第12話 戦場の彼岸花

「お初にお目にかかります、オランローネ帝。スカルロート王国国王陛下の代理で参りました、王国騎士団騎士長セシル・シャルティーでございます。どうぞ、お見知りおきを」


 恭しく頭を下げながら、しかし戦の勝利国として鼻高々な様子を隠そうとしない、セシルという男を前に、オランローネは渋面で応じた。


 ここは、スカルロート王国とブルトファン帝国の国境グラックス山脈の麓に設置された、この日のために創られた小さな建物の中だ。


 一カ月前、ブルトファン帝国はスカルロート王国との戦いに敗れた。


 アランチア王国カリーチ王の兵士の将が、王国騎士団副騎士長ノルディ・クレイバーンに敗れた。 

 

 ブルトファン帝国オランローネ帝の兵士の将が、なんとこの戦いが初陣だという、たった十二歳の少女騎士に敗れた。


 完膚なきまでの完敗だった。


 互いの将の戦士後数日間は耐えたものの、戦死者が天井知らずに上り続けた。対する王国騎士団は、勢いの衰える様子が全くない。


 これ以上の戦いは、無駄な犠牲を生んでしまう。


 そう判断したオランローネは降伏を示し、カリーチも渋々それに倣った。


 戦いの舞台がブルトファン帝国の首都であったことから、後に『ブルトカールの戦い』と呼ばれるこの戦いを完全に終わらせるため、こうして会談の場にやって来たのだ。


 話し合いは淡々と進んだ。当たり前だ。完全なる敗戦国であるブルトファン帝国には、戦勝国であるスカルロート王国の突き出す要求に口を出すことも、ましてや拒否をすることもできない。


 こうしてブルトファン帝国は、自国の武器の生産を支えるロール鉱山の永久租借権の貸与、ロール鉱山周辺の複数の都市の支配権の譲渡を認めることになった。


 スカルロート王国王国騎士団騎士長セシル・シャルティーと、ブルトファン帝国皇帝オランローネによって、『グラックス条約』が締結された。




 荘厳な鐘の音が空気を揺らし、幸福を願うように長く響いた。色とりどりの華やかな花吹雪が、祝福を表すように空を舞った。


 暑さが過ぎ去り、樹木は次第に赤茶色へと姿を変えていった。穏やかな風に吹かれて、周りの木々が葉を擦れ合わせて唱和する。


 暖かな色彩の中、光り輝くように純白を放つ教会は、一際暖かな雰囲気に包まれていた。


 王国騎士団騎士長の長男であるモレラス・シャルティーと、公爵家の令嬢アイシア・ラフィーネの結婚式が行われているのだ。


 アイシアは、はちみつ色のとろけるような甘い瞳と、艶やかな栗色のブロンド髪が大変印象的な女性だ。教養が備わり、また利発で聡明な、まさに才色兼備という言葉をそのまま体現している。


 アイシアの母親は、彼女が幼い頃に病死している。そのため、父親のレオンス・ラフィーネが、手塩にかけて彼女を育て上げたのだ。


 そんな自慢の愛娘の美しい晴れ姿を見て、結婚式の準備中にレオンスが男泣きを上回る大号泣をしたというほっこりした笑い話もある。


 扉を開いて庭園に登場した新郎新婦に、歓声のような祝福の拍手が送られた。寄り添って並び立つモレラスとアイシアの左手の薬指には、先ほど誓いの言葉と共に交わした銀の指輪が輝いていた。


 アイシアのドレスはふわりと柔らかいソフトチュールとフリルのついた、裾の広がったスカートで、ウエストには繊細な薔薇の意匠が施されている。

 モレラスのタキシードは、淡いアイボリーカラーであり、光沢で輝きながらも上品な衣装になっている。


 白く輝く二人を見て、フローティアは頬を染めながらほう…と吐息をこぼした。


「素敵ね…。アイシアお姉さま、今まで見た中で一番キレイだわ」


 そうこぼす本人も、今日のために目いっぱいドレスアップしている。ピンクチュールのふわりとしたスカートには、繊細な花と蝶の刺繍がされていて、フローティアが動くたびに、妖精がふわふわと飛んでいるようだった。


 そんなフローティアの隣で、ラウスもコクコクと頷いた。


「何度か遊んでもらったことがありますが、とても優しい方で、義姉になるのが本当に嬉しいです」


 アイシアは、モレラスの許嫁になった五年前から、よくシャルティー家に遊びに来ていた。また、エリクトル家とラフィーネ家は親戚同士で交流があり、フローティアも彼女のことを慕っていた。


 そんなアイシアの、幸せに満たされた輝かしい笑顔に、ラウスもフローティアも胸が熱くなる。


 大勢の参列者に祝福され、見守られるモレラスとアイシアの姿は、まさに世界中の誰よりも美しいと確信できた。


「ラウス、フローティア。今日は来てくれて、本当にありがとうね」

 手触りの良い上質な絹のような、耳に心地よいソプラノが耳に入った。参列者の挨拶に回っていたアイシアが、ラウスとフローティアに目線を合わせてかがむ。


 絵本からそのまま出てきたお姫様のような花嫁を目前にして、ラウスもフローティアもドキドキと心臓をはねさせた。


「い、いいえ!アイシアお姉さま、とってもおきれいです!お姫様みたいですわ!」

「アイシア様、モレラス兄さんは少し頼りないところもありますが、どうぞよろしくお願いいたします!」


 緊張したように声を張って頭を下げたラウス二、アイシアが口元に手を当てて上品に笑う。


「あらあら、そんなこと言ったら、お兄様へこんでしまうかもしれないわね。モレラスはとっても頼りになる方で、私を大切にしてくださっているわ。むしろ私の方こそ、よろしくお願いしますと言わないと」

「ラウス、お前聞こえてたぞ」


 アイシアの後ろから、モレラスが不貞腐れたように顔を出した。ラウスはペロリと舌を出すと、プイとそっぽを向いた。アイシアとフローティアは互いの目を見合わせると、プッと小さく吹き出した。


 生意気な弟の頭をぐりぐりと乱雑になでると、モレラスはアイシアの方を振り返った。


「父さんの方にも挨拶に行こうと思うんだけど、君はどうする?ラフィーネ家の人たちの挨拶はもう大丈夫か?」


 アイシアは優雅に立ち上がると、穏やかに笑った。


「ええ、もう大丈夫よ。お義父さまやお義母さまにも挨拶したいもの」

「よし、じゃあ行こうか。ラウスもフローティアちゃんも、調子に乗ってご飯とお菓子食べ過ぎるなよ。太るぞ~」

「分かってるよ!子供じゃないんだし」

「ははは!はいはい、じゃあな」


 モレラスはひらひらと手を振り、アイシアはにこやかに会釈して離れていく。二人を見送って、ラウスはハァ…とため息をついた。


「アイシア様泣かせたらコテンパンにしてやろう…あのお調子者兄貴…」

「でもお似合いだわ。なるべくして一緒になった二人って感じ。本当に素敵…」


 熱に浮かされたように、フローティアはうっとりと声を溶かした。


「私もいつかあんな風にドレスを着て、結婚式ができるかしら…」


 夢見心地な、ふわふわとした意識でそう呟いたフローティアに、ラウスは大きく頷いて胸を張った。


「大丈夫です。フローティア様の結婚式なら、きっと素敵なものになりますよ」

「本当⁉なら、ラウスには一番にドレスをお見せするわ!」

「本当ですか⁉それは嬉しい、楽しみです!」


 ラウスとフローティの会話が聞こえていた周りの大人たちは、二人にほほえましい笑みを向けていた。

 ウエディングドレス姿を誰よりも最初に見せるという意味、ちゃんと分かっていないのだろうなと苦笑しながら。



 モレラスとアイシアはシャルティー家の関係者の集団に顔を出し、柔らかに談笑していた。数々の祝福の声を掛けられ、また同じ騎士団の団員からは、お祝いと称して存分にからかわれた。


