隣のジェミニと最高の誕生日

白井 六

第1話

 B級映画さながらのUFO音が部屋で鳴った。

 寝ぼけた頭でいつもの場所に手を伸ばす。


(あれ…。)


 ない。

 

(うるせぇ…。誰だ、こんな音にしたの…。)


 アラーム音が挑発するように飛び回る。

 彼は上半身を大きく動かし、一撃で仕留めようと携帯に向かって腕を伸ばした。


 ガシャン!


「うぉわっっ。」


 どんっ!


 掛け布団ごとベッドから滑り落ちる。


「ってえ…。」


 アラームを止めると、画面に通知表示があった。

 真っ先に確認した差出人は、マンションの隣に住む幼馴染、竹原清来たけはらせいら


【ごめん、用事があるから先に行くね。】


 着信時刻は午前八時四十七分。ほんの十三分前だ。


「はぁっ?」


 彼、高見涼太たかみりょうたは朝っぱらから叫んだ。

 絡まる布団を剥ぎ取り、慌てて立ち上がる。歩き出したところで机の角に足の小指をぶつけ、二度目の発声はもはや宇宙語だった。


「☆!☆!」


「痛っってぇ!!何なんだよっ!痛ってぇ!」


「うるさいぞー、涼太。」


 部屋のドアから兄の啓太が顔を突き出した。

 シャワー上がりの髪は濡れたまま、タオルを首にかけている。


「…何やってんの?お前。」


「うっせぇ!勝手にドア開けんなっ、クソ兄貴!」


 涼太は近くにあった柔らかいラグビー型のボールを掴むと、兄に向かって投げつけた。


 どすっ


 毎度のこと、啓太が絶妙なタイミングでドアを閉める。


 今朝の涼太は、早々に機嫌が悪い。それは兄が勝手にドアを開けたからでも、足の小指をぶつけたからでもない。清来が送ってきたあり得ないメッセージのせいだ。

 いつもなら、こういうことは電話で直接伝えてくる。

 しかし昨晩、ほんの九時間前に電話で話した時でさえ、清来は何も言わなかった。


「ちょっと、朝っぱらから何?啓太。」


 リビングに続くキッチンから、騒動を聞きつけた母親の声がした。


「俺じゃねーし。暴れてんのは涼太。」


 ドアの向こうの廊下で、リビングに向かう啓太の声が聞こえる。

 涼太は急いで着替えを済ませると、洗面所に飛び込んだ。急げば、バス停にいる清来に追いつけるかもしれない。


「お前さぁ、もしかしてせいと喧嘩した?」


 啓太がニヤニヤしながら現れた。


「なっっ?してねーし!」


 鏡越しに兄を睨みながら、涼太は感情的になる。

 清来からのメッセージには釈然としないものの、喧嘩した覚えは断じてない。


「ふぅん…。」


「な、なんだよ、ふぅんって。」


「いや、俺、ジョギングの帰りに清にばったり会ったんだよね。」


「はぁっ?何時いつだよ?それ!」


 兄の言っていることが本当なら、清来は涼太が考えているよりもずっと早く出かけたことになる。


「八時半…かな。涼太と行かねーの?って聞いたら、なんかよそよそしくってさ。」


「八時半?もうとっくにバスに乗ってるじゃん!どけ、兄貴。」


 涼太は壁のように立ちはだかる兄をグイと押しのけた。中学高校とバスケットボールをしていたが、元来が骨太で筋肉質の兄とは明らかに体型差がある。


「おっと。そこで俺はピンと来たのよ。お前ら喧嘩しただろ。」


「してねーって言ってんだろ!しつこいな。」


「涼太、朝御飯は?」


 母親が廊下に顔を出し、声をかける。


「いらない、あっち学食で食べる。」


「あらそう、気をつけて。」


 玄関へ向かい、涼太は履きなれたスニーカーに手をかけた。


「いくら無神経なお前に慣れてるからって、乙女せいは繊細だからな。ちゃんと謝れよ。」


 啓太が、からかうように叫んだ。


「なんで俺が悪い前提なんだよっ…。」


(おかしいだろ…。)


