第39話 大団円のその後

「おーい、あんちゃん、はやくこっちにもビールの追加!」

「は、はい! ただいま!」


 入院から半年、リハビリを経てなんとか回復したクリフは、酒場で働いていた。とにかく金を稼がないと駄目だからである。


 あの事件以降、クリフの評判はがた落ちだった。偽勇者はまだ良い方で、変態騎士、これが主流である。婚約者の尻を大衆に晒した。これが原因で、クリフのファンだった女性達からも、汚物を見るような目つきで見られるようになった。


 ――俺だって、俺だって、あそこまでやるつもりじゃあ……


 医療院で、我に返ったクリフは頭を抱えたものだ。

 あの時は、もの凄く気が大きくなって、なんでも出来るような気がしたんだよぉ。そんでもって、つい、調子に乗ったっていうか……


 狂戦士の呪縛から解放されれば、まともな思考が戻る。クリフは自分のやったことが恥ずかしくて仕方がない。婚約者だったセイラの下着を剥ぎ、得意満面で大勢の人の目にさらした。黒歴史と言っても過言ではない記憶である。


 ――レイチェルは俺のもんだぁああああああ!


 これまた記憶にばっちり残っている。クリフはそう叫んだ自分を殴りたかった。


 ――捨てた女性との復縁を一方的に迫ったんですって。

 ――まぁ、最低だわ。


 ひそひそ女性達の間で交わされる台詞が痛かった。

 そんなこんなで、退院後は騎士団長から自宅謹慎を言い渡されたが、それではすまなかった。なにせ、末端でもセイラは貴族である。娘を公衆の面前で侮辱されたと、ルモン男爵の怒りが凄まじく、多額の慰謝料を請求されただけでなく、騎士の資格を剥奪されたのだ。


 そして、莫大な慰謝料を払う為、こうしてせっせと酒場で働く毎日である。護衛も兼ねているので、普通のウェイターよりは給金がいい。王都での就職を諦めて、村へ帰ろうかとも思ったが、結局それも出来ずじまいだ。

 クリフはふうっとため息をつく。


 なにせ、騎士の資格を剥奪され、借金まみれである。レイチェルを捨ててまで得た、逆玉の輿だったセイラとも破談。これらをひっさげて帰る勇気が、どうしても持てなかった。

 そして……


「あらぁ、いい男ねぇ。あたしといいことしない?」


 そう粉をかけてきたのは、酒場にやってきた客の一人だ。二十代の女盛りと言ったところか。とまぁ、クリフの場合、顔がいいので、彼の評判を知らなければ、こうしてモテてしまう。相変わらずモテはするのだが、クリフはその誘いを断った。断るほかなかった。


「あ、いや、疲れているので……」


 クリフはそそくさと厨房へと引っ込んだ。

 バーサーク状態の時、ブラッドに散々殴られた後遺症なのか、それとも呪いなのか分からないが、あれがもの凄く小さくなっていた。人には言えない症状だ。デフォルトで、まるで恐怖に縮んだ時のような有様である。


 ――体のどこにも異常はないから、幽体を直接殴られ後遺症かもなぁ……


 などと治療にあたった神官が口にし、クリフは目を剥いた。

 冗談ではなかった。何とか治らないかと、様々な治療を試してみたが、一向に治る気配がない。使用に問題があるわけではない。尿はきちんと出るし、刺激にも反応もする。反応はするのだが、小さいままって……

 クリフは泣きそうだった。


 ――恐怖心がなくなれば、元に戻るかも?


 これは神官の台詞だ。ブラッドを見ると更にあれが縮むから、確かに神官の言う通りなのかもしれないが、それっていつだよと、クリフは叫んだ覚えがある。

 ブラッドを見て、恐怖心にかられなくなるまで……

 それって、いつだよぉおおおおお!

