第6話:彼女が生まれた理由

 恭人は高塚の車から降りるとすぐにビルの様子を確認し、エレベーターを見つけた。

 殆ど廃墟のようなのに何故かエレベーターは稼働するようで、階数を見れば屋上に止まっている。おそらく出発した時間的には那由の方が先についているだろうし、彼女はこの屋上にいると考えていいだろう。

 恭人は無言でそう判断し、エレベーターのボタンを押した。

 途中亜美が駐車場に落ちていた鉄パイプのようなものを手に取ったが特に気にせず、一秒でも早く那由の元へ着きたいと願う。

 妙にゆっくりと上昇したように感じたエレベーターを降りると、外から那由の声が聞こえてきた。


「そんなことのために、プログラムを作っていたわけじゃない! 確かに少し前まで私だって言われるがままにプログラムを作っていた。自分が作ったものがどうなるかなんて考えないようにしていた。でも、本当は違う。医師が人を救うように私だって誰かを救いたい。もう二度と私のプログラムで誰かを傷つけたくはないの」

 ずっと自分勝手な少女だと思っていた。基本的に他人に無関心で、倫理観というものが一部欠けていると考えていた。けれど犯人の前でそう叫ぶ那由を見て、その認識だけが正しいわけではないと確信した。

 彼女は道を知らなかっただけだ。誰かの役に立ったり人を助ける術を知らなかっただけ。

 もし生まれる環境が少しでも違えばもっと表の世界で人の役に立つプログラムを生み出すプログラマーになっていたかもしれないのに、その道を選択できなかっただけ。

 どこまでも純粋で、一生懸命で、だから人を助けるために自らの腹にナイフを突刺すなどという選択ができてしまう。

 そして、そんな彼女を自分は絶対に救わなければならない。


 先に動いたのは亜美だった。鉄パイプを持って果敢に一野の元へ突撃しに行く。

 であれば、自分はそこに倒れている那由を救出するだけ。

 近づけば安心したように気絶してしまったが、出血しているところはないか、折れている骨はないか、用心深く確認していく。亜美は一野を攻撃するだけでなく、置き去りにされたノートパソコンさえもその鉄パイプで壊してしまうが咎める気になれない。ひとまず手のひらの傷と足の擦り傷だけ確認して手当てをと考えていると……背後からコツコツとやけに不気味な足音が近づいてきているのを感じた。


 高塚が距離を詰めてきたわけではないことは分かる。聞こえてくるのはもっと、どこかで聞いたことがあるような、振り向きたくはない嫌な音だ。

「金田さん……」

 と、亜美が小さく呟く。

 金田というのは名前のないプロジェクトの参謀で、私利私欲のために那由を刺した人間だ。それくらいは知っている。プログラムの中でしか面識がなく、相手が自分のことを覚えているのか分からないが、認知ぐらいはされているかもしれない。