 涼太は一人呟くと、自宅を後にした。


 ---------


 幹線道路にあるバス停までは、自宅から徒歩十分の距離。走れば数分。駐車場と民家の間を通り抜ける近道を使えば、もっと早い。

 涼太は早足に、いや、それはもう走ったと言っていいスピードでバス停にやってきた。

 わずかな期待を抱いてバス停の集団を目で探ったが、そこに清来の姿はない。

 大学方面の時刻表を見ると、八時四十五分という数字が目に飛び込んできた。

 清来から受け取ったメッセージは四十七分。バスはその二分前だ。


(あいつ、バスに乗った後で連絡したな。)


 メッセージは、自分が追い付けない場所から送られたのだ。

 何かを取りこぼしたような、嫌な予感がする。


 『清は繊細だからなー。』


 兄の言葉が脳裏をよぎった。


「俺が何したってんだよ…。」


(今日はずっと一緒にって、約束したじゃんか…。)


 明日の誕生日はずっと一緒に過ごそう。

 清来を誘った時、電話越しの返事がそっけなく聞こえたのは、気のせいだと思っていた。

 今朝のメッセージは、断り切れなかった彼女の本心だろうか。いや、兄が言ったように怒らせただけかもしれない。それが何なのか、涼太にはさっぱり分からなかったが。


 プシュゥ…


 清来にメッセージを送ろうとしたところに、バスが来た。


(ちっ、内回りか。)


 内回りとは、路線の通称だ。

 涼太が通う大学は付属の中学と高校があり、高校経由の大学行き路線と、大学経由の高校行き路線がある。前者が内回り、後者が外回り。どちらもめあての場所に行けるが、所要時間に差が出る。

 目の前のバスに乗れば時間はかかる。しかし次の外回りを待つよりも若干早く大学に着く。1分でも早く追いつきたかった彼は、内回りのバスに乗った。



 ---------



【用事ってなんだったの?もう大学?】


 涼太はメッセージを送った。足は自然と後部座席の窓際へ向かう。

 携帯を片手に、かつての指定席にどさりと座った。この路線に乗るのは久し振りだ。


 涼太と清来は、同じ大学付属の中高一貫校に通った。

 幾つかのバス停を通り過ぎると、やがて青葉繁る並木の向こうに母校の門が見える。

 車窓から見るレンガ造りの校舎は、数ヶ月前まで通っていたとは思えないほど遠い。

 涼太はふと、あの木曜日のことを思い出した。



 ---------



 ガラッ


「清、帰るぞー。」


 バスケ部の練習を終えた涼太が、美術部のドアを開ける。

 清来は一人、部室で涼太を待っていた。

 

