第九交響曲

増田朋美

第九交響曲

やっと冬らしいなと思える季節になってきた。そうなると、また世の中が変わると思われるが、杉ちゃんたちは、相変わらず製鉄所と呼ばれている支援施設で、和裁の仕事をしていたり、水穂さんの世話をしていた。

突然、製鉄所の玄関引戸がガラッと開いた。

「こんな寒いのに誰だろう?」

と、杉ちゃんがいうと、

「杉ちゃんいるか?ちょっと聞きたいことがあってこさせてもらった。」

そういいながら、どかどかと音を立てて入ってきたのは、アマチュアオーケストラで指揮をしている広上麟太郎であった。実をいえば杉ちゃんも水穂さんも、彼が苦手だった。

「一体どうしたんですか?オーケストラの練習は、順調に進んでいるのではなかったの?」

水穂さんが、そういうと、

「おう、実はさあ、オーケストラのメンバーから、ベートーベンの第九をやりたいという要望が出たんだ。だから、ぜひ実行したいんだけど、打楽器奏者がいなくて困っているんだ。だれか、やれそうなものはいないか、お前の伝手で、知っているやつはいないかと思ってね。」

と、麟太郎はいった。

「あいにく、打楽器奏者は僕の知り合いにはいません。ほかを当たってください。」

水穂さんがそう言うと、麟太郎はとても残念そうな顔をした。

「お前の知り合いで誰かいないかなあと思ったんだけど、本当にいないのか?」

「いませんよ。打楽器を叩くなんて、そんな人は見たこともありません。地元の吹奏楽部を出た人とか、そう言う人を当たってください。」

水穂さんがそう言うと、ガタンガタンガタン、ドスーン!というけたたましい音がした。

「ああ、また彼ですね。いつものことです。」

と、水穂さんは言った。

「いつものことってなんだ?」

麟太郎が聞くと、

「はい、いま製鉄所を利用している男性なんですが、学校にも家にも居場所がなく、ときどき、ダンボールをひっぱたいて、怒りを発散させるんです。」

と、水穂さんが言った。麟太郎はその演奏を聞いた。

「それならこいつがいるじゃないか!」

麟太郎は手を叩いた。 

「こいつがいるって何?」

杉ちゃんがいうと、

「リズムよくダンボールを叩いていて、打楽器奏者に、ぴったりだ。こいつをぜひ、うちのオーケストラのメンバーにしよう!水穂、彼の名前は?」

麟太郎は強制尋問しているようにいった。

「バカを言わないでください。彼に打楽器をやらせるって、そんなこと無理に決まってますよ。彼には、発達障害のようなものがあると、影浦先生からも言われました。そんなこに、オーケストラの一員が勤まりますか?」

麟太郎に対等に話ができるのは、同じ音楽学校で、同じクラスだった水穂さんだけであった。

「そんなものどうだっていいんだよ。俺からしてみれば、そういう病名をつけて、社会から隔絶してしまうのは良くないと思うぞ。車椅子のやつが入っている合唱団だってあるんだし。よし、決めた!あのダンボール少年を俺たちのオーケストラのメンバーにしよう!」

「広上さんは確かに指揮者だから。」

水穂さんは、辛そうにいった。

「巷では、偉い人と言われて、なんでものぞみが叶うようなことを言いますけど、それのせいでどれだけの若い人が挫折しているのか、ちゃんと考えてから発言してください!」

その言葉にも、動じないのが麟太郎だった。水穂さんにそう言われても、反応はこうである。

「そういうことなら、俺はダンボール少年をオーケストラに入れてやる。そいつだってどうせ、一般的な仕事を臨んでもできないだろうから。そのくらい、俺でも知ってるよ。だったら、オーケストラのメンバーにしてやったほうが、居場所が確保できてめでたしめでたしだぞ。」

「そういう意味で、いったわけではないんですけどね。」

水穂さんはがっかりしていった。

「もう、細かいことは、気にしない。ダンボールを、叩いて暴れるのなら、ティンパニを叩いた方が、よほどいい。早く名前を教えてくれ。すぐに交渉するから。」

水穂さんはなんで通じないのかな、といったが、杉ちゃんが脇から入り、  

「西尾晴臣。」

と、ダンボールを叩いた少年の名前を言った。よっしゃ!と声を上げて麟太郎は、その少年の居室へ直行する。

「西尾晴臣君だね。君のダンボールの演奏を聞かせてもらった。手っ取り早く話をしようか。いま俺の主宰しているオーケストラで、打楽器奏者がいないので、君にティンパニを叩いてもらいたい。どうだ、やってくれるか?」

