第5話 曇り空

 エリーナが王国騎士団に正式に所属して、早二カ月が経過した。


「訓練はどうだ?エリーナ」

「問題ありませんよ。学院生活の頃と、それほど変わりはありませんから」


 朝食を口にしながら、エリーナはにこやかにそう言った。それを聞いたモレラスが、苦笑しながらコーヒーを飲む。


「おれも、この間の稽古でエリーナにコテンパンにされたからなあ…。エリーナの剣筋は型に嵌ってないから読みづらいんだよ」

「ですが、その方が実践には有用ですよね?勝つためならば、どんな手だって尽くします」


 モレラスのぼやきに、エリーナは涼しい顔をして応じる。


 騎士団は階級での上下関係が厳しく、上司を敬うことが当然とされる世界だ。


 同じ第六部隊、そして一年先輩の五等騎士モレラスを訓練で叩きのめすことは、まあ良いだろう。彼女の実力の結果だ。

 

 だが、その結果をさも当然のような顔をして受け入れるとは、新米騎士としてはなかなかに肝が据わっている。普通ならば、先輩を倒したとして真っ青になる騎士が大概だ。


 最も、先輩を倒すような新人自体、めったにいない稀な事だが。


「あ、でも、エリーナに負けたのはおれだけじゃないですからね父さん!」


 セシルに呆れた表情を向けられたモレラスは、慌てたように弁明を試みる。


「おれより実戦経験積んでて、剣の腕にも自信がある先輩の騎士さんたちが、ほとんどエリーナに試合で負けてるんですよ」


 そう、この二カ月の間に、エリーナは歴戦の騎士たちを散々に打ちのめしていた。


 十二歳という子どもで、尚且つ女。


 大人の体格の良い男ばかりの世界で、早々に潰れてしまうだろうと甘く見られていたエリーナは、今では忌々しいと言わんばかりの眼差しを向けられている。


 セシルは騎士団全体をまとめる騎士長であり、作戦参謀兼指揮官でもある。実際に騎士一人ひとりの訓練の様子を見ているわけではないが、それでもエリーナの噂は耳にしていた。


 一番下の六等騎士でありながら、第一部隊所属の二等騎士を、試合で一瞬にして屠った『剣の怪物』とまで言われているらしい。それを聞いた時は、さすがのセシルも苦笑いするしかなかった。


