番外編:きおくあわせ

 夢というのは睡眠時に見る、あたかも現実であるかのようなストーリー性のある心象、幻覚だ。多くの場合夢の中でそれが夢だと気づくことはなく、起床してやっとそれが夢だと分かる。つまり夢というのは終わってからやっと『夢』という一つのストーリーとして認識されるのだ。

 だからこの『思考のシミュレーション』の中の出来事がこうして確かな記憶として認識できるのも、これが全て終了して、使用されていた意識の断片が正規の状態に戻されたからだろう。このシステムに巻き込まれたほとんどの人はあれを認識することすら難しいけれど、私や恭人はかなり活発に脳が動いていたし……お互いが出会うことでより記憶が鮮明になってもおかしくはない。

 戻ってきたMCCでひたすら夢や意識について調べながらそんな予測を立てていく。残念ながらシミュレーターが導き出したデータからは私個人の体験までは確認できない。感情や思考も同じ。だからこうして自分の記憶に頼るしかあの時のことを認識できない。


「おい暇人」

「うわっ」

 急に目の前に人が現れて危うくMCCを取り落とすところだった。

「ちょっと、入る時くらいノックしてよ」

「再三したけど返事がなかったから仕方がないだろ」

 そうなのか。集中しすぎて気づかなかった。

 人を暇人呼ばわりする失礼な男……恭人は、今日は白衣を着ていない。研修の日ではないようだ。それなのに病室に顔を出してくるとかどういう心情の変化だろう。

「それで、どうしたの?」

「少し……記憶合わせにね」

 きおくあわせ……記憶合わせ……頭の中で漢字にしてやっと理解する。

 なるほど、私たちの記憶の整合性を図るということか。

「というか、それ、何?」

 それはそれとして、恭人はプラスチック製の四角い箱のようなものを持っていた。あまり目にすることのない物体だ。

「いや、ただ話をするだけは面白くないだろ」

 サイドテーブルに置いてそれの蓋を開けると、中から白黒に塗られた8×8の四角いマスが現れる。アプリではやったことがあるけどアナログのものを見るのは初めてだ。白と黒、16個ずつのコマ。これが本物のチェスらしい。


「そういえばお前のことあまり知らなかったな。結局何歳なの?」

「今は十八歳だよ。来月十九になるけど」

 そういう恭人は留年していなければ今年で二十四歳か。随分と離れているけど今更敬語を使う気持ちはない。

「名前のないプロジェクトに入ったのは?」

「十六歳の時。約三年前だね。強引に引っ張られた感じだけど。恭人のお母さんが亡くなったのも三年前だっけ」

「ああ、偶然だな」

 話しながらも、慎重に駒を進めていく。私は白で相手は黒。まずは白のポーンで壁を作って様子を見るけど……相手の動向がさっぱり分からない。暇つぶしのオンライン対戦は何度もしたことがあるけど、こんな型は全く知らない。

「プロジェクトに連れ込まれてプロジェクト長になったのはいいものの、寝る時間もろくにとれずプログラミングをし続ける日々。自ら作った危険なプログラムを止めようと組織を裏切ろうとするも、金田とかいう髭面の男に刺された、と」

「私そんなに詳しく話したっけ」

 思わず盤上から目を離し尋ねる。すると恭人はまた嫌味ったらしい笑みを浮かべて、

「見聞きしてきたことを繋ぎ合わせれば簡単に推測できる」

 と言ってきた。ついでに黒のナイトで私のポーンを取る。何故今ナイトを動かした? そうしたらあちらに隙が生まれる……のに、気づいていない? それとも罠だろうか。

「恭人は内科の研修が嫌で抜け出し白衣のまま図書館に来た。家に帰ってないことから相当お父さんとそりが合わないんだね」

「何故研修先が『内科』だって分かった?」

「内科の控え室にね、人数より多くの椅子が出されていた。だからそこで研修でもあったんじゃないか、と。というか病院のことになると明らかに態度が変わるあなたが逃げるなんて、そりの合わない父親がいるところくらいでしょ?」

