第3話 ダイヤモンドリリー
三階にあてがわれていた部屋で滑らかな肌触りのワンピースドレスに着替えたエリーナは、一階のリビングに向かった。
銅色に塗られた扉を開くと、そこには広々とした部屋が広がっている。
首をいっぱいに曲げて見上げても見きれないほど高さのある天井からはシャンデリアがぶら下がり、すぐ下には上質なレットル樹をふんだんに使った巨大な長テーブルが置かれている。テーブルの上には、本日のメニューがずらっと並んでいた。
マゼリ鶏のガーリックソテー、彩野菜のポタージュ、濃厚チーズピザ、ベルガラ牛のステーキ等がじゅうじゅうと音を立て、香ばしい匂いを部屋に充満させていた。
準備をしていた使用人がエリーナに気付くと、頭を下げて挨拶してくる。ラザリアもエリーナに気が付き、パッと笑みを見せた。
「もう少し待ってちょうだいエリーナ。もうすぐ準備できるわ」
「何か手伝いましょうか?」
「平気よ。座ってて」
そう言われたものの、一家の主より先に座るわけにはいかない。手持ち無沙汰になったエリーナが所在なさげにポツンと立っていると、やがて続々と家の者が集まり、食事の用意も終わった。
「それでは、エリーナのアミュリッタ学院卒業を祝して、乾杯!」
「カンパイ!」
各自席に着いたところで、セシルの音頭を合図に、エリーナの卒業祝いと称された食事が始まった。手始めにエリーナは目の前に置かれていたガーリックソテーに手を伸ばす。鶏肉にナイフを入れると、ほろりと肉が崩れ、 ニンニクとオリーブオイルの香りが鼻孔をくすぐる。
「十歳で入学した時点ですごいと思っていたけど、まさかたった二年で卒業までするとはなあ。おれなんて、五年頑張ってやっと去年卒業したっていうのにさ」
ワイングラスを傾けながらそうぼやいたのは、シャルティー家の跡取り息子のモレラス・シャルティーだ。
彼は十四歳でアミュリッタ学院に入学し、十九歳で卒業している。本人曰く、「卒業試験は楽勝だった。卒業課程が難しかった」らしい。
感嘆したように言うモレラスに、エリーナは肩をすくめた。
「そんなに褒められることじゃありませんよ。実際、体の発達が訓練内容に追いつかなくて、なかなか合格水準にいかない課程もありましたし」
「それでも卒業したんだ。大したものだよ」
モレラスはふと隣を見ると、この場に着いてから黙々と食べ物を口に運んで一言も発していない弟の頭をぐりぐりと撫でた。
「ラウスは去年入学したばっかりだもんな。これから頑張れよ」
「…ふんっ」
ラウスと呼ばれた少年は、兄の手を振り払うとツンと横を向いた。
この少年はラウス・シャルティー。シャルティー家の次男だ。
エリーナと同い年の彼は、去年、十一歳でアミュリッタ学院に入学した。十一歳で入学できた時点で十分才能があるのだが、当の本人は、十歳で入学したエリーナを身近で見ていたために、どうにも素直に喜べないようだ。
モレラスはそんな弟の反応に苦笑すると、振り払われた自身の手をそのままエリーナに向けた。
「エリーナもついに一人前だな。でも、騎士団に入ってからが本当に忙しくなるし、厳しいからな。覚悟しておけよ」
「はい」
「まあ、今の騎士団はヴァーマリン小国との戦いに備えてるって節があるからなぁ。まだまだ小競り合い終わりそうにないし…。全く、いくら王室とはいえ、兄弟げんかもほどほどにしてほし――」
「モレラス」
セシルの静かな、しかし強い口調がモレラスの言葉を遮った。ハッとしたモレラスは、左手に座った父親の顔を見た。セシルは険しい顔つきで首を横に振った。
王室への文句は反乱の意思ありとして、厳重に処罰される。どこで誰が聞いているか分からないため、迂闊なことは口にできないのだ。それが分かっているため、モレラスは罰の悪そうな顔をして俯いた。
一瞬気まずい沈黙が訪れる。しかしそんな空気をものともせず、エリーナは平然とした表情で笑みを浮かべながら料理を口に運んだ。
「ヴァーマリン王国と戦いになるのも、時間の問題ですからね。騎士団の方々の足を引っ張らないよう、全身全霊をもって頑張ります」
エリーナのさらりとした返しに、セシル、ラザリア、モレラスはほっとしたように息をつき、ラウスは忌々し気にエリーナを睨みつけていた。
その後の食事は、何事もなかったかのように穏やかに進んだ。先月二十歳を迎えたモレラスがついに婚約者と結婚するという話題になれば、食事の席は一層明るいものとなった。
「十五歳からの許嫁だからな。五年越しにようやく、か」
「結婚式の段取りは順調なの?今の情勢は不安定だから、早く準備するに越したことはないわよ」
「彼女とちゃんと話し合いながら進めているから大丈夫だよ。今度の週末は、ウエディングドレスを見に行く予定なんだ」
モレラスはにこにこと頬を紅潮させて笑っている。セシルとラザリアも穏やかな笑みを浮かべ、仏頂面だったラウスも表情を緩めている。
シャルティー一家の楽し気な会話を聞きながら、エリーナはにこやかに笑みを浮かべていた。
全く幸せそうな話だ、と思いながら。
「おい」
夜も遅くなり、食事会はお開きになった。
屋敷内に割り当てられている部屋に向かっていたエリーナは、背後から乱暴な声を掛けられ、足を止めた。
目だけで後ろを振り返ると、食事の間エリーナの話題には全く入ってこなかったラウスが、エリーナを鋭い眼光で睨みつけていた。
