第38話 ありがとうと言葉を添えて

 ベン・ホーリーは、ブラッドから贈与された王都のパン屋を目にして、目を白黒させる。予想以上に立派な店を目にして、思わずあんぐりと口を開けてしまったのだが、それは妻のドナも同様だったようで、しばらく二人して唖然と佇んでしまった。


「えっと……ここか? 住所が間違っているとか……」

「いえ、でも、あなた……この鍵で店のドアが開きますわ」


 ドナの台詞で今一度、ベンは真新しい店を見た。

 住まいを兼ねた建物は二階建てで、その一階にあるパン屋は王都の流行を取り入れた、実に洒落た作りとなっている。可愛らしいパン屋の看板に、コロンとした丸い窓。その向こうに立派なショーケースが見える。そしてなによりもここは、平民だけでなく貴族も立ち寄る一等地だ。多くの者が、貴賤を問わず店を訪れるだろう。


「ねね! 中へ入ってみようよ!」


 真っ先にはしゃいだのが、息子のチャドだ。


「うわぁ! 凄い!」

「ああ、凄い、な……」


 外観から予想していたが、内装も洒落ている。厨房も最新式だ。そして何より、奥へ続く自分達の住まいも立派だった。村で暮らしていた頃とは雲泥の差である。

 ベンがぼんやりと呟く。


「えっと……持参金? の枠を超えてないか? そもそも持参金って、彼が婿に来るわけではないのだから、そこからして何か間違っているような……」

「そ、そうですわね、どうしましょう」


 ベンとドナの二人が困ったように顔を見合わせる。話し合った結果、村にあった住まいを売った金をブラッドに渡し、出資金の一部を返そうという話になったのだが……


「え? 金? いらない」


 後日、店の様子を見に、レイチェルと連れだってやって来たブラッドに、あっさり断られてしまった。まだ開店前なので人気はない。人気はないが、大通りを歩く女性の視線が、ちらちら開店前の店内に向く。熱っぽい視線は、どうやら店内にいるブラッドに向いているようだ。


「俺、人間の金なんか欲しくねーよ。ほんっと勘弁して」


 うんざりというようにブラッドが手を振った。


「で、ですが、いくらなんでもこれは、もらいすぎです」


 ベンが慌てれば、ブラッドが美麗な顔をしかめた。


「あー、めんどい。大金持ちと結婚したって思えばいいんじゃね?」

「フォークスさんは大金持ちなんですか?」


 ベンが目を丸くする。そんな事実は今初めて知った。


「村では俺、でっかい邸に住んでたろ?」

「え、ええ、まぁ、確かにそうですが……」


 ベンの目が泳ぐ。実際は邸などよく見ていない。なんて言うか……邸の周囲を蝙蝠が飛び回っていて不気味だったから、自分も含めて誰も近寄らなかった気がする。外観だけを見るなら廃屋と間違いそうな様相であった。内装はもしかしたら立派だったのかも知れないが……


 ベンはブラッドの姿を今一度眺める。

 美貌の青年だが、服装は一般人のそれだ。そして過去の思い出を探れば、掃除をしているフォークスの姿を思い出す。バザーにもよく姿を見せていた。そして、店のおすすめパンを毎日買ってくれた。どこからどう見ても庶民である。あれで大金持ちとか言われてもピンとこない。


「信じられないなら追加の金貨を渡そうか?」

「いいえ! 滅相もない! これ以上はどうかご勘弁を!」


 ブラッドの申し出をベンは急ぎ辞退した。本当にやりかねない、そう思ったのだ。レイチェルがベンの服をくいくい引っ張った。


「パパ? 今回はその、もらってあげて? じゃないとブラッドがいじけそう」


 ひっそり囁く。


「いじける?」


 レイチェルの取りなしにベンが目を丸くする。


「もの凄く喜んでもらえると思っていたのに、反応が鈍くて、余計な真似をしたのかとか、いらなかったのかとか、ブラッドが何かと私の顔色をうかがってくるの。その度事に、嬉しいわ、ありがとうと、よいしょしているんだけど、さすがに可哀想よ。喜んであげて?」