西尾くんと言われた少年は、20代そこそこのまだ、若い少年であったが、長らくいじめられたり、家庭で放置されたりしたことが災いしたのか、とても老け込んでいた。 

「そんなにダンボールを叩くのなら、ティンパニを嫌なやつだと思って叩けばいいのさ。嫌なやつはどこの世界にもいる。それを消すのは本当に難しいよね。それなら、いやなやつをやっつけるつもりで思いっきり叩いてくれればいい。そして、みんなと一緒に、第九交響曲を作り上げ、オーケストラを盛り上げよう!どうだ、やってくれるか?」

麟太郎の発言は、とても強制的であったが、車椅子でやって来た杉ちゃんが、

「お前さんの家の事情は、自分でしか解決できないよ。それなら、新しいことを始めた方が、よほどいい。こうして、新しい場所を用意してくれるんだったら、それに遠慮なく乗っちまえ。若いってのは、ツラいことばかりとお前さんはいうが、こういういいこともあるんだよ。よかったなあ!」

と、にこやかに言った。その場であれよあれよと麟太郎は交渉を進めてしまった。そういうふうに、強引に進めてしまうのが麟太郎でもあった。確かにオーケストラにいれば、何でも自分の思い通りになってしまうので、断られるということを知らないというのはある意味本当だった。だからこそ事実を好きなように捻じ曲げて、自分の思い通りに、実行してしまうことがある。というか、偉い人というのは、そういうことばかり繰り返しているのである。

その翌日。麟太郎が手配したタクシーが、製鉄所に、西尾晴臣くんを迎えにやってきた。麟太郎と来たら、しっかり、夜の六時に富士の文化センターに着くように、なんて、うるさいくらい言い聞かせていて、運転手は、全く、あの人は、強引ですなと笑っていたくらいだ。

とりあえず、文化センターに到着して、西尾晴臣くんは、文化センターの中にはいった。入ると、麟太郎が待っていた。

「おお!よく来てくれた。絶対来てくれると思っていたよ。それでは、早速練習場所に来てくれ。場所は、ここのリハーサル室だよ。みんな、君のことを、待ち望んでいたから、歓迎してくれると思うよ。」

麟太郎はそう言いながら、西尾くんをリハーサル室へ案内した。確かに、オーケストラの練習らしく、思い思いに流している楽器の音が漏れていた。それに気後れしてしまう西尾くんだったが、麟太郎は気にしなくて良いと言って、勢いよくリハーサル室のドアを開けた。

「おいみんな。聞いてくれ。今日から、金城さんの後継になるティンパニ奏者を連れてきた。ちょっと若すぎるかもしれないが、そこは皆でフォローしてやってくれ。子供のころにピアノを習っていたことがあるそうだから、楽譜は読めるそうだ。じゃあ、新しい仲間を、迎えてあげような。」

麟太郎はそう言って、西尾くんをメンバーたちの前へ立たせた。メンバーさんたちは、アマチュアのオーケストラと言っても、結構な演奏技術がある人達で、それである程度、偉いと言われている人たちばかりだ。そんな人達は、西尾くんを見て、

「はあ、この人が、金城さんの後継者ですか?」

と、びっくりしたような感じでバイオリニストが言った。

「それで、ピアノは習っていたと言っても、打楽器の経験はあるんですか?中学とか高校で、吹奏楽やってたとか?」

「いや、それは無いそうだ。でも、俺が見た限り、打楽器の才能は十分あるから、教え込めば有能な奏者になれると思う。ちょっと、発達障害というか、そういうものがあるそうだが、まあ、そんなもの、気にしないで、音楽やるときは平等だってことくらいみんな知ってるだろう。だから、新しいティンパニ奏者として、ぜひ、彼に活躍してもらおう。」

麟太郎は、西尾くんに自己紹介するように言った。

「西尾晴臣です。どうぞ、よろしくおねがいします。」

緊張しすぎた西尾くんは、それしか言えないようであった。

「はあ、それだけですか?音大で、何をやってたとか、そういう事話してくれないのですか?」

と、ちょっと高名な感じのヴィオリストが、そういう事を言った。西尾くんは、返答に困ってしまった様な顔をした。

「それで、どこか、海外に留学したりもしたの?」

またフルーティストが言った。

「どちらか、高名な音楽学校でも出たの?」

最初のバイオリニストが言った。西尾くんは、多くの人に言われた質問を同時に処理することができず、答えに困ってしまうことがあった。西尾くんは、一つ一つの答えを考えようとしている様子であったが、いきなり3つも質問をされて、答えがでなくなってガタガタと震えていた。