モレラスが母のラザリアのおっとりした目元に似ているのに対して、ラウスはセシルの目によく似ている。十二歳でありながら、その見透かしたような黄金の瞳に睨まれると、並大抵の大人であれば身体が硬直したように怯んでしまう。
しかし、エリーナはラウスにしっかりと身体を向けると、その瞳を平然と見返した。こちらは彼のように、騎士団騎士長の息子という恵まれた世界を歩んできていないのだ。お坊ちゃんの子どもじみた睨みには全く動じない。そんな可愛らしい精神、持ち合わせているわけがない。
「何か?」
エリーナの短い返しに、ラウスはキリ…と奥歯を噛みしめると、ズンズンと大股で距離を詰めてきた。
同い年ということもあり、今はエリーナの方が、若干背が高い。しかしラウスは、彼女の身長差と涼し気な顔に臆することなくキッと睨み上げた。
「調子に乗るなよ。たかが学院を最年少で入学して卒業したってだけなんだからな。騎士団にはあんたより強い奴はごまんといるんだぞ」
エリーナはその言葉に、口角を上げたままカクンと首を傾げた。
「調子に乗っているような言動をした覚えはないけど。それと、そのセリフは、私に訓練で勝てるようになってから言ってくれないかな?負け惜しみにしか聞こえないから」
アミュリッタ学院在学中、エリーナとラウスは訓練として、木剣で試合をしたことがある。
学院内で圧倒的な強さを誇っていたエリーナと、その年の入学者で群を抜いて優秀であり、王国騎士団の現騎士長の息子であるラウスの剣の立ち合いは、周りの生徒たちの関心を集め、多くの教員をも巻き込み、多くの見物人が訪れていた。
周りの熱が上がった試合の結果は、エリーナの完膚なきまでの圧勝だった。
ラウスはただの一度もエリーナの間合いに入ることが出来ず、一太刀も浴びせることが出来なかったのである。
対するエリーナは、涼しい顔ににこやかな笑みを浮かべて光のごとき剣を振るい、防御に徹するしかないラウスを更に攻め立て、あっという間に勝利を掴んだ。
大勢の前で尻を着いたラウスは、それからというもの燃えるように剣の修行を積むと同時に、エリーナを極端に嫌うようになった。それこそ、彼の友人たちから呆れられるほどに。エリーナは全く気にする様子はないが。
ラウスはエリーナの全く変わらない表情を見て、チッと舌打ちをした。
「――あんた、本当は周りの人間のこと馬鹿にしてるんだろ。いっつもいっつも余裕そうにへらへら笑って…。気持ち悪いんだよ」
ラウスの吐き捨てた言葉に対して、エリーナは笑みを絶やさず、むしろ更にそれを深くした。
「あら、誉め言葉として受け取っておくわね。どうもありがとう」
エリーナの返しにラウスは嫌悪感を隠しもせず、顔を歪めて彼女の横を早足に通った。そのまま自室に入るのを横目に、エリーナも止めていた足を動かす。
ラウスの部屋の目の前にあてがわれた部屋に入ったエリーナは、素早く鍵をかけた。カチャッという軽くも頼もしい音に、知らずふっと力が抜ける。
同時に、先ほどまで顔に貼りつけていた笑みが、ストンと落ちた。
自己肯定感の高い人間は嫌いだ。先ほどの少年なんて、無自覚にプライドが高いから余計に面倒くさい。
あの少年は昔から剣技の才能があると言われていたらしく、騎士長の息子ということもあって、ちやほやされていたのだろう。兄の方は、その点いたって平凡だったらしく、入学も卒業も目立った成績を残したわけではない。そうなれば、弟に注目が集まるのは仕方のないことなのだろう。
ラウスはアミュリッタ学院に十一歳で入学しているのだから、十分周りの期待に応えていると言える。
それなのに、たった一回エリーナとの試合に負けただけで、これだけ敵視してくるとはどういうことなのか。
そのたった一回でプライドがズタズタになったというのなら、騎士団に入る素質はない。今すぐ退学して別の道を探すべきだ。まあ、それすら納得しようとしないだろうが。
いや、こちらはあんなお坊ちゃんのワガママに付き合っている暇はないのだ。順調に学院を卒業して、騎士団に入ることができた。いずれは膠着状態のヴァーマリン王国と戦いになる。その時まで、自分の力を蓄えていかなければならない。
エリーナはワンピースドレスの襟元を緩めた。胸元から静かに、下げていたチェーンを引っ張りだす。
その先には、楕円形を平たくしたチャームが揺れ、中には薄紅色の花を描いたステンドグラスが埋め込まれている。
細長い花弁をいくつも重ね、しなやかな長いおしべとめしべを持つ花。照明の光をキラリと反射して輝いている。
エリーナはそのペンダントを愛おし気に優しく撫でた。このペンダントを手にした日のことを、昨日のことのように鮮明に思い出せる。これをくれた少年のことも、はっきりと瞼の裏に思い描ける。
『このお花は、ネリネっていうんだよ。別名ダイヤモンドリリー!どう、きれいな名前でしょ?』
『このお花、エリーナみたいじゃない?これ見た時に、エリーナの顔がパッて思い浮かんだんだ!』
太陽のような暖かい声に導かれて、くりくりとよく動く空色の瞳、さらりと風に揺れる青みがかった銀色の髪、そして、エリーナに優しく笑いかけてくれていた表情が浮き上がってくる。その姿を脳裏に留めていたくて、エリーナはぎゅっとペンダントと瞼を触れ合わせた。
「シオン…」
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