撲り鬼と詠み妖精

鳥辺野九

第1話

 歌が聴こえる。


 右の拳は鉄の塊 左の拳は鳥の翼


 歓声。罵声。怒号。悲鳴。再び歓声。粗暴な空間に響く可憐な歌。


 打てよ 鉄飛礫てつつぶて 飛べよ 風切り羽


 肉と肉とがぶつかり合い、骨と骨とがせめぎ合い、奏でられるは暴力の音楽と澄んだ歌声。


 あったか寝床で やらかく眠れ


 なんて優しい声なんだろう。地下闘技場は最悪に盛り上がっているというのに。


 ここは暴力が見られる場所だ。金網に囲われた八角形リングに立てるのはたった一人のファイターとたった一つのボロ雑巾。


 そのたった一人のファイターへ向けて、誰にも聴かれない歌が歌われる。


 ダダニウムはファイターだ。父はオーク、母はヒューマン。その両方の特徴を受け継いだ若く優れたハーフオークである。


 しなやかな左腕から繰り出される拳が目にも止まらぬスピードでレプタリアンの鼻を打つ。


 レプタリアンにさほどダメージはない。派手な音を立ててウロコが火花を散らせる程度だ。しかし一瞬だけ、瞬息の拳で視界が真っ白く飛んでしまい、動きが止まる。


 骨太の右腕が撃ち出す次なる拳は速度に劣るが最悪なパワーが篭っている。爬虫類人のウロコの鎧も意味を成さない。


 この一撃で、ダダニウムの名は強者の階段を一気に駆け上がった。


 地下闘技場にニュースター現る。恐れ知らずのハーフオーク。その名はダダニウム! 


 剛腕で対戦相手をねじ伏せるようにリングに叩き付ける。ガードされようが、打ち返されようがお構いなし。腕力で愚直に敵を打ちのめすのみ。それがダダニウムのスタイルだ。


 スピードの左拳とパワーの右拳。ダダニウムの一直線な戦い方に、レプタリアンはなす術なくマットに這いつくばった。


 発火する歓声。空気を裂く悲鳴。ハーフオークを讃える雄叫び。レプタリアンを憐れむ唸り。戦いの終わりを告げる大音声。そして、聴こえる歌。


 小さな歌声は歓声に掻き乱され、怒号に揉み消され、それに気付いているのはダダニウムただ一人。倒れたレプタリアンを見下ろし、重ねられるカウントを数えながら、か細い歌声に耳を傾ける。


 あったかベッドで やらかく眠れ


 その優しい歌声に、ダダニウムは思った。


 うるせえ。今すぐ歌うのをやめろ。


 拳で語れ ともに歌え


 まぶたを閉じろ。口をつぐめ。


 君は なぐおに


 俺は、撲り鬼。


 こんな心安らぐ声なんて聞きたくもない。ダダニウムに必要なのは優しさや憐れみではない。彼を突き動かすのは怒りと憧れ。欲しいのは歓声と罵声。


 殴り倒した爬虫類人がリングに沈んで10カウントが数えられた。


 高く、より高く腕を突き上げて観客の熱狂に応えてやる。無慈悲な暴力を渇望した観客たちは満足気にダダニウムの名を叫んだ。


 たてがみのように逆立てた茶髪をふり乱して分厚い胸板を叩き、震え上がるほどの大声で吠えてやる。地下闘技場は燃えるような歓声に風が巻いた。


 圧倒的パワーのダダニウムを讃える声。オークとヒューマンのミックスごときが、と罵る声。敗者のはずのレプタリアンに贈られる賛辞と声援。勝者のはずのダダニウムに歌われた歌は、もう聞こえなかった。




 地下闘技場トーナメント第3回戦ともなるとファイトマネーも跳ね上がる。ダダニウムは即金で支払われた金を無造作にビニール袋に包んでボストンバッグにねじ込んだ。


 オークの武骨な手のひらにはあまりに小さく薄っぺらい現金。これさえあれば食いたいものが何でも食える。欲しいものだって何でも買える。ほんの数週間分にも満たない額だが。


 ぶっ壊してやったあのレプタリアンはまだ魔法治療を受けているのか。負けてしまっては冷めたパンを一週間食えるかどうか、端金しかもらえない。その金も魔法治療費で消えてしまうだろう。そんなどうでもいいことを考えながら、ダダニウムは誰もいないロッカールームを出た。


 その途端にストロボが焚かれた。眼を瞬かせるダダニウムに何人かのヒューマンが口喧しく押し寄せてくる。


「ダダニウム! 勝利の感想を一言お願いします!」


 タブロイド新聞のスポーツ記者だ。無遠慮にダダニウムの鼻先へ背伸びしてレコーダーを近付けてくる。


 あまりの距離感のなさに思わずぶん殴りそうになるが、他にも新聞記者やどこから入り込んだかファンの姿も見つけられた。さすがに目撃者がいるのではぶっ飛ばすこともできない。


