第13話 約束
「エリーナ、手を出して」
家の庭で遊んでいると、突然そんなことを言われた。
「何?どうしたの?」
「いいから、手を出してってば」
何なのかと聞いても教えてくれない。それに、顔いっぱいにワクワクした様子が出ていて、ついこちらもドキドキしてしまう。
一体何だろう?
言われた通りに、大人しく右手を差し出す。すると、ポンと何かが乗せられた。
薄紅色の、たくさんの細身の花弁が重なる美しい花をステンドグラスとして埋め込んだワッペンだった。
まるで、本物の花がそのままワッペンになったかのような、繊細な細工だった。
陽射しに当たってキラキラと光を反射するその美しさに、思わず息を呑んだ。手のひらに乗るその花を、食い入るように見つめる。
「うわぁ…!すっごくキレイ‼何のお花なの⁉」
すると、得意げに胸を張って、自慢げに口を開いて話し始めた。
「このお花はネリネって言うんだよ。別名ダイヤモンドリリー!どう、きれいな名前でしょ?」
「ネリネ…ダイヤモンドリリー…」
「このお花、エリーナみたいじゃない?これ見た時に、エリーナの顔がパッて思い浮かんだんだ!」
思いがけない言葉に、目を瞬かせた。
「え…私?でも私、こんなにキレイなお花、きっと似合わないよ」
「そんなことない!エリーナはかわいいよ!」
言い切られた言葉に思わず頬が赤くなり、言った本人まで少し照れたようだ。
思いがけず流れてしまった甘酸っぱいような、むず痒い空気を振り払うように、身を乗り出して力説された。
「ネ…ネリネの別名はダイヤモンドリリーって言ったでしょ?それって、この花の見た目から来てるんだって!花弁が陽射しに当たると、キラキラってすっごくキレイに輝くんだ!」
手元のワッペンを見つめていた空色の目が、ふと深紅の髪を映した。
「エリーナの髪も、お日様を浴びるとすっごくキラキラするでしょ?光の雨が降ってるみたいで、本当にキレイだよね」
そう言って、髪を一房すくうと優しくなでられた。髪に触れる指が、とても暖かい。
髪からそんな感触が伝わることは無いというのに、この時は心が満たされ、髪をほめてもらえたことに浮かれていた。
「だから、この花について知ったとき、真っ先にエリーナのことが浮かんだし、エリーナにあげたいって思ったんだ」
手のひらのワッペンごと、きゅっと暖かい手に自分の手が包まれた。自分の熱と相手の熱が混ざって、とても心地よかった。
「だから、持っててほしいんだ。これがある限り、どんなに遠く離れててもずっと一緒だよ」
「え…?」
まるで、どこかに行ってしまうかのような言い方が引っかかった。
「ど、どういうこと?どこかに行っちゃうの?」
聞くと、寂しそうな目をして、顔を伏せられてしまった。
急に、胸が鋭い刃物で突き刺されたような痛みを感じた。
「い、イヤだ!イヤよ、もっといっぱい遊びたい!もっとお話ししたい!」
「エリーナ」
「そんな、急にいなくなっちゃうなんてイヤだよ…!寂しいよ、悲しいよぉ…!」
ポロポロと涙があふれてこぼれていく。困っている気配を感じるから必死で止めようと思うのに、全く言うことを聞いてくれない。頬を後から後から水滴が撫でていく。
情けない姿を見られたくなくて、思わず顔を俯けた。
ああ、面倒くさいと思われているかもしれない。
でも、寂しい。悲しい。この気持ちをごまかして、笑ってお別れできるほど大人になっていない。
しゃくりあげていると、突然ふわりと暖かく柔らかいものに包まれた。一瞬遅れて、優しく抱きしめられているのだと気付く。
「分かるよ。僕だって、寂しいし悲しい。でもね、エリーナ」
頬に手を当てて、上を向かされる。視界いっぱいに、泣き笑いのような不器用な、でも暖かい笑顔が映った。
「生きてたら、いつか絶対会えるから。だから、その時にいっぱい、いろんなお話をしよう」
力強く言ってくれたその言葉に押されて、コクコクと何度も頷いた。涙を拭って、ネリネのワッペンをギュッと握りしめた。
