第11話 化け物
「オランローネ帝!外に、スカルロート王国の王国騎士団と思われる集団が、こちらに向かっているとの情報が…!」
「なに⁉どういうことだ!カリーチ王はどうした!」
兵士たちの訓練している様子を見ていたブルトファン帝国皇帝オランローネは、息を切らしながら駆け込んできた部下からの報告に目を剥いた。
「カリーチ王は、グラックス山脈にて王国騎士団と交戦中であります!」
「なぜ報告が来ないのだ…⁉」
オランローネ帝はチッと舌打ちをすると、黒褐色のマントを翻した。
「すぐに応戦態勢を整えよ!」
「しかし、今すぐ迎撃態勢の作れる兵は、今ここにいるだけです!」
今訓練している兵士の数は六十万ほど。それ以外の兵力は別の土地に遠征に行っているため、すぐに戻って来ることはできない。
「敵総数は?」
「四十万人ほどと思われますが…」
「ならば問題ない。帝国の育てた兵力で叩き潰すのだ」
「か、かしこまりました!」
部下が敬礼をして、その場で訓練をしていた兵士をまとめ始める。それを横目に、オランローネは内心でいら立ちを募らせた。
カリーチからの報告が無かったことに、不信感を抱いた。
あの男は大口をたたく割に根は弱気な質である。敵に攻められれば、まず間違いなくこちらに助けを求めるはずだ。
それが無い。
そのことに、どうしても違和感が拭えなかった。
第二、四、六、七の四つの部隊を率い、皇宮に向かって馬を走らせながら、第二部隊隊長レアギンダは、ハッと瞳を鋭くした。
「帝国兵が出てきた!総員、気を引き締めろ!」
「はっ!」
一切乱れの無い部隊員たちの返答を聞き、レアギンダは目前の光景に意識を集中させた。
皇宮から次々と兵士が出てきている。帝国の鎧に身を包んだ兵士たちが、剣を手に応戦態勢を取っていった。
皇帝の保有する兵士のほとんどが遠征していると聞いていたが、それでもこれだけの数が残っていたらしい。
しかしレアギンダをはじめ、騎士団員たちは馬を駆る手を止めようとしない。
こちらの数の方が少ないことは想定の範囲内だ。そんなことでうろたえるほど、柔な神経はしていない。
また、これだけ騎士団の接近を許したということは、帝国側はこの状況を知らなかったのだろう。
ならば、応援要請妨害任務を託された第六部隊所属の騎士・モレラスとエリーナの二人は、役割を果たしたということだ。騎士になって片や一年、片や三カ月の二人だ。失敗してもやむなしとは正直思われていた。
だが、杞憂だったらしい。さすがは騎士長の息子と鬼才の少女である。
「総員、剣を構えろ!交戦準備に入れ!」
レアギンダは迫りくる帝国兵を前に、よく通る声で号令をかけた。
金属同士が激しくぶつかり、火花が散る。騎馬状態で剣を交えるノルディと軍将は、一歩も引かない激しい戦いを繰り広げていた。刀身が互いの剣でこすれて、剣が悲鳴を上げる。
それに構わず、二人はもう一度剣をぶつけると、サッと距離をとった。
ノルディは高揚にあふれた顔で、隠そうともしない嬉々とした声を出した。
「こんなに戦いが続いたのは久しぶりだ。実に楽しいな!」
「戯言をほざくなヘビが。その余裕、すぐに取っ払ってやる」
軍将はあくまで冷静にノルディの相手をする。
〈ヤマカガシ〉については、彼も耳に入れていた。
なるほど、確かに異名を付けて恐れられても不思議ではない腕前の騎士である。
一撃一撃の剣が重く、少しでも力を抜いたらすぐに押し負けてしまう圧を感じる。
この男の手にかかってしまえば、並みの兵士では何が起こったか分からず死ぬ可能性もあるだろう。
しかし、だからと言って自分が怯むわけにはいかない。
〈ヤマカガシ〉は今この場で、自分が倒す。
軍将は、腹に力を込めて雄叫びを上げた。腹の底からあふれ出た、太鼓のように重みのある声が空気を叩く。雷が落ちたように、周囲がビリビリと震えた。
ノルディは重厚な声をぶつけられて驚いた表情をするも、すぐに口元に笑みをかたどった。
手綱を引いて、馬を走らせ距離を詰める。ノルディが横に振り切った剣筋を、背中を反らして避ける。
純白の閃きが、一寸先を通過する。
前髪の先がはらりと舞い落ちた。
すぐに体を起こし、全身の力を使って剣を振り上げる。
奴は今、空振りした勢いを殺すことが出来ていない。すれ違いざまに斬ってきたために、背後を取れている。
殺るなら、今!
気迫のこもった怒号を乗せて、剣を力の限り振りぬいた。ノルディの背中に剣先が吸い込まれていく。
勝った‼
そう思ったときだった。
突然、ノルディの姿が視界から消えた。
ハッと目を見開いたのもつかの間、視界に影が落ちた。
顔を上げると、一体どんな身体の使い方をしたのか、ノルディが全く予備動作なく空に跳躍していた。
王国騎士団の戦闘用騎士服の朱色と、ノルディの赤褐色の髪が青空に彩を与えた。
ノルディのしなやかな身体が、陽の光を浴びて煌々と輝く。
芸術絵画の一場面を切り取ったような光景に、一瞬動きが止まった。
〈ヤマカガシ〉は、その隙を逃すような男ではない。
空中で身体を反転させ、ノルディは硬いブーツの先で、軍将の横腹を蹴り殴った。
とっさのことに防御が間に合わず、軍将は攻撃をもろに受けた。口から空気を勢いよく掃き出し、蹴られた衝撃で手と足を滑らせ落馬する。
地面に後頭部を強く打ちつけ、脳が揺れた。
それでも手放さなかった剣を持ち上げ、次の攻撃に備えようとした。
しかし。
狂喜の叫びと共に剣を振り上げ、太陽を背に己に跳びかかってくるノルディの表情を見て、悟った。
この男には、普通の戦いが通用しない。
ノルディは、死を目前にした人間を見て、歓喜の表情を顔中に浮かべていた。
ああ、この男は、ヘビなんて生易しい生き物ではない。
血に飢えた、戦闘狂いの化け物だ。
軍将の喉に、ノルディの剣が深々と突き刺さった。
帝国兵と王国騎士団がぶつかり合った。剣戟の音が絶えず辺りに響き渡り、敵味方関係なく、両方の屍が地に転がる。
「絶対に敵を皇宮に入れるな!オランローネ帝をお守りするのだ!」
帝国兵の大将が声を張り上げ、味方を鼓舞する。
数では圧倒的にこちらの方が上だ。ここまで接近を許してしまったものの、今からでも押し返すことは不可能ではない。
訓練中の奇襲だったため、こちらの疲弊具合が心配ではあるが、それは騎士団とて同じである。
騎士団も、グラックス山脈からここまで馬で駆けて来たのであれば、最短経路を通っていたとしても疲れが出てくるころ合いだ。ずっと張りつめた緊張状態ということもあり、精神的にも疲労が早く来るだろう。
ならば、なんとしてでも短期戦で決着をつけようとするはず。
しかし、そうはさせない。
こちらの消耗を抑えながらできるだけ戦いを長引かせ、相手方が疲れを見せ始めたところを一気に叩いて潰す。
兵士の数もこちらの方が多い。
対する騎士団は、カリーチの兵とも交戦中。増援は恐らく見込めない。
これは勝てる。
大将は内心でほくそ笑みながらも、警戒心は解かない。
戦場は、何か一つのことで全てがひっくり返るようなところだ。終わるまで、気を抜くことはできない。
自らも馬に乗って剣を振るいながら騎士団に切り込んでいく。
感覚として、恐らく騎士団の半分近くがこちらに来ている。
スカルロート王国の参謀は、随分と思い切ったことをしたものだ。騎士団を分断することで、カリーチ王ともオランローネ帝とも交戦することができる、ということか。
背後から斬りかかってきた騎士団員を、こちらも剣で切り捨てる。気が遠くなりそうな戦いではあるが、もう少しの辛抱だ。
顔に付いた返り血を拭い、どちらも引かない血みどろの戦場を認めて、自分を鼓舞したときだった。
突然、馬に乗った何かが乱入してきた。
驚いた帝国兵が身体を反らしたところに、何の装飾も無い、いたって普通の剣が閃光となって叩き込まれる。帝国兵は鮮血を吹き出しながら、あっけなく崩れ落ちた。
「ストード隊長、遅くなりました」
「いや、いいタイミングだ、エリーナ!」
嵐のように現れた人物に、大将は目を剥いた。
子供。しかも女。
まだ発育途上の小柄な少女が、自分の身体の何倍もある馬を巧みに操り、戦いに参戦してきた。
しかも、先ほどの剣戟。全く剣の軌道が見えなかった。
一体彼女は何者なのか。
いや、騎士団の人間である以上、子供であっても容赦はしない。
それだけではない。
あの少女は、どこか不気味だ。
彼女に対して、長年戦場で生き延びてきた勘がガンガンと警報を鳴らしている。
少女だからと侮ることはできない。あの少女をこのまま放置していては危険だ。
長年自分を活かしてきた勘に従い、大将は少女に向かって馬を走らせた。剣の柄を持つ手に自然と力が入る。心臓が早鐘を打ち、手汗が滲み出た。
殺意を察したのか、少女がくるりとこちらを振り向いた。そして、自分に向かってくる大将を目に留めて薄っすらと笑みを張り付けた。
その笑みに、背筋が凍った。
あの少女は、本当に人間か?
