第10話 〈ヤマカガシ〉

 カリーチ国王の手紙を胸に、側近は必至で馬を走らせた。後ろから彼の部下もついて来ている。

 

 あの旗の数は、明らかに王国騎士団の保有する兵力が勢ぞろいしていることになる。

 山間に掲げられていたため正確な数は分からなかったものの、実際に、隊長格と思しき馬に乗った騎士も確認している。


 ということは、騎士団の最強兵力と言われる〈ヤマカガシ〉も来ている可能性が高い。


 アランチア王国の兵力とて貧弱ではない。


 だが、〈ヤマカガシ〉相手となると話は別だ。

 もし〈ヤマカガシ〉がいなかったとしても、隊長格ならば、アランチア王国の兵士五十人分ほどの力はあるとされている。

 アランチア王国の兵力で押し戻すことが出来れば、それに越したことはない。だが、万一の場合がある。


 一刻も早く、オランローネ帝に応援の要請を…!


 焦りが募り、更に馬を早く走らせる。


 森林の道なき道を少数の部下たちと共に走り抜けている時だった。


 突然目の前に、泥だらけのローブを羽織り、フードを目深にかぶった二人組が現れた。


 二人は道の真ん中に座り込み、互いの身体を寄せ合っている。泥のせいでよく見えないが、ローブも傷だらけでボロボロだった。フードからちらりと見える顔で、どうにか男と女の二人組だということは分かる。

 何があったのか知らないが、このままでは行く手を阻まれて邪魔だ。


 側近はちっと舌打ちすると、馬の上から、真ん中で座り込む二人に声を振りかけた。


「おい、そこの二人。ここで何をしている」


 すると、男の方がカタカタと震えながら顔を上げた。相変わらずフードのせいで、顔の造形は見えない。


「い…妹がケガをしてしまったんです。もうこれ以上歩けません。どうか、馬に乗せてはいただけないでしょうか…?」


 側近ははぁ…とため息をつくと、冷たい声音と視線を二人に浴びせた。


「それはできない。我らが一体何者か、心得て物を言え。私はアランチア王国国王陛下の使者であるぞ。下民を乗せる馬など、あるはずがなかろう」


 そう言うと、側近は数歩二人組の側に寄った。側近の乗る馬は身体が大きく、馬力も強い。蹴られでもすれば人間なんぞひとたまりもない。


「私は火急の用件があるゆえ、これで失礼する。助けが欲しくば、他を当たれ。さあ、分かったらそこをどくのだ」


 しかし、二人組は動こうとしない。

 カリーチから託された封書を届ける責任と、戦争が始まる危機感に追い立てられ、いら立ちを積もらせる。


 邪魔だ。早くどけ。早くどけ‼


「おい、聞いているのか…!」


 思わず、馬で一歩踏み出した、その時。


 閃光の煌めきが一筋走った。と同時に、乗っている馬が大きなわななきを上げて暴れ出す。


 ギョッとして手綱を引くが、馬が落ち着く様子はない。

 馬は背中を大きくのけぞらせ、四本の足をばたつかせた。土埃が舞い、周囲の木々に馬が当たることで、勢いよく葉が乱舞する。

 狼狽した部下たちが自分の名を呼ぶ声が聞こえるが、正直それどころではなかった。振り落とされないようにするだけで必死だ。


「な、なんだ、どうした!」


 切羽詰まった声で呼びかけるも、馬は応えてくれない。制御を失った馬を何とか落ち着けようと、意識が完全にそちらを向いた時だった。


 ヒュンッと鋭く風を切る音がした。


 それが何かを捉える前に、わき腹に熱く鈍い痛みが走った。ドバっと大量の赤い液体がすぐ側で吹き出す。


「う…うわあぁぁあ⁉」


 その液体が己の血であることを認識し、側近は悲鳴を上げた。気が動転し、手から手綱が滑り落ちる。


「しまっ…!」

 身体が傾き、馬の上から放り出された。頭から地面に落下し、目の前で星が散った。


「見た目で相手の力量を図ったら痛い目を見るって教わらなかったか?」


 突然耳元に声が吹き込まれた。

 同時に、一筋の残光が目の前を走る。


 ごとっという妙に軽い音と共に、己の首が落ちた。



馬の急所に剣を叩きこんで、命を刈り取る。


「こっちは終了っと。向こうは…」


 目を見開いて絶命した、アランチア国王の使者だと名乗った男の首を横目に、モレラスはフードを払った。母親譲りの金髪がサラリと風に揺れた。

 目線を先に向けると、深紅の髪を躍らせながら剣を振るう少女の姿が目に入った。

 使者の部下は四人。そのうち三人は、もう絶命している。


「な、なんだお前はっ‼」


 残りの一人が馬の上から応戦するが、もう手遅れだ。


 空中に舞い上がった少女は、何のためらいもなく右手の剣を振り下ろした。

 男が造形が歪むほど必死な顔で少女の剣を己の剣で受け止める。キンッという金属音が空気を切った。


 小柄な少女が相手だ。

 力押しで勝てる。


 そうふんだのだろう。男が腕の筋肉を盛り上げて、剣を押し返そうと力を込めた。


 その時。


「フェイク」


 少女の唇が小さく動き、次いでニヤリと笑みをかたどった。

 