「そんなんじゃだめねえ。これから、オーケストラで人前に出て演奏するのに、こんなところで緊張しちゃだめよ。その程度のこともできないんじゃ、オーケストラで、演奏なんてとてもできないわよ。」

バイオリニストはまた言った。何故か知らないけれど、楽器を弾く人である程度上手くなると、普通の人を受け入れないというか、バカにしてしまう一面が出てしまうようなのだ。学校の先生なんかにもたまにそういう人が出てくることがあるが、自分が偉いと勘違いしてしまって、周りの人を、バカにしてしまうくせがある人が出てくることがある。オーケストラも、そういう感じだった。

西尾くんは、答えを出すのに思考が混乱してしまって、涙を出して泣き出してしまった。

「まあ、そんな事で、泣くなんて、何も大したことないわね。金城さんの後継者になるなんて、金城さんが台無しよ。そんなんでは、ここでは破っていけないわよ。金城さんのためにも、あなたは安全なところに帰ったほうが良いわ。」

ヴィオリストが、そんな発言をした。すると、一番後ろの席に座っていた、80を等に越していると思われるおじいさんが立ち上がった。

「わしも年をとって、腕の力もめっきり弱ってしまった。それなら、坊主、ぜひ、お前にやってもらおう。」

「金城さん良いんですか?こんな弱々しくて、頼りにならない子に、自分の大事なパートを任せられるはずは無いと思うんですが?」

と、バイオリニストが言った。

「いや、誰でも初めて入るときは、誰でもできないものだ。それで当たり前だと思わなきゃ。できるからと言って、若い人をバカにしては行けないよ。どうせ、わしも、もう第九交響曲は叩け無いし、それならぜひ彼にやってもらうことにしよう。」

「金城さん、ありがとう。音楽を、しっかり理解するのは、奢らないことも必要だ。あまり苦労をしなかった人も、した人も居ると思うけど、若い人をバカにしては行けないよ。じゃあ、今度の演奏会の第九交響曲はぜひ、彼にやってもらおう!」

麟太郎はリーダーらしく、みんなの意見をまとめた。でも、大体の奏者たちは、泣いている西尾くんをバカにしている様な目つきで眺めているのであった。金城さんと呼ばれたおじいさんが、にこやかに彼の顔を見ていた。西尾くんは、それを見て、ある決意を決めたらしい。彼は、団員さんたちの茨をかき分けて一番後ろの席に行き、

「よろしくおねがいします!」

と深々と頭を下げた。金城さんと言われたおじいさんは、

「よし、じゃあまず、スティックの持ち方から始めようね。」

と、丁寧にティンパニのバチの持ち方を西尾くんに教えはじめた。金城さんに教えられながら、西尾くんは、ティンパニを叩き始めた。想像した以上に大きな音が出るので、びっくりしているようなところもあったが、それでも彼は、これが自分の役目だと思ってくれたのだろうか、一生懸命ティンパニを叩き始めたのだった。それを、団員たちは、バカにするように眺めていたけれど、でも、西尾くんは、涙をこぼしながら、一生懸命叩いていた。

「へえ、金城さんと一生懸命やってるじゃないの。」

はじめのバイオリニストがコソコソといった。

「そうねえ。でも、あれだけ泣いていたら、そのうち脱落するんじゃないの?」

ヴィオリストが、バイオリニストに口裏を合わせた。

「まあ、見ていましょう。そのうち彼が脱落するのを、楽しみにしていればいいわ。だって、このオーケストラで、ティンパニを叩けるのは、金城さんしかいないんだから。」

フルーティストは、そう言っているが、でも金城さんの席の近くに、酸素ボンベがおいてあるのに気がついた。確かに、金城さんは、肺気腫であると聞いたことがある。だから、少なくとも、年をとっている事は確かであった。

それから、数週間たったある日のことだ。すっかり寒くなって、年の瀬という言葉がふさわしいのではないかと思われるほど、寒くなった。もう、今年もあと数日で終わりになり、おせち料理や、大掃除の道具などがこぞって売れる季節になった。それと同時に、年末は恒例の通り、ベートーベンの第九交響曲が、盛んに演奏される季節でもある。第九交響曲を演奏する人口は、20万を越えるというが、その中に、偉い人もいれば、そうでない一般人まで、いろんな種別の人たちが、参加できるようになっている。もしかして、こういう一般人も参加できる交響曲というのは、第九交響曲意外無いのかもしれない。