 クリフは絶叫するしかない。


 レイチェルに一言謝ろうと、彼女のところへ行っても、いつでもブラッドがいる。どこで待ち伏せても、あれがべったり張り付いて離れない。というか、黒髪長身のあいつの後ろ姿を見ただけで血の気が引いて、足ががくがくする。あれが縮こまって、近づけない。

 無理無理無理、なんとかしてくれぇえええええ!

 ブラッドの存在が、本当に怖くて仕方がない。


 王都で新装開店したというパン屋の評判を聞きつけて、さっそく行ってはみたが、やはりあれがいる。ブラッドがレイチェルの傍にひっついて離れない。なので結局、彼女に近付くこと出来ず、今日もクリフは内心絶叫していた。

 レイチェル、悪かったぁあああああああ、と!


 ここはいいのだが、反省しているから、頼む、これ、何とかしてぇ! とまぁ、なんとも本当に反省しているのか、というような叫びが後に続くのだ。

 こちらとしては真面目に働いて借金返済しろ、としか言えない。レイチェルに近付いては駄目である。でないと、さらに酷い目に遭うことは想像に難くない。ブラッドの攻撃は幽体損傷という、とんでもないおまけ付きなのだから。



◇◇◇



「あら?」

「どうした? レイチェル?」

「え? いえ……クリフの姿を見たような気がして……」


 週に一度、休みの日になると、レイチェルはこうして、両親が経営するパン屋を手伝っていた。可愛い売り子がいると評判で、今ではすっかり看板娘である。


 そして、もちろんブラッドがひっついて離れない。護衛士なのに、せっせと店の手伝いまでしてくれる。掃除をしたり焼き上がったパンを並べてくれたり……そんな彼目当てで店に来る女性客もいて盛況だった。

 そこへ、クリフの姿を見たとレイチェルが言った事で、彼の機嫌が一気に悪くなった。


「今度は地獄門の向こう側へ蹴っ飛ばそうか?」

「そ、そこまでしなくていいわ!」


 慌ててレイチェルが止める。


「クリフの事を好きだったのは確かだし、あんまり酷い目にあって欲しくないもの」

「……あんな奴のどこが良かったんだか……」


 ブラッドがむくれたようにそう呟く。

 ふてくされてる?

 レイチェルは苦笑した。


「優しいところもあったのよ? パパが王都で買ってきてくれたお土産を、川で失くしてしまった時があったの。とってもとっても大事にしていたから悲しくて、それを彼が見つけて届けてくれたの。感激したわ」

「ふうん? 親父さんからの土産、ね……ああ、そーいや、マーガレットのブローチも大事だったんだろ? 川遊びで失くしたって落ち込んでたから、なんとか探し出したけど、川で遊ぶときは、大事なものは身に着けない方がいいかもな?」


 ブラッドの台詞にレイチェルは目を見張った。

 え? マーガレットのブローチ?

 弾かれたように見上げると、ブラッドの赤い眼差しとかち合った。血の色なのに、魔性の色なのに、やっぱり彼の瞳は包み込むように温かい。


 クリフが見つけてくれたブローチの事よね?

 レイチェルがまじまじとブラッドの顔を見つめると、彼は自分の黒髪をくしゃりと掻き上げた。まいったというようにため息交じりに。


「流石にあれはなぁ……。レイチェルが川遊びで落としたのって、普通のブローチだったろ? 魔法がかかってるわけでもなく、魔素で作ったもんでもないから、目印がなんもない。探し出すのに二週間もかかっちまった。なんつーか……あん時は吸血できなかったから、空腹と疲労で目が回りそうだったよ」


 レイチェルは心底慌てた。


「も、もしかして、もしかしてマーガレットのブローチを見つけてくれたのって、ブラッドだったの? 二週間もかけて……な、なんで? ど、どうしてそこまで……」


 ブラッドが不思議そうにくいっと首を曲げた。


「なんでって……レイチェルが必死こいて探してたから?」


 ブラッドは、何度も川へ探しに行く自分を見たという。レイチェルは呆然となった。けど、あの時は風邪を引くからと母親に止められて、泣く泣く、そう泣く泣く諦めたのだ。

 ブラッドがふっと思い出したように言う。


「ああ、そうそう、クリフの野郎もなんでそこまでするんだって、あん時、同じ事言いやがってさ」


 え? クリフ?