「流石」

 恭人は私のビショップを取ろうとして手を止めた。罠を張ってみたけれど分かりやすかったか。そして、またナイトを変なところへ持ってくる。この人ほんとナイトが好きだな。いや……そう思わせておいて後方を固めているのか。一度探りを入れようとポーンを動かす。

「まあ逃げた先でお前と出会って、正体を当てて」

「ほんとあれは見事だったね。まあ説明する手間が省けて丁度よかったけど」

「お前だって俺の身分を当てているだろう」

 話しているうちに、ぼやけていた記憶の部分がどんどん正確になっていく。やはりこの「記憶合わせ」は一人で考えているよりも有効だ。

 意味があるかは分からないけれど、もやもやを抱え続けるよりかはよっぽどマシ。

「そのあと地震で図書館の自動ドアが閉まって、それを解除した」

「記憶がないのにあんなスラスラとプログラム組めるものなんだな。記憶があったとしても常識を逸脱しているが」

 このあたりはぼやけているけど、なんとかあのプログラムを解除しなければならないと思った時、解除プログラムの式が頭に浮かんだ。それで恭人のMCCを使って彼のメモリチップを鍵にした。あまりチップを取り出さない端末は、チップの蓋が開けづらくなっている。それも分かっていて、いつも髪につけているピンを外してこじ開けた。あの時迷いもなくピンを外せたのも潜在意識上の行動だ。プログラミング関係のことについては記憶がなくても易々と行えてしまうらしい。染みついた自分の技術が恐ろしい。

 ポーンでキングに近づき相手のクイーンを誘導する。ただそれが誘導だということは気付いたらしく、恭人は暫し指を止めて私を見つめた。

「何?」

「いや、流石だなと。水分補給を怠って脱水でフラついていたやつとは思えない」

「そっちこそ、どさくさに紛れて女子高生をナンパしようとしていた人とは思えないね」

 こうして嫌味を言い合う感覚は、慣れている。私はこの人とある程度知り合いであると……そう捉えてしまってもいいのだろうか。現実での接触は全くなかったのに。

「で、俺の寝床で一日目は終わる」

「散々階段を上らされたやつね。本当に毎日上ってるの?」

「ああ、普段はエレベーターの監視カメラに映りたくないからな。あの世界では無意味だってことに早く気づけていたら楽だったのに。もしくはお前に体力があれば」

 こちらを狙うルークを取る。でもこれは誘導されただけの動作。

「体力がなくて悪かったね。あの時あそこで休息したことは……まあ意識の断片を休ませる意味ではよかったのかな。で、あれでしょ? 二日目病院に行って恭人が取り乱す」

「あれは……まあ、仕方がないだろ」

 その時、この人が冷たくて失礼なだけの人ではないと気づいたのだ。まあ、そのおかげで今があるといっていい。彼が病院の復興を考えなければ、事件解決にあそこまで積極的にならなかっただろうし。

「それでもまさかコーヒーぶっかけられるとは思わなかった」

「……私、そんなことしたっけ?」

「おい……都合の悪いことだけ忘れるなよ」

 私だって全て覚えているわけじゃない。海馬は必要なものだけ取捨選択するんだから仕方がない。

 コーヒーをぶっかけた……か。まあどうせ恭人が失礼なことを言ったか余程取り乱していたかどちらかだろう。私が自ら行動を起こすなんてよっぽどだし。

「じゃあ次に記憶があるのは?」

「病棟巡りかな。私と同じ孤児院にいる子とか、やたらと騒がしい子とかに会ったりして……それ、で」

 ふと、心臓の辺りが痛んだ。今、何か思い出してはいけないものに触れた気がする。息苦しくて、目の前に靄がかかるような感覚。なに、これ。

「那由」

「……え?」

「お前の番だけど?」

 急に、今考えていたものがパッと消えてしまった。どうやらこれは思い出してはダメな記憶らしい。だったら暫くは蓋をしてしまおう。

「その後お前にプログラミング頼んだら急にご機嫌にタイピングしていたよな」

「だって……楽しいから。私本当は……コンピュータグラフィックに興味があって、だからあのPCのスクリーンセーバー見て興奮したの。ああいう幾何学的なの作ってみたくて……まあその後ちゃんと逆探知もしたしね」