「うん。私、ずっとこのワッペン持ってるからね。遠くに行っちゃっても、絶対忘れないから!」
そう言って、今の自分にできる精一杯の笑顔を見せる。それを見て、はにかみながらも笑ってくれた。
「やっぱり、エリーナは笑ってる方が良いよ。エリーナの笑顔は、人を明るくする力があるね。元気がもらえるよ」
そう言うと、温かい両手で優しく手を握ってくれた。
「約束だよ、エリーナ。絶対忘れないでね」
「うん!約束ね」
「シオン」
ハッと目が覚めた。
薄暗い天井が目に飛び込んでくる。目線を横に向けて窓を見ると、まだまだ夜明けには程遠かった。
重い頭をふらふらと起こす。
久しぶりに夢を見た。
それも、随分と懐かしいものだった。
あれは確か、六歳の時だったか。
家が隣同士で、よく遊んでいた幼馴染から突然お別れを言われ、寂しくて大号泣したのだ。
まさかその翌日に、実の母親の手によって、治安の悪い地下街に売り飛ばされるとは思いもしなかった。幼馴染が引っ越す前に、エリーナがいなくなる結果となったのだ。
シオン。
音にはしないで、口だけでその名前を辿る。
シオン。
それが、かつての幼馴染の名前だ。
陽だまりに包まれているように、一緒にいると心が温かくなった。
いつもニコニコと笑っていて、その笑顔を見ると、イヤなことがあってもそれほど気にならなくなった。
幼いエリーナにとっては、ヒーローのような存在だった。実際、実の母親からは「エリーナとシオン君は、同い年なのにお兄ちゃんと妹みたいね」とよくからかわれたものだ。
シオンとは、地下街に売り飛ばされた六歳のころから一度も会っていない。
売られてからセシルに拾われるまでの三年間、毎日生き延びることに必死だった。自分の力でシオンに会いに行けるような状況ではなかったのだ。
突然いなくなったエリーナのことを、シオンはどう思っただろうか。
心配したのだろうか。何も言わずにいなくなったエリーナに怒っただろうか。
エリーナはゆったりとしたネグリジェの上から、そっとペンダントを握りしめた。硬質な飾りの感触が布越しに指に伝わってくる。
セシルに拾われてから、エリーナが自分でワッペンを加工してペンダントにした。地下街にいたころは、その日を生き抜くことに手一杯で、加工する暇も金も無かった。
今、シオンはどうしているだろうか。あの日の約束を、ちゃんと覚えてくれているのだろうか。
『これがある限り、どんなに遠く離れててもずっと一緒だよ』
『生きてたら、いつか絶対会えるから』
この言葉のおかげで、地下街を生き抜くことが出来た。
会うことが出来なくなった今でも、シオンはエリーナを支えてくれている。
胸元から、そっとペンダントを抜き出した。薄暗い部屋の中でも、その薄紅色は美しさを損なわない。
何があっても常に共にあり、励まし続けてくれていた。これからも、この花は自分を支えてくれる。
シオンと再会する、その日まで。
エリーナが王国騎士団に所属して、早くも二年が経過した。
この二年の間、王国は勢力を拡大し続け、領土は二年前のおよそ二倍に、更に、周辺諸国から鉱山や天然資源などの所有権も獲得していった。
数々の戦いの中で、エリーナは着実にエリート騎士の階級を登っていた。
戦いで功績をあげ、同期の多くが六等騎士にとどまり、良くて五等騎士に昇進という中、ただ一人、三等騎士に昇進した。
今は、レアギンダ率いる第二部隊に所属している。
二年でこれだけの速度で昇進していった騎士はいない。
当初は胡散臭げに見られることの多かったエリーナは、今ではむしろ、尊敬と畏怖の眼差しを向けられることがほとんどだった。
そして今、エリーナはアミュリッタ学院の学院長に頼まれ、学生たちの訓練の見学をしていた。学院全体の生徒たちの熟練度を見てほしいという内容だった。
訓練場は学生たちの熱気にあふれ、湯気が幻視できそうだった。学生たちの覇気のある声がこだまし、木剣を打ち合う音が反響する。
「どうですかな、レグリス三等騎士。あなたの目から見て、この学生たちの腕前は」
二年前の卒業式の時よりずいぶんと目線が近くなったことに感慨を覚えつつ、学院長は前を歩くエリーナに話しかける。
エリーナはしばらくじっと学生たちの打ち合いを見ていたが、やがてニッコリと学院長に笑みを向けた。
「だいぶ良いのではないですか?この調子で訓練を積んでいけば、実践に行ってもそう簡単には死なないでしょう。ただ…」
エリーナは、近くにいた二人組の学生にスタスタと近づくと、片方の男子学生の木剣をひょいと奪い取った。
剣を奪われた学生も、相対していた学生も、はたまた学院長も驚いて身体を硬直させた。
学生と言っても、年齢はエリーナよりずっと上で、身長差も体格差もかなりある。
それでも、木剣を手にしたエリーナからは、二年もの間実戦経験を積み上げ、死地を何度も生き延びた、強者の雰囲気がにじみ出ていた。
近づいただけで斬られるような、鋭利な刃物のようだった。
その空気に当てられ、学生二人はごくりと唾を飲み込んだ。一瞬にして温度の下がった空気が伝播したのか、周りの生徒たちも思わず訓練の手を止めてしまう。
先ほどまでの熱気が嘘のように冷え、静まり返ったその場を全く気にすることなく、エリーナは微笑みをたたえたまま、相対する学生にスッと木剣の切っ先を向けた。
「あなた、私と手合わせしなさい」
「え…⁉」
唐突なエリーナの言葉に、周囲は騒然とし、言われた学生はかわいそうなほど顔を青ざめさせた。
その反応は仕方ないだろう。
見た目はただの十四歳の小柄な少女だとしても、その戦歴からの功績が、すでに並の騎士のレベルではない。
更に、王国騎士団副騎士長ノルディ・クレイバーンの異名〈ヤマカガシ〉に次いで、〈リコリス〉という異名でささやかれているのだ。
もはやアミュリッタ学院内では生きる伝説のように噂される少女相手に学生が挑んだところで、結果なんて目に見えている。
それはエリーナも分かっているだろう。しかし、彼女はなおも言いつのった。
「何してるの?早く構えなさい」
まるで、「今からちょっと散歩に行こう」とでも言うかのような、軽い口調だった。しかし、拒否して逃げ出すことを許さない威圧もあった。
カタカタと震えながら、学生が剣を構える。この学生は、体格の出来上がっている仲間たちの中では年齢も低く、まだ完全な肉体はできていない。
そのため学生たちの間では、弟のように思われることも多かった。
しかし、こうして年下の少女と並ぶと、やはり体つきは男のものだ。エリーナの方が、かなり小さく見えてしまう。
それなのに、小柄な身体が大きく見えてくるほど、エリーナの姿は堂々と肝が据わっていた。身体の大きな学生の方が委縮して小さく見えてしまうほどに。
それほどの貫禄が、エリーナからは滲み出ていた。
誰もがかたずを飲み、二人を見守る。痛いほどの沈黙が降りた。
「いつでもどうぞ。かかってきなさい」
剣を構えることなく無造作に佇むエリーナに、学生は一瞬ぐっと息を詰めた。
しかし、かかってこいとエリーナは言った。いつでもいい、とも。
ならば、遠慮する必要はない。己の全てを込めて、訓練の成果を発揮するまで。
学生の間に三等騎士と手合わせできるなんて、普通は無い。この機会を自分のために、有効に活用するのだ。
腹をくくった学生は剣を持つ手に力を籠めると、訓練場の床を蹴った。
一気にエリーナに肉薄し、心臓の部分を狙って剣を突く。剣先がエリーナに触れる前に、剣が彼女の持つ木剣によって弾かれた。思いがけず強い力で反発されたものの、体勢を崩すほどではない。
学生は緊張で身体が強張り、じんわりと冷や汗をかいた。手汗がにじみ、木剣が滑りそうになるのを必死で耐える。
対するエリーナは、目の前で歯を食いしばる学生を煽るように、ニッコリとほほ笑んでいた。
しかし、その表情は、まるで絵のようにピクリとも動かない。
完全に試されている。
それをひしひしと感じた。
学生は奥歯をかみしめると、気合を剣に込め、出したことの無いほど大きな雄叫びを上げて、エリーナに立ち向かった。
