第37話 家族ぐるみのお付き合い
「ええー、なになに、本当の婚約者になっちゃったの?」
後日、親友であるエイミーに、レイチェルが婚約した件を伝えると、案の定驚かれた。今三人がいる場所は王都にある喫茶室だ。彼女が王都まで遊びに来たついでの報告である。
「んー、まぁ、レイチェルがいいんなら、それでいいけどぉ」
そう言ってくれて嬉しい。レイチェルの口元がほころんだ。
リンゴジュースを飲みつつ、エイミーが言う。
「んー、ブラッドはさぁ、まぁ、ちっちゃい頃から知ってるせいか、そんなに心配してないっていうか、こう、甲斐性もあるから、ヴァンパイアって点を差し引いても、なんだろう? 一緒になっても、レイチェルは幸せになれそうな気がしちゃうのよねぇ……もの凄く高価な指輪を、ぽんっと買った時なんか、ほんっとびっくりしたもの」
「もの凄く高価な指輪?」
「あー、なんでもなぁい!」
エイミーが誤魔化すように言い、ちらりと隣にいるブラッドに視線を走らせた。黒い簡素な服だが、漂う色香は隠しようがない。そう、彼には魔物特有の色気がある。
「それにね、ブラッドがいい男だってのは、あたしも認めるわよ。今だって注目の的ぉ」
エイミーがため息交じりにそう言った。
レイチェルが周囲に視線を移せば、確かにそんな感じである。ブラッドの赤い瞳は血のようだけれど、危険で美しい。どうしたって注目を集めてしまう。女の子達がこちらを見て、そわそわしているのが分かる。エイミーがブラッドをしげしげ眺め、顔をしかめた。
「けど、なんていうか……ブラッドの場合、魔性? うん、魔性なのよね、どう見ても。きゃー、格好いいって騒ぐより、見惚れる類いの美貌よ。なんていうか、うっとりしちゃう……我に返った時の自分が恥ずかしくなっちゃうくらい。もうちょっとなんとかなんない?」
ブラッドがぽつりと言う。
「……サングラスでもするか?」
「サングラス?」
「色つき眼鏡? こういうのだ」
すうっと周囲の空気圧が強まると、ブラッドの顔に黒い色つき眼鏡が出現していた。レイチェルは驚き、まじまじとブラッドを見てしまう。
あら? これ……夢で見た光景と一緒だわ?
「え? どうやったの? っていうか、駄目! それ、超格好いい!」
エイミーが叫び、ブラッドが顔をしかめる。
「覆面でもしろってか?」
「嘘嘘嘘。似合ってるわよぅ。で、どうやったの?」
「どうやったって……魔素を物質化?」
ブラッドの言葉にエイミーが目を剥いた。普通は出来ない。
「さらっと言わないでぇ!」
「……高位デビルはみんな普通にやるぞ? ああ、ただし……こう言ったものは、人間は身に着けない方がいい。毒だから」
「毒?」
「高濃度の魔素にさらされるとどうだ?」
「まぁ……具合が悪くなるわ?」
「それと一緒だ。俺達には無害でも、人間には有害。デビルが作ったもんを身に着けるなって言うのは、大抵こうして魔素を物質化して作ったもんだからだよ。人間には毒だ」
「ふーん? でも、それ、いいわね。似合うわ」
エイミーがしげしげと眺め、レイチェルがぽつりと言う。
「もしかして、あの、皮の服とかも作れる?」
「ん? ああ、そりゃあ……」
ふっとブラッドが、椅子の背もたれから身を起こす。ブラッドにまじまじと見つめられて、レイチェルは気恥ずかしくなり、身を縮めた。
「結衣?」
ブラッドにそう呼びかけられて、レイチェルの心臓がどきんと跳ね上がる。とくとくと心臓が早鐘を打ち、ブラッドと見つめ合ってしまう。
「何か思い出したか?」
目がもの凄く真剣だ。気後れしそうなほど……
きっと前世の事を言っているのよね?