「泥だらけになって俺が帰る途中、呑気に魚釣りをするあいつと鉢合わせだ。こっちは雨で増水した川で失せ物探しで、へとへとだってーのに、憎まれ口叩きやがって。たかがブローチになんでそこまでするんだって、鼻で笑いやがった。新しいものを買えばいいだけだろって。んなもん、レイチェルが大事にしてたもんだからに決まってるじゃねーか、なぁ? だから言ってやったよ。レイチェルにとっちゃ、たかがブローチじゃねーんだってな」


 あれは十二歳の夏だった。空が青くて水が冷たくて、川遊びがとっても気持ちよくて、夢中になって遊んだ。大事な大事なブローチを失くすなんて、夢にも思わなくて。それを見つけてくれたのが、クリフだった。クリフだったはず……


 ――ええっ? さ、探し出してくれたの? でもでも、大変だったんじゃあ……


 川で失くしてしまった筈の、マーガレットのブローチをクリフに差し出されて、感激して泣いたことを覚えている。本当に嬉しかった。


 ――だって、ほら、レイチェルが大事にしてたもんなんだろ? だからさ、がんばって探したんだ。レイチェルにとっちゃ、たかがブローチじゃないんだろうなって思ったし……


 照れくさそうに、クリフがあの時口にした言葉まで、ブラッドの今の台詞と同じ。

 え、え、えぇ?


「あ、あの、そのブローチは……」


 どうしたの? と問うと、ブラッドが奇妙な顔をした。


「あん? 流石にぶっ倒れそうだったから、レイチェルの家に寄る気力もなくて、クリフの野郎に渡すよう頼んだよ。あいつからブローチを受け取ったろ?」


 あ、それで……それでクリフが、私にあのブローチを渡したの?


 ――ありがとう、ありがとう、クリフ! 大好き!


 って抱きついた相手はクリフで……。たかがブローチじゃない、そう言ってもらった事が嬉しくて、初恋を自覚したのもあの時で……

 え、と……

 もしかして、私の初恋の相手って、クリフじゃなくてブラッドだったの? 大切なブローチを必死で探してくれたのはブラッドで。たかがブローチじゃないって言ってくれたのも彼だった……


 あのマーガレットのブローチは特別だった。

 既視感っていうのか、父親にお土産として渡されたとき、何故だろう? 誰かからこんな風にマーガレットのブローチを贈られたことがあったような気がして、大切にしていた。


 だから失くしてしまった事が悲しくて、悲しくて……大事な絆が切れてしまうような気がして、どうしても、どうしても諦めきれなくて、探し回った。そのブローチを見つけてくれたのはブラッドで、私の気持ちを分かってくれたのも彼だった。

 私が本当に恋した相手は……

 ブラッド?


 驚きから立ち直れば、じわりと涙が浮かんでしまう。目にする彼の美貌は、やはり女性のように柔らかい。血のように赤い瞳も唇も魔性のもの。でも、温かい。


「どうした? レイチェル?」


 感極まって、思わずブラッドに抱きついてしまったけれど、ひゅうという周囲の冷やかしが耳に届いて、レイチェルは慌てた。

 そ、そうよ、ここ、お店……

 慌てて離れようとしたけれど、駄目だった。すかさずブラッドにぎゅうぎゅう抱きしめられてしまったから。離してくれそうにない。


「んー、レイチェルが俺に甘えてる。お、れ、に、甘えてる」


 感激しきりといったブラッドの声が、耳をくすぐる。もの凄く嬉しそうで気恥ずかしい。


「はいはい、ご馳走様」


 新装開店したパン屋に足を運んでいたエイミーに言われてしまった。恥ずかしいけれど、心だけはじんわりと温かい。



**********

本編はここで終了です。後、番外編を二話追加する予定です。よかったら最後までお付き合い下さい。


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