第9話 進攻開始

 花吹雪の舞う、暖かく柔らかい季節が過ぎ去った。太陽の光がじりじりとあらゆるものを焼き、街道では陽炎が揺らめいている。

 そんな中、王国騎士団本部でも、思考をじりじりと焼き焦がす者たちが、会議室の巨大なテーブルを囲んでいた。


 王国騎士団本部は、カーマンブルクにある王宮のすぐ隣の敷地に設置されている。王国の国色である赤色をふんだんに使用した外装と内装は、目が覚めるほど鮮やかだ。本部の設置されている敷地内には、大まかに四つの建物が建っている。


 まず一つは訓練場。

 一カ月ほど前に、エリーナとノルディが手合わせをした場所だ。


 二つ目は食堂。

 仕事に集中するため、少し離れたところに建設されている。


 三つ目は騎士長、副騎士長など、上役たちの執務室のある『国務殿』。


 そして四つ目が、作戦を立案したり、国の情勢を基に政治の方針を決めたりする、所謂国の頭脳に当たる『朱評殿』だ。この朱評殿が最も大きな建物であり、正門を抜けてすぐに、目の前でその存在を大きく主張している。


 その朱評殿の二階にある会議室に、騎士長であるセシルを筆頭として、公爵や伯爵といった爵位を持つ有力貴族、副騎士長のノルディが一堂に会していた。


「国王さまは、此度のブルトファン帝国進攻についてどう仰せなのだ?騎士長」


 公爵の階級を表す腕章をつけた男――エリオット・エリクトルが、対面に座しているセシルに呼びかけた。

 セシルは神妙な顔で頷くと、スカルロート王国とブルトファン帝国の位置関係を示す巨大な地図を机に広げた。そして、スカルロート王国とブルトファン帝国の国境から更に南に下りたところにある、帝国領のおよそ三割を占める巨大な山に指を置いた。


「ご存じの通り、ブルトファン帝国は、アランチア王国とファランファ公国で構成されています。まずは、アランチア王国の領土にあるロール鉱山の侵略を目指すと、国王陛下はおっしゃられています」

「ロール鉱山…!確かに、あの巨大な鉱山が手に入れば、武器の生産に拍車がかけられますな」


 伯爵の階級章を腕に付けた白髪の老人が身を乗り出した。


 彼はマクシム・オーサー。

 西側の領土を治める国王の側近だ。年老いてもなお、その知能は衰えることはなく、未だに国王に重宝されている。


「だが、そんな簡単にいくのだろうか?ブルトファン帝国にとっても、あの鉱山は重要な資源のはず。何が何でも死守しようとしてくるだろう。そうなれば、こちらの騎士たちとて、それ相応の損失が出る。何か策はあるのか?」


 エリオットの疑問に、セシルはふっと片眉を上げた。


「当たり前です。帝国の領土は、我らが王国領の倍以上あり、その分兵力も上です。そんな国に対して無策で戦を仕掛けるなど、そんな無謀なことはしません」




「カリーチ国王陛下!」


 アランチア王国王宮内に、国王の右腕として働く側近の、緊迫した声が響いた。執務室で書類整理をしていたアランチア王国の国王カリーチは、側近の常にない緊張した声音に、眉をひそめた。


「どうした、そんなに慌てて。お前らしくない」

「ご報告いたします!アランチア王国領とスカルロート王国の国境付近に、大規模な武装集団を確認いたしました!スカルロート王国の保有する、王国騎士団と思われます!」

「な…!」


 側近の報告に、カリーチはガタンッと音を立てて立ち上がった。勢いのあまり、イスが大きな音を立てて派手に床に転がる。しかし、それに気付く余裕はなく、カリーチは大きく目を見開いた。


 急に現れた王国騎士団の部隊。


 なぜ?

 一体何をしようとしている?