「あれ、お前一人?」


「うん、皆さっき帰った。今日は少し早く終わったから。」


 清来は椅子から立ち上がると、デッサンを描いていたノートを鞄に入れた。


「あっそ。じゃ、鍵返しに行くよな。」


「うん。」


 ------



「おっ、涼太!」


 校門で、先輩に呼び止められる。


「田崎先輩、お疲れっす。」


 涼太は、歯切れ良く挨拶した。

 弟気質がそうさせるのだろうか、彼は年上から可愛がられる。


「お疲れ!今日は彼女の護衛か。熱いねぇ。」


 いつもの木曜日の光景を、田崎が冷やかす。

 清来は涼太の隣でうつむき、涼太は「(まだ)彼女じゃないっす!」と苦笑いをしながら明るく答えた。それは通過儀礼のような、お決まりのやり取りだった。


「ごめんね、涼ちゃん。」


 二人きりになったところで、清来がポツリと口を開いた。


「何が?」


「いつもからかわれて。」


「別に。嫌なこと言われてるわけじゃないし。」


「でも…。」


「でも?」


 涼太は、うつむく清来を横目で見た。


「お母さんが無理なお願いしたせいで、涼ちゃんがからかわれる羽目になってるんだよ。」


「あー、ね。」


 涼太の返事は淡白だった。清来に自分はまったく気にしていないということを示したつもりだった。


 高等部二年の二学期。毎週木曜日に一緒に下校することになったのは、清来の母親に頼まれたからだ。

 部活後に堂々と一緒に帰宅できる。この降ってわいた好機に当時の涼太は心の中でガッツポーズをしたのだが、清来はいつも申し訳なさそうだ。


 清来は一人っ子で、母親は前の結婚でもうけた娘を二十年以上前に亡くしている。

 理由を知る者は少ないが、それはとても悲しい事件だったという。

 以来、彼女の母親は端から見れば過保護すぎると言われても仕方がないくらい、清来が夕方に一人で歩くことを心配する。

 バス停から自宅マンションまでの距離も、毎日欠かさず迎えに行く。決して一人では歩かせない。


「会社の人の産休と育休が重なって、おばさんも仕事のシフトを変えなきゃならなくなったんだろ。いいじゃん?週に一回くらい。その人達が復帰するまでなんだし。」


 涼太はまっとうな、そして正当な理由でもって清来を慰めた。


「だけど、涼ちゃんがからかわれて嫌な思いしてるの、私は好きじゃない。」


「嫌じゃないよ。俺、清のこと好きだし。」


 涼太はあっさりと告げた。というより、彼は昔からずっと言い続けている。


「だから、その好きは…。」


 清来が、細い声で困ったように呟いた。涼太はそんな彼女の頬に触れる。


「俺、いつもお前に好きって言ってるけど、本気だよ?」


 彼女の白い肌が、赤に染まった。少し潤んだ黒い瞳が、物憂げに涼太を見上げる。


「清は…?俺のこと嫌い?」


「わ、私は…。」


 清来は、本心を隠すように慌ててうつむいた。


「す、すごく、…嬉しい。」



 ---------



(すごく嬉しい、か。)


 涼太は心の中で呟いた。

 あの日以来、自分たちは付き合っていると彼は思っている。


 ヴヴ…


 手にしていた携帯のバイブ音が鳴る。清来からの返信だった。


【用事、済んだよ。今、学食。講義まで時間があるからいつもの席にいるね。】


 涼太はほっとした。普段の清来と変わらない文面だ。

 「いつもの席にいる」というからには、やはり今朝の用事は突然のことで、彼女なりの気遣いだったのだ。


【今バス。もうすぐ着く。すぐ行く。】


 彼は秒速で返信した。



 ---------



 食堂の、窓際の、観葉植物がすぐ横に置いてあるいつもの席に、黒髪の女子が背を向けて座っていた。


「清!」


 食堂に駆け込んだ涼太は、ひと目で清来を見つけるとテーブルに近づいた。


「え?」


 相手が戸惑いの声とともに涼太を見る。何の疑いもなく涼太が声をかけたその女子は、全くの別人だった。


「あ。…と、すみません、人違いでした。」


 まるで狐につままれた気分だ。次こそ慎重に清来を探すが、それらしき姿はどこにも見当たらない。

 学内に二か所ある食堂のうち、よく来るのはここだ。認識している「いつもの席」も、確かにさっきの場所なのだが。


「あ、高見!」


 清来にメッセージを送ろうとした矢先に、一人の女子が涼太に声をかけた。

 高等部からの顔見知り。一度、同じクラスになったことがある。


「もしかして、清来を探してるよね?」


諸田もろた、あいつがどこにいるか知ってんの?」


「うん。さっきまでそこの席にいたんだけど。」


 と言って、彼女は観葉植物の隣の席をチラリと見た。やはり、涼太の認識は間違ってはいなかった。


「部室に忘れ物したから、取りに行ってそのまま授業に出るって。あんたに伝えてほしいって伝言頼まれたの。」


「はぁっ?」


(ならメッセージ送れよ!)


