で。


「やめて……!!」


『女ぁ!!!!』


 近づいてくる絶望に声を上げた──瞬間、何かの砕ける音した。


「痴漢撃滅!!」


『ぎぃ!?』


 悲鳴。同時に私の全身を抑え込んでいた圧力が無くなった。ゆっくり振り返り、私は思わず呟いた。


「黒霧、ミハ……?」


 そこには、知っている顔があった。黒霧ミハ。一度見て、この見事な白髪を忘れられるはずがない。私は、人混みでも彼女を一発で見つけられるくらいには目に焼き付けている。

 だからこそ気になるところがあった。


「え? あー……えっと……?」


 どなたという顔をしている黒霧ミハ。当たり前だけど私は話したこと無い。だからクラスメイトの振りをしておく。ごく普通に振る舞う。この異常に巻き込まれた一般人のように、自分を監視している人間であるなど欠片も悟られないように。


「黒霧さん? その、格好って……?」


「へ? あっ、あはははは……」


 着物と袴? 手にはガントレット? そんな謎めいた格好をした黒霧ミハは、苦笑いを浮かべた。


 

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