 男がギョッと目を向いたところで、ドンッと左わき腹に衝撃が走った。


 男が目だけをそちらに向けると、小さなナイフがわき腹に深々と突き刺さっていた。そこから、じわじわと身体全体にしびれが走る。


「ま、さか、毒ナイ、フ…!」


 最後は言葉にならなかった。

 目前に迫る深紅と閃光を捉えたのを最後に、男の意識は暗転した。



「お疲れ、エリーナ」


 四人の男の首を刈り取った少女――エリーナに、モレラスはひょいと片手を挙げた。しかし、内心では驚きで舌を巻いていた。


 エリーナはこの戦いが初の実戦だ。もちろん、人を殺す経験も、今この瞬間が初めてのはずだ。

 それなのに、全く躊躇する様子が無かった。

 今も、四人が乗っていた馬の処理を淡々と済ませ、平然とした様子で血を拭い、鞘に納めている。


 初めて人を殺した時は、肉を斬る感触、相手の恐怖に歪んだ顔、断末魔の悲鳴に、心が縮みそうになる。新米騎士は、それで戦えなくなったり、集中が乱されて敵に殺されたりすることがある。

 ここまで落ち着き払った新米騎士は、なかなか珍しい。

 しかも、それを十二歳の少女がやってのけたのだ。


「さ、さすが、初の実戦とは思えない戦いぶりだな、エリーナ…」


 なので、少々引き気味になるのも致し方ないと思いたい。


 モレラスの引きつった笑みを見ても、エリーナは顔色一つ変えず、いつも通りにニッコリとほほ笑んだ。


「ありがとうございます、モレラスさん」


 そして、自分が先ほど命を絶った男たちの首を平然と見下ろした。

 何の意思も宿さずこちらを見返すガラス玉の目の中に、エリーナは自らの姿を捉えた。

 人を殺しても、罪悪感や嫌悪感を全く感じない悪魔が、そこにいた。

 血に染まった地面に踏み立つ己の姿を認めて、ふっと口元に歪んだ笑みをこぼした。


 エリーナはふいと目をそらすと、モレラスを振り返った。


「次の作戦地点まで急ぎましょうか」




 ブルトファン帝国とスカルロート王国の国境線となっているグラックス山脈。

 この山脈の頂上に、スカルロート王国の王国騎士団の存在が確認された。

 グラックス山脈に接するアランチア王国の国王カリーチは、即座に兵士たちを集結させ、戦いの準備を始めていた。


「陛下。兵たちの準備が整いました」

「よし」


 部下の報告に、即席で用意した簡易テントの中、カリーチは颯爽と立ち上がった。


「戦の始まりだ!王国騎士団に、目に物言わせてやろうぞ!」


 国王の宣言に、兵たちも意気込んで雄叫びを上げる。


「敵勢力、侵攻開始しました!」


 双眼鏡で、確認すると、確かにスカルロート王国の旗が山脈を駆け下りている。

 カリーチは双眼鏡から目を離すと、待機している兵士たちに号令をかけた。


「騎士団の奴らにこの地を踏ませるな!剣を構えろ!」


 アランチア王国の兵士たちが、駆け下りてくる王国騎士団を迎え討つために剣を構える。


 今この場には、カリーチの保有する兵力全てが集結している。

 また、側近に託した手紙が皇宮に届けば、オランローネ帝が援軍を送ってくれるはずだ。王国騎士団員よりも圧倒的に数の多いこちらの兵力と、オランローネ帝の援軍があれば勝てる。


 勝利を確信し、カリーチはニヤリとほくそ笑んだ。


 なぶり殺してやる。我々に火の粉を吹きかけたことを、せいぜい後悔するがいい。




 スカルロート王国特有の赤い旗が目前に迫った。


「総員、構えろ!突撃――!」


 軍将の号令を合図に、グラックス山脈を下りきる直前の王国騎士団に、アランチア王国の兵士たちが一斉に斬りかかる。

 下り終わった直後であれば、いかな王国騎士団も体制を整えるのは難しい。陣形を作る隙を与えず、一気にたたく。


 そのつもりだった。


 だからまさか、たった五万人程度の、一部隊にも満たない人数しか旗を持っていなかったとは思いもしなかった。


「放て!」


 山脈中に響いた声を合図にして、驚いて足の止まったアランチア兵たちに、火矢の大雨が降り注いだ。

 矢の先端で燃えていた火は、草などの燃料を取り入れ、ますます大きく成長する。

 あたりはたちまち火の海と化した。


「ひ、怯むな!相手の数はまだ少ない!今のうちに敵戦力を削って――」


「第三部隊、突撃!」

「第五部隊、突撃!」

「第八部隊、第九部隊、突撃!」


 アランチア王国陣営を取り囲むように、四方八方から王国騎士団の突撃命令が木霊する。


「しまった、旗はただの囮だったか…!」


 慌ててテントに駆けこんできた部下からの報告に、カリーチはギリ…と奥歯をかみしめた。

 腰に吊った剣に手をかけ、地面を踏みしめ立ち上がった。その顔には、抑えきれぬ怒りが滲み、眉間には深いしわが寄っている。

 旗を多く立てて敵の目をくらませる作戦なんぞ、使い古されたような常套手段だ。

 それなのに、焦るばかりにまんまと引っかかった自分に怒りが湧いた。

 

 そして、そんな常套手段を、こちらを馬鹿にするかのように平然と使ってきた王国騎士団にも。


「全面戦争だ。こんななめた真似をしおって、ただで済むと思うな…!」




「第一部隊、突撃!」


 ノルディの号令に、第一部隊所属の騎士たちが一斉にアランチア兵の背後から斬りかかった。

 馬に乗ったノルディは、腰に下げた剣の柄に手をかけ、すらりと刀身を抜き出した。純白に輝く剣が、日の光の下で煌々と照る。


 戦いに対する高揚感は久々だ。


 気分を高めるように、ぐるりと剣を回して持ち直す。ノルディは端正な顔に、歓喜にあふれた獰猛な笑みを浮かべた。

 馬に乗った赤褐色の色彩を見て、アランチア兵がギョッと目を剥く。


「や…〈ヤマカガシ〉だ!〈ヤマカガシ〉が来たぞ――!」


 それだけで、蜘蛛の子を散らす勢いで後退しようとする兵士たちを、ノルディは馬を駆って追いかける。


 戦場で相手に背中を向けるなど、国を背負う者としてあってはならないことである。


 戦士の背中の傷は恥。

 戦士ならば、堂々と戦うのみ。

 例えそれが、敵わない相手だとしても。そうして勝ち上がっていくのだ。

 

 ノルディは大ぶりの剣を振り上げると、そのまま無造作に振り下ろした。

 敵兵のうなじに剣先が突き刺さる。剣を下に引き下ろし、背中を真二つに割った。

 

 声もなく絶命した兵士が、目の前で鮮血を吹き出しながら崩れ落ちた。純白の刀身を、ぬめりとした温かい血液が赤に染め上げる。


 赤く染まった愛剣をうっとりと眺めると、ノルディはその目を戦場に向けた。知らず口角が上がり、赤い舌で唇を湿らせる。

  

 狩られるのを待っている獲物がたくさんいる。

 狩りのしがいがあるというものだ!


 ノルディは、足を乗せていた左右の鐙で体重を支えて立ち上がった。立ち上がった騎手に構わず、馬は走る足を止めない。

 一定のリズムで揺れる馬にタイミングを合わせ、ノルディは膝のバネを使って大きく跳躍した。

 敵集団の真ん中に跳び下り、着地と同時に敵兵を斬り伏せる。


 血しぶきが雨のように降り注ぐ中、ノルディは剣を振る手を止めない。


 敵兵の振り上げる剣を軽い身のこなしで避けると、振り向きざまに相手の手首を拳で打った。剣を取り落としはしなかったものの、しびれが走って動きの鈍った兵に、容赦なく剣戟を浴びせる。


「弓を放て!これ以上奴らの侵攻を許すな!」


 カリーチが馬に乗って前線に出てきた。遠目でも、顔を怒りに染めて、青筋を浮かせているのが分かる。


 想定通りの単細胞ぶりに、笑いがこみ上げてくる。のこのこと最前線まで出てきたことを後悔させてやる。

  

 いや、後悔する暇も無いだろうが。


 剣についた血を振り払い、走り寄ってきた馬に跳び乗る。カリーチのいる方向に馬の頭を向けた。


 ノルディの動きの意図を察したアランチア兵の軍将が、馬で目の前に躍り出た。

 ノルディが造形の整った美丈夫であるならば、対する軍将は武人然とした骨格の、骨太な男であった。


「国王陛下に手出しはさせん。私が相手だ、ヘビ野郎」


 軍将のあおりに、ノルディは声を上げて笑った。剣先をまっすぐ軍将に向ける。


「お前くらいの奴の方が、殺しがいがある。せいぜい楽しませてくれ」


 ノルディの瞳には楽し気な光がランランと輝き、軍将の瞳には抑えきれぬ殺意が閃いた。

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