第15話 ヴァーマリン小王国進攻作戦実施

 スカルロート王国王宮の謁見の間で、セシルはスカルロート15世に定期報告を行っていた。内容はもちろん、スカルロート15世の弟が統治しているヴァーマリン小王国についてである。


「ここ数日の間に、兵士の大幅な増強は見られたようです。何が目的かは調査中ですが、隊長クラスの騎士が王宮を頻繁に出入りしていたとの報告が上がっています」


 国王への報告を、セシルはひやひやとしながら行っていた。


 何せ今回のこの報せはかなりまずい。


 今スカルロート王国とヴァーマリン小王国の関係は、グラスいっぱいに水を入れて、あともう少し水を入れただけで溢れかえってしまうような状態なのだ。


 そんな中、隊長クラスの騎士がヴァーマリン一世の根城を何度も出入りし、騎士の増強も行ったとあれば、スカルロート15世の琴線に触れる可能性がある。


 しかし、だからと言って、虚偽の報告をしたり情報を隠したりすると、自分の首が飛んでしまう。


 報告の仕方は慎重に。


 そう思っていたのだが。


「ヴァーマリン一世は、スカルロート王国に侵攻する可能性があるということだな」


 国王のこの一言で、セシルのささやかな配慮は無に帰した。




「そんな!『紅蒼不可侵条約』はどうなったというの⁉」

「陛下にしてみれば、そんなものただの口約束だ。わざわざ私にヴァーマリン小王国の動向を監視させていたのも、全てこの瞬間のためのようなものだからな」


 その日の夕食で、セシルのぼやきによって発覚した、ヴァーマリン小王国進攻作戦実施の決定。

 その事実に、ラザリアは眩暈を起こした。力なく椅子に沈み込み、頭を抱える。


「もう領土の審判はしないという条件ももとで終戦したというのに…」

「陛下にしてみれば停戦だ。それに理由なんてなんでも良いのだろう。要は、小王国に攻め込む大義名分があればそれで良いのだからな」

「けれど、『ヴァーマリン一世がスカルロート王国に侵攻する』なんて、まだ憶測の域を出ないわ!大儀も何もありはしないわ。無茶苦茶よ…」


 普段の穏やかなラザリアとは思えないほど乱れた口調だ。それだけ、この王国とヴァーマリン小王国の不安定な関係を危惧していたのだろう。


 テーブルに伏せる勢いで頭を抱える妻を、背中をさすってなだめると、セシルはため息をついた。


「気持ちは分かるが、ラザリア。もうこの話はここまでにしておこう。万一誰かに聞かれは大変だからな」

「……そうね。ごめんなさいね、取り乱してしまって…」

「いや…。そういえば、エリーナ。お前は驚かないんだな」


 食事の席に大人しく座り、黙々と料理を口に運んでいたエリーナは、ふと顔を上げた。


「そうですね。正直に言うと、ああやっぱりという気持ちです。むしろ、よく今まで騎士団を強行派遣することなく耐えてこられたな、と思うくらいですね」


 意外と明け透けにズバズバとものを言ったエリーナに、ラザリアは目を丸くし、セシルは苦笑した。


「返す言葉もないな…。恐らく、近いうちに作戦決行の合図が出る。それまで、しっかり訓練して力を付けていなさい。作戦開始は結構事項だから、もうどうしようもない。今度の戦いでも、活躍を期待している。エリーナ・レグリス准二等騎士」

「はい」




「ヴァーマリン小王国と戦いになる。またしばらく帰ってこなくなるから、屋敷のことは頼んだぞ」

「承知いたしました。お気をつけて、いってらっしゃいませ」


 茜色の常勤服を脱ぎ、部屋着へと着替えるノルディに、その妻テレイン・クレイバーンが小さく頭を下げた。感情の見えない面のような表情の妻に、ノルディは内心舌打ちした。


 息子のカルヴィンと話している時は朗らかな優しい表情を見せるというのに、なぜ自分の前では無表情になるのか。話をしていても自動的に言葉を返しているようで、そもそも会話にすらならないのだ。


