第17話 楔
「な…貴様ら、どこから入った⁉」
隠し通路を抜けた先、ヴァーマリン1世の王宮のどこかの一室に、エリーナとアーロンは滑り込んだ。そして、部屋を出たところで、藍色の騎士服を着た小王国の騎士と出くわした。
突如現れた、この城の中では見ないはずの朱色の騎士服に、相手はギョッと目を見開く。
それに構わず、エリーナは敵を見た瞬間に間髪入れず抜剣し、大理石の床を蹴った。剣を振りかぶり、相手の騎士が剣を抜く前に斬り込む。斬りつけた先から鮮血がほとばしり、敵は声もなく地に伏せた。
絶命しているのを確認すると、エリーナは剣を鞘に戻して振り返った。
「モーセ騎士、あなたはヴァーマリン一世と王妃を探して。私は正門の方に行く」
「了解。それではまた後で、レグリス騎士」
こちらに敬礼して踵を返したアーロンを見送ると、エリーナもまた移動を始めた。
王宮内は、ヴァーマリン小王国の国色である青色を象徴するように彩られていた。大理石の床はつるつると磨かれて純白に輝き、碧色の壁に施されている装飾は、どれも金の繊細な縁でかたどられている。天高く広がる天井には画が描かれ、白銀の巨大なシャンデリアがいくつも下がっていた。
目を楽しませる豪華な調度品の数々が置かれた廊下を滑るように移動していく。何度か敵側の騎士と出くわしたが、相手がエリーナの顔を認識する前に斬り倒した。
正門まであともう少し。
早足に曲がり角を曲がったところで、藍色の騎士服が目に飛び込んできた。相手もエリーナに気付いたようで、ハッと目を見開く。
騎士が短く息を吸い込んだところで、エリーナは迷わず剣を抜いた。抜剣した勢いで斬りかかる。しかし相手もなかなか手慣れのようで、エリーナの剣を素早くはじき返した。剣同士のぶつかる金属音が空気を貫いた。
深紅の髪を翻して距離を取る。剣を片手に、目前の騎士を素早く観察した。
ところどころ白髪が混じっているが、顔つきはまだ若々しい。年齢は四十代くらいだろうか。だいたいノルディと同年代と見ていいだろう。
「お前はまさか、あの〈リコリス〉か」
渋みのある声で呼ばれた異名に、エリーナは肩をすくめた。
「まあ、そう呼ばれてるみたいね」
飄々と軽い口調で肯定すると、エリーナは無造作に足を踏み出した。
「どいてもらえる?無駄に死にたくないでしょう?」
「口の利き方に気をつけろ、小娘。ちょっと強いからと、調子に乗るなよ」
どちらも一歩も引かない。鋭い眼光がぶつかり合って、火花を散らした。
エリーナが動く前に、相手が動いた。重々しい両手剣を垂直に振り下ろしてくる。紅い瞳に白刃の光を映しながら、エリーナは薄く笑った。
致命的に遅い。
あくびが出そうだ。
エリーナは軽い身振りで頭上の剣を自分の剣で受け止めた。重心にかかった力を押し返すように剣を持ち上げると、まるで蝶が優雅に舞うように、右足を軸にして回転し、相手の脇下を潜り抜ける。
「うっ⁉」
途端、騎士が身体をくの字に折り曲げ、膝を打った。剣を落し、床に身体を這いつくばらせる。
「な…これ、は…!」
びりびりとしびれが広がっていく。その発生源は、先ほどエリーナが通った脇腹だった。騎士はそこに手をやる、服を貫き、肉を抉る、小さく細いものが突き刺さっていた。
針‼
エリーナはビクビクとからだを細かく痙攣させる騎士の前にかがみこんだ。そして、抵抗もまともにできない相手に対してニッコリと笑いかける。
「安心して、ただの神経毒だから。死にはしないわ。それより、あなたには聞きたいことがあるの」
まるで、偶然すれ違った人にちょっと道を聞くかのような、そんなあっさりとした言い方だった。
「この国の王位継承者はどこにいるの?」
「……‼」
騎士は、ハッと目を見開いた。思わずといった様子で、驚いたようにエリーナを見上げる。エリーナの表情は、にこやかに浮かべる笑みのまま動いていなかった。
騎士は奥歯をかみしめると、声を振り絞った。
「さあ…何を言っているんだ?」
騎士の言葉に、エリーナは更に笑みを深くした。
「正門が破られた!迎撃態勢を整えろ!」
その時、背後から小王国の騎士団員たちの怒号が響き渡った。
内容を聞くに、どうやら自分と同じく隠し通路から城内に侵入した王国騎士団の誰かが、正門を守る騎士たちへの奇襲に成功したらしい。すぐにも、王国騎士団の残りのメンバーが城内に攻め込んでくるだろう。
