第2話
「絶対気に入るって。あたしが保証する」
「どうでもいい」
助けてくれたお礼がしたい。あんな目に遭ったばかりだというのに、グリニッチはどこか嬉しそうに言った。ダダニウムのごつい拳を小さな手のひらで握れず、人差し指一本を引っ張って歩く。
「オークは甘いもの好きってあたし知ってるんだから」
「試合後は肉って決めている」
「甘いもの好きってのは否定しないんだ」
「食えりゃあ何でもいい」
オークの一歩はエルフの三歩。ダダニウムがどすっと一歩進む度にグリニッチがとことことこと早足で三歩先へ行く。しかし間合いが詰まって、その華奢な後ろ姿を踏んづけてしまいそうになる。
「何でもいいならあたしのおすすめを断る理由もないよね」
「もうどうでもいいって意味だ」
二人は街の中でも特に華やいだ区画へとやって来た。ここはヒューマンやエルフ、半妖精人の生活圏となる。
「俺なんかがこんなとこに居ていいのか?」
あまりの明るさにダダニウムは踏み留まった。二人の体重差があり過ぎてグリニッチは後ろにつんのめってしまう。
「いいに決まってんでしょ」
オークがヒューマンの居住区画へ侵入してはいけない。そんなばかげた条例は十数年前に廃止された。それでも未だにオークやレプタリアンなどの半獣人種を毛嫌いするヒューマンも少なくない。
「それとも何? さっきあたしをお持ち帰りするって言ったよね。あれはウソだったの?」
「ヒューマンどもをぶちのめすのもめんどくせえからああ言っただけだ」
「それもウソ。あたし知ってるよ」
「何をだよ」
「ダダくんのこと」
ほらな。めんどくせえ。ダダニウムはグリニッチの小さな後頭部から目線を逸らした。その視線の先、この街は電灯ですら眩しい。
ここは匂いさえ違う。小さな手に引かれながらダダニウムは思った。通り過ぎたカフェからコーヒーの香りが追ってくる。そこのバーには果実酒の芳香が立つ。どこからか蜜菓子が焼ける匂いが漂う。
どれもこれも地下闘技場の飲み屋街では見つけられない匂いだ。あそこにあるのは肉の脂身が焦げる臭いと魚肉が放つ酸っぱい発酵臭、度数が高いだけのアルコール臭。
俺はこれが欲しくて、敵を殴っているんだ。ダダニウムは思い出した。自分を突き動かす怒りと憧れ。
「ここのパンケーキ、すごく甘くてバカみたいに盛ってあるの」
グリニッチが誘ってくれたカフェは小さなログハウスのような木の外装で、温かみのある電気の光に溢れて、とびきり甘い香りを漂わせていた。
「助けてくれたついでにごはん付き合ってくれたっていいでしょ?」
「どんなついでだよ」
頭を低く屈めてメニュー看板を覗き込む。蜂蜜漬けナッツのパンケーキ、たっぷりホイップクリームとベリーソースを添えて。
「たしかに甘そうだ」
「でしょでしょ」
そうこう話していると、二人のやりとりを見つけた店員が入り口までわざわざ出向いてきた。
「いらっしゃいませ」
カラン、木の扉に備えられた呼び鈴が弾む。
「ご覧の通りだけど、席二つ空いてる?」
グリニッチが二本指を立てて笑顔を見せる。それに反応するように店員の顔が露骨に歪んだ。眉間に皺が寄り、声を濁らせ、曇り模様の表情となった。
「あいにくと当店はヒューマン専用店です」
それは夜に降り出した雨のように冷たい言葉だった。カフェ店員はダダニウムをちらりとも見ずに続ける。
「特別にエルフのお客様のみご利用いただけますが、いかがいたしますか?」
グリニッチとダダニウムは改めてお互いの姿を見比べた。
オークの大男はパーカーのフードを深く被り、川沿いの土手をジョギングするようなラフなジャージ姿。潰れたボストンバッグを大斧を振りかぶるように肩に担いでいる。
少女のようなエルフは灰色の長い髪をくしゃくしゃに乱していた。膝や腰の部分を泥に塗れさせたデニムパンツ、襟元が歪められた破けそうなTシャツ姿。
「俺はオークとヒューマンのハーフだ。半分ヒューマンの血が混じってるが、それでも入店拒否か?」
呆れ果てた顔でダダニウムが言った。
じろり、カフェ店員のヒューマンがハーフオークの頭のてっぺんから爪先まで冷たい視線を這わせて返す。
「うちのカフェはすべてヒューマンサイズです。物理的に、入れますか?」
見れば、カフェの内装もダダニウムにはおままごとセットのように小さ過ぎた。扉をくぐればそれは破け、歩けば床板を踏み抜き、椅子に座れば潰してしまいそうだ。
オークの巨体が小柄なエルフと一緒にお茶をしてる姿を思い浮かべれば、それはもう滑稽を通り越して無様に見える。
この店はそういう風に作られたカフェなのだ。
「もう、いい」
グリニッチが低く唸る。驚いたのはダダニウムとカフェ店員だ。こんな華奢なエルフの少女が唸り声を上げるだなんて。
「二度と来てやるもんかっ! バーカ!」
ぷい、とグリニッチは灰色の髪を翻した。犬のように怒り、猫のように唸る。エルフもこんなに感情を露わにするのか。ダダニウムは怒ったグリニッチを見て、逆に冷静に対処できた。
「というわけだ。邪魔したな」
グリニッチを連れて、のしりと重く踵を返す。背中で威圧感を与えてからゆっくりと歩き出し、二度と振り返らなかった。
そして歩きながら、グリニッチの灰色の髪に大きな手のひらを置いた。小さな頭を壊してしまわないよう丁寧に、細い首を捻ってしまわないようそうっと撫でる。
敵を殴る時と異なる筋肉を使って、乱れた長髪を整えてやる。大切なものを扱うように、体温が伝わるように。
「俺の代わりに怒ってくれてありがとな」
「あんなムカつく奴、はじめて見たわ」
「それにしてもいい啖呵だった。声もいい」
「でしょ。魔法の声よ」
「俺が敵と殴り合ってる時にもその声が聴こえていたな」
「うん、ちゃんと届いてたんだ」
少し、二人の間に沈黙が訪れる。
「……ねえ、ダダくん。これからあたしんちに来ない?」
グリニッチは小さく言った。
「まだお礼できてないから、甘いのご馳走してあげたい」
ダダニウムは黙って頷いた。
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