「え、えと、その……夢で今と同じ色つき眼鏡をかけたブラッドを見たの。ただ、それだけ……」
そう、思い出したわけじゃない。申し訳ないけれど。
「夢……もしかして、こんな感じか?」
すうっと服装まで替わってびっくりしたけれど、それ以上に驚いたのは、夢で見た服装そのままだったからだ。黒い光沢のある服は作業着のようにも見えるけれど、格好良い。
エイミーが身を乗り出した。
「うわ、なにそれ! なんか見た事ない服だけど格好良い!」
「バイク用のジャケットだ」
「バイク?」
「あー……乗馬で着る服?」
「乗馬? あたしは見た事ないけど……」
「バイクはこっちにはねーんだよ! ああ、もう、説明が面倒だ!」
元の服に戻っちゃった。ちょっと残念……
「他には?」
ブラッドにそう問われて、レイチェルは改めて考えた。
他? 他……あ、涙が……
「レイチェル?」
エイミーが戸惑ったみたい。そ、そうよね。変よね……
「ブラッドに会えて嬉しい、そう思ったら泣けて……ごめん……」
ふわりと温かくなったのは、ブラッドに抱きしめられたから。
「俺も嬉しいよ、結衣……」
額にキスをされて、胸が熱くなる。結衣……そう言われてもやっぱり違和感はない。むしろもう一人の私は喜んでいるよう。はいはいご馳走様、というエイミーの声がこの時ばかりは遠かった。
◇◇◇
「うちの娘と婚約……」
レイチェルの父親であるベン・ホーリーは驚いた。ブラッドがレイチェルを連れて、村のパン屋までやって来て、娘との婚約を告げたのだ。驚いたけれど……
「娘をよろしくお願いします」
気が付けば、ベンはそう答えていた。何故だろう? ベンは自分でも驚くほど、すんなりとそう言っていた。結婚相手がヴァンパイアで人間ではないのだから、もっとごねても良いのにと、そんな風にも思ったが、彼ならばと、そう思ってしまった自分がいる。
「何故か懐かしい気がして……」
こんな目の覚めるような美青年、一度見れば忘れるはずがない。ブラッドのこの姿を目にしたのは初めての筈なのに、どうしてか懐かしく感じる。いや、恩人にでも会ったような衝撃だった。訳が分からずベンが首を捻れば、母親のドナもそれに頷いた。ドナは恰幅のいいベンとは違い、ほっそりとした色白美女である。
「あら、あなたもそう思ったの? 私もよ」
ドナがそう口にする。
ママも? 父親のベンは不思議がったが、よくよく聞くとレイチェルの弟のチャドもそうらしい。レイチェルの家族揃って首を捻ってしまう珍事だったようである。あの痩せこけたブラッドから激変した今の姿を見て、レイチェルの家族全員がそれに驚いたけれど、同時に親近感をも持ったらしい。なんとなく見覚えがある、そんな感じだったという。
「ブラッド兄ちゃんが俺の兄ちゃんになるの? じゃあ、気兼ねなく遊んでもらえるね!」
チャドは大喜びだ。
「すっごく男前になってビックリしたよ!」
「そりゃ、どうも」
ブラッドが笑う。彼は相変わらず、レイチェルの家族には愛想が良い。
「ああ、これを」
ブラッドから手渡された鍵を見て、ベンは首を捻った。金色の鍵だ。
「持参金? 人間が結婚する時は、そういうのがいるんだろ? 王都にパン屋を開業したいって以前言っていたから用意した。好きに使ってくれ」
「え……王都にパン屋って……」
「え、ええぇえええええええ?」
「なんでそこで、レイチェルも驚くの?」
父親のベンが言う。レイチェルがおろおろした。
「だ、だって、今初めて聞いたから! ブラッド?」
どういうことと言うように、レイチェルが彼を揺さぶれば、ブラッドは困ったようだ。
「いらなかった?」
「じゃなくて資金は、あ……」
レイチェルははたと気が付く。ブラッドは錬金が出来るという事実を思い出したのだ。ブラッドがにっと笑う。
「そう、金なら欲しいだけ用意できるし、心配は全然いらない?」
レイチェルは肩の力を抜いた。
「……あんまり、そういった使い方は……」
「迷惑か?」
「いえ、あの、そうじゃなくて……」
レイチェルはふうっとため息をつく。彼が好意でそうしてくれたのだと言うことは分かる。分かるのだけれど、やっぱり限度というものがある。人間の欲には限りがない。行きすぎればやはり毒となってしまう。レイチェルが諭すように言った。
「嬉しいわ? 嬉しいけど、そうね、今度は私に相談してからにして欲しいわ?」
「ん? 分かった」
笑ったブラッドの顔を見て、レイチェルも笑う。本当に彼は驚くほど素直だ。自分に対してだけなのかもしれないけれど。
「そーだ、姉ちゃん。王都でのパン屋の開店祝いに、例の瘴気入りのパンを作って上げたら? 俺は食べられないけど、泣くパンを見るのは面白いもん」
チャドがそう提案し、笑った。
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