Web小説家には何もできない。

玄納守

そして、もう一度ここで会うことだって

 その少年は、最高にいい奴だった。


 病室が同じでなければ、自分の人生ですれ違うことすらないタイプだ。


「いつも、何やってるの?」


 その少年に話しかけられたのは、ベッドの上でスマホをいじっている時だった。


 正直、最初はうるさい餓鬼だなとも思ったが、病室に二人きりだ。もう三日目になるというのに、まだ挨拶もしたことがなかった。「ご近所づきあいは大事にしろ」とは、死んだ婆ちゃんの口癖だった。


「スマホだけど……ああ、ここ、スマホ禁止だっけ?」


 そういえば、スマホ禁止にしている病院もあったか。もしも、迷惑ならやめるべきなのかもしれない。


「別にいいんじゃない? じゃなくて、スマホで何を見てるの?」


 ああ、そういうことか。ようやく、聞きたいことが分かったが……言いにくい。スマホで見ていたのはWeb小説……いや、見ていたというよりも、書いていた。この闘病記を連載しようとしていた。

 

「Web小説だよ」


 嘘をついてはいない。そう言っておけば、少年は引き下がると思った。


「へぇ、どんな?」


 食いついてきやがった。面倒な子だ。


 年齢はいくつくらいだろ? 声変わりをしていないところを見ると、小学生か? それか中学生か? 体にたくさんのチューブがつけられている。表情はあどけない。


「18禁のエロ小説」


 嘘をついた。そう言っておけば、少年が引き下がると思ったからだ。


 一瞬の間をおいて、ゲラゲラと笑い出した。


「ねぇねぇ、どんなタイトルなの?」


「え? えっと……『下仁田博士のフランス書院講座』って言うんだけど」


「それ、全然エロそうじゃないんだけど?」


 おい、まってくれ。君に分からないだけだ。


「いや、タイトルで、さもエロいって分かると、運営からクレームが来るんだよ! だからみんな、一見、全然エロくないタイトルを付けているんだ。下仁田博士も、ギリギリのラインだからな。でも、内容がフランス書院っていうエロ小説を女子大生に語らせるゼミの話なんだよ。下仁田博士っていう奴が、一度も下ネタを言わないのに、読んでいる側は、下ネタにしか聞こえない、超高度な小説なんだぞ?」


「……ふーん。マニアックだね。Web小説って」


 小学生には早すぎた。パンツやおしっことか言っておけばよかった。確かにマニアックな内容だ。


「異世界ものもあるよ」


「どんな?」


 何故か、小学生に媚を売ってしまった。そして狙い通りに食いついてきた。


「ふふふ。……だが、教えない」


「なんでだよー?」


「下仁田博士をバカにしたから」


「ごめんよ。下仁田博士しか勝たん」


「もっと感情を込めて?」


「下仁田博士しか勝たんっ! いい?」


「許す」


「異世界ってどんな話? 転生もの? 転移もの?」


 ふと、少年の病床を見た。枕元には本がたくさんあった。緑の背表紙は、新潮文庫の星新一だろう。他には電撃文庫の背表紙が見えた。ライトノベルも好きなのだろう。あの背表紙はSAOだな? 分厚い本には、辻村深月や小林泰三。おっと、西尾維新も読んでいるのか。有名どころは押さえているな。狼と香辛料もあるし86もある。いや、めちゃくちゃいっぱいあるな。


 ……しくじった。本が好きな少年に、本の話をしてしまったようだ。


 だが、本好きに悪い奴はいない。気が合うかもしれない。ただし、問題は、本好きにはいい奴もいない。


「ん。ああ、転生も転移もあるよ。Web小説は異世界転生豊富だからな」


「なろう系だよね。今は、どういうのが流行っているの?」


「んー。見た目は異世界転生とかだけど、まったりスローライフとかが増えたかなぁ。あとは設定はかなり変わったのが増えてきた」


「ああ、いいね。ラノベのテンプレ構成は鉄板で面白いからね。設定変化球、大事」


 こいつ、小学生なのにラノベテンプレとか知ってんのか。読書感想文とか、素直に書けなくなるぞ? 


「例えば、この異世界を歩くだけでレベルアップする話、割と好きなんだけど知ってる?」


「どんなの?」


「読みたい?」


「読んで?」


 ん? 読んで? とは? 朗読をご所望か?


 どういう意味かと、躊躇していると、その子は、申し訳なさそうに言った。


「ごめんね。実は、もう目が霞んで、文字が読めなくなり始めているんだ」


 ああ、そういうことね。まあ、確かに、病室でずっと本を読んでいれば、目も霞むだろう。自分もブルーライトカットをする眼鏡をしているが、確かに長時間やってると、目が霞む。


 まあ、いいや。読んでやろう。



   ◇



 もう少し、短い奴にしておけばよかった。キリのいいところで、一旦、止めた。昼飯だ。


「これくらいで勘弁してくれ」


「うん。マジ面白かったよ」


 淡白な感想だ。これを書くのに作家先生が、どれだけ頑張ったのか。超・ヤバ・マジしか形容詞がない小学生にとっては、最高級の賛辞かもしれないけれどもよ?