 いや、行うことは一つだろう。


 それならば、迎え討つまでだ。


「早急にその集団の正体を確かめよ!同時に、我が国の兵士たちも集めるのだ!敵勢力ならば、迎え討つのみ!我が国の領土を踏ませるでないぞ!」

「はっ!」


 側近が国王の命を受けて踵を返し、伝達のために走り去った。

 カリーチはギリ…と奥歯をかみしめると、苛立たし気に拳で机をたたいた。ドンッと重い音が広大な部屋の中で反響する。


「…一体何がしたいのだ、あの国王は…!我らが帝国に対して、真っ向勝負を仕掛けるなど、愚かなことをしおって…!」


 兵力の差は明らか。そもそもの母体数が比較にならないのだ。

 スカルロート王国の兵力をほとんど全て担っている王国騎士団は、少数精鋭の武力集団だと聞いてはいる。だが、それでも帝国の兵士たちとて、兵数の多さにかまけて、ただ気ままに日々の鍛練をしているわけではない。


 カリーチは乱雑に、近くにあった羽ペンと洋紙を取り上げた。そこに、さらさらと文字を書き記していく。


「とにかく、オランローネ帝に報告せねば…!」


 文書を書き上げ封筒に入れ、最後にアランチア王国の国王の紋章で封をする。先ほどの側近を呼び出し、しっかりと手紙を託した。


「この手紙を皇帝オランローネ様のもとに届けるのだ。しっかり頼んだぞ」

「かしこまりました!」


 側近が手紙を持って走り去るのを確認し、カリーチは王冠をかぶってマントを翻し、執務室の外に出た。




「敬礼!」


 訓練されたかかとを鳴らす音がざっと響く。

 第一部隊から第九部隊、この場にそろう騎士団所属の騎士たちの敬礼を確認し、セシルは声を張り上げた。長年騎士団を率いてきた騎士長の貫禄の乗った声が、朗々と響く。


「これより、ブルトファン帝国進攻作戦を開始する!目標は、ロール鉱山の陥落!向かってくる敵に容赦はするな!全て討て!」

「はっ!」

「第六部隊から第九部隊所属の騎士たちに中には、初の実践になる者たちが多い。だが、戦の空気に呑まれたら、その先にあるのは死のみ。己を保ち、常に冷静でありなさい」


 三カ月前に第六部隊から第九部隊に振り分けられたばかりの新米騎士たちが、緊張した面持ちで背筋を伸ばした。ピリリと張りつめた空気を感じ取り、セシルはグッと胸を逸らす。


「我らがスカルロート国王陛下に勝利を!王国に栄光を!」


 セシルの重厚な声音に導かれ、騎士たちは地の底を這うような、野太い気合の声を上げた。



「第六部隊、進攻開始!」

「第三部隊、進攻開始!」


 第六部隊隊長と第三部隊隊長の号令によって、二つの部隊が動き出した。

 蹄の音を立てて進攻する部隊を見届けて、セシルとノルディは作戦司令部のテントに戻る。


「騎士長、順調に進むと思いますか?」


 ノルディの問いかけに、セシルはふっと肩をすくめた。


「まだ分からない。戦に絶対は無いからな。ノルディ、お前もそろそろ配置に付け。…善戦を期待している、〈ヤマカガシ〉」


 ノルディはニヤリと口角を上げた。ヘビの瞳に似た黒曜石の瞳が、キュッと三日月を形作る。獲物を見据え、狩りを楽しむ獣の目だった。


「仰せのままに、騎士長閣下」


 ノルディが踵を返し、テントを出た。それを横目で確認すると、セシルは机上に広げた地図を一瞥した。


 アランチア王国の王宮とブルトファン帝国の皇宮は、最短経路を馬で進んでも数時間以上はかかるだろう。カリーチ国王がオランローネ帝に助けを求める使者を派遣するのは、このスカルロート王国の紋章が描かれた大量の旗を、国境で確認したときだ。


「第三部隊と第六部隊、目標位置に到着しました!」


 部下の報告にセシルは強く頷くと、次の指令を発した。


「敵を惑わせ!混乱しているところを一気に叩くのだ!」



 スカルロート王国とブルトファン帝国の国境付近に到着した二つの部隊は、用意していた通常よりも多い数の旗を掲げる。それを確認し、第三部隊隊長チョナチルクが、第六部隊隊長ストードを振り返った。


「よし、第六部隊は次の目標地点へ。ここは俺たちが引き受ける」

「承知いたしました!ご武運を!」


 チョナチルクに敬礼をして、ストードは自らの率いる部隊を振り返った。


「次の目標地点まで移動する!脱落者は容赦なくその場に置いていくからな!」


 くらいついてでもついて来い!


 ストードの号令に、第六部隊の騎士たちは敬礼で応えた。


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