結果はやはりと言うべきか、学生の完敗だった。
手合わせの間、何度学生が打ちかかっても、エリーナはその場で体勢を崩すことが無かった。
エリーナは、学生の打ち出す剣を次々と剣先だけで弾き返し、攻めることなく防衛戦に徹していた。
それでも学生は、エリーナから一本も取れなかった。
やがて集中が途切れてところで、エリーナの剣が光の速さで動き、気付くと眉間を剣先で打たれていた。
眉間に鋭い痛みが走り、思わず顔を片手で覆ったところで、彼女の目の前に無防備にさらした後頭部を剣で強打された。
叩きつけられた衝撃で頭から床に落ち、今度は額を打ち付けた。ゴンッとかなり大きな音が訓練場に響く。
学生が床に完全に伸びたところで、手合わせは終了した。
眉間、後頭部、額と、三か所も打った学生は、痛む部分をさすりながら起き上がった。その学生に、エリーナは優雅な足取りで側に行く。
「お疲れさま」
ニッコリほほ笑むエリーナに、学生は恐縮した様子で頭を下げた。
「あ…お疲れさまです。あの…」
「良い太刀筋だったわ」
「え…」
思いがけない言葉だったようで、学生は目を瞬かせた。何を言われたのか理解していないのだろう。だが、それに構わず続けた。
「体幹もしっかりしていたし、相手の姿勢を崩そうとするのも良かった。剣さばきも悪くなかったわ。隙をついて相手を倒そうとする積極性も合格。ただ、もう少し攻めを強くした方がいい。それから、集中力が切れるのが早すぎる。戦いなんて、今回の手合わせのように数分で終わらないし、敵も自分を殺しに来る。そんな中で息を乱したら、あっという間に殺されるわよ」
温度を失くした、冷え冷えとした声音が響いた。
十四歳の少女が出すとは思えぬ重みのある声と雰囲気に呑まれ、訓練場内は静寂に包まれた。
身動きすら取れなくなった学生に、エリーナは周りの空気を変えるように、先ほどと変わらぬ笑みを見せた。
「でも、それは今後の訓練でしっかり身に付けていけば良い。今の段階でここまでできるなら十分よ。これからもしっかり励みなさい」
エリーナの激励の言葉に、学生は目を輝かせた。風を切る勢いで頭を下げる。
「は…はい!ご指導、ありがとうございました‼」
エリーナは目を細めると、学院長と共に訓練場を出ていった。
その後ろ姿を見送った後、エリーナと手合わせした学生の元に、その場にいた生徒全員が群がった。
「おい、打ったとこ大丈夫か~?かなりでかい音してたよな!」
「レグリス三等騎士に褒められるとかすごいなお前!」
「手合わせも良かったぜー!」
仲間たちに撫でまわされ、学生は照れた笑みを見せた。ぐりぐりと彼の頭を小突いていた学生の一人が、嬉々とした表情で、声高々に言った。
「さすが、副騎士長様の息子だな!」
訓練場から聞こえた声に、エリーナはピクリと振り返った。
エリーナが出ていったあと、学生たちが散々言いたい放題しているは分かっていた。声が大きかったために、多少離れていても聞こえたのだ。
仲が良いことだと意にも介さなかったのだが、先ほどの発言は耳に留まった。
突然歩みを止めたエリーナに、学院長が不思議そうな顔をして振り返った。
「レグリス騎士?どうかしましたかな?」
「いえ…」
エリーナは一瞬目を泳がせたものの、学院長に顔を向けた。
「学院長。お尋ねしますが、先ほど私が手合わせした学生は、何という名ですか?」
学院長はぱちぱちと目を瞬かせると、にこりと微笑んだ。
「彼ですか?彼は、カルヴィンという名です。カルヴィン・クレイバーン。王国騎士団副騎士長ノルディ・クレイバーン一等騎士のご子息ですよ」
ノルディの息子。
自分が目に留め、声をかけた学生が、まさかあのノルディの息子とは。
というかあの男、私よりも年上の子供がいたのか。
「そうですか」
何とも言えない複雑な気持ちになりつつ、エリーナは歩みを再開した。
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