 結婚当初は、そんなことはなかったというのに。


 そのもどかしいイライラした気持ちが、つい口をついて出た。


「主人が戦いに行くんだぞ。もっと他に言うことはないのか」


 思いがけず尖った声が出たが、ノルディは構わずテレインを見下ろした。


 戦場に立つ者にさえ〈ヤマカガシ〉と恐れられている彼に真正面から見下ろされても、テレインは眉一つ動かさなかった。化粧を施した唇を小さく開くと、冬のような寒々しい、冷たい声が吹いた。


「ヴァーマリン小王国で新しい女を作らないようになさってくださいね。いつか後ろから、恨みを持った女に刺されますよ」

「な…!」


 テレインはそれだけ言うと、くるりと踵を返して退室しようとする。ノルディは彼女の肩を掴み、自分の方を向かせた。


「なんだそれは。変な言いがかりをつけるのはやめろ!」

「私が妄言を吐いているとおっしゃるのですか?」


 テレインは、あくまで冷静だ。凍てついた氷のような瞳を向けられて、怯んだのはむしろ、ノルディの方だった。


「私は別にあなたが女性とどうこうしようと構いません。ですが、カルヴィンの前ではお控えくださいね。あの子はあなたのことをとても尊敬しているようですから。幻滅させたくはありません」

「さっきから、何を根拠のない話を…」

「それから、この一年ほど、こそこそと何かなさっているようですが、それもやめられることをお勧めいたします。ろくなことがありませんよ」


 テレインの芯の通った声音と、何もかも見透かしたようにまっすぐ自分を見つめる瞳に、ノルディはグッと喉を詰まらせた。


 反発しようと絞り出した声も、いつもの覇気のある力強いものではなかった。


「…でっち上げを、まるで真実かのような口調で話すな」


 対するテレインの声音は、憎たらしくなるほど変わらなかった。


「ずっと屋敷にいるから何も知らないと思わないでくださいませ。動かないからこそ、見えるものもあるのです」


 テレインの静かな声が、部屋に重みをもって落ちた。




「ヴァーマリン小王国への進攻作戦を実施する!」


 太陽がじりじりと肌を焼く中、王国騎士団所属騎士全員が本部に集められた。目が覚めるような赤色の朱評殿を背後に、セシルが前に立つ。


「敬礼!」


 ザッとかかとを鳴らす音が一切の乱れなく響き、全員が訓練された動きで敬礼を送る。


「なおれ!休め!これから、ヴァーマリン小王国との戦いが始まる。国王陛下からのご命令は、『ヴァーマリン一世とその王妃の生け捕りと、小王国の兵士の殲滅』!そのためならば何をしてもかまわない。陛下と、騎士長たる私が責任を持つ。何としても、ヴァーマリン小王国を制圧するのだ!」


 腹の底に響く声に引かれ、騎士団全体に緊張したような張りつめた空気が走る。


 その中で、エリーナは朱色の戦闘服の上から胸元を強く握りしめた。ペンダントの硬質な感触が伝わってきた。それだけで、不思議と力が湧いてくる。


 騎士団に正式に所属して三年。


 その間にいろいろな死線を潜り抜けてきた。


 だが、今日の戦いは今までとは違う。


 いつになく早鐘を打つ心臓に、エリーナはこっそりと深呼吸をした。だが、鼓動は留まることなく、相も変わらず熱い血液を全身に送る。


 初陣の時ですら緊張しなかったというのに、今更これほどそわそわと身体が強張るとは思わなかった。自分にまだ「緊張する」心が残っていたのかと思うと、おかしくて笑いそうだ。


 この戦いは、きっと自分の運命を変える。


 吉に転ぶか凶に落ちるかは、自分の行動次第。

 