その日も、杉ちゃんたちは、いつもと変わらず、水穂さんの世話をしていた。ご飯を食べろといくらいっても、水穂さんが、食べる回数は、随分減ってしまった様な気がした。それではいけないといくら言い聞かせても、だめだった。二三口食べたらお終いだ。それ以上食べさせようとすると、咳き込んでしまって、食べられなくなってしまうのである。結局、薬を飲んで眠ってしまう。

その日も、水穂さんに、ご飯を食べさせようとして、悪戦苦闘している杉ちゃんのところを、西尾くんが訪ねてきた。最近になって、西尾くんが製鉄所を利用する頻度はめっきり減っていた。多分、オーケストラの練習で、製鉄所に来るどころでは無いのだろう。

「こんにちは。」

と、西尾くんは、水穂さんのところへやってきた。

「ああ、あれ。西尾くんだねえ。なんか雰囲気すっかり変わっちまったみたいだけど。なんか、顔つき、明るくなった?誰かに、良くしてもらったか?」

杉ちゃんがわざとそういう事を言うと、西尾くんは、にこやかに笑って、

「ええ。あの、オーケストラのティンパニの方に拾ってもらって、随分、変わることができました。あの方が、一生懸命特訓してくれたので、第九交響曲を叩かせてもらうことになったんです。だから、お二人に見てもらおうと思って。チケット、ご招待券を持ってきました。これであれば、ただで見られますから、ぜひ、見てください。」

と、杉ちゃんたちに、チケットと演奏会のチラシを差し出した。チラシには大きな文字で、「市民による第九演奏会」と書いてあった。指揮は広上麟太郎。そして、オーケストラは富士管弦楽団であり、合唱は、一般公募して集めたものだという。

「広上先生は、皆素人ばかりだから、声がでかいだけで、何も合唱になってないと言っていましたが、それでも、結構すごいんですよ。僕、素直に感動してしまいました。」

と、西尾くんは言っていた。

「へえ。確かにあれは興奮させる音楽だから、中には怒鳴る人も居るかな。みんなすごい大きな声出して、一生懸命歌うんだろうな。」

と、杉ちゃんが言った。

「ええ、とても、迫力があって、演奏はすごく立派ですよ。だからぜひ、杉ちゃんと水穂さんに、見に来てもらいたいと思って。ぜひ、来てください。よろしくおねがいします。」

西尾くんはそう言って頭を下げるが、

「僕はそれは、見にいけないですね。」

水穂さんは細い声で言った。

「なんで?」

と、杉ちゃんが素っ頓狂に言う。

「行けない事情でもあるの?無いだろう?せっかくこいつの記念すべき初舞台。僕らが応援に行かないでどうするのさ。」

「そうですが、もう疲れてしまって、体力が、もうなくて。」

と、水穂さんは弱々しく言った。

「そうだけど、お前さんだって、彼のオーケストラ入に一役買ってるだろ。それでは、ちゃんと見に行ってあげようよ。ほらあ、こいつがここへ来たばっかりの頃を覚えてるか。もう絶望のど真ん中に居るような顔してたよな。それが何だい、ものすごくいい顔になっちまったじゃないか。それはやっぱり、音楽ってものが、こいつを立ち直らせてやったんじゃないのかな。僕は、そう思うんだけどなあ。どうだろう?」

杉ちゃんがカラカラと笑った。

「いえ、音楽に感謝するんじゃなくて、あの、ティンパニの金城さんに感謝したいです。金城さんが、一生懸命手とり足取り、教えてくれたから、本当に嬉しかった。ああ、こんなふうに僕のこと見てくれる人が居るんだなって、すごく嬉しかったです。だから、一生懸命練習をして、なんとか僕のティンパニも、形になりましたので。」

西尾くんは、にこやかに笑った。

「はあなるほど。それはやっぱり、目の付け所が違うな。普通はそういう人に感謝するという事は、まず無いからね。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「それに、自分が必要とされていると思うことができたら、普通の人以上に立ち直りが早くなる。もう小さな事で、くよくよしちゃいけないぜ。お前さんは、立派な居場所を見つけたんだ。だから、もう過去を見ないでさ、前向きにやって行けばそれで良いんだ。」

「杉ちゃんなんでも口に出してしまうんですね。でもきっと、彼も、奏者として、自覚ができたのではないかと思います。」

と、水穂さんが小さく言った。確かに、一度必要とされていると感じることができれば、自分も周りの人も大事にできるのだと思われるのであった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

第九交響曲 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る