あまりに生きている人間とはかけ離れた雰囲気を醸し出す少女に、大将はうす寒さを感じた。冷たい手が背中をつぅ…と撫でたような感覚が走る。
一瞬気圧されたように足が震えたが、何とか耐えた。
どんなに不気味な少女が相手だとしても、それでもやることは一つだけだ。
気迫を込めて、声を上げながら突進する。少女は身軽な動作で大将を避けると、一旦こちらと距離を取った。
どうやら自分は、敵のかなり偉い人物に目をつけられたらしい。
妙に冷静な頭で、エリーナは相手の雰囲気や服装から、それなりの実力と階級を感じ取った。
まさか、子供の自分を真っ先に殺しに来る奴がいるとは思わなかった。先ほど殺した帝国兵も、自分の姿を見てギョッとし、それで剣筋が鈍っていたのだ。
戦場で庇護欲、同情などというくだらない感情を覚えてしまったら、それだけで死に直結する。いかに冷静で、いかに冷酷であるかが、戦場を生き延びる鍵なのかもしれない。
だから、この敵将の判断は正しいと言えるのだろう。だからといって、おとなしく殺されてやるつもりはさらさら無いが。
敵将の剣をするりと避け、ひとまず距離を取った。
体格差は向こうが圧倒的だ。
力押しでは負けてしまう。
真っ向から勝負したら、確実に地に伏すことになるのは自分だ。それが分かっているのに真っ向勝負を仕掛けるような、そんな愚かな真似はしない。
剣を構えると、敵将も眉尻を上げてその場で剣を振り、空気を切った。弦をギリギリまで引き絞ったような、ピリピリとした肌を刺す空気が落ちた。
周りの喧噪が遠くなり、代わりに相手の呼吸、鼓動をひしひしと感じる。
どちらかが死に、どちらかが生きる。
戦いとはそういうものだ。
エリーナと敵将は、同じタイミングで飛び出した。
瞬きの間に、剣が火花を散らす。
受け止められた剣を、刀身に沿って横に滑らせる。ギィイィンッという耳障りな音を立てて、押し込まれた力の先がズレた。
敵将は舌打ちをすると、エリーナの剣を振り払い、手綱を引いて背後に回り込んできた。背中を突こうとする剣先を、エリーナはよく見ることもせず、無造作に剣で弾く。
距離を取り、再び接近する。
両者同時に距離を詰めたことで、馬同士の身体が激しくぶつかり合った。
その衝撃をものともせず、エリーナは身をかがめて敵将の懐に入ろうとする。小柄な体躯を生かして剣先で突こうとしてくる彼女に、敵将はギリッと奥歯を噛みしめ、目前の少女の頭部を狙った。
殺気を感じたエリーナは手綱を引いて馬を下がらせる。エリーナが後退した分、敵将が詰めてきた。振り上げられる剣を、遠心力を使って弾き返す。前かがみになって馬の速度を上げ、すれ違いざまに敵将の脇腹目掛けて剣を水平に斬る。鋭く細い音を立てて迫る剣の腹に、敵将は馬ごと身体を反らして回避した。
両者どちらも、全く引かなかった。
再び距離を取って睨み合う。心なしか、敵将から湧き上がってくる殺意が増しているように感じた。
まあ、それも無理は無いだろう。
突如現れた謎の少女が、自分と互角に戦ってくるのだ。経歴が長ければ長いほど、これだけ目障りな存在は無いはずだ。
エリーナは不意に踵を返すと、敵将に背を向けて馬を走らせた。
突然不可解な行動をとったエリーナに、混乱する敵将の気配を感じる。しかし彼は、何としてもエリーナをしとめることにしたようだ。こちらを馬で追いかけてきた。