「エリーナの実力は聞いている。第六部隊の隊長も、君のことを褒めていた」

「ありがとうございます」

「だから、訓練についていけているかは心配していない。むしろ、何か不足はないかを気にしているんだ。」


 セシルの言葉にエリーナは目を瞬かせると、ふるふると首を横に振った。


「いいえ、大丈夫です。強い方と手合わせもできますし、私は満足しています」

「そうか。何か困ったことがあれば、遠慮なく言いなさい」

「はい。ありがとうございます、おじ様」


 エリーナはニッコリとほほ笑んだ。




「あなた」


 朝食を終え、自室に戻ったセシルは、呼びかけに後ろを振り向いた。


 扉を閉めて立っていたのは、妻のラザリアだった。金髪をキリリと後ろでまとめ上げ、凛とした印象を与える美麗なその顔を、今は苦し気にきゅっと歪めていた。

 何か心配事があると明らかな雰囲気を醸し出す妻に、セシルは安心させるように肩の力を抜いて笑いかけた。


「どうした、ラザリア?珍しく浮かない顔をしているな」


 ラザリアは一瞬言うことを戸惑う素振りを見せたものの、セシルの微笑みに背中を押されたようだった。胸の前で拳を作り、自らを奮い立たせて足を踏み出した。


「今更だけれど…。本当にあの子を、騎士団に入れてよかったのかしら?」

「…エリーナのことか」


 セシルはラザリアの声を聞きながら椅子に腰かけ、机の上に積んでいる書類を整理し始める。それらは全て、ヴァーマリン小国の情勢についての文字で埋め尽くされていた。

 セシルの一挙一動を目で追いながら、ラザリアは半身を乗り出した。


「ええ。もう二カ月経った今言うことではないのかもしれないけれど、やっぱり心配で…」

「エリーナは訓練にしっかりついて来ている。むしろ、訓練に不足はないかと思うくらいだ。心配いらないよ」

「そうではないわ。私の言っている意味を、まさかあなたが分からないとは言わないでしょう?」


 ラザリアの強い口調の返しに、セシルは書類をまとめる手をピタリと止めた。目線を挙げると、ラザリアの思いがけない鋭い光とかち合った。


「あの子が歴戦の騎士たち相手に続々と打ち負かしているという話は知っているわ。それに、あなたもエリーナが戦力になると思ったから、あの日、この屋敷に連れてきたのでしょう?」

「そうだな」

「だから、あの子が騎士団でうまくいかないとは少しも思っていないわ。そうではなくて…」

「ラザリア」


 セシルの力の籠った声に、ラザリアはグッと言葉を止めた。


 名前しか呼ばれていないというのに、強い静止を掛けられた。喉が絞められたように、声が出ない。


 思わずといった様子で黙ったラザリアにハア…とため息をつくと、セシルは書類を机に置いて、彼女をまっすぐに見つめた。


「そのことについては、エリーナにもしっかり話をしている。あの子にとっては触れてほしくないことかもしれないと思ったが、話した時は微塵も気にする様子が無かった。エリーナの肝が据わっていることは、君も知っているだろう。大丈夫だ」

「そうだけれど…」


 ラザリアは形の整った眉をしかめると、両手を胸の前できつく握りしめて顔を俯けた。


「私、やっぱり心配で。心の傷は、外からは見えないもの。それにあの子、なんだかいつも肩に力が入っている気がするの。張りつめた糸が切れるみたいに、いつか心が折れてしまうのではないかって不安で…」

「そうだな…」


 セシルはふっと窓の外を見た。

 今日は快晴とは言えず、どんよりとした曇り空だった。濁った雲が空を埋め尽くし、太陽を隠してしまっている。


 あの日も…エリーナがこの屋敷に初めて来た時も、まさにこんな天気だった。

 


 スカルロート王国は裕福層と貧民層の差が大きく分かれている。


 裕福層はしっかりと学校に通い、教養を身に付けることが出来る。上流階級や貴族、王室ほどの生活はできないにしても、一般国民たちは衣食住のしっかりした生活を送ることができるのだ。


 対する貧民層は、極悪な環境に身を置いて生活している。衣食住どころか、その日に食べる物すらないことが多い。


 腹が減りすぎると、湧いて出たネズミをその場で捌いて食べることもあると言う。

 

 服も最早布切れ同然の物であり、身体にただ布を巻きつけているだけのような状態だ。家どころか雨風しのげる場所がほとんどなく、飢え、栄養失調、凍えなどで命を落す人が毎日ゴロゴロ出ている。


 そこが『地下街』と呼ばれる場所だ。


 地下街にはスカルロート王国の法はほとんど通用しない。地下街独自の法があり、強い者が全てとされる世界だ。地下街で何かあれば、全て暴力で解決される。弱い者はあっという間に死んでしまうのだ。


 一年前のあの日、騎士団は国王から地下街の取り締まりをするよう命令を受けた。


 国王は、自分の支配下にありながら従おうとしない地下街の存在を疎ましく思っており、理由をつけて潰そうとしていたのだ。

 また、地下街に調査に入った部下の話によると、最近地下街では、子どもが火だるまにされたり、男女問わず柱に括り付けられて鞭打ちにされたりと言った、眉を寄せたくなる事態が多発しているらしかった。


 このままではいけないということで、セシル自らが事態収束にかって出たのだ。


 地下街はいくつかの領域に分かれているらしく、問題の場所は地下街入り口から入ってすぐのところだった。そこはラーグという頭領が支配する場所で、金銭の搾取、人を人と思わない暴力等が日常的に行われていた。


