第2話 卒業式

「アミュリッタ学院第六六期卒業生代表、エリーナ・レグリス!前へ!」

「はっ」

 広大な講堂に朗々と響き渡った声に、幼さの残る高い声が応答する。


 六六期生となる今回の卒業生四三名の内、十九~二二歳の男が八割以上を占める中から、十二歳前後の小柄な少女が姿を現した。


 腰まで伸びた深紅のストレート髪。左サイドを耳辺りまで編み込み、金糸で結わっている。つるりとした卵型の顔に、ぱっちりとした紅い瞳、スッと通った鼻、良く熟れた果実のような唇が、神の采配のごとく繊細に配置されている。


 鍛え上げられた筋肉質で大柄な男たちの間をすり抜け、艶やかな髪をなびかせながら少女は壇上に立った。周りの卒業生よりも一回り以上小柄な少女だが、学院の臙脂色の制服を堂々と着こなしている。


 彼女の名は、エリーナ・レグリス。


 もはやこの学院で、彼女の名を知らぬ世間知らずはいない。


 このアミュリッタ学院は、スカルロート王国随一の騎士養成学校だ。この学院の厳しい訓練メニューは鬼のような難易度であり、一つひとつ合格点を取っていくことは大変難しい。

 

 そのため、卒業過程を終えるだけで四、五年は経ってしまうのだ。


 さらに、卒業試験の難易度も相当高く、不合格者が続出する。毎年試験の合格率は三十%ほどだ。卒業試験合格まで、更に一、二年経過することなどザラなのだ。おまけに騎士になるのは男性ばかりであり、訓練メニューは成人男性向けに組まれたものばかり。


 そんな中で、エリーナはアミュリッタ学院開校以来、最年少の十歳にして入学試験を突破し、史上初の女生徒でありながら、たったの二年で卒業過程を終え、最年少十二歳で首席卒業という偉業を成し遂げた。


 まさに稀代の天才少女。


 彼女と打ち合った学院生は、一瞬にして、光のごとき剣戟を前に、地に伏すしかないと言われている。


 アミュリッタ学院学院長の前まで進み出たエリーナは、慣れた動作で敬礼をした。白いひげをたっぷりと生やした学院長は、厳めしい見た目に反して柔和な瞳を彼女に向ける。エリーナはその瞳を、ガーネットのような紅い瞳でまっすぐに見つめ返した。


「私たち四三名の卒業生は、スカルロート王国のため、そしてこの国を治められている国王様、王妃様のため、身命を賭して国の剣となり、盾となることを誓います。卒業生代表、エリーナ・レグリス」


 エリーナの軽やかに響いた宣誓に、講堂全体から拍手が沸き上がった。学院長も満足気に頷くと、演台に置いていた一本の剣を手に取った。


 鍔の部分にスカルロート王国を治める王室の赤い鳥の紋章が施された、学院に代々伝わる伝統ある剣である。この学院に対する信頼の証として、過去に王室から譲渡されたこの剣は、毎年行われる卒業式に学院長から卒業生代表に手渡されるのだ。


 国王と学院の絆を具現化した剣を手にすることで、王室と信頼関係を結び、これから王室のために奉仕していく決意を固めるのだ。


 この卒業式は、王室と学院、そして騎士団の絆を結び直すための重要な儀式でもあるのだ。


 舞台の明かりを反射して鈍く光る刀身を目にして、舞台下で待機する卒業生たちがほぅ…と息を吞んだ。その圧倒的なまでの存在感を示す剣を前に、エリーナは臆することなく両手を差し出した。

 小柄なエリーナにはやや大きすぎるその剣を、しかし思いがけずしっかりと受け取る。エリーナが剣を手にしたのを確認した学院長は、朗々と声を響かせた。


「アミュリッタ学院の卒業生として、この国の一員として、国王陛下の忠実なる家臣として、その信頼に背くことの無いよう、日々精進を怠らぬように!皆の活躍を期待している!」

「はっ‼」


 学院長の、腹にドンと重く響く太い声音に引っ張られ、卒業生四三名全員が、訓練された動きで敬礼をした。




「エリーナ」


 卒業式が終わり、証書と共に一人で学院を出たエリーナは、自身の名呼ぶ声に振り返った。


 そこには、朱色の騎士服に身を包み、同色のマントを風にはためかせる長身の男がいた。その胸元には、王室の紋章である赤い鳥のバッジが煌めいている。

 エリーナの側に歩み寄って来る男のベージュの髪が柔らかく揺れ、黄金の瞳には喜びの色が滲んでいた。


「おじ様」


 エリーナは素早く駆け寄ると、その男を振り仰いだ。


「来てくださってたんですね。ありがとうございます」

「当たり前だ。エリーナの立派な晴れ舞台だぞ。父親代わりとして見に来ないわけがないだろう」

「ありがとうございます。でも、セシル・シャルティー騎士長閣下は忙しいのではないですか?こんなところで油を売っていて大丈夫なのですか?」

「心配無用。しっかり仕事は終わらせてきたぞ。今日はエリーナのめでたい日なのだから、仕事の話は無しだ」


 いたずらっぽく笑って言ったエリーナに、男――セシル・シャルティーも冗談交じりで答える。


 彼は、王国騎士団の最高位・聖騎士であり、騎士団を率いる騎士長でもある。

 日々騎士としての訓練や、騎士長としての仕事に忙殺されており、屋敷に帰って来るのも遅い時間になる。そもそも帰宅しない日もよくあった。そんな彼が、わざわざ自分のためにと言って、騎士の卵の卒業式にやって来るとは正直驚きだった。


 セシルはエリーナの胸元に輝く卒業バッチを見つめ、穏やかに目を細めた。


「それにしても、十二歳でこの学院を卒業してしまうとは、さすがに驚いたよ。才能があることは分かっていたが、まさかここまでとは」

「ありがとうございます。これも全て、おじ様があの時、私を買い取ってくださったおかげです」


 にっこりとキレイな笑みを見せたエリーナに、セシルは困ったように眉を寄せた。


「確かにあの時君を買い取ったのは私だが、何も才能があると思ったから金を払ったわけでは…」

「もちろん、分かっていますよ。おじ様にはとても感謝しています。あの時拾ってくださらなければ、今頃私は野垂れ死んでいたでしょうから」


 それか、地下街の人間に嬲り殺されていたか、でしょうね。


 にこりと笑みを浮かべながら宣ったエリーナに、セシルは思わず口元をひきつらせた。


 十二歳の少女の口から出てくる言葉とは思えないが、過去のエリーナの置かれていた状況では、冗談ではなく本当にあり得たことだけに、全く笑えない。


 あの時エリーナがセシルと出会わなければ、彼女は間違いなく壊れて死んでいただろう。その光景がありありと思い浮かぶ。


 そもそもエリーナがアミュリッタ学院を受験したのは、彼女の才能を見込んだセシルが後ろ盾になり、入学試験を受けさせたからだ。


 まだ十歳だったエリーナを入学させようという気はなく、セシルとしては力試しのつもりだったのだが、エリーナは入学試験も上位の成績で突破してしまった。この子なら将来騎士団で大きな活躍を見せてくれると思っていたのは確かだが、あまりに予想外の結果に、さすがのセシルも唖然となったものだ。当の本人はケロリとした顔をして合格通知を見せてきたが。


 セシルは話題を誤魔化すべく大きく咳ばらいをした。


「さて、それでは家に帰ろうか。今日はラザリアが張り切って料理を作っているらしいぞ。卒業祝いのパーティーをしようじゃないか」

「ラザリアおば様のお料理、とっても楽しみです」


 にこりと笑ったエリーナにセシルもホッと息をつくと、先に歩き始めたエリーナを追って屋敷に足を向けた。


 スカルロート王国の首都・カーマンブルクは観光地として栄えている街だ。


 全長七百キロメートルにも及ぶフレイス川が街の中心を流れ、その河川敷に建つ家々は、目にも鮮やかな色合いをしている。

 今もフレイス川の穏やかな流れに乗って観光用の小舟が遊覧しており、中に乗った観光客が瞳を輝かせて街並みを楽しんでいた。


 川の側を少し離れると、まだまだ売り出し中らしい楽団が屋台のような舞台に立ち、観客を前に演奏している。心弾む音楽が、カーマンブルクの街並みを華やかに彩っている。


「お帰りなさい、あなた。久しぶりね、エリーナ。卒業、本当におめでとう」


 赤煉瓦でできた大きな屋敷のベルを鳴らすと、玄関から白の上品なラインドレスに身を包み、キラキラと輝く金髪を後ろでアップにまとめた夫人が出迎えた。


 カーマンブルクの東に位置する区域に、シャルティー家の屋敷がある。ここが、エリーナが九歳から十歳の一年を過ごした場所だ。


 エリーナはニッコリとほほ笑むと、優雅な動作で頭を下げた。


「お久しぶりです、ラザリアおば様。お邪魔いたします」

「元気そうでよかったわ。あなたが学院に入学してから、年末くらいしか会っていなかったものね。大きくなったわね」


 彼女の名はラザリア・シャルティー。セシルの妻だ。


 エリーナがこの屋敷にいたのは一年ほどであり、先ほどの言葉通り、学院に入学してから会ったのはほんの数回だが、ラザリアはその度に大げさなほど歓待してくれていた。


 ラザリアは嬉しそうに目を細めると、パンと手を打ち、エリーナとセシルを招き入れた。


「さ、上がってちょうだい。今夜はエリーナの卒業祝いパーティーなんだもの」


 パーッと明るくやりましょう!と鮮やかに笑ったラザリアに背中を押されて、エリーナは屋敷に足を踏み入れた。

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