「あのトカゲ人じゃあ相手にならねえ。まだ燃え足りねえな。次はおまえとやるか?」


 ボストンバッグを威圧的に肩に担ぎ、2メートル半のはるか高みから見下ろしてやる。大抵のヒューマンはそれで怖気付いて逃げ出す。この不躾なスポーツ記者もまたそうだった。


 再びダダニウムの周りには誰もいなくなった。ヒューマンごときに喋る言葉なんかない。ダダニウムはそう思うことにした。


 たしかにこの世界で最も繁栄している種族はヒューマンだ。図体ばかりでかいオークの繁栄などとは比較にならない。そんなオークとヒューマンのミックス種族なんて希少動物レベルだ。住む世界が異なる。ダダニウムは闘技場から街へ出る度に思い知らされた。


 外はまるで別世界。吹き始めたばかりの新鮮な夜風は冷やされて、オークの特徴的な硬い産毛に覆われた剛腕を心地よく撫でてくれる。


 ふと、歌が聴こえた。


 ダダニウムは踏み留まった。歌が聴こえる。いや、歌じゃない。他種族よりも優れたオークの聴覚だからこそ聴き取れたかすかな声。悲鳴だ。


 だが、あいにく正義感なんてものは持ち合わせていない。通りすがりのダダニウムには何の関係もないことだ。


 このまま無視して歩き過ぎようか。迷う。何故ならこの悲鳴は、あの声だからだ。闘技場で自分に歌ってくれた澄んだ歌声の主が、この暗がりの裏路地で助けを求めている。


 ダダニウムはくるり振り返った。なんてことはない。ただの気まぐれだ。電灯もない裏路地へ、わざとらしくのしのしと威圧感を振り撒いて侵入する。


 オークの暴力的な気配はすぐに裏路地全体へと染み渡った。ダダニウムの重い足音が強引に深部へと分け入っていく。ざわり、暗闇の中に影が蠢めくのが見える。


 声の主はすぐに見つかった。


 小枝のように華奢なエルフの女だ。薄汚れた地面に仰向けに倒れている。細い首だけを反らせて、逆さまになった顔でダダニウムを真っ直ぐに見つめていた。


 エルフの女は二人組のヒューマンに組み敷かれていた。半ば衣服を剥ぎ取られ、今まさに暴行を受ける寸前の状態にいた。


 エルフと視線がかち合う。ダダニウムは小首を傾げて見せた。エルフが逆さまにこくんと頷く。助けて、と小さな口が動く。ダダニウムはヒューマンを睨み付け、低く唸った。


 凶暴な気配と重たい足音、重低音の唸り声。エルフを襲ったヒューマンはそこで初めて侵入者の存在に気が付く。


 ヒューマンより何倍も密度の高い巨体を誇るオークが暗闇から現れた。


「よう、何してんだ?」


 オークやエルフとは違ってヒューマンは夜目が効かず、繊細な音を聞き分ける聴力も弱い。ダダニウムはそんなヒューマンの目でも見えるようぎりぎりまで接近し、貧弱な耳でも聞こえるよう大声で自己紹介をしてやった。


「俺はそこの闘技場で格闘家をやってる。その女は俺が持ち帰る予定だったんだが、人の獲物を横取りする気か?」


 オークが間近で発するドスの効いた声に思わず息を呑むヒューマン二人組。その剛腕にちょんとでも触れられたら、骨の一本や二本粉砕骨折で済まされそうにない。


 脱兎の如くとはまさにこのことだと体現するようにヒューマン二人組は逃げ出した。ズボンを下ろしただらしなく情けない格好のまま駆け出し、四つん這いになって裏路地から這い出て消えた。


 エルフはというと、意外なことに不機嫌そうなオークから逃げもせず、むしろその分厚い胸板に、背が届かず、たくましい太腿に身体を預けてきた。


「ダダくん! ありがと! 助かっちゃった」


 今度はダダニウムが驚く番だ。半裸の女性に抱きつかれた経験なんてないし、いきなりダダくんなんて呼ばれたこともない。


「おまえ誰なんだ?」


「あたしの名はグリニッチ」


「名を訊いたわけじゃねえ」


「じゃあダダくんは何を訊いたわけ?」


「それだ、それ。何で俺の名を知っている?」


「君のために歌を歌っているから」


 泥に塗れたままグリニッチはニッコリ微笑んだ。やっぱり面倒くさいことになった。ダダニウムは裏路地へ入ったことを後悔した。

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