第7話:告白

「那由」

「何?」

「いつまでそうやってパソコンに向かっているつもり?」

「きりがつくまでかな」

 狭い病室にカタカタと規則正しい音が鳴り響く。那由は備え付けの机にノートパソコンを置き、来客用の椅子に座って画面を見つめていた。

 そのパソコンは那由が贔屓しているルビー社製のものだ。テトラ社のパソコンはベッドの脇の棚に段ボールに入れられ収納されていた。

 恭人は別の来客用の椅子に座りながら、ずっと画面とにらめっこをしている那由を見つめる。

 一野にやられた怪我は大分治っている。酷いのは足首の捻挫くらいで骨に異常もなかったが、腹を刺された時の縫合部を蹴られていたと知った時は怖かった。傷は塞がれているといっても健康な部分に比べれば弱いことに変わりはない。また、点滴のカテーテルを強引に抜いた部分はやはり炎症が酷く皮膚科的措置が必要だった。あれから翌日にかけて熱を出したのは、ストレスによるものか傷口から侵入した菌によるものかどちらだろう。幸い今はそれも落ち着いて、捻挫の痛みもなくなり自立歩行ができるようになっていた。後遺症も見られないしリハビリの必要もない。

 しかし、恭人は退院を許さなかった。医院長の息子という権限を大いに利用し、彼女を一般病棟の一人部屋に留まらせたのだ。

 いくら組織が解体されたといっても、誰に目をつけられるか分からない。他の構成員に逆恨みされる可能性もゼロではないし、警察の目だって怖い。組織では高塚と金田と鶴木という男しか那由の居場所を知らないというし、今はまだ病院内に閉じ込めていた方が気分的にも楽だった。

 そんな那由は新しく与えられたパソコンにぞっこんで、恭人の顔すら見ていない。仕方がなく立ち上がり、彼女の隣にしゃがんでその作業を眺めた。

 画面に流れるのはよく分からないコンピュータ言語と数値。よく飽きずにやっていられるなと感心する。自分であれば退屈で途中で寝てしまうとはっきり断言できた。

 おそらく彼女は天性の才能だけではなく、プログラミングに対する強い熱意も兼ね備えているのだろう。

「あのさ」

「あと少し」

「え?」

「あと少しで、昨日から作っていたグラフィックが完成するの」

 画面を見ながらそう答え、指はプログラミングを続ける。随分と器用な真似ができるものだ、と恭人は思った。作業の手を止めるという選択肢がないのはいかがなものかと思うが。


 体調が回復してから、那由はずっとこのような調子だった。

 縛りがなくなり自由にプログラミングが行えるようになったせいか、楽しそうにキーボードを叩いている。しかし、いくらなんでも二日間ぶっ通しはきつい。彼女は消灯時間を無視して夜も殆ど寝ずに作業を行っているらしい。プログラミングに詳しくなくともその作業が常識を逸脱するくらいにきついものであることは想像できる。

 どれほど疲労がたまるのか、考えると途方に暮れてしまう。

 おそらく那由にとっては、これくらいの労働は普通なのだ。組織に属している時は金田に無理な仕事を押し付けられてしまったに違いない。

 しかし、ここは組織の中ではない。それをちゃんと教えなければならない。

 そうしなければ彼女は、無理をやめることも、どこまで言えば我儘であるのかも、いつまでたっても覚えられない。

 それに、そろそろちゃんと話しておきたいこともあった。

 恭人は那由の指を挟みそうな勢いでノートパソコンの蓋を閉じる。もう、まともにとりあっていても埒があかない。

「何」

 那由は初めて顔を上げた。そして、恭人が思ったよりも近い位置にいたことに目を丸くする。

「画面ばっかり見ないでくれない?」

 そう言って、恭人は那由のパソコン用の眼鏡を外して脇に置いた。

「で、でも……」

「せっかく二人っきりなんだからさ、他に話すことあるだろ?」

 那由は忙しなく目を彷徨わせた。すぐ目の前に真剣な表情の恭人の顔がある。どこを見ていいのかが分からないようだ。

「だって、私、これ……まだ……」

「那由」

 那由がコンピュータグラフィックの作成を好きだという気持ちは十分に分かった。しかし、恭人が知りたいのはそちらではない。

「俺さ、もうちょっとちゃんと言うことにするよ」

「な、何を……」

 恭人は、逃げようとする那由の顔を両手で固定した。那由はその手を跳ねのけようと力を入れたが、彼女の力ではどうにも逃れられない。

 顔を真っ赤にし、やがてぎゅっと目を瞑った。

 先ほどまで熱心にプログラミングを行っていたのは、無意識にこの展開を恐れていたこともあったのかもしれない。

「俺は、那由のことが好きだ」

「う……え、」

「我儘で、自分本位で、冷めていて……人間としてどうしようもないところはあるけど、でも真っ直ぐで、純粋で、折れない芯の強さを持っている。その強さは尊敬さえしている」