「何よ、その顔は。喧嘩したの?」


「してねー。てか、なんで伝言?」


「携帯の充電が切れたって言ってた。」


「あり得ねぇ…。」


「とにかく、私は伝えたからね。」


「…ああ、ありがとな。」


 涼太は目の前の女子に礼を言うと、食堂を出た。



 ---------



 清来が所属する美術部は、向かいの棟の三階にある。

 涼太は足早にホールを抜けると、まずは連絡通路を渡った。

 構内を猛ダッシュで駆け抜けたいところだが、自重しつつ携帯を操作する。


『ただいまおかけになった番号は…』


 諸田が言った通り充電が切れているのか、聞こえる応答は味気ない機械音。

 涼太は階段をかけ上がり、目指す美術部にたどり着いた。

 6月初旬の陽気が窓から差し込む、明るい廊下。戸口の前に立った彼はふと、動きを止めた。部室に人の気配が感じられない。またしても嫌な予感がする。

 諸田はついさっきと言ったものの、涼太は途中、清来に追いつけなかった。

 既に行き違いになっている可能性は、大いにある。


(開いてくれよ…)


 彼はドアに手をかけた。


 ガチャン


「ぐわっっ。」


 予感的中。思わずその場にしゃがみこんだ。


(今日、なんかおかしくね?)


 消化不良のモヤモヤがまた一つ加算される。彼は小さく唸った。

 今日に限って、何もかも図ったようにタイミングが悪い。清来は、またもや涼太の手からすり抜けていった。


(朝っぱらから充電切らすか?チャージャー鞄に入れとけよ。充電切れそうなら、一言教えろよ…。)


 涼太はしゃがんだまま、ぐったりと頭をもたげた。


「ヤバ、授業。」


 携帯の画面を見て我に返る。

 今日は清来と同じコマが一つもない。彼女を捕まえるのは、どうやら昼までお預けのようだった。



 ------



「お前さ、今日機嫌悪くない?」


 授業中、隣の席の加佐谷かさやが言った。この男は中等部からの腐れ縁だ。


「別に。」


 涼太は短く答えたが、わかりやすい彼の声には不機嫌オーラが充満している。


「竹原と喧嘩した?」


「してねぇよ。」


 といいつつ、力んだ拍子にシャーペンの芯が鈍い音を立てた。


「図星か。」


「違っ…。」


「竹原、繊細だもんな。謝りどころ間違えるなよ。」


「兄貴と同じこと言うなよ。」


「え、俺、お前の兄貴と同じこと言ったの?ウケる。」


 加佐谷は声を殺してククッと笑った。


(楽しんでやがる…。)


 涼太は不愉快だった。兄や悪友の言うように、確かに清来は繊細かもしれない。しかし、自分の機嫌の悪さがなぜ清来と喧嘩したことに直結するのか理解できない。


(喧嘩…したのか?俺が気づいていないだけで。)


 彼は前方を見つめ、眉をしかめた。

 直近の会話といえば、昨日の夜の電話。最近気に入った曲の話とか、共通の友達の話とか、内容はどれも他愛ない。何度思い返しても、喧嘩の原因が思い浮かばない。


(まてよ…。)


 強いて挙げるなら、昨日の会話で一つ、意見の食い違いがあった。

 清来の親友の田口が、先輩に告白するのをためらっているとかなんとか。



 ---------



『それっておかしくね?好きならちゃんと伝えるべきだろ。』


 涼太はきっぱりと言った。彼は、自分の気持ちに真っ直ぐな性格だ。


『でも、四年生は就活忙しくなるし。迷惑かもって。好きな人に迷惑かけたくないって思わない?』


『就活は別問題。うじうじしてんのは相手のためじゃなくて、自分が怖いだけじゃん。返事を決めるのは相手だよ、そこ間違えてね?』


『別問題って考えられないから迷ってるんだよ、律ちゃんは。大抵の女の子は、怖いと思う。涼ちゃんは迷いがなくて良いね。』


『そう?俺は好きなものは好きと言う。相手にもそうして欲しいね。うじうじされんのは、性にあわん。』



 ---------


 涼太にとっては、普通の会話。


(あれは喧嘩じゃない。もしかして、清を傷つけた?)