 ベンははたと気が付いた。


「それは、ああ、そうか……これだけのものを用意して、いらないなんて言われた日には……」

「そうよ。お願い、喜んであげて? 恩返しなら、店を繁盛させてからすればいいわ?」


 ベンがブラッドの方へ勢いよく振り返る。


「いやぁ! フォークスさん! ありがとう! 感激です! 嬉しいなぁ!」

「そ、そうか?」


 ベンの妻であるドナも便乗する。


「ええ、本当。素敵な店をどうもありがとう! チャド、あなたも嬉しいわよね?」

「俺? 俺は最初っから嬉しいって言ってるじゃん。ごねてたの、ママ達だけ……」

「そ、そーだったわね! あー、感激しすぎてちょっと感覚が麻痺していたのよ。ほんっと、素敵だわぁ。とっても働きがいがいがあるわ、ありがとう!」

「ははは、そうか、それは良かった」


 ブラッドが笑い、レイチェルがほっと胸をなで下ろす。

 ありがとうとレイチェルも言葉を添えて、きゅうっとブラッドの手を握れば、彼もまた握り返してくれた。どういたしましてと、笑う顔が本当に嬉しそうである。



◇◇◇



「……兄貴がなんでここにいるんだよ?」


 店内で金髪金目の美青年を目にしたブラッドは、顔をしかめた。

 目の前の美貌の青年は、王侯貴族のように立派な服装で、派手な容姿と相まって、かなり目立つ。店中の視線を集めているのではないかと言うような有様だ。

 その美青年――ブラッドの兄であるラディウスが笑う


「ん? 暇だから愛しい弟の顔を見に来た。瘴気入りのパンか? 私も食べてみたい」


 ひそっと内緒話をするように、ラディウスがブラッドの耳元に口を寄せると、きゃあっというような声が周囲で上がった。いや~ん、美々しい……などという声がそこここを飛び交う。

 ブラッドの眼差しが険しくなる。


「サーチアイ飛ばすの、や、め、ろ」


 どっからどこまで見ていた!


「勇者が見付かったようだな?」


 ラディウスが揶揄うように言い、ブラッドはため息を漏らす。それに関しては何も言いたくなかった。二年間何も起こりませんようにと祈るしかない。じゃないと、レイチェルが駆り出される危険がある。二年の奉仕期間が終わったらレイチェルを連れてさっさと神殿からとんずらしたい。

 レイチェルの弟のチャドがやってきて、目を丸くした。


「ブラッド兄ちゃん、そいつ誰? 兄ちゃんと並ぶと、なんか、すっごく神々しいんだけど」


 チャドの言いように、ブラッドは困惑しきりである。

 はぁ? 神々しい? 毒々しいの間違いだろ? ああ、取り敢えず、それは止めろ。礼儀知らずな人間は首をスパッとやられる。

 ブラッドはラディウスを指差したチャドの腕をおろさせた。


「俺の兄」

「えー? じゃあ、ブラッド兄ちゃんと同じヴァンパイア?」


 違う。兄貴は純粋デビル。そして魔王代理だ。親父が起きてくるまでの暫定魔王。

 ラディウスの口角が上がる。嘲るそれだ。


「やっぱり人間は鈍いな? 人の格好をするだけで簡単に騙されるか……。私がヴァンパイア? ふ、はは。下級魔族と一緒にされるとはな」


 ラディウスの金色の目がぎらりと光った。

 兄貴の目の色はお日様色、じゃないんだよなぁ。

 つい、しげしげと見てしまう。

 獰猛な肉食獣と一緒だ。獲物を狙う鷹の目と同じ。


「手は出すなよ?」


 ブラッドがチャドを自分の背に下がらせると、ちょっと驚いたような顔になった。


「……そいつも庇うのか?」

「レイチェルの家族は駄目だ」

「ふーん?」


 ラディウスがブラッドの手から瘴気入りのパンを奪い、一口囓る。ひいぃと死霊が悲鳴を上げた。

 心地良いんだよな、これ。案の定、兄貴も満足げに笑った。気に入ったんだな。


「ま、可愛い弟の為だ。我慢してやるよ?」


 にたりと笑う。そう、にたりだ。

 その言い方は止めろ。兄貴の可愛いは背筋に悪寒が走る。

 べろりと自分の指を舐めた仕草はやはり肉食獣のそれだ。基本、惰眠ゴロゴロが大好きだが、スイッチが切り替われば、大量殺戮に走る。デビルは殺戮者。阿鼻叫喚が心地良い。そういった光景を高みの見物するのもよくやる。所詮、魔物だもんな……