 ゆっくりと振り返れば左手を首元にあてた金田がニヤリと厭らしい顔で立っていた。

「あの時ぶりだな、浪川恭人」

「……覚えているのか」

 相手もそこそこ渦中にいた人物だ。記憶に残っていても不思議ではない。

 高塚も金田がここへ来るのは予想外だったようで、彼の顔を見て呆然としている。

「どういうことだ、亜美」

 金田は恭人の言葉に返事をせず亜美に目を向ける。亜美は鉄パイプを持ったまま動揺したように身を縮め、

「その……私は那由さんを助けたくて」

 と、小さな声で告げる。彼らの関係は一体何だろうか。

「お前は今回の件をどこまで知っている?」

 恭人は問い詰める様な口調で金田に尋ねた。

「今回の事件のことでいうなら、一野が俺たちの監視下から逃げ、何かよからぬ計画を立てていたことくらいしか知らなかったな。プロジェクト長が襲われたのは気の毒だった」

 口ではそう言うが一切憐れむような素振りはない。

 一野に目を向けるが、彼は亜美の攻撃によりすっかり伸びてしまい、反応などできそうになかった。

「もうすぐここに警察が来る。その前にプロジェクト長を連れ戻しに来たが、厄介なことをしてくれたな、高塚」

「それは……その、那由ちゃんを助けたかったし」

「まあいい。続きはオフィスで聞く。お前たちも来い」

 金田は恭人に目配せをする。何故自分が呼ばれたのかが分からなかったが、よく考えれば自分は知りすぎてしまったのかもしれないと思う。一応世間では知られることのない裏組織。秘密を知ってしまえばただでは済まされないというが。

 それよりも那由の怪我の手当てがしたいと思いつつ、恭人は一人先に降りていく金田の背中を見送った。


 降りれば金田の姿はなかったが、とにかく高塚の車で言われた場所に向かうしかない。

 恭人は意識のない那由をシートに寝かせると、頭を自分の膝の上に載せる。

 亜美は助手席に乗り込み、高塚が車を動かした。

 車内に暖房がきいているわけでもないのに、じんわりと手のひらに汗をかいている。口の中が渇いて、落ち着くことなどできない。

 うう、と呻く那由の頭を軽く撫でる。すると、彼女の目からつーっと一筋の線ができた。

 普段は冷淡な目をしている彼女が、涙を流している。あの一野という男に何を言われたのかは分からないが、散々暴力を振るわれたことは分かる。頼る味方もおらず、一人で立ち向かうなどどのような心境だったのだろうか。

 シミュレーションシステムの中で、彼女は一度金田に愚痴をぶつけた。おそらくはその時と同じ……もしくは、それ以上の苦しみを抱えているのかもしれない。

 ふと、亜美の言葉を思い出した。亜美は那由の父親から一野のことを聞いたと言っていたが、高塚には金田から話を聞いたと言っていた。金田の名前を出したくなくて、わざと「那由の父親」という架空の人物を作り出した可能性もある。しかし、もう一つの可能性として考えたくない事実が浮かび上がってくる。

 那由は孤児だと言っていた。物心ついたときから孤児院にいて、親の顔も覚えていないと。

「亜美、お前の正体を教えろ」

 少なくともただの高校生などということはない。では彼女は一体何者で、何故那由を知っているのか。どんな目的で動いていたのか。

「私は……」

 亜美は、躊躇いがちに二つに縛っていた髪を解く。さらりと艶やかな黒髪が揺れた。

「まさか」

 その姿に似たものを、どこかで見たことがある。特に左手を首元に添えて相手をじっと観察する目でもしてみれば、既視感の正体もすぐに掴めた。

「ん……」 

 ここで、気絶していた那由が意識を取り戻したようで、ゆっくりと身体を起こす。そして、自分に膝を貸していた恭人のことと、助手席にいる亜美のことを交互に見つめる。

「亜美……?」

 ぼんやりと呟く那由に、亜美は悲しそうに笑った。

「お久しぶりです、お姉ちゃん」

 どうやら、彼女たちは姉妹だったらしい。


 言われてみれば今まで気づかなかったことが不思議なくらい、二人はよく似ていた。癖のない黒い髪だけではない。少し釣り目がちの瞳も、顔の輪郭も。どこかしらに共通点を感じる。それなのに二人の血の繋がりを感じなかったのは、亜美がコロコロと表情を変えて年相応の振る舞いをしているからだった。

 那由はじっと亜美を見つめ、その間亜美も何も喋らない。何故彼女や恭人が高塚の運転している車に乗っているのか、どういう目的があるのか、まだしっかり働かない頭で慎重に推測しているようだ。だから、恭人も敢えて何も言わなかった。何も言わず、車窓を眺める。

 いつの間にか、車窓のに映る景色に無駄に高いビルの群れが混じってきた。いつの間にかもう市街地に戻ってきたらしい。行きのことを考えれば一分や二分で着く距離ではない。きっと、自分の感覚よりも長い時間が経っていたのだろう。