エリーナはナイフを取り出すと、無防備な騎士の背中に切っ先を当てがった。このまま下ろせば、一寸の狂いもなく心臓を貫通する位置だった。
「どうもありがとう。もうあなたに用は無いわ」
あなたは、私の言葉に驚愕した。
それだけで十分だ。
躊躇なく、ナイフを振り下ろした。
王宮に侵入した王国騎士団は、止まることなく前進を続けた。立ちはだかる小王国の騎士団を相手に戦闘を繰り広げながら、ついに最上階に到達する。
先に隠し通路から侵入していたアーロン・モーセ四等騎士が、ヴァーマリン1世と王妃の居場所を探し当てていた。そこが、この最上階にある部屋だ。
格式高い人物がいることを示すように、腕の良い彫刻師が彫ったのだろう複雑で繊細な模様が施された扉。その扉の前に、騎士団員が並ぶ。
ヴァンスールに向かったノルディの代わりに先頭に立ったセシルは、後ろに控える部下たちに目線で合図を送った。それに、騎士団員たちは無言で頷く。
ピリッと張りつめた空気を肌で感じながら、セシルは扉を蹴破った。
城内に王国騎士団が侵入したのを確認した。このまま国王と王妃のところに向かうのだろう。
先頭には、囮として出立させたノルディに変わってセシルがいた。ならば、何も、自分がいなくてはいけないようなことにはならないだろう。
自分にはやるべきことがある。そのために動けば良い。
果てしなく続くのではないかと思えるほど長い廊下を進む。
しばらく進んだところでふと違和感を覚え、エリーナは足を止めた。
今エリーナのいる廊下には、色鮮やかな花の画がいくつも飾られていた。
画の大きさは、エリーナの膝上から頭一つ分上くらいまであり、かなり大きい。気高い白、爽やかな青、陽気な黄など、さまざまな色を持った花が、廊下の壁を埋めていた。唯一、赤色の花だけが描かれていなかったのだ。
しかし、ようやく1つだけ見つけた。
赤とは言っても、情熱を表す赤ではなく、淡い紫の混ざった、柔らかい色合いの赤だった。
そう、薄紅色。
細長い花弁をいくつも重ね、針のように細く、弓のようにしなる長いおしべとめしべを持つ花。
陽の光に照らされる晴天の空に、その輝くような薄紅色が良く映えている。
エリーナはこの花を良く知っていた。あの頃からずっと、今だって肌身離さず持っているのだから。
ネリネ。ダイヤモンドリリー。
吸い寄せられるように、エリーナはその画に触れた。そっと持ち上げると、画は簡単に壁から離れた。
そして、画が隠していたものを前に、エリーナは口元に微笑を浮かべた。
見つけた。やっと。
エリーナの前には忘れられそうなほど小さく簡素な、しかし確実にどこかへと通じている扉があった。
扉を蹴破り押し入った部屋には、予想通りヴァーマリン1世と王妃がいた。そして、二人の護衛だろうと思われる騎士たちも確認した。
しかし、こちらが国王と王妃の居所を特定したように、小王国の騎士団もこちらの動向を察知していたようだ。
扉を破った瞬間から、小王国の騎士たちと乱闘になった。
モレラスは剣を強く握りしめ、乱れた呼吸を整えた。しかし、動きを止めれば、すぐに狙われる。
背後から立ち上った殺気を感じると同時、振り向きざまに剣を横に振りぬいた。相手の騎士に剣を弾かれるも、その反動を利用して、モレラスの背後にいたもう一人の騎士の腹に、剣の背を叩き込む。
王国騎士団の持つ剣は両刃だ。
剣の背と言っても、殺傷能力は変わらず高い。研ぎ澄まされた剣の刃をまともに腹にくらい、騎士は苦悶に顔を歪めた。しかしそれでも、剣を手放さない。藍色の騎士服を赤く染めながらモレラスに向かってくる。
左右を敵に挟まれた。
同時に繰り出された二振りの光閃を、モレラスは身をかがめて避ける。そして、地面に左手をつくと、そこに体重を乗せて右足を横に振り切った。まずは右側の騎士のかかとを、硬いブーツの先で勢いよく蹴った。どんな豪傑であろうと、足のかかとに強い衝撃を与えられれば激痛が走る。
思わぬ攻撃に、騎士が膝を折った。それを確認することなく、そのままの勢いで身体を起こし、左側にいた騎士に剣を振り下ろす。
流れるように自然な動作だった。
剣舞のような動きに、騎士は目がついていかなかった。
防御が間に合わない!
歯噛みする騎士の隙を逃さず、モレラスは剣先を騎士の首に食い込ませ、水平に斬り飛ばした。切断面から血が噴き出し、首を失った身体がだらりと床に崩れ落ちる。
かかとを打った騎士は、目の前で無残に鮮血にまみれる仲間の姿を見て、憤怒の表情を浮かべていた。瞳の中で、モレラスに対する憎悪の炎が燃え盛る。
「殺してやる…!お前だけは、何としても!」
腹の底から湧き立つような殺意に背中を押され、騎士はモレラスに斬り込んできた。
対するモレラスは、小さく息をついた。
怒りや憎しみは、確かに自分を突き動かす大きな原動力になる。
しかし、それによって我を失ってしまえば、自分の身すら滅ぼしてしまう。
頭に血が上り、俊敏性の欠いた剣筋を避けることはたやすかった。
振り下ろされる剣を最小限の動きで捌くと、モレラスは剣を持ち直し、先ほど剣の背で斬った騎士の腹に、寸分狂わずもう一度刃を叩きつけた。もともと切れていたところに、更に鋭い刃が食い込む。そのまま剣を真横に滑らせた。騎士の腹がぱっくりと割れ、そこから熱い飛沫が噴出する。
ゴポッという音と共に吐血した騎士は、ゆっくりと身体を倒して息絶えた。
部屋に入ってすぐ全体を見渡したセシルは、すぐに行動を開始した。
目当ての人物はすぐに見つかった。
紺色のマントを羽織り、青みがかった銀髪を揺らす、ヴァーマリン1世。かつてのスカルロート王国第二王子。その傍らに寄り添うようにして立っている女性が、恐らく王妃だ。そして、その二人を背後にかばって剣を抜いている女は、二人の護衛だろうか。
側に女性騎士を置いている。そして、彼女の背後にかばわれている国王と王妃の顔には、彼女に対する信頼、彼らの下にいる部下たちへの信頼が、ひしひしと感じられた。
スカルロート王国の王宮内では絶対に見られないであろう光景に、セシルは息をつきながら、口元に小さく笑みを浮かべた。
ああ、なぜスカルロート王国の国王が、彼ではなかったのだろうか。
あまりに惜しい人材を、祖国が失ってしまうことが悔やまれる。
騎士長として、スカルロート5世の側近として、命令には従わなければならない。
セシルは紫がかった赤色の柄を握りしめ、白刀を光らせた。身をかがめ、右足に力を込めて床を蹴る。
朱色のマントが翻り、赤い一閃が部屋を駆け抜けた。まるで火を纏った矢が目にも止まらぬ速さで横切ったかのようだった。
その一瞬の動きの後、その矢の軌道上には、血を吹き出して膝を打つヴァーマリン小王国の騎士たちの姿があった。その全員が、首や心臓など、的確に急所を斬りつけられている。
刃についた赤い血を軽い動作で振り払うと、セシルはおもむろに背後を斬った。セシルの真後ろから跳びかかってきた騎士の両腕を一振りで断ち、開けた顔面めがけて突く。剣先は狂うことなく眉間に深々と刺さり、後頭部に突き出す。頭蓋骨を貫くイヤな感触に顔をしかめ、剣を引き抜いた。
振り返って前を見る。
目の前には、国王と王妃を守ろうと立ちはだかる何人もの騎士たちがいた。その全員の瞳に、力強い覚悟がみなぎっていた。
これだけの家臣たちに慕われているのであれば、やはりヴァーマリン1世は賢い君主であったのだろう。
しかし、もはや引き返すことはできない。
過去には戻れない。
「お前、王国騎士団の騎士長か」
目の前に迫ったセシルに、国王と王妃の盾として立つ女性は尖った声を出した。
