第14話 炎

 学院内を好きに見て行ってくれて構わない。


 そう言われて学院長と別れたエリーナは、特にすることも無かったので、ふらふらと適当に学院内を歩いていた。

 今は授業時間中のため、廊下を歩いていても誰ともすれ違わない。臙脂色の学院制服の集団の中で、一人だけ騎士団の茜色の常勤服は目立ってしまう。授業が終わるころには退散した方が良いだろう。


 二、三年前の在学時から何も変わらない校舎の中を、静かに進む。ツルツルに磨かれた石の床を、ヒールを鳴らしながら歩いた。


「それでは、スカルロート王国とヴァーマリン小王国がなぜ敵対関係にあるのかを説明しましょう」


 真横から聞こえてきた男性教師の言葉に、エリーナは思わず足を止めた。


 目線を向けると、廊下に面している窓から教室の様子が見えた。焦げ茶色の机に教科書と羽ペンを広げ、同色のイスに座って授業を真剣に聞き入る学生たちがいた。

 そして、そんな生徒たちの目線の先には、資料を片手に朗々と語る男性教師がいた。


 アミュリッタ学院では基本的に剣や体術の訓練など身体を動かす授業が行われる。しかし、国を背負う騎士となる以上、自国の歴史や文化、そして周辺諸国とその関係についても知っていなければならない。そのための座学も、しっかり卒業過程に組み込まれていた。


 この国の識字画率は、他国と比べても高い方だ。国民たちは地域に設立されている学校で文字を習い、基本的な一般教養も身に付けている。

 この学院で習うことは、その学校よりもより専門的な知識である。騎士として恥じない教育を身に付けることが求められていた。


 そのため、基本的には、入試の段階で文字が読めない人はいない。もしそのような人間がいたとしても、入試会場にすら足を踏み込むことが出来ないだろう。

 まあ最も、文字が読めない人間は、この国の中では地下街出身者しかほぼいない。

 そのせいか、エリーナのような、地下街で生活したことがあるという経歴の持ち主は皆無と言ってよかった。


教室の前で足を止めたエリーナに気付くことなく、教室では淡々と授業が続けられていた。


「スカルロート王国の先代国王陛下、スカルロート一四世には、王位継承権を持つ王子が二人いました。そのうちの一人が、現国王陛下のスカルロート一五世です。そして、もう一人の王子が、スカルロート一五世の弟君であります」


 この二人の王子は、意見の衝突がしばしばあった。何度話し合いの場を設けても、側近が仲介に入っても、二人の考えが合致することはついぞ無かった。


 やがて、スカルロート一四世が病で亡くなり、どちらが王位を継ぐかという話し合いが何度も繰り返し行われた。第一王子の派閥と第二王子の派閥が生まれ、王家が分断される中、結果として第一王子が即位した。


 もちろんそのことに納得しないのは第二王子とその派閥である。


 スカルロート一五世の統治となって一〇年後、第二王子は王宮を飛び出し、王国の北方にある小さな土地に自分の王国を築いた。それが、ヴァーマリン小王国である。そこで自らを国王とし、ヴァーマリン一世と名乗ったのだ。


 弟の横暴な行動に、スカルロート一五世は激怒した。自分が国王になれなかったからなどという勝手な考えで、独断で国を創ってしまうなど、許されることではない。


 こうしてスカルロート一五世が兵を挙げてヴァーマリン小王国の鎮圧に乗り出し、それにヴァーマリン一世も対抗した。それが、『スカルロート王国分断戦争』である。


 結果、ヴァーマリン小王国は領土を維持し続け、そこで王政を本格的に始めた。スカルロート一五世も、ここまで強硬な姿勢を崩さない弟に折れ、ヴァーマリン小王国を認め、分断戦争は幕を閉じた。

 

 その際、ヴァーマリン小王国とスカルロート王国は、互いの領土を侵犯しない、という『紅蒼不可侵条約』を締結した。


 それから現在に至るまで、スカルロート王国とヴァーマリン小王国の間で争いは起こっていない。国境付近で騎士同士の睨み合いは続いてはいるものの、膠着状態のままであった。


 教師の説明を耳にしながら、エリーナはふと教室とは反対側の窓に目を向けた。ここからもっと先に進めば、ヴァーマリン小王国に辿り着く。


 教師は分断戦争の内容をほとんど話さなかったが、あの戦争は、当時地下街にいたエリーナにとって、まさに地獄絵図だった。


 ヴァーマリン小王国の土地は、もともとスカルロート王国の辺境の地だった。自然が豊かで静かな場所だったが、逆に言えばそれ以外は何もない。

 全く発展していない土地のため、そこにいる人々はとても貧しかった。エリーナが売られた地下街もまさにその土地の近くにあり、戦火を直に浴びたのだ。


 貴重な食材は燃えてチリとなり、衣服や仮小屋も灰になり、風に乗って消し飛んだ。


 当時の王国騎士団の横暴で死んだ人間も多かった。

 ヴァーマリン小王国が一向に降伏しないために状況が進展せず、騎士団員の憂さ晴らしに、数えきれないほどの地下街の人間が犠牲になった。

 幸いエリーナは幼かったために、小柄な身体を物陰に潜めて、身を隠すことで逃げ切ることができた。


 しかし、戦争が終わって表に顔を出すと、辺りは見る影もない悲惨なものになっていた。少なくとも一週間はまともなものを口にできず、餓死寸前まで追い込まれたのだ。

 

 学院の授業では、スカルロート一五世がわがままなヴァーマリン一世の主張を寛大な心で受け入れたように教えているが、当時の戦争を間近で見たエリーナにとっては、そうとは思えなかった。


 ヴァーマリン一世の必死の抵抗に、王国騎士団側が疲弊したから、早々に停戦条約を結んで引き返させたように感じた。


 恐らくあの国王は、まだヴァーマリン小王国を諦めていない。


 近い将来、何かしらの理由をつけて、小王国を狙うだろう。そして今度こそ、完全に潰すつもりだ。


 目線の先には、爽やかな風に揺れる木々、楽しそうに笑う人々、タイルの敷き詰められた美しい街並みという、穏やかな景色が広がっている。

しかしエリーナの目には、その景色が戦火の炎に呑まれていく光景が映っていた。



 それから一年後。


 ついにその日がやって来た。


「ヴァーマリン小王国への進攻作戦を実施する!」


 スカルロート一五世の命を受けたセシルの号令と共に、王国騎士団が動き出した。

 じりじりと地面を灼熱の炎が焼き焦がす、暑い季節だった。


 不安定な均衡が、ついに音を立てて崩れた。

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