「恭人のことは高塚が呼んだんだね」

 那由が尋ねる。今彼女の思考がどこまで追い付いてきているかは分からないが、ひとまず当たりだ。

「そうだな。お前がいなくなった病室にこいつが迎えにきた」

 と、答えた。

「そう……あ、病室、勝手に抜け出してごめんね。退院手続きとかちゃんとできなくて」

「へえ、お前が素直に謝るなんて珍しいな。たださ、一つだけ」

 俯く那由の左手のパーカーの袖を捲り上げる。先ほど一つ、確認を忘れていたことがあった。

「うわ……」

 露出した自分の肌を見て那由が小さく声を出す。痛みもあるはずだが自覚はなかったのだろうか。肘の辺りにある静脈血管。そこから出血し、現在は血が固まっているものの炎症を起こして膿が出てきている状態だ。丁度、点滴の管を入れていた場所だった。

「血管内のカテーテルを患者が勝手に抜くな。ちゃんと手順を踏まなきゃ止血もできないし、菌が入る原因になる」

「だってそんなの聞いていなかったし……」

「そうだな、だけど……」

 それが常識だ、というのは正しくないと思った。いくら恭人が常識だと思っていても患者側からしたら初めて知ることだ。頭ごなしに怒るのはよくないと思った。

 それに、このような会話は丁度今朝した覚えがある。パソコンを買ってきて欲しいという那由の要望を詳細も聞かず買ってきて言い合いになった。那由もやや目を見開き、今朝のことを思い出しているようだ。

「いや、だから帰ったらすぐに消毒な。それから次はしないこと」

「う、うん……その」

「ん?」

 那由は袖を降ろし、暫く黙った後、

「ごめんなさい」

 と、呟いた。

 車が車道の下にもぐり、勢いをつけて立体映像を通り抜ける。

 その謝罪はパソコンのことか。それとも……これから起こりうる出来事に対してか。はたまた両方にか。

「恭人のこと、巻き込むつもりはなかったのに」

「別に。俺だって避けようと思えば避けるくらいはできた道だ。自分から首を突っ込んだし、後悔はしていない」

 今からどんな話が待ち受けていようと、正面から向き合うしかない。


 車が停止し、那由が先に車から降りるが、直後その場に崩れ落ちた。右の足首を押さえていることから捻挫をしたか、それとも骨をやってしまったかのどちらかだろう。

 そっと触れてみて腫れを確認する。

「いたっ……」

「折れてはない……かな。他に身体で痛むところは?」

「手と……胸とお腹と肩……」

 那由が手で触れるところを触っていく。自分が触れたことのある女性の胸とは違う弾力のない感覚だが、触診はしやすい。とはいっても外科は完全に専門外なので緊急の状態かどうかを探る程度しかできない。骨が折れ、神経を突き破るような状態にはなっていないと思うが、やはり早く帰って診察と治療を受けてもらいたい。

「大丈夫……金田が呼んでいるんでしょ? だったら私も行く。行かなきゃいけないから」

 那由は恭人の腕に捕まるようにして立ち上がった。また無理をしているのは分かっている。本当に彼女は自分を大切にしてくれない。けれど、引き留めることはできなかった。

 那由に腕を貸してなるべく足に負担をかけさせないようにして歩く。

 亜美がその後ろをついていき、高塚が皆を先導した。

 

 エレベーターで最上階に着くと、まるで医学部研究棟のワンフロアかのような白い廊下が続いていた。その左奥側に明かりが漏れる扉がある。

 高塚がそっと扉を開けると、中には金田とサングラスをかけた怪しい男しかおらず、他のプロジェクトメンバーの姿はなかった。

 パソコンが置かれた机が二つの島となって十台ほど並び、少し離れた窓際にモニターが二台置かれる散らかった机が孤立して設置されている。背面にはCMで見たようなコンピュータ関連の最新機器が並んでいる。閉じられた電子ブラインドの所為で外の景色までは分からないが、すっかり暗くなってしまっていることだろう。

 那由は、やはりここまで歩いてきただけでも辛いのか顔を青くしている。否、傷による痛みだけではないだろう。どうも金田の方をまともに見れていない。当たり前だった。本人は気にしていないつもりかもしれないが、自分を刺した相手とまともに向き合えるはずがない。

 恭人は那由を近くの椅子に座らせると自分もその隣に座った。高塚と亜美もそれに続き、彼らを見た金田は満足げに立ち上がる。

「何から話そうか……そうだな、まずこの組織を作るまでのことでも話すか」

 電子ホワイトボードの前に立ってどこか楽し気に笑うと、金田は急に真面目な顔になって、

「俺は、天才だ」

 と、言い放った。

「……は?」

 思わず、恭人は低い声を出してしまった。開口一番に自分のことを天才呼ばわりするなど、プロジェクト長である那由でさえしない。ただ、悪びれず言い放つ様子は、そのプロジェクト長の姿とよく似ていた。

「ただ、俺は残念なことに物理学を学んでしまった。大学で物理学を専攻し、数々の論文を発表すると共に複数の企業の製品の開発に関わり、いくつもの特許を得て大量の資金を得てしまった」

「……それの、どこが残念なんだ?」

 誰もつっこむことがないと分かり、恭人が尋ねる。正直、こんな出だしの話をまともに理解できる人間なんていないだろう。

 否、一人だけそれを知った顔で聞く者がいた。

 林道亜美だ。

「今の時代で目立つなら物理ではなくIT系だろう。ハードのプロダクトだけでは展開に限界がある。日に日にプログラムの技術が向上してゆく中、それに関わることができないのは、俺のプライドが許しがたかった」

「目立つには……って」 

 いまいち話の筋は分からないが、要は物理畑よりIT畑の方がこのご時世得をするのだと思ったのだろう。

「しかし、私が今から勉強をしてもIT系の『天才』になることはできない。なら、この手で『天才』を育ててやろうと思った」

 そう言って、金田は先ほどまで見向きもしなかった那由に僅かに目線を移した。そこからは何の感情も読み取れない。しかし、那由は彼の言いたいことを既に理解したように、同じように無感情な目を返した。

「私は自分と同じくらいに知能指数の高い女性を探し出し、籍を入れた。しかし彼女は子育てをする気のない人間だった。私と彼女の間には子どもが二人生まれたが、両方とも孤児院に預けることにしたのだ。俺が育てるということも考えたが、親は子どもを駄目にする。私はそれを危惧していたため、子どもたちとの直接の接触も控えた」

「おい……」

 恭人はさらさらと事情を告げる金田をの言葉を制するように睨みつける。そのような理由で子どもを産み、身勝手な理由で育児を放棄する。事情があり子どもを育てられない家庭はある。しかし、彼の場合はそれには当てはまらない。最初から最後まで、そこに愛はない。そしてそれを今更になって話して聞かせるのは、あまりに残酷だった。

 その子どもというのが誰を指すのか、部外者の恭人でも察することができてしまった。本人なら尚更だ。

「上の子は遺伝子のお陰がすぐにその頭の良さを露見させた。ただ、その学力にコンプレックスを抱き始め、コンピュータグラフィックなどというくだらない遊びに手を出し始めたのでな。こちらが代わりの遊び場を用意してやった」