 焦りであたふたとする那由に比べ、恭人は落ち着いていた。恋心など認めてしまえば単純なものなのだ。それをひしひしと感じている。

「俺は、今まで恋人なんていらないと思っていた。自分が生きてゆく上での足枷になるだけだって……でも、そういうのじゃないんだよな。好きな人に好きって言いたい。好きな人とずっと一緒にいたい……ただ、それだけ」

 那由はおそるおそる目を開けた。目の前には真剣な恭人の顔がある。顔を固定されているせいでこれ以上目を逸らすことはできない。言い逃れはできない。言われてしまえば、それに答えを出さなければならない。

 しかし、既存の式を組み合わせてプログラミングを組むのとはわけが違う。正しい解が存在しているわけでもない。自分の言葉で、自分の心の中を言わなければならない。それがいかに難しいことなのか、那由はもう分かっているはずだ。恭人はじっと彼女の言葉を待った。

「わ、私、なんか、いろいろ……大変な目にあって……最近……」

「うん」

「多分、一人じゃ耐えられなくて……それで……」

「うん」

 拙い言葉に相槌を打たれるのが恥ずかしいのか、耳まで真っ赤に染まっている。

「初めて、人に頼りたいって思って……この人になら頼っても大丈夫だって……思えたのが……恭人、で」

 普段の冷静さはどこかへいってしまった。おそらく那由がこのような姿をさらすのは今が生まれて初めてだろう。声は震え、理路整然とした文句など出てこない。

「私、好きだって気持ちとかよく分からなかった。あんまりいい人と関わってこなかったし、ひ、人の善意とか向けられるの、あんまりなかったし……だから、自信がなくて……理由もよく分からなくて。でも、でも、私はずっと恭人の隣に立ちたいって思うし、寧ろ離れたくないし……側にいて欲しいって思うし……っ」

「那由?」

 那由の両目からぽたぽたと涙が溢れだし、恭人の手に触れる。一瞬焦ったが、すぐに微笑む。泣くほど真剣に考え、言葉を探してくれているのだ。

 それほどに嬉しいことはない。

「なんか、恭人に優しくしてもらえる度に、なんか、む、胸のあたりがきゅってなって、時々、温かくなって……全然考えたことなかったけど、でも、これが……恋心、みたい」

 恭人よりもずっと長い告白をしていることに那由は気が付いていない。自分の思いを自覚し、まとめることで精一杯だ。

「結論は?」

「す、好き」

「ありがとう」

 全てを言いきった安心感からか、那由は本格的に泣き出し、顔から手を放して背中を撫で始めた恭人の胸に縋った。

「何? そんなに緊張することだった?」

「……うん」

「那由がこんなに狼狽うろたえるところは初めて見た」

「…………」

 これは暫く立ち直れないだろう。おそらく那由はこの日を思い出す度に恥ずかしさでいっぱいになる。しかし、それは今日だけにはさせない。

「まあこれからもたくさん、狼狽えさせてあげるけど」

「ひっ」

 恭人は那由の顎に手を添えて顔を上げさせると、そのままキスをした。

 一度だけでは名残惜しいが、このままこの初心うぶな少女が意識を失ってしまえばもっと名残惜しくなってしまうので仕方がなく止める。そして、頭をぽんぽんと撫でた。

「だからずっと俺の隣にいて」

「……か、考えておく」

 一度は人を好きになることはないと思っていた二人は、いつの間にかお互い恋に落ちていた。世界はシミュレーションシステムが導き出した結果のように決まったパターンのみでは構成されない。いくつもの不確定要素が存在する。どうにもやっかいだが、その不確定要素が導き出す幸せもある。

「恭人」

「ん?」

「ありがとう」

 那由は、涙を堪えて笑ってみせた。

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