番外編:きずのあと

「ありがとう、父さん」

「いやいや、恭ちゃんのお願いならお安い御用だよ。それにしても胸はないけど可愛い子だねえ。どことなく結ちゃんに似ているような気がするし。というか……どこかで見たような」

「それ以上は詮索するな」

「えー、意地悪」

 いい年して拗ねた子どものようなことを言う父親を病室から追い出す。俺はまだこの病院の医師ではないので勝手に医療機器を使うことはできない。だから怪我をした那由の診察や治療を代わりにやってもらうことにしたのだ。外科は本職ではないが、これくらいの外傷を診ることくらいはできるだろう。その予想は当たり、ふざけた口調で冗談めいたことをいろいろと垂らしながらもきちんと処置まで行い注意事項も文書で記してくれた。しかも有難いことに入院手続きまでやってくれるらしい。流石医院長。

 父さんが部屋から出ていったのを見届けて、改めてベッドで横になる那由を眺めた。HO2の表示から熱を出していることが分かる。炎症のせいかストレスのせいかは分からず、長引くようなら検査が必要と言われた。いずれにせよ病状が悪化したら即座に対応できるというのが病院だ。その点は恐れる必要はない。


 名前のないプロジェクトでの一悶着があった後、高塚の車で病院へ運んでもらい、何故か退院措置が取られていた那由を理由を付けて病室へ連れてきて、父親に診てもらった。最初は起きて問診に答えていた那由も途中で限界がきたのだろう。処置の途中で眠ってしまった。とっくに面会時間は過ぎているが、そこは医院長の息子という特例を大いに利用して居座らせてもらうことにする。

 それくらいに、今の那由から離れることは不安だった。 

「那由」

 汗がにじんでいる額を抗菌タオルでそっと拭いてやる。

 俺は那由のことが好きだ。先程そう自覚してしまった。

 純粋で、折れない芯の強さを持っていて。

 我儘な言動もあるけれど裏を返せばそれだけ素直だということ。ひたむきで真っすぐで強かで……俺が今まで遊んできた女にはない魅力を持っている。

 できれば同じ気持ちであってほしいし……そうでなければそう仕向けるまでだと思っている。まあ、あの屋上での那由の言葉を聞く限り、多少なりとも俺を意識してくれているみたいだけど。

「あ……れ」

 那由がゆっくりと身体を起こす。そして自分の状態と部屋を見渡した。

「恭人のお父さんは?」

「ああ、もう診察終わったから帰ったよ」

「私……寝てた?」

「うん」

 寝ていたというよりも気絶に近いだろう。那由は苦しそうに俯いた。

「ごめん」

「何が?」

「いろいろ……迷惑、かけて。元はと言えば私が悪いのに、巻き込んじゃって。私、あんまり人の気持ちとか考えれていなくて、だから一野だってああして私を恨んでいた……私は犯罪者だってことは間違いない。利用されるために生まれてきた犯罪者、で」

 発熱していることもあるのか、見たこともないくらいに弱気になっている。まあ、自分がクビにした男にも、実の父親からも無慈悲な言葉をぶつけられてしまえば、気分が沈んでしまっても無理はない。怖いのはこのまま気分が沈んだきり戻って来なくなることだが。

「俺は無抵抗で巻き込まれるほど馬鹿じゃないつもりだけどな。嫌だったらいくらでも逃げ道はあった。でも自分から巻き込まれに行ったんだ、後悔なんてない。それに、もうお前は自由だ。犯罪者でも利用されるために生きているわけでもない。自由に、自分の好きなことをして生きていけばいい」

 ゆっくりと、子どもに言い聞かせるように告げる。

「好きなこと……」

「コンピュータグラフィック、触ってみたいんだろ? 欲しがってたルビー社のPC買ってくるから、やってみたらどうだ? 熱下がってから」

 那由はじっと自分の手を見つめた。右手は擦り傷があるためガーゼを巻いているが指を動かせないほどではない。

「いいの? 私……自由になって」

「うん」

 どうやらまだ実感が持てないらしい。混乱しているのか手が震えている。

 だから、怪我をしていない右手をそっと包んだ。発熱している割に手は冷たい。

「那由」

 今すぐ抱きしめたいし好きだと言いたいけれど、今はその時じゃないと思っている。

 少なくとも彼女の混乱が収まるまでは、さらなる混乱を与えないように、ただ側にいる味方でありたい。

「大丈夫、俺を信じて?」

 あんな犯罪者や娘の気持ちを無視する父親じゃなくて。今はこれから待ち受ける未来のことだけを信じて欲しいから。那由は俺を見つめると、次第に目からぽろぽろと涙をこぼし始める。

「ごめん、今、頭混乱していて……なんか、わからなくて」

「うん、発熱しているから無理もない。とりあえず寝てな。時間はたっぷりある」

「……うん」

 頭を撫でて、寝るように促す。

 布団を被せれば、那由は膝を抱えるように身体を丸めて目を瞑った。

 俺がついているんだから、絶対に母さんのようにはさせない。不安は早いうちに摘み取らなければ。

 

 数日後、那由は何事もなかったかのようにプログラミングを開始し、告白もまあ成功した。

 那由は組織から足を洗ったし、このまま何事もなく平穏な日常を送ることができると思っていた。 

 数日後にあんなことが起きるまでは。

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