「それが、このプロジェクト?」

 絞り出したような震えた声で那由が尋ねる。

 孤児院に預けられ、その頭の良さ故の孤独を味わい苦しめられた人間などそうそういない。

 コンピュータグラフィックに興味を持ったところ、謎の組織に引き抜かれた人間など何人もいる訳がない。

 ならば、彼が指す子どもはたった一人。そしてその遊び場という存在もたった一つしか思い当たらない。

「このプロジェクトには元々別の名前があった。お前はそれを覚えているか?」

「別の……」 

 首筋に左手を添えつつ考える。この組織に名前のないプロジェクトと「名付けた」のは那由だ。それには、組織のことをくだらないと揶揄する気持ちが込められていた。だから、元々の名前が何であったのかに関しては興味を失っていた。記号的な名前に過ぎないと思っていた。しかし、ふいにパズルのピースが合うように元の名前と、その由来が浮かび上がってしまう。

 考えてみれば、あまりに簡単なことだった。

「プロジェクト・プレイルーム……子供部屋、ね」

 この組織は、元々金田が那由のために立ち上げた組織だった。自分の子どもである那由のために創立し、彼女を招き入れたのだ。そうして那由はこの組織でプロジェクト長としての頭角を現し、金田の思惑通りに次々と成果を出しては世間に名を広めていった。

 最初から、那由の活躍は予測されているものだった。

「組織を作った時点から……いや、生まれた時点から私の未来は決められていたってことか」

 那由は弱々しい声で呟いた。そんなことは考えもしなかった。『プレイルーム』の呼び名を捨てたことに大して意味はない。しかしもしかしたら、心のどこかでその呼び名を嫌っていたのかもしれない。自分に与えられた遊び場だという概念を心のどこかで理解し、そしてそれを否定したかったのかもしれない。

 この組織に理由などないと思い込みたかったのかもしれない。

 目の前で薄気味悪く笑う人間の思惑の元で作られた組織だと、考えたくなかったのかもしれない。 

 しかし、事実は残酷だった。

 最初から最後まで利用されていた。

 この男に……父親に、自分の欲望を叶えるための駒として。

「那由……」

 恭人がそっと那由の背中をさする。顔は青ざめ、声を出すのも辛そうな状態だ。

 誰だってこのような事実には耐えられないだろう。生まれてから利用されるのではなく、最初から利用することだけを考えられてこの世に産みだされる。まるで実験用のモルモットだ。天才の血を産みだす実験に使われただけだ。

 もう一体何に希望を持てばいいのか分からない。

 呼吸が浅くなってゆく那由の背から、恭人は手を離さない。ここで支えを失ってしまえば彼女はもう動けなくなる。

「ほんっと、最低」

 ぼそりと低い声で呟いたのは、先ほどまでおとなしく座っていた亜美だった。

 金田には二人娘がいると言った。一人は彼にプロジェクト長に仕立て上げられた松井那由。そしてもう一人は……

「まあ、私はひたすら保身に走っちゃったんですけど……」

 この謎の高校生、林道亜美だった。

「私も、物心ついた時には孤児院にいました。那由さんと姉妹ということはなんとなく聞かされていたけれど……歳も五歳離れているし、最初は那由さんのことを意識したことは一度もなかったです。でも、那由さんは小学生時代からその頭の良さを露見させて、皆から避けられるようになっていって……それはあまりに有名なことだったから私も知ることになりました」

 亜美は自分の胸に手を置き、一呼吸置く。彼女もまた同じような人生を送っていた。ただし、それは途中まで。

「私は自分が小学生になったとき、自分も那由さんと同じ天才だと気づきました。でも……もしそうだったとしたら、私も同じように仲間はずれにされてしまう。だから、私は馬鹿になりました。勉強をするのをやめて周りに合わせる。そうすれば変なレッテルを貼られることもありませんから」

 馬鹿のフリだけでは足りない。だから勉強するのをやめ本当の馬鹿になる。亜美は今までずっとそうやって生きてきた。ゲームでも頭脳戦は絶対にしないと決めていた。

「それから、このまま孤児院にいるのもよくないと感じました。孤児院育ちというのだって差別の対象になる可能性があります。だから私はいろんな手を使って外部にアピールをし、林道家の養子にしてもらうことになりました」 

