第6話 ビスクドール

「ぐっ!」


 カンッ!と鋭い音と共に、木剣が相手の手から滑り落ちた。


「私の勝ちです、ロレンタ先輩」


 降参してください、と涼しい顔を崩さずエリーナはそう言うと、つっと木剣の切っ先をロレンタの喉元に突きつけた。


 今朝から天候が悪く、実際、外で演習を行っていると大降りになった。


 そのため、騎士団の団員は皆、訓練場に移動していた。

 普段は訓練する場所が異なっているために、他の部隊の騎士団員とは顔を合わせる機会は少ない。というわけで、せっかくの機会だからということで、合同訓練を行うこととなったのだ。


 エリーナに剣先を突き付けられたロレンタは、悔しそうな表情をしたものの、ふっと息を吐き、両手を上げて降参を示した。


「さすがだね、エリーナ。相変わらず規格外の強さで、自分の剣の腕前を疑いたくなるよ」

「そんなことありません。先輩も、学院時代よりも剣筋が読みにくくなってましたよ」

「それはほめているのか?嫌味か?」

「ほめてます」


 すまし顔で告げてきたエリーナに、ロレンタは苦笑しながらやれやれと首を振る。落とした木剣を広い、互いに向き合って礼をする。


 ちなみに、ロレンタはエリーナがアミュリッタ学院に在籍していた時の先輩だ。


 エリーナが学院で唯一の女子学生ということもあり、何かと気にかけてくれていたのだ。

 とはいっても、エリーナと在学期間がかぶっていたのは一年だけであり、去年に学院を卒業している。今は王国騎士団第五部隊に所属しているため、エリーナと顔を合わせるのは実に一年ぶりであった。


 第六部隊の代表として出ていたエリーナも一旦その場を退き、次の訓練待機者に譲ろうと、部隊員が集まっている方向に足を向けた。


 その時。


「君が噂のエリーナ・レグリスか」


 突然後ろから声を掛けられ、エリーナはチラリと顔だけを振り向かせた。そこで視界に入った人物を認め、さすがにこのままでは非礼だと、素早い動作で体ごと向きを変え、サッと敬礼をする。


「はい。私がエリーナ・レグリスです、クレイバーン副騎士長」


 王国騎士団副騎士長兼第一部部隊隊長であるノルディ・クレイバーン。


 副騎士長の階級を示す緋色の腰の長さのマントと赤褐色の髪を、さっそうとなびかせて歩み寄って来る。端正で匂い立つような甘い顔には、憎たらしくなるほど不敵な笑みを浮かべた。


「なるほど、先ほどの試合を見ていたが、なかなかの腕前だな」

「ありがとうございます」


 スカルロート王国の防衛と攻勢の一手を担う王国騎士団の副騎士長に褒められたにも関わらず、平然とした表情と態度で、エリーナは頭を下げた。特に気負った様子のない彼女に、ノルディは声を上げて笑うと、おもむろに自身の腰にある剣の柄に手をかけた。


「ぜひ、私とも一戦交えてくれないかな、レグリス騎士」


 ノルディの言葉に、周りからどよめきが上がった。


 ノルディは、先ほども述べたように、王国騎士団の副騎士長だ。

 そして、騎士団内でもごく一部の者しかなれない一等騎士。もちろんその腕前は周知の事実であり、並みの騎士は木剣による打ち合いでも十秒ともたない。


 そんな彼に、騎士になってまだ二カ月しか経っていない新米騎士が真っ向勝負など、前代未聞のことだ。


 実際、第一部隊に所属している騎士でも、配属されてすぐの頃は、ノルディ相手に木剣の切っ先を向けられただけで、蛇に睨まれたカエルのように足がすくんでしまうのだ。


 対峙した相手を、まるで毒のようにじわじわと心の内から侵食するその威圧感、そして赤褐色の色彩から、ノルディは、遠い東洋地域の国に生息する猛毒の蛇〈ヤマカガシ〉の異名を持つ。