それを横目で確認し、エリーナは更に速度を上げた。馬が蹄の音を縦、土埃を上げながら懸命に足を動かす。
しかし、さすがは敵将の乗る馬といったところか。
背後から、自分の馬とは別の蹄の音と、地を這って絡みつくような殺意が迫ってきた。
絶対に殺してやる――‼
深紅の髪とそれを結わえる金糸をなびかせながら、目の前を疾走する小柄な少女に対して、大将は完全に血が昇っていた。
こちらを殺そうとしていることは確かだ。それなのに、戦いの最中、全くと言っていいほど殺気を感じなかった。
手遊びで殺せたら儲けもの。殺意を覚えるまでもない。
そう思われているように感じ、神経を逆なでされたようだった。
単純に、怒りを覚えた。
一体何年、この戦場を生き延び、大将の地位まで上り詰めたと思っているのか。
こんなちっぽけな小娘に馬鹿にされるのは、自分の矜持が許さない。
大将は馬の走る速度を上げ、少女の背後を捉えた。
少女の馬はそろそろ限界だ。これ以上速度を上げることはできない。
私の勝ちだ。
瞳孔を開き、無言の歓喜の声を上げて、唸りを上げる剣を振り下ろした。
その瞬間、少女が手綱から手を離した。少女の小柄な体躯が傾く。
ギョッと息を勢いよく吸い込み、思わず剣が止まった、その時だった。
ドスッと太腿に何かが突き刺さった。次いで、じわじわと何か生温かい液体が、ズボンを濡らしていく。
目線を下げて、ようやく自分に何が起こったのか悟った。
右太腿に、深々と小型ナイフが刺さっていた。苦痛に顔を歪めながら地面の先を目で追うと、投擲した格好を崩す少女の姿が目に入った。
なるほど、小さな身体を利用して、馬の腹の下をすり抜けたのか。とはいっても、かなりの速度で走っていた馬の腹をくぐったのだ。驚異の身体能力である。
少女は身をかがめて地面を蹴ると、一瞬で目の前に移動した。
無機質な紅い目に映った自分に舌打ちすると、太腿のナイフを引き抜き、力任せに振り抜いた。
少女は、大将の血管の浮いた幹のような腕を支柱に、身体を宙に持ち上げた。大将の投げたナイフが、少女の残像を切り裂く。逆立ちの状態から、少女はそのまま後ろに足を振り落とした。
重力に引っ張られて落ちる少女に引きずれ、大将も馬から転げ落ちた。
落馬するのを待っていたかのように、少女が手を放し、前転して衝撃を抑え、近くに着地する。大将は落ちた時に身体を反転させ、膝の屈伸で衝撃を殺した。
その瞬間、ぞわりと空気の圧迫を感じ、反射で剣を突き出した。少女の閃光の剣と自分の剣がぶつかり合って、甲高い悲鳴が上がる。
なるほど、この少女は非力な分、宙から剣を叩き落とすという、全体重を剣に乗せる戦い方をするのか。
妙に冷えた頭の片隅で考え、ならばと頭の中で戦略を巡らせる。
先ほど太腿を貫いたナイフのせいで、右足は思うように動かない。だが、それなら少女の動きを封じ、尚且つ移動の少ない戦いをすればよい。
そう思ったときだった。
それさえ想定済みだと言わんばかりに、少女がぶつかり合う剣を支えに身体を前に押し出し、膝頭を大将の鳩尾に叩き込んだ。
身体の空気が口から飛び出し、一瞬呼吸が遠くなる、思わず身体を降り、地に膝をついた瞬間。
口いっぱいに生臭い鉄の味が広がり意識が途絶えた。
最期に見たのは、赤黒い液体を滴らせて鈍く光る、背中から己の心臓を貫く一振りの剣だった。
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