 彼女ははいろんな手を使ったと誤魔化したが、自分の手で養子先を見つけるなど容易なことだと言えない。相当な策略があったのだろう。しかも、それが小学生の間に行われている。彼女もやはり生粋の天才だったのだ。

「そしたら私が中学校を卒業する辺りで……今度は金田さんから直接話が来たんです」

 勉強することをやめ、策略の上で馬鹿になって逃げた亜美を、金田は直接捕まえに来た。その時初めて亜美は、自分や那由が生まれた意味を聞いたのだ。

「プロジェクトの存在も、お姉ちゃんがどうなっているのかも全部聞きました。まあ、かなり衝撃的でしたけど」

 平和な日常を手に入れたはずの彼女にとって、簡単に受け入れられるはずはないだろう。

「私は今まで勉強をしてこなかった……だから、今更『天才』にはなれないと告げました」

 周囲から避けられたり余計な期待をされたりしないために馬鹿になったのだ。今更そちらの道へ行くことは亜美にとっては不可能なことだった。しかし、金田は亜美の言葉を嘲笑うようにいったのだ。

「『天才じゃなくてもいい。ただお前は全てを把握しろ』と、金田さんはそう言ったんです」

 亜美は自分の足元に転がした鉄パイプを手に取る。

「プロジェクトのことはいろいろと聞いていました。どんなプログラムを作ったのか、誰が辞めてどんな人がいるのか。そして昨日の夜も……一野修二という男について聞きました。プロジェクトを追い出された彼が監視下から逃げ、那由さんを陥れようとしているかもしれない、と」

「……たったそれだけの情報でここにきたのか?」

 それだけを聞いて那由を助けようと思ったのだろうか。だとすればとてつもない行動力だ。

「まあ、これがきっかけじゃありません。人の思考や行動をシミュレーションするプログラム……仮想現実作成プログラムしたっけ? それを実行する時金田さんが那由さんを刺して入院したと……その話を聞いていました。その上でさらに危害を加えられるかもしれない……そう思ったらいてもたってもいられませんでした」

 やっと、亜美の行動の意味が見えてきた。どうして病棟で彷徨っていたのか。どうして那由を助けたかったのか。

「那由さんは、私が逃げた人生を辿った人。これ以上無視することなんてできなかった。勿論自分が縋った平穏な日常も大事ですけど、それだけじゃあまりにズルいから」

 案外、無理をしてばかりの那由を助けたいと思う者は沢山いる。高塚も、亜美もそうだ。恭人はそのことに少し安堵した。

「それで、私をどうするつもりですか、金田さん。いや……お父さん」

 金田の話を聞くだけでなく那由の救出のために動いた亜美のことを、そして全てを知ってしまった恭人のことをこの参謀はどうするつもりか。

「そうだな、少なくとももう二度と表社会に出られないように体内センサーを埋め込んで管理してやろうか。生体実験のために人間が必要と言っている機関があったからそちらに回すのもいいかもしれない。やりようはいくらでもある」

 もう二度と……医療にすら関わることができなくなる。そんな危機が迫っているというのは流石に受け入れられない。どう挽回すればいいか必死に頭を働かせる。

「さいあく」

 すると、不意に那由がフラフラと立ち上がった。言葉は一語一語で区切られ、注意して聞かなければ聞き取れない。

「この人たちは、関係ないでしょ。私が巻き込んだだけ、で……ううん、そもそも」

 足を引きずるように歩き、金田の胸倉を掴んだ。

「もう、おわりにさせて」

 吐き出された言葉には、涙が混じっている。

「こんなごっこ遊びは、もう、いい」

 彼らを助けるためにも、そしてこれ以上社会に被害を出さないためにも、できることならこのプロジェクト自体を終わらせたかった。

 世界を脅かす力を持つプロジェクトは、一人の男が始めたごっこ遊びだった。全てが彼の思惑の上に成り立っていた。

 那由には荷が重すぎた……彼女は今、それをひしひしと感じている。

 いかに天才的な頭脳を持っていようと、どれだけ優秀なプログラムを組み立てようと、プロジェクトメンバーを間引きして業務効率を上げようと、その先の責任を持つことすらできていなかった。いくら状況把握能力に優れていても、シミュレーションシステムは作れても、自分で先々のことを予測する力が不十分だった。 