 そんな彼を相手に、いくら天才と謳われるエリーナでも太刀打ちできるわけがない。


 第五部隊のところに戻ろうとしていたロレンタは顔を青ざめ、何も言わないエリーナの隣に並んだ。


「お…恐れながら、副騎士長。それは、いくらなんでも…」

「君は確か、ロレンタ・ナタイエ五等騎士だったな。私はレグリス騎士に話している。関係ない者は下がっていなさい」


 有無を言わせぬ返しに、ロレンタはグッと言葉を詰まらせ引き下がった。


 それをしっかりと確認し、柄に手をかけたまま、ノルディは目の前のエリーナをまっすぐ見つめた。


「さて、どうする?」


 その間、エリーナはピクリとも表情を動かさなかった。


 時が止まったような時間が一瞬流れる。


 ピンと音が鳴りそうなほど張りつめた空気が、その場を支配した。


 誰もが息を詰め、身動きもとれない中、ふっと力を抜いたのは当事者のエリーナだった。


 エリーナはいつもと変わらない笑顔をノルディに向けた。


「副騎士長自らご指南いただけるなんて光栄です」


 そう言うと、エリーナは右手に持っていた木剣を構えた。


「ぜひ、ご指導お願いします」


 堂々とした態度で挑もうとするエリーナに、周りは騒然となる。


 対して、全く怯む様子の無いエリーナに、ノルディは口角を上げた。側に控えていた部下に腰の真剣を預け、代わりに木剣を受け取る。


 ノルディが木剣を構えると同時に、先ほどの騒々しさが噓のように、周囲がシン…と静まり返る。


 沈黙が下りたことを確認し、エリーナは目の前に対峙する相手を見据えた。


 先ほどまでエリーナとロレンタの手合わせを審判していた騎士が、顔を引きつらせながらも側に寄って来る。それを目の端に捉え、ふっと肩の力を抜いて、戦闘の体勢を整えた。


「これより、王国騎士団第一部隊隊長ノルディ・クレイバーン一等騎士と、第六部隊部隊員エリーナ・レグリス六等騎士による手合わせを始める!」


 審判の掛け声によって、その場の空気がより引き絞られた。



 エリーナは目を細め、ノルディの構えを素早く観察した。


 ノルディはぶらりと気のない様子で立っているだけのように見えるが、そうではない。


 立ち姿、姿勢、木剣の構え、どこをとっても隙が無い。


 ならば。


 切りかかって隙を作る!


 エリーナは右足で地面を蹴ると、ノルディに向かって突出した。木剣を振り上げると同時に振り下ろす。


 その一秒にも満たない行動は、目にも止まらぬ早業だった。


 しかし、そんな動きに惑わされるような半端な鍛え方を、ノルディはしていない。

 切りかかってきたエリーナの木剣を自身の木剣で受けとめる。


カンッ!という良い音が、周囲の空気を切り裂いた。


 体格の良さも腕力も、圧倒的にノルディの方が上だ。


 苦も無くエリーナの木剣をはじき返したノルディは、バランスを崩して無防備にさらされるエリーナの腹めがけて、木剣を横に振り切った。エリーナの腹部に木剣が斬りかかる――その寸前で、エリーナの目がキラリと光った。


 ノルディが違和感を覚える前に、エリーナが動いた。


 エリーナは地面を蹴り上げ、全身のバネを利用して大きく跳び上がった。


 彼女の鳩尾辺りに迫っていた木剣を、軽々と跳び越えて躱す。目を見開いたノルディがエリーナの姿を目で追う前に、エリーナは空中で体を回転させ、耳の後ろの急所めがけて蹴りを放った。


 彼女の体重全てを乗せた蹴り。


 いくら十二歳の少女との体重と言えど、四十キログラムそこそこはある。


 そんな蹴りをまともに食らっては、体がふらついて隙が生まれる。それに、耳の後ろにある急所に強い衝撃を受けると、平衡感覚が鈍ってしまう。


 ノルディはサッと身をかがめて蹴りを躱すと、着地寸前のエリーナの頭部に向けて木剣を振り下ろした。

 

 ノルディの剣が空気を引き裂く。


 木剣が静かに轟音を上げ、刀身がしなる。

 

 振り返ったエリーナは迫る木剣を自身の木剣の腹で受け止めると、その衝撃に抗うことなく後ろに下がった。靴と擦れて悲鳴を上げる地面を滑って、衝撃によるダメージを抑える。