利発そうな顔立ちに、意思の強さをはっきりと感じさせる鋭い目。彼女からは、知性の輝きがあふれ出ていた。
今この場で失うには、あまりに惜しい存在。
だが、ヴァーマリン小王国の騎士は殲滅するようにという命令だ。1人残らず消し去らなければ、自分だけでなく部下たちの命も狩り取られる。
1人の命を惜しんで部隊を全滅させるような愚かな判断は下せない。下すわけにはいかない。
セシルは目を細めて腰を落とし、剣を強く握りなおした。
「お久しぶりです、殿下。今はヴァーマリン1世とお呼びした方がよろしいですか?」
「…セシル。相変わらず、兄上の忠犬をしているのか」
部屋の中は悲惨な有様だった。純白の壁や床は、小王国の騎士たちの流した血が飛び散り、赤く染まっている。そこら中に散っている血潮から、鉄臭いにおいが部屋の中で充満していた。
ヴァーマリン1世と王妃は、セシルによって両手首を背中で拘束されていた。王族を示す紺色のマントやドレスには、たくさんの赤いしみがこびりついている。
「レイラ…」
王妃が、すぐ側に倒れている女性を見た。彼女は、ヴァーマリン1世と王妃を守るために己の身体を盾にし、セシルの剣戟を浴びたのだ。肩から腰に掛けてまっすぐ斜めに斬られ、出血も多かった。もうすでに息もなく、脈も無い。
セシルは、王妃が「レイラ」と呼んだ女性にちらりと目をやり、ヴァーマリン一世に視線を戻した。
「やはり、スカルロート15世とは相変わらず考え方が異なるようですね。女性を側近にしていたとは。陛下が知ったら、信じられないとおっしゃいますよ」
「私はその考えが気に入らないのだ!なぜ性別で何もかもを分けようとする?才能ある者を起用することは、国の繁栄にもつながる。それがなぜ分からない⁉」
感情的に声を荒げたヴァーマリン1世――かつての、スカルロート王国第二王子の言葉に、セシルは目を伏せた。
彼の言っていることは分かる。セシル自身も、スカルロート一五世の露骨な男尊女卑の考え方には、何度も眉をひそめてきた。
だが。
「それでも、やり方というものがあるでしょう。分かりあえないと決めつけて、勝手に王国を飛び出したあなたにも問題はあります。互いに歩み寄ろうとしなかったあなたたちのせいで、流れなくてよい血が大量に流れたんです」
「この国の侵攻の指揮を執ったお前がそれを言うのか」
ヴァーマリン一世は口元に皮肉な笑みを浮かべた。
「お前はもっと賢い男だと思っていたよ、セシル。愚かにも、未だに兄上の部下だということが残念でならない」
「私は、陛下の考えを変えたい。陛下の考えは、きっといつか厄災を生み、国を滅ぼします。だからこそ、側で支えていくことを決意したのです。あなたと違って、私はまだ、陛下を見限りたくはありません」
それに、すでに自分は楔を打ち込んでいる。
スカルロート15世の偏った考えを見直すきっかけになるかもしれない種は、この3年でしっかり芽吹いた。これから更に成長し、花を開かせていくだろう存在。
エリーナ・レグリス。
あの子の行く末に、きっと王国の未来がある。
「さあ…あの兄上が、そう簡単に自分の考えを変えるとは思えないな。せいぜい、見限らなかったことを後悔するといいさ」
ヴァーマリン1世は、いびつに歪んだ光を瞳に宿し、薄く笑った。
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