 涼太はまだ、清来から一度も「好き」と言われたことがない。

 自分は付き合っていると思っているが、この関係は幼馴染みの延長上とも言える。


(清は、俺のこと…。)


 彼は今更ながら、当たり前に思っていたその先の本当の答えは、清来しか知らないのだと気づいた。


(いや、とにかく会って話そう。あいつが俺のことを避けてるんじゃないなら…。)


 美術部の部室に、充電器があったかもしれない。少なくともケーブルさえあれば、充電はどこでだってできる。授業後には、携帯も復活しているだろう。

 清来は授業中に携帯を触らないから、今メッセージを送っても返事は期待できない。

 涼太はただ悶々と、九十分をやり過ごすしかなかった。


 ---------



「脱兎の如し」とは、この時のための言葉である。

 涼太は授業が終わるやいなや、加佐谷の声も無視して教室を飛び出した。清来の顔を見ないことには、どうも気が収まらない。

 向かう先は、彼女が所属する学部棟。早足で歩きながら、携帯を耳に当てた。

 充電はできているようだが、応答はない。


(出ろよ、電話!)


 途切れないコール音に、苛立ちが募る。避けられているとは思いたくない。何かに怒っているのなら言ってほしい。焦りとも不安ともつかない胸騒ぎに比例するように、足取りは無意識に早くなる。


「おい、田口!」


 彼は棟を連結する渡り廊下で、清来の代わりに彼女の親友を見つけた。

 一緒にいる数人の女子の中に、清来の姿はない。


「高見君?」


 涼太の剣幕に、田口律は驚いた様子で相手を見た。


「清は?」


「清ちゃん?…えっと、先生に頼まれて教材を研究室に持って行ってるよ。」


「どこの?」


「…どうしたの?そんな怖い顔して。何かあった?」


「別に…、なんもないけど。」


 律のおっとりとした優しい視線に、涼太は急に勢いを失った。


「清ちゃん食堂に行くって言ってたから、そっちで待つ方がいいかも。研究室に行ってすれ違うより、確実だと思うよ?」


 彼女の提案に、涼太は少し心が揺らいだ。さっきも美術部に走って、清来とすれ違っている。構内にはいくつものルートがあり、清来と自分が同じ通路を選ぶとは限らない。


「そっか、ありがとな。」


 涼太はくるりと方向転換すると、食堂に向かうことにした。

 ここからだと、突き当りの階段を使うのが最短距離だ。

 涼太は、段飛びで階段を駆け下りた。急がないと、また清来を取り逃がしてしまいそうな気がする。


「涼太!」


 食堂があるホールにさしかかった時のことだった。

 聞きなれた声が、涼太を引き留める。舌打ちをしつつ、彼は立ち止まった。


「先輩?」


 東側の廊下から近づいてきたのは、一学年上の田崎だ。

 高等部で同じ部活だった気の合う二人は、今でも仲がいい。


「あ、急いでる?ちょっといい?」


 よくない。急いでいる。猛烈に急いでいる。


「え、急いでるっちゃ急いでますけど…。いいっすよ。」


 喉元まで出かかった心の声を飲み込んで、涼太は愛想のいい返事を返した。


「この前言ってた漫画さ、やっぱ貸してくれない?紙媒体で読みたくなったわ。」


「もちろんっす。今度持って来ますね。」


「わるいな。お前、食堂に行くの?」


 言いながら、田崎は食堂に向かってゆっくり歩き始めた。


「あ、はい。ちょっと清を探していて。」


「竹原?俺さっき、多分すれ違ったぞ。」


「え?どこでですか?」


 意外な目撃証言に、涼太の声は昂った。


「えっと…、美術部の前?部室に入ってったと思うけど。」


「部室に?」


(どうなってんだ?食堂に来るんじゃないのか?)


 涼太は顔をしかめた。彼は今日、何度こんな顔をしているだろうか。


「どうした?らしくない顔して。」


「いえ。こっちに来るって聞いたんで…。メッセージ既読にならないし、あいつ、電話にも出なくて。」


「ふうん。喧嘩したの?」


「してないっす!」


 威勢よく答えたものの、涼太はだんだんと確信が持てなくなっている。彼は語尾に小さく「…多分」とつけ加えた。


「えらく弱気だな。それで、お前どっちに行くつもり?」


 田崎が指で別々の方向を指しながら言った。一方は部室の方へ、もう一方は食堂に向いている。田口の言葉を信じて食堂で待つか、田崎の目撃情報を信じて美術部へ向かうか。


「ぶ、部室。」


 涼太は、美術部を選んだ。

 研究室の後、部室に寄り、それから食堂に来るのかもしれない。それなら、いつものルートを通るはずだ。意識的に動かない限り、人間の習慣的行動は簡単には変わらない。涼太は、涼太の知っている清来に掛けた。


(今日はとことん追いかけてやる。)


 もう、半分やけくそだった。



 ---------



「えっと、何で?先輩。」


 涼太が隣の田崎を見た。急ぎ足で廊下を歩く涼太に合わせ、なぜか田崎もついてくる。


「ん。涼太がちゃんと竹原に会えるか、俺も責任感じるんだわ。なんか深刻そうだし。」


「は?大丈夫っすよ。そんなことで先輩恨んだりしないですから。」


「ほんとか?部室に竹原がいなくても、絶望して飛び降りたりしない?」


「しませんって。」


 食い下がる田崎に、涼太は呆れて答えた。


「でもお前しつこいからさ、死んだ後、俺のこと恨んで枕元に立ちそうじゃん?」


 二人は往来を避けながら、器用に進む。


「しつこいって…、俺のことそんなふうに思ってたんですか。てか、今日の先輩の方がしつこいですけど。」


「そう?でもお前、しつこいって言われない?」


「それは、言われないこともないですけど。俺、しつこいですか。」


 涼太は、少し口を尖らせた。


「それに、らしくないほど深刻な顔してるしな。」


 二人は、階段を上った。

 今度は廊下の先に、見慣れた顔の腐れ縁男がいる。


「よぅ、高見!」


「加佐谷?なんで?」


「お前、俺が呼び止めたのに無視して飛び出してったろ?竹原に会えた?」


「会えてねぇ。なんでお前が美術部の前にいんの?部員でもないのに。」


 涼太はあからさまに不快な顔をした。自然に、ドアに手を掛ける。


「お前だって、部員じゃないじゃん。我が物顔でふつーに出入りしてるけど。」


 加佐谷と田崎が、からかうように涼太を見る。

 清来と会えずにイライラしている涼太が、心底楽しいらしい。


「うるさいわっ。」


 ガラッ

 パパンッ パンッ


 破裂音と色とりどりの細いテープが、涼太を襲った。


「へ?」


 彼は目を丸くしたまま、完全に静止する。まじまじと見つめる視線の先には、クラッカーを手にした清来が立っていた。


「お誕生日おめでとう、涼ちゃん。」



 ---------



「ひゅう~!大成功?!」


 背後の加佐谷が嬉しそうに叫んだ。

 彼は、拍子抜けした顔でつっ立っている涼太の肩に勢い良く腕をまわした。


「コレ…?」


 涼太が、加佐谷を見る。


「サプライズだよ!竹原が、お前より早くお前の誕生日祝いたいって言うからさ。」


「俺より早く…。本当?清?」


「うん。律ちゃんに相談して、皆に協力してもらったの。」


 清来が、隣に立つ親友、田口律を見る。


「さっきはごめんね、高見君。」


 律は、いたずらっぽく微笑んだ。


「田口っ…、お前、知っててあんなこと言ったのか…。」


「あれはちょっとビックリしたよ。まさか、あんな剣幕で清ちゃんを探しに来るとは思ってなくてさ。咄嗟のでまかせだったの。」


「そそ。本当は俺がお前をここに誘導するはずだったんだけど。授業が終わった後あり得ねぇ速さで飛び出して、見失った。」