「ふうん……まあ楽しそうで何より。その後データを食すプログラム? と、対面したんだよな」

 私の攻撃の要としていたビショップが追い込まれた。やっぱりこの人手強い。喋りながら行える戦法じゃない。まあ、一応互角に戦っているつもりではあるけれど。

「自分で自分の作ったプログラムべた褒めしていたんだよね、私。まあ仕方がないよ、あれは破壊魔である私の最高傑作だし」

「破壊魔?」

「ああ、界隈での私の肩書き。プログラミングの中でもウイルスを作ったり相手のソフト壊したりするのが得意だから」

 まあそれも、紙を使われてしまえば無意味だったんだけど。また憎い金田の顔が出てきて首を振った。

「界隈ねえ……まあ、その辺りから大きく事態が変わったよな。警察に協力要請をして」

「あの弱虫刑事を口説いたんでしょ? なんだかすごく恥ずかしがっていたみたいだけど何をしたの?」

「さあ? 忘れたな。然程タイプじゃなかったし、普段使う技術的な策で適当に追い詰めたんだろう」

 そう言って恭人は私のクイーンを引き出す一手を打つ。やりづらい……けれど変な物足りなさもなくて楽しいかもしれない。

「イタズラ電話をして、私の情報を引っ張り出して警察に隠れていたスパイを呼び出して……あの辺りの策は本当に見事だった」

「お褒めあずかり光栄だな」

 電子ブラインドが静かに動いて日差しの向きを調整する。やり始めてもう結構時間が経ったのかも。

「その後は……ああ、思い出したくないなら思い出さなくていい。お前が謎を解いて、それで終わりだ」

 今、変に気を使われた。確かにあの辺りの記憶は明確じゃないけど、どうやって終わったかくらい……一応、覚えている。

 残ったビショップと、ルークとクイーンで相手のクイーンを狙いにいく。散りばめたポーンが布石としてようやく意味を成せそうだ。

「確かにちょっと口にし辛いな……パラドックスからのプログラムの不具合。そしてあのシステムを終わらせるには私の脳を……止めるしかなくて。ただ、あの時一度恭人が庇ってくれたよね。それは素直に嬉しかった」

「……あの場で自ら死を選ぼうとする奴を止めないなんて相当な人でなしだろ」

 そっと、お腹に手をやる。金田から刺されて、システムの中でも自分で刺して。相当に負荷をかけたし……痛かった。苦しかった。でも、そのお陰で今がある。

「あ……」

 と、恭人が小さな声を出した。漸く気づいたのだろうか。自分のクイーンが追い詰められていることに。けれど……違う。それだけじゃない。彼もまた、ナイトを使いつつ同じ手法で私を狙おうとしていた。本当に、この人の頭脳は恐ろしい。

「お前本当に未成年か? まさか喋りながらここまで俺を追い詰めるとは」

「お互い様でしょ。嫌な記憶から適度に意識を逸らすために持ってきたんだろうけど……私は負けないよ」

 一通り記憶合わせも終わったことで、勝負に集中できる。散りばめられたポーンと残りの駒。相手がどう詰めてきてこちらがどう動くのか。先を読むのがこんなにも楽しいとは。見れば、恭人の口角も心なしか上がっていた。さあ、どうする?

 電子上ではないアナログ盤。アプリのNPCやオンライン対戦では味わえない心理戦と策の読み合い。こんなに互角に戦える相手がいるとは……こんな相手に出会えるとは思いもしなかった。

 だとすればあのシミュレーションもちゃんと意味があったのかもしれない。

 最悪なことも、いろいろあったけど。

「さ、お前の番だぞ、那由」

「うん」

 この人とはこれからもいい関係が築けそうだと、そう思った。

 数日後にあんなことが起きるまでは。

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