 そして何より人に対してあまりに不慣れだった。

「そうだな」

 恭人は自分も立ち上がるとそっと那由の肩に手を置き、そのまま彼女の身体を自分の元へ引き寄せる。

 心身ともにボロボロになってしまった那由は、簡単に金田から引き剥がされ、恭人の腕の中に納まった。

「もういいだろ」

 恭人は金田を睨みつけた。それだけでは済まないと分かっているが、下手に攻撃に出れば、後々こちらが不利になる可能性もある。

「ふん」

 それに対して、金田は鼻で笑う。

「知っているか? お前が庇おうとしている『それ』は犯罪者だ」

 プロジェクトの長として、合法的なことから非合法的なことまで全てをこなしてきた。警察に知られれば掴まる可能性のあることもしてきた。堂々と日の目を見れるような存在ではないかもしれない。それは、否定のしようがないことであった。

「そんなの、どうだっていい」

 しかし、恭人はその言葉を一蹴する。そして不安な顔をする那由を自分の方へ向かせて抱きしめながら、淡々と続けた。

「那由のことは俺が貰う」

 恭人の腕の中で、那由がぴくりと反応をした。金田は僅かに眉を上げる。

「お前が那由の父親だっていうのなら言わせろ。俺に那由をくれ」

「それって……」

 後ろで不安そうに見つめていた高塚が初めて声を出す。

 それは、あまりに場にそぐわないプロポーズのようでもあった。


「それを、俺が許すとでも?」

「許さざるを得ない」

 亜美は突如手に持っている鉄パイプで目の前のパソコンの本体を叩き、机から落とした。つられるようにモニターや周辺機器も落ちていく。隣にいた高塚が「ひっ」と声を上げた。

「ずっと……なんで私はいつも情報を教えられているのか不思議だった。ずっと理由を考えていた。そして今、やっと気づきました」

 同じようにもう一台パソコンを落とす。

「私はいわば掃除人クラッシャーなんです。歪が出来たプロジェクトを跡形もなく消すための存在。那由さんのスペアとして」

「那由の……スペア」

 金田はいつか那由がプロジェクトを抜け出したいということを予感していたのかもしれない。そして那由がいなくなればこのプロジェクトは成り立たなくなると分かっていたのだろう。だから那由がいなくなった後の組織を綺麗に終わらせるための戦略が必要だった。 

 そう考えれば亜美の人生もまた金田に利用されいたようなものだが。

「まあいい。散々楽しませてもらったし金も溜まった。今度はまた別のところで遊ぶことにしよう」

 金田は何故か満足そうにそう言って一人で部屋を出ていく。もう那由を使用するつもりもプロジェクトを守るつもりもないらしい。あまりにあっさりとした参謀の最後に、後味の悪さを感じずにはいられない。

 ひとまず恭人が那由を椅子に座らせていると、今度はサングラスの男が立ち上がった。

「プロジェクトはお終いのようですね。こうなった以上、プロジェクトメンバー及び彼女のアパートは強制的に退去扱いにさせざるを得ません。荷物は病室にでも送ればいいですか?」

「……ああ」

 この男が何者かは知らないが面倒な手続きを全部してくれるのであれば都合がいい。

「亜美、お前はどうする?」

「家に帰って……それから組織が作った悪質なプログラムを掃除します。あーあ、結局勉強しなきゃいけなくなっちゃったな」

 亜美はどこか遠い目をしてずらりと並んだコンピュータたちを眺めた。

 その気だるさと諦めを孕んだような視線は、彼女の血の繋がった姉にそっくりだった。

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