 ここまで打ち合いをして、未だにノルディが一本も取れていないこの状況に、周りは唖然としていた。


 誰もが息を詰めて見守る中、渦中の二人は互いに顔を見合わせニヤリと笑う。


「さすがだな、レグリス騎士。ここまで手合わせが続いたのは久しぶりだ」

「そう言っていただけて光栄です、副騎士長。私はまだいけますよ」


 挑発するように告げられたその言葉に、ノルディは楽し気に顔を歪めた。まるでヘビが獲物を狙うかのような獰猛な笑みが浮かんでいる。


 まさに〈ヤマカガシ〉の異名そのものだ。


 両者ともに距離を取ると、同時に再び地面を蹴った。一瞬で姿が見えなくなり、次の瞬間には剣を打ち付け合っている。


 瞬きする間もない、閃光の剣戟。


 しかし、エリーナはまだ十二歳という小柄な少女。対して相手は、今まで鍛えあげてきた肉体美を誇る成人男性。


 もともと備わっている力の差はどうしようもない。


 上から押さえつけるように木剣に体重を乗せられ、エリーナは歯噛みした。


 相手の剣が、今まで相対してきた騎士の誰よりも重い。


 更にノルディは、手合わせだからとどこか手を抜いてエリーナと剣を交えていた者たちとは違い、威圧感、貫禄、そして騎士としてのプライドを、そのまま剣に乗せてぶつけてくる。例え十二歳という、新米騎士とも言えないような少女の騎士を相手にしたとしても。


 どうやら、〈ヤマカガシ〉という異名に偽りはないらしい。


 それを自分が認めることは、少し癪に障ることではあるが。


 エリーナは小柄な体躯を利用して左に傾き、ノルディの剣を受け流した。


 木剣同士が鈍い音を立ててこすれる。抑え込む力をエリーナが横に流したことで、ノルディの身体が傾いた。


 それを逃さず、エリーナは相手の懐に入り込んだ。そうすれば、木剣は自分に届かない。密着状態の相手に、長い刀身は意味をなさない。


 エリーナはノルディの懐に滑り込みながら、剣を手の中で切っ先と柄の向きを逆にひっくり返した。先ほどまで剣先のあったところに柄を、柄のあったところに剣先を持ってくる。今ここで剣先をノルディの腹に突くより、柄で叩いて身体を崩したところで首を狙った方が、勝ち目がある。


 握りに手をかけ、柄頭をノルディの鳩尾に勢いを殺さず叩き込んだ。


 と、思った。


 ハッとエリーナは目を見開いた。


 ノルディの左手が、がっちりと鳩尾の前でエリーナの剣の柄頭を握りこんでいる。間一髪のところで、ノルディはガードが間に合っていた。柄を引くが、ビクともしない。


「残念だったな」


 ノルディはうすら笑いながらそう言うと、握りこんだ柄頭を無造作に振り上げた。

 

 手を離しそびれたエリーナも、軽々と剣と一緒に持ち上げられる。そのままノルディはボールを投げるように剣を振りかぶり、遠心力に任せて放り投げた。


 エリーナも剣と一緒に投げ飛ばされたが、危なげなく宙で回転しながら着地した。

 

 ハッと肩から息を吐くと同時に、いつの間に移動していたのか、喉元にノルディの剣が付きつけられていた。


「どうする、レグリス騎士。まだ試合を続けるか?」


 私はどちらでも構わない、という風格のノルディに、エリーナは小さく息をつくと首を振った。


「いいえ、私の負けです、副騎士長。まだまだ鍛練が足りないと痛感しました」


 このやり取りを聞いた審判が、ノルディの方にサッと手を挙げる。


「勝負あり!勝者、ノルディ・クレイバーン!」


 訓練場に響き渡った審判の声に、周りからワッと歓声と拍手が沸き上がった。ノルディに対する賞賛の声や、エリーナの健闘を称える声などさまざまだ。


 そんな声が会場を覆う中、立ち上がったエリーナは、木剣を収めるノルディに頭を下げた。


「とても良い勉強になりました、ありがとうございました」

「いや、私も久しぶりに楽しい手合わせだった。君のこれからの成長が楽しみだ。また機会があれば、手合わせ願おう」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」


 頭を上げたエリーナの顔を見たノルディは、ふと眉を寄せた。


 天井から降り注ぐ光を反射して、キラキラと光の粒を弾く深紅の髪。

 宝石のようにつるりとした輝きを宿す紅い瞳。

 精巧に作られたビスクドールに意思を宿したような顔。


「君…私と以前、どこかで会ったことが…?」


 本人すら自分の呟いた音を分かっていないのでは、と思うほど小さくこぼれたその言葉に、エリーナはフッと笑みを浮かべた。


 穏やかに笑う顔をつけられた人形のような微笑みを。

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