 もう一度布越しにペンダントを握りしめると、エリーナはキッと前を見据えた。




「国王陛下!スカルロート王国の王国騎士団が動き出しました!」


 ヴァーマリン王国の王宮は、スカルロート王国からの宣戦布告のせいで、戦争準備に誰もが忙しなく動いていた。


 そんな中、側近からの報告を受け、その場にいた全員の顔に緊張が走った。


 青みがかった銀色の髪を後ろにまとめ、紺色のマントをはためかせて、ヴァーマリン1世は即座に指示を飛ばす。


「第五団隊の騎士を国境に配置!そこで騎士団を迎え討て!」

「は!」


 ヴァーマリン1世の指示に、その場にいた騎士たちが素早く動き出した。


 行動を開始した騎士たちも、あちこちで指示を飛ばし、着々と準備を整えていく。


 それを確認して、ヴァーマリン1世は側近を振り返った。


「レイラ。お前は、王妃を連れてここを離れろ」

「あなた⁉」

「陛下⁉何をおっしゃるのですか⁉」


 すぐ近くで地図を広げて戦況の予測をしていた王妃が立ち上がり、側近――レイラは、目を見開いて国王に詰め寄った。


「私は国王陛下と王妃に一生かけてお仕えすると誓った身です!お二人のためならば、私は喜んで死にましょう。ですが、陛下を置いて戦場に背を向けることなど、できるわけがございません!王妃と私に逃げろとおっしゃるならば、陛下も共にお逃げください!」

「そうよ!私が生き残ってもどうしようもないわ!それに、王妃である私が国を捨てて逃げるなんて、そんなことできない!」


 レイラと王妃の叫びに、ヴァーマリン一世は苦し気に顔を歪めた。


 二人の言っていることは分かる。

 

 だが、この戦争の相手は自分の兄だ。


 目障りな弟を、この機会に確実に潰しに来る。


 そうなった時、この二人の命の保障なんてどこにもない。


 ただでさえ、女性を軽んじ、文官にも起用しようとしない人物なのだ。また、周囲の反対の声を力でねじ伏せ、無理矢理王位を継ぐような、わがままで傲慢な暴君だ。

 

 何をされるか分かったものではない。


 そんなヴァーマリン1世の考えが伝わったのだろうか。


 王妃とレイラは顔を見合わせると、王妃は夫の背に手を乗せ、レイラは膝をついた。レイラの高く結い上げられた髪が、頭を下げたことで顔の横を滑り落ちる。


「国王陛下。私は、生まれはスカルロート王国ですが、このヴァーマリン王国に育てられたと言っても過言ではありません。女の身である私を、家名も持たぬただの貧しい家の出である私を、騎士として、側近として、雇ってくださいました」

「それは、レイラに才能があったからであって…」


「ですが、その才能を見出してくださったのは、他でもない陛下と王妃です。あの日が無ければ、今の私はありません。あの日が無ければ、私はここまで成長することはできませんでした。ですから陛下。どうか私に、最期までこの国のために尽力させてください!たとえそれで命を落そうとも、この国のため、陛下と王妃のためであれば、本望であります」


「あなた。私もレイラと同じよ。スカルロート王国にいたままなら、女性はただの無力な存在だと思われ続けて、何の役にも立てなかったでしょう。でも、このヴァーマリン王国に来てからは、私も輝くことが出来たわ。役に立てていると実感することもできたの。だから私も、最後までこの国のために立ち続けるわ」


 レイラと王妃の覚悟の決まった強い言葉に、ヴァーマリン1世はグッと拳を握りしめて目を閉じた。まだ迷う素振りは見せたものの、次に目を開くと、そこにはもう迷いは消えていた。 


 そこにあるのは、覚悟を決めた強い生命の光だった。


「分かった。最期の瞬間まで、みんなで抗おう。力を貸してくれ」


 国王の言葉に王妃とレイラはぱっと表情を明るくすると、すぐにそれを引き締めた。


「もちろん」

「最期までついてまいります」

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