 加佐谷が付け加える。


「それで俺のところに連絡がきて、急遽お前を呼び止めに食堂に行ったの。マジ、焦ったわ。」


 今度は田崎が補足に入った。

 彼はあの時偶然を装って呼び止めたが、実は慌てて食堂に向かっていたのだ。


「なんだそれ…。」


 何も知らずに不完全燃焼のモヤモヤを抱えていたのは、自分だけだった。

 涼太は、体中の力が抜けたように感じた。


「それじゃ…、今朝のことは?清?」


 彼は、思い出したように清来に問いただした。


「あれは…コレを取りに行ったの。」


 清来はそう言うと、後ろのテーブルに用意された誕生日ケーキを披露した。

 フルーツがふんだんにデコレーションされた、生クリームたっぷりの白いケーキ。

 中央には、「Happy Birthday Ryota」と書かれたプレート。そして1と9の数字のキャンドルが飾られている。


「授業前に学校に持って来たかったから。お店の人に無理言って、営業時間前に開けてもらったの。」


「だぁ~!もう!」


 涼太は、叫んだ。

 ホッとするやら嬉しいやら悔しいやらでごちゃごちゃになった感情が、悲喜こもごも混ざり合っていた。


「やられたわ。お前だって、今日が誕生日なのに。」


「いつも、涼ちゃんにお祝いを先越されるから。」


 涼太と清来は、どちらも六月三日生まれ。

 物心ついたころから隣同士に暮らす二人は、二卵性双生児のようなふたご座の幼馴染だった。


「でもね、清ちゃん。」


 律が、嬉しそうに言った。


「清ちゃんのこともお祝いしたくて、プレートをもう一つ用意しちゃった。」


 彼女はそういうと、「Happy Birthday Seira」と書かれたもう一枚のプレートを飾りつけた。


「お誕生日おめでとう。高見君、清ちゃん!」


 パパン パン


 クラッカーが弾け、綺麗な紙吹雪が二人の頭上で舞った。



 ---------



「ほんと、今日はやられたわ。ありがとな、清。」


 涼太は隣を歩く清来に言った。

 一日の始まりは気分が落ちたり焦ったりと最悪だったが、今は清来と二人、帰宅の途にある。


「ん…。あの、涼ちゃん。」


 清来が、妙に緊張した声で涼太の名を呼んだ。


「どした?気分悪いのか?」


「ううん。そうじゃなくて…。あのね。昨日の夜の話、覚えてる?律ちゃんのことで…。」


「あー、うん。」


(あのことね。)


 涼太は、わざと手短に答えた。余計なことを言って、清来を困らせたくなかったのだ。


「涼ちゃん、うじうじされるのは性にあわないって言ったよね。」


「うん、言った。」


「それで私、多分、ずっとうじうじしてて。その、ちゃんと言わなきゃって、ずっと思ってたんだけど…。」


 涼太は、ぎこちなく言葉を紡ぐ清来を見た。

 その顔は今にも泣き崩れそうで、彼女は心臓のあたりを必死に抑えている。

 涼太には、清来の気持が痛いほど伝わった。


「わ、私…。」


 涼太の腕が、清来を強く抱き締めた。二人を取り巻く空気が、一瞬止まる。


「わかってる。続きを言って。一番近くで聞きたい。」


 清来は、抱き締める涼太のシャツをギュッと掴んだ。

 心のうちにあるたった一言を打ち明けるだけ。なのに心臓は破裂しそう。


「好きです…。」


「うん。」


 涼太は、耳元で囁く清来の声を確かに聞いた。


「もう一回、言って。」


「…好き。」


「俺も好きだよ、清。今日は最高の誕生日だ。」


 涼太は心の底からそう思った。


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隣のジェミニと最高の誕生日 白井 六 @rikushirai

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