 何も知らない金持ちの商人を装ったセシルは、そのラーグを誘き出そうと作戦を立てた。


 そこで出会ったのがエリーナだ。


 彼女はラーグの元で雇われていた。衣食住を約束してもらう代わりに、店主に金銭搾取の稼ぎを渡す仕事をしていたのだ。


 エリーナは、地下街をフラフラしていたセシルに目をつけた。その時のセシルは地下街の人間にとっては目にしたこともないような金銀細工を身に纏い、キョロキョロと辺りを見渡していた。一見、完全に無防備に見える体勢だったのだ。


 エリーナはセシルの背後に音もなく近づくと、重そうに手に下げている鞄を狙った。さりげなく、追い越すかのようにセシルに並ぶと、彼が他の方向を向いた瞬間にセシルの左肘を強く拳で打ち、左手の鞄を擦り取った。


 大の大人の男であるセシルが、少女の拳で肘を打たれたくらいで痛みを感じるわけがない。


 だが、彼女の拳は一味違った。


 彼女は、肘の関節にまともに自分の拳を当ててきた。


 ただ手を握りしめた拳ではなく、関節の形に合わせて、いかに相手に痛みを与えることができるかを考え抜いた拳だったのだ。流石のセシルも手先までビリビリと痺れがきたが、そんなものは全く気にならなかった。むしろ、地下街にはこんな少女がいるのかと、気分が高揚した。


 騎士団の人間でも、とっさにこれができるだろうか。

 答えは否だ。

 地下街という環境の中で、自分が生きていくために考え出されたものだろう。まさに、命の技だ。


 金銀がたっぷり入った鞄を抱えて身軽に逃げる少女を、セシルは追いかけた。騎士長の自分なら、ものの数分で捕まえられると思っていた。


 だが、彼女を捕まえられたのは、1時間ほども経った頃だった。勝敗を決めたのは、エリーナの体力切れだった。


 地下街の端まで行き、人通りは全くなかった。薄暗く湿った空気の中、座り込んだ少女の側に寄る。

 隠し持っていた王国騎士団の紋章を施した剣を突きつけたセシルを、少女は目線だけで人を射殺せるほどの鋭さで睨み上げた。


「君、何者だ?」

「……そういうあんたは誰?ただの商人じゃないでしょう」

「私は王国騎士団騎士長だ。この地下街の調査に来た」

「王国、騎士団…。なんで、またここに……」

 少女の言葉に首を傾げるも、今はするべきことがある。

「ラーグという人物を知っているか?」

「…私の雇い主」

「連れて行ってくれるか?」

「いや」

「なぜ」

「…仕事に失敗したって知られたら、」


 殺される


 少女の口から出た言葉に、思わず剣先が揺れた。


「…どういう意味だ?」

「そのままの意味。失敗したら、ラーグに殺される。…私、まだ死にたくないから。だから、あんたを連れていけない。盗った物は返す。だから、他を当たって」


 淡々とした口調で告げられる言葉に、セシルはグッと唇噛み締めた。こんな小さな子どもが、こんな過酷な環境で生きている。それを知った以上、この子をこのまま見捨てることはできない。


 それに、この子は才能の原石だ。


 先ほどのセシルから逃げていたときの動きが、実に素晴らしかった。セシルの動きを予測して逃げる機転の利き方、少女が逃げる最中にセシルが行った攻撃は、見事に避けられていた。そして、人間の弱点を突くその正確さ。


 訓練して鍛えれば、誰よりも立派な騎士になることができると確信していた。百年に一度と言っても過言ではない才能を目の前にして、みすみす潰されるのは惜しい。


 気が付けば、セシルはその思いからつい口にしてしまっていた。


「君、いくらで雇われたんだ?」


 唐突な話題の転換に少女はきょとんとして、勢いのまま口を開く。


「え…?えっと、確か四十ドラ…」

「四十ドラか…」


 四十ドラは、大体一定水準の生活ができている家庭の、一日の食事代の半分を賄えるかどうかという値段だろう。安すぎると思うが、地下街では破格で良い値だ。それだけこの少女の働きは優秀ということか。