 そこでふと、集団からは少し離れたところにポツンとたたずむ一人の少女に気が付いた。


 陽射しに輝く深紅の髪は柔らかくウェーブがかかっている。ラベンダー色のワンピースドレスには、ウエストから縦にフリルが付き、胸下にはパールが並んでいた。

 普段は騎士団の常勤服、もしくは戦闘服しか目にしないために、彼女のドレスアップ姿は見慣れない。


 モレラスは一言周りに断りを入れると、一人でぼんやりと空を見上げて遠くを眺める少女――エリーナに声をかけた。


「エリーナ。今日は来てくれてありがとう」


 ふと目線を横にずらしたエリーナは、モレラスを瞳に映すとニッコリと笑みを見せた。


「ご結婚おめでとうございます、モレラスさん。無事にこの日を迎えられて良かったです」


 そして、騎士団の同僚の顔を数人見つめると、エリーナはモレラスに目を戻した。


「同期の方たちですか?」

「ああ。結婚祝いだー!って言って、さっき散々にどつかれてきたよ。キレイな嫁さんもらいやがってって」


 苦笑しつつも幸せそうに話すモレラスに、エリーナも幾分表情を和らげた。


「確か、アイシア様とは同い年ですよね?なら、気兼ねなく話もできるでしょうし、本当に良かったですね。アイシア様は聡明な方ですから、モレラスさんの助けにもなってくださいますよ」

「そうだな。というか、すでに頼り切ってる気がするんだよな。もっとしっかりしないとな」


 そう言って笑うと、モレラスはふっと遠くを見た。


「…ロレンタにも、来てもらいたかったんだけどな」


 ぽつりと告げられたその切なげな声音に、エリーナもすっと瞼を伏せた。顔を俯けたことで髪がこぼれ、顔に濃く陰を作る。


「……。ロレンタ先輩も、来たかったと思います」


 エリーナの一年先輩、そしてモレラスの同期であるロレンタ・ナタイエは、先のブルトカールの戦いで戦死していた。


 カリーチ王の兵士に心臓から腰までを斜めに斬られ、更に戦の混乱の中で踏みつけられた。スカルロート王国に無言での帰国となったが、彼の遺体は誰もが痛まし気に目を背けるほど悲惨なものだった。


 胡散臭げに見られることもあったエリーナにも変わらぬ態度で接してくれていた、とても気さくな好青年だった。モレラスもロレンタとはとても仲が良かったため、彼の死は四カ月が経った今でも胸が痛む。


「まぁあいつなら…天国でめちゃくちゃに騒いで祝ってくれてそうだよな!で、神様に怒られてる」

「ああ…ロレンタ先輩ならありえますね」


 モレラスの言葉をそのまま想像したのか、珍しくエリーナがおかしそうに笑う。少し湿っぽくなった空気が、やんわりと暖かくなった。


 エリーナとそのまま談笑しながら、モレラスは頭の片隅で別のことを考えた。


 やはり、戦場を離れている今は、エリーナに悪寒は感じない。


 王国騎士団の中で、エリーナは今、今まで以上に遠巻きにされることが多かった。

 

 なぜそんなことになったのかは、あの戦いまで遡る。


 先のブルトカールの戦いで、エリーナは初陣とは思えぬ活躍を見せた。敵兵を次々と切り伏せ、止まることなく剣をふるい続けた。


 返り血が幼さの残る顔に飛び散り、その手に持つ剣からは、乾ききらない大量の血が滴り落ちていた。


 血だまりの中に立つエリーナは、血を吸い上げて咲く赤い花、まるで死の象徴である彼岸花のようだった。


 幼く可憐な容姿と、敵兵の血を全身から滴らせる姿のアンバランスさに、彼女を見た者は敵味方関係なく、腹の底から震え上がったという。


 それからエリーナは、畏怖の象徴として、戦場の彼岸花の意味を込め、こう呼ばれるようになった。


〈リコリス〉と。

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