「でも全然まったり感はなかったね。それはそれで好きだけど」


 おっと? ちゃんと把握してらっしゃるね。


「もうちょっと本格的にまったりした奴とかもあるの? 異世界もの。ソロキャンみたいな奴」


「あるよ。飯食ったら、本格スローライフの奴、教えてやるよ」


 配膳の看護婦が、テーブルを用意して、俺の食事だけを出し帰っていく。


「お、今日は三品。いただきます」


 汁物を口にして、ふと隣をみた。少年は本を広げて、すぐに閉じ、目を揉んだ。目が見えにくいのは本当なんだろう。そう言えば、隣の少年が食事をしているのを見たことがない。


「お前、食事は?」


「ん? ああ、このツインラインって奴。ほら、これだよ。経腸用液。24時間かけて飲むの」


 ……管から取る栄養らしい。


「大変だな」


「慣れたけど。もう半年もこうだからさ」


 入院生活が長いらしい。……異世界食堂系は、紹介するのをやめよう。あまりにも酷だ。しかし、半年も……いや、あまり病気について詮索するのは礼儀上よくない気がする。互いのプライバシーもある。相手は子供とはいえ、プライバシーはある。俺たちは所詮、知らない人同士なのだ。


「スローライフってさ、例えばどんなの?」


「転移したら山の中だったり、鍛冶屋やったり。……ちょっと、ご飯食べるまで、待って?」


「山の中……ってどっかで聞いた気がする」


「ああ、書籍化もされたから読んだんじゃない?」


「じゃあ、鍛冶屋にする。早く食べてよ」


 おいおい、かしてくるじゃないか。急いで食事を掻きこんだ。



  ◇



 あの日から、毎日、午前に一作品。午後に二作品。夜に一作品、Web小説を紹介している。読み聞かせだ。時には内容をダイジェストにして伝えている。申し訳ない。


 特に夜は厳選した短編にしている。続き物だと、気になって眠れないだろ? 


 毎日、毎晩、その小説について話をして、笑い、一緒になって楽しんだ。


 なるべく完結しているものから選んだ。続きが遅いと困るからだ。今まで、数多くの推し作家のWeb小説を読んでおいてよかった。


 少年が「例えば……」とリクエストする内容に、もっとも近い話をしてあげたが、こちらから「こんな話もあるよ?」と教えてあげた方が、少年にとっては嬉しいみたいだった。


 他人の意外な発想に驚いている。


 ふふふ。少年よ。Web小説家は、似たような話を書いているのではないぞ? テンプレを使って、新しい話を書いているのだ。見くびるなよ?


「例えば、転移転生ものって異世界じゃなくて、過去に遡るのもあるんだ。光秀になったり、マイナー武将になったり。歴史転生もの」


 どれも大ウケだった。


「異世界と現実世界を行ったり来たりするのもあるよ。文鳥に転生した魔法使いとか」


 爆笑だった。


「本格歴史ものもある。ネーデルラントってところの戦争の話とか」


 これはややウケ程度だった。ドンマイ。


 ラブコメは、小学生にも大丈夫なストックがなくて、申し訳ないが、伝えられない。ホラーは本人が断固拒否。ミステリーも人が死なない奴という要望で厳選させてもらった。


 その朗読の合間を縫って、カクヨムコンに出品する作品を書いている。コンテストに参加したところで、本気で賞を狙えるとは思ってない。参加することに意義がある。……まあ、暇なのだ。入院中はすることがない。


 

  ◇



 さすがにそれを十日も続けていると、ネタが切れてくる。読んだWeb小説のストックも切れてきた。本当はまだあるが、小学生に紹介出来ないネタが多い。


「例えば、やさぐれたウサギが主人公とかってないの?」


「あるさ。Web小説には何でもあるよ。君の想像をはるかに超える小説がある。話そうか?」


「例えば、ロボットと少女の恋愛とか」


「もちろん、あるよ。魔法少女とアンドロイドだけど。泣けるんだわ。話そうか?」


「例えば、大仏が動き出すとか」


「最近は国立競技場が宇宙船になる奴がある。これ、割と真面目なSFなんだよ。話そうか?」


「Web小説家、すごいな。何でもある……」


 少年の病気は治らないらしい。出会った時に、あと数か月の命だったそうだ。少年の母親が、毎日、遊んでくれる同室の患者に感謝して、明かしてくれた。俺は病院に頼み込んで、退院後も、毎日、朝から面会できるようにお願いした。


 少年は日に日に衰弱していった。三カ月、毎日のように病院に通った。


「全部で1000の話を紹介したら、きっと治るからな。諦めるな?」


 もう少年の目は見えなかった。とっくの昔に見えなくなったらしい。それどころか、息をしているのも苦痛な様子だ。この数日は喋ることも出来ない。耳が聞こえているかどうか……怖くて確認できなかった。


「今日は、一番面白い話を見つけてきたから、紹介させてくれ」


 もうずっと前から、Web小説を探すのをやめていた。全部、俺が作った話だ。


「フィリップ・K・ディックみたいな話だ。絶対好きだと思う」


 少し微笑んだように見えた。この少年が割と好きなのが、ディックのような、ちょっと癖のある短編だ。Web小説には、そういうのがたくさんある。俺が好きなジャンルのひとつだ。


 機械から危険を知らせるブザーが鳴り、廊下を看護師が走る音が聞こえた。


 たくさんの話と一緒に、どこかに転生するといいよ。たくさん、魔法を覚えて、誰からも邪魔されずに、スローライフを楽しんできてくれ。どんな職業になってもいいし、どんな時代に行ってもいいから。



 ……Web小説家には何もできない。


 ──だけど、Web小説家は何だってできる。



「始めるよ? 『その少年は、最高にいい奴だった』……」


 時間を再び、文頭に戻すことだって。そして、もう一度、ここで会うことだって。


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