「なら、私は少なくともその百倍は出そう」

「え」


 目を丸くした少女に、セシルはニヤリと笑ってみせた。


「私が君をラーグから買い取ろう。君、名前は何て言うんだい?私はセシル・シャルティーだ」


 少女は信じられないという表情でセシルを見ていた。


「…正気?四十ドラの百倍なんて、屋根のある家を建てられる…」

「ご所望ならもっと出すぞ。四千ドラでは小さな家しか建てられないからな。私についてくれば、ここよりもずっと良い衣食住も約束しよう。四千ドラでは建てられない立派な家と食事、上質な布で織られた服もあるぞ」


 胸を張って言ったセシルに、少女はまだ怪しむ目線を向ける。


「なんでそこまでするの?何が目的?」


 金に釣られてくるかと思ったが、そういうわけでもないらしい。やはり、ただ地下街で流されるまま生きてきたのではない。この子は、自分の身を守る術をきちんと持っている。


 ぜひ騎士団に欲しい。


 そして、この子が立派な騎士に育てば、あの頑なな国王の視界を広げられるかもしれない。


「そうだな。君には、ぜひ我が騎士団に入ってもらいたい」

「…なんで」

「さっきの君の動きは見事だった。君には騎士団でやっていくだけの力があり、戦力になる。その力をこの地で潰してしまうのはもったいなくてね。どうだい?君はここよりずっと良い環境で、金に困ることなく生活することが出来る。私は新たに強力な戦力を騎士団に迎えることが出来る。どちらにとっても良い取引だと思うが?」


 少女はセシルの言葉を熟考しているのか、しばらく黙り込んでいた。少女の決断を急かすことなく、セシルはじっくり待った。


少女がこの提案に乗れば、セシルが彼女を買い取る。そうすることで、少女は晴れて自由の身だ。ルーグから与えられた仕事が失敗しようと関係ない。


 雨が降り出しそうな空気が広がる中、少女が口を開いた。


「……私はエリーナ・レグリス。…よろしくお願いします、セシルさん」



 そこからはトントン拍子だった。


 一旦地下街の近くに待機していた騎士団に連絡をとり、エリーナの案内を頼りにラーグの所へ向かった。


 ラーグの小屋にはエリーナのような境遇の子どもがたくさんおり、劣悪な環境で働かされていた。

 エリーナが着ている服も布が布と言えないような代物だったが、その小屋にいた子たちは、もはや半裸状態と言っても過言ではなかった。そして、痩せ細った身体に点在する痣や火傷の跡から、ラーグを虐待や不正雇用の疑いで連行した。


「お前、裏切ったな。ここまで生きながらえることができたのは誰のおかげだと思ってるんだ!アアンッ⁉︎」


 騎士団員に羽交締めにされながら、エリーナに唾を飛ばして詰め寄るラーグの形相は、昔話に出てくる怪物のようだった。ボサボサの長い髪を振り乱して罵る元雇い主に、エリーナはうっすらと笑みを送った。


「あなたよりも条件の良い雇い主がいたので。あなたの元で働くよりはマシそうでしたから」


 あなたには、私に四千ドラ以上払うなんてことはできないでしょう?


 歯を食いしばって唸り声を上げたラーグは、そのまま騎士団に連行されていった。

 こうして、エリーナはセシルの元へやってきたのである。




 エリーナと出会った日のことを思い出していたセシルは、ラザリアの声に我に返った。目線を上げると、心配そうな表情でこちらを覗き込む妻の顔が視界に広がる。


「あなた、大丈夫?」

「あぁ、大丈夫だ。それより、エリーナのことは心配しなくて良い。騎士団にいる以上、私がしっかり目を光らせておくからな」


 エリーナを家に引き取ってから調べた、彼女の出自。詳しく分からないことだらけでもあったが、はっきりしたこともある。

 遺伝による才能というのは、時に人の努力を軽く上回ってしまう、ということだ。

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