 その暴走を止めるのが神界。

 絶妙なバランスで成り立つ世界の上に人は生きている。だから、人間なんて単なる獲物でしかなかったのに……今じゃ、レイチェルを害する者全部が俺の敵だ。


「ブラッド、そちらの方は?」


 そこへ、ひょっこりレイチェルがやって来た。新装開店の手伝いをしているので、売り子の格好をしている。レイチェルに名前を呼ばれ、思わずブラッドの頬が緩んだ。

 敬称なしの呼び捨て、いいなぁと思うが……


「ブラッドの兄で現魔王だ。遠慮なく這いつくばれ?」


 くそ兄貴のせいで台無しだ。高速で組み手組み手組み手……ちっ、勝てない。ごろごろ寝てばっかのくせに、どうしてこうも良い反応するんだか……


「だるいからやめろ」


 そしてこれだ……。欠伸混じりかよ。かったるそうに動くのに、攻撃を全部防がれる。本当、嫌みだ。


「現魔王……」

「そう、魔王代理で俺の兄」


 ブラッドがそう紹介すると、レイチェルは目を見開いた。


「え……魔王代理がお兄さん?」


 ラディウスがにぃっと笑う。


「そう、金色の魔王が私達の父だからな。人間風に言うと私もブラッドも王子ってとこか?」

「王子様……」

「人間風に言わなくていい。高位魔族でいいんだよ」


 ブラッドがすかさず釘を刺し、レイチェルが狼狽えた。


「あ、あの、わ、私平民ですけど……」

「ああ、もう。人間の貴族階級なんて俺達にとっちゃ無意味だよ。勇者のジュリアンは別格だが、それ以外は国王も平民も変わらない。まさか、俺との結婚が嫌になったなんて言わないよな?」

「それは、ない、です……」


 ぐいっと引き寄せれば、レイチェルがもじもじと恥じらった。


「でも、あの、魔王さんがこんなところにどうして……まさか、あの、世界征服、とか?」


 そろりとレイチェルが尋ねるが、違うな。


「いや? かったるいからやらない」


 そう、兄貴の場合、これだ。基本、かったるい。だらだらが大好きだから。神界が差し向ける勢力と争うなんて面倒なんだよな。


「じゃあ、あの、どうして……」

「可愛い弟の顔を見に」

「可愛い……」


 繰り返さなくていいよ、レイチェル。頼むから……ぞわぞわする。


「じゃあ、あの、家に上がりますか?」


 おうい、レイチェル! まさか兄貴も友達か?

 ブラッドが慌てると、ラディウスが喉の奥でくつくつと笑った。


「ははは、聖印の乙女は随分と無防備だな? 人間の一人や二人殺したところで神界は動かないぞ? ま、文句の一つや二つは言われるだろうが」

「ブラッドのお兄さんですから」


 そう言ってレイチェルが笑う。ブラッドは感激しきりだった。じんっとなる。

 俺の兄だから、俺の兄だから、お、れ、の、兄だから……。兄貴は添え物で主は俺。


「……」


 ちらりとラディウスがブラッドを見る。そして意味ありげに笑った。


「ああ、そうか、なるほどな。こいつはいい……ちゃんと愛されてるってわけだ」


 ラディウスの金色の瞳が、レイチェルを見据えた。レイチェルは目をそらさない。

 こういうところは不思議だとそう思う。

 兄貴の目なんて誰も直視しない。いや、出来ないんだ。圧が凄いから。

 けど、レイチェルは最初っからこうだったな。初めて会った俺の目も直視した。あの時は、そう、黒い澄んだ瞳だったっけ……


「大聖女レイチェル、聖印の乙女。そうやって弟に愛と信頼を注いでいるうちは、大人しくしててやるよ。後、私の惰眠の邪魔をしなければ」

「はい、邪魔しません」


 レイチェルが素直に答えた。この後、気を良くしたラディウスがちょくちょく遊びに来るせいで、自分の周囲が人外魔境になっていくなど、夢にも思わずに。


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