リコリス
霜月日菜
〖第1幕〗赤
第1話 【開幕】
血の匂いがする。
満身創痍の状態で思ったことは、そんなことだった。
血の臭いなんて、幼いころから嗅ぎ慣れている。それなのに、今はこんなにも鼻についた。
額から流れた血が目に入り込み、視界が激しく歪んだ。それを拭う気力すら、もう自分には残っていない。
這いずるようにして、赤く染まった土を踏みしめる。
右手に持った深紅の剣が、鉛のように重い。いつもなら軽々と振り回すことのできるその剣が、もはや自分の歩みを妨げるものになっていた。
呼吸が遠い。喉が、強靭な誰かに締め付けられているように狭まり、酸素が入ってこない。
「あっ」
足がもつれ、赤黒い地面に勢いよく顔面を打ち付けた。その拍子に持っていた剣が手を離れ、カシャンと軽い音を立てて地に落ちた。
頬を血生臭い地面にこすりながら、薄っすら目を開ける。ぼやける視界の中で、王国騎士団の朱色の制服と煤に汚れた国民たちの服がぶつかり混ざり合っている。
赤い液体が、あちこちから吹き上がっていた。
敵味方関係なく、嘘みたいにバタバタと死んでいく。
――どうして、こんなことになったのだろう。
どこで、何を間違えたのだろう。何かが違えば、こんなことにならなかったのだろうか。
心臓に近いところから生暖かい血が流れ続ける。鉄臭さに顔をしかめようとしても、もう表情ひとつ動かすことすらできなくなっていた。
指一本すら動かすことが出来なくなった身体。
すぐ側にある剣が拾えない。
刺された傷口の痛みすら、もう感じられなくなった。
もうこの王国は…スカルロート王国は終わりだ。
いくら王国最強の剣であり盾である王国騎士団でも、この状況で今までの戦力を維持できているとは思えない。
これが、国民たちの怒りをいつまでも放置し、無視し続けた結果だ。
王室ももう、彼女によって抑え込まれたかもしれない。
自業自得だろう。己の地位を盾に権力を振るい、それに甘んじてきたその果てなのだから。
ただ、もう倒れてしまって、動けなくなった自分が悔しかった。
たったこれだけの力しか持たない、ちっぽけな自分が情けなかった。
一体私の人生には、何の意味があったのだろうか。
生きていて、何か意味はあったのだろうか。
何か、意味のあることはできたのだろうか。
何の音も聞こえなくなった世界。
かすむ視界に、やけにはっきりと、揺らめく赤を見た。
いつだって、人の死のすぐ側にある色。
私の目の前で死ぬ人の隣には、必ず咲いている色だ。
燃える赤から目をそらすように、ゆるゆると瞼を下ろした。
全身から力が抜けていく。急速に身体が冷たくなる。冷え切った冷